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遅れてきた突っ込み
書きたいことは山ほどあるけど、暇がない。 だから、多分、どれも旬を過ぎた話題ばかりに なりそうなブログ。ここでのハンドルはたか号ですが、小説などはgatsutaka名で書いています。
白翼のポラリス感想


カバーイラストを見た時点で犬村小六さんの「とある飛空士」シリーズを思い浮かべたのは私だけではないでしょう。
このブログでの感想 → カテゴリーとある飛空士
読んでみて「とある飛空士への追憶」に似た展開であることに驚いたのも私だけではないでしょう。
本作の感想を書くに当たっては、まずこれに触れなければなりません。
ついでに言うと「天空の城ラピュタ」を彷彿とさせる要素も。

でもまあ、それはいい。
創作は常に先行作品との競合であって、それを凌駕するものを出せば賞賛されるし、及ばなかったら消えていくだけのことなのですから。
作者さんのツイッターアカウントを犬村さんがフォローしてるしね。
という私の考えを示した上で感想本文に入ります。

不満点が山のようにあります。

最初の1/4までは「どこで読むのを止めようか」ばかり考えていました。
本作と直接関係ありませんけど、とにかく最近は外れが多い。
縁と直観に頼る部分があるとは言え買うまでにある程度吟味はしているのに、読み始めて途中で投げる本、実物を手に取っただけで読む気が失せる本が多くなってきました。
私の部屋にはそんな本が死屍累々です。
本作もその一つになる可能性がありました。

まず、全体として文章に締りがなくてぬるいという印象があります。
少し文才のある高校生辺りがちょっと頑張って書いたものという感じです。
若い主人公シエルの一人称語りだからそうなるのかもしれません。
それでももっときりっとした文章にできるはずです。
作者さんのプロデビュー作ですから、これは今後に期待するしかありません。
あと、章の切り替わりのところでの唐突感が強かったです。
もう少し上手にできないかなあ。

そしてこれは大きいのですが、後半でシエルの心情描写がぐだぐだぐだぐだ続くのが嫌でした。
シエルの内面の成長を描きたかったのだと思います。
であっても無駄な(物語の中で言えば的外れな)描写が多過ぎます。
物語の進行が一時的とはいえ妨げられるのでイライラするのです。
但しそれを嫌うのは私の個人的な嗜好に過ぎません。
私とは逆に好ましいと感じる読者だっているでしょう。

またシエルのキャラが私の好むスタンダードから若干ずれていることも気になりました。
完全には感情移入できなかったのです。
この点は少し惜しい。
スタンダードと言っても「かくあれかし」という具体的なイメージはありません。
どちらかと言うと「なかれかし」、つまりこういう性格やものの考え方感じ方は嫌だなあというネガティブな基準です。
自分の周囲や社会に対して斜に構えているとか、考えるだけでなかなか行動しないとか、悪い意味での諦観を持っているとか、妙に固くて融通が利かないとか、そういうこと(シエルがそうだと言っているのではありません)です。
シエルの場合は、うーんどうだろう、成長過程にあるから仕方ない部分かなあ。

不満点はとりあえずここまでとします。

ステラはどうかと言うと、うん、なかなかいいキャラだと思います。
彼女の方は最初から最後まで真っ直ぐな性格で殆どブレがありません。
この点では「とある飛空士への追憶」のファナと真逆の存在です。
追憶はファナの成長譚でもありますからね。
ただまあ、ステラはあれほどの巨乳キャラにする必要はないよね。
(これは本当に私の個人的好みの問題です。ラノベやコミックのキャラによくある「物理的・生物学的に有りえない巨乳」を私は受け入れられないのです。むしろ嫌悪感を覚えます。ステラはギリギリの線ですけど)

世界観は独自で面白いと思います。
確かに陸地が少ないと資源の争奪が問題になるでしょう。
船国で出た廃棄物は海に捨てるのでしょうか。
惑星系として成り立つかどうかを科学的に考えて否定するのは野暮だな。

飛行機の名前にさりげなく星の名前を使ってあるとことは好印象。
でもポラリスは潜水艦発射弾道ミサイルかな。w

ストーリーは、一巻物の物語としてコンパクトでよくまとまっていると思います。
無駄な部分が殆どなくて面白かったです。
それ故に上記したぐだぐだ心理描写が惜しいんだよなあ。

それとまだ何かが足りない。
重層さ、高尚さ、深長さ、うーん、違うなあ。
単純に言えば軽いんですね。
いや、勿論それぞれの場面は深く検討してあって軽いなんて言うのは失礼ですけど。
これ多分文体からくる印象なのかもしれません。

そして結末。
ネタバレを防ぐために具体的には書きませんけれど、今後の展開を予想させるあのエンドはいいですね。
追憶のファナが……。 あ、ここ書くの止めておきます。
止めるまでもなく本作の序章を読めば私が何を言いたいかは分かる人もいると思います。

次巻を心待ちにしておきます。

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勝谷誠彦さんの兵庫県知事選立候補を全面支援します
全面支援表明

今日のメールタイトルを見て、昨日から報道されていることを知らなかった多くの読者が「何で今頃またエイプリルフール?」と思ったことでしょう。
週報『迂闊屋』20170422号の前振りがなかったら、読み終わった後でもどこに仕掛けがあるのか探したかもしれません。

私は投票権がないし、兵庫県民の知り合いは西宮の叔母夫婦しかいません。
やれることは限られているけれど、全面支援するつもりであることを表明しておきます。
人手が欲しいときはxxな日々で呼びかけて下さい。
万難を排して駆けつけます。

面白いですねえ。
安倍首相と蓮舫代表とももクロが並んで応援している場面を思い浮かべて、一人笑ってしまいました。(それぞれの立場があるから実際には有りえないでしょうけれど)
対立候補だけでなく、大マスコミと直にやりあう状況はもっと現実的に想像できます。
勝谷さんはケンカの仕方を知っているから、そのお手並みを楽しむことにしましょう。

だけどこれまでに見えた脇の甘さから少しだけ危惧してもいるのです。
言葉尻を捉えて彼らがしかけてくるであろう「政治的正しさ」という気色悪い妖怪に負けないで下さい。
自分から無駄な労力を費やす状況を作ることがないように。

あ、そうか。
これは「御前」につながる道なんだ。

==

上は今私がコラムニストの勝谷誠彦さんに宛てて出そうとしているメールです。
これまでと違って、もう一般読者からのメール全てを本人が読むことはできないかもしれませんが、それはどうでもいいんです。

私は有料化された2007年1月のはるか以前から現在までずっと勝谷誠彦さんの配信メール「勝谷誠彦の××な日々。」を購読しています。

その勝谷さんが兵庫県知事選挙に立候補することが報道されました。
本人による表明は明日27日らしいです。

今日のメールタイトルは<兵庫県知事、やります>でした。

つまりこれから立候補者本人によるメールを毎日読むことができるのです。
学生時代に風俗ライターで鳴らし、その後週刊誌記者として活躍した人の文章です。
朝日新聞の天敵としても知られています。
昨日今日ブログやSNSを始めたような人とは面白さのレベルが違います。

好き嫌いや政治的信条に関わりなく、読んでみることをお勧めします。

とりあえずここからどうぞ→
https://katsuyamasahiko.jp/2017/04/26/4493/


すかすかアニメ 感想
いや、まだ早い。喜ぶのはまだ早い。
まだ一回だよ。今後どうなるか分からないんだよ。

幾つかあったよね。
初回を見ていいと思ったのに後半ガタガタになったアニメが。

という自らへの戒めをどーーーーーでもいいと思うくらい、良かった。
#すかすか

後半ガタガタというのは、小説を原作とするアニメで、一回目はその原作にほぼ忠実なストーリーなのに、途中からエピソードをズタズタに切り貼りしているようなものを指します。

原作が好きな場合は、アニメの作画とか動画とか背景美術などよりも、ストーリーをどう扱うかがやはり一番気になるのです。
原作の長さが影響するので、取捨選択が行われるのは仕方ありません。
アニメオリジナルエピソードが挿入されることも有りえます。

そこに原作への愛があるか。
原作のエピソードを泣く泣く削っているのか、オラオラで削っているのか。
受け止め方は主観でしかありませんが、見ていて伝わってくるものなのです。

枝葉は問題ではありません。原作と100%同じにしろなんて言いません。
場合によっては大幅に変わったっていいんです。
世界さえ変わらなければ。

「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」 アニメの放送が始まりました。

==

さて、第1話。
私でも気付くような明確な変更が何か所かありました。

クトリがヴィレムの上の落っこちるシーンとか、パニバルがヴィレムに襲い掛かるシーンとか。
冒頭が養育院ではなかったこととか。←これ、第一回のラストとして効果的でしたね。

クトリが動いている。ヴィレムが喋っている。
ティアットが、コロンが、パニバルががそこにいる。
ラキシュが謝っている。

グリックは以前から知っている通りのいいやつだ。
ナイグラートはそのまんまナイグラートじゃないか。
アルマリアは……;;。うん、まだ我慢しとこう。

これからの一週間、もうこれだけで楽しく生きていけそうです。
次回、ネフレンが出てきたら本当に泣いてしまうかもしれない。笑

==

実写版PVを見たとき、何でこれ? とは思ったもののあまり気にしていなかった
Scarborough Fair (スカボロフェア) について。

スカボロフェアはサイモンとガーファンクルの歌が有名(というかそれがオリジナルと思っている人が多い)で、私も男性視点の歌と思っていました。
「かつて彼女は俺の恋人だった」と「そうすれば彼女は俺の恋人になる」の部分の主語はsheです。

OP曲ではheと歌われています。

それを聞いて、中学生の頃カーペンターズの涙の乗車券で、ビートルズの元歌詞のsheがheに変えられていることに衝撃を受けたことを思い出しました。
英語には男言葉、女言葉の違いがないから、これが成り立つのだと。

とは言えスカボロフェアには元々女性視点の部分もあるのです。

それはさておき、すかすかでこの曲が使われていることは、色々な受け取り方、解釈ができそうですね。

==

第2話感想  2017/4/20

第2話を見て最初に浮かんだ感想は「グッド・オルタレーション」でした。
「良い改変」という意味です。Good alteration!
実際の英語にこんな言い回しがあるのかどうかは知りません。← ひどい!

一つだけ残念だったのは、コロンの関節技が出てこなかったこと。
あれは文章では面白いオチになるけれど、アニメではちょっと苦しいかな。

なにより、チビ達の顔が見えたのがいいですね。
原作では年長組3+2人と年中組4人が出ずっぱりで、それ以外ではアルミタがほんの少し。
文章の場合は役どころの薄いキャラが大勢出てくると混乱するから、あの程度で十分です。
映像では一人ひとりを描き分ける必要があってしんどいでしょう。
アニメの作り手さんがあの子達それぞれに愛情を注いでくれていることがよく分かります。
みんな、姿と声と、そして名前を貰えて嬉しいんじゃないかな。(名前は5巻最後に出てた)

原作でヴィレムが最初に妖精倉庫に行ったとき、妖精達は7歳から15歳くらいまで30人程と記載されています。単純計算で同じ歳が3人強。
実際には2歳から6歳の範囲もいないと不自然ですが、それには言及してありません。
また、年長と年中の中間の存在もいません。
妖精の発生が定期的でなくばらつきがあるということなのかな。

アイセアは実際に喋っているのを見ると、想像以上に「うざいキャラ」でしたね。
これ、私は態と誤解されそうな言い方をしています。
アイセアがその内面、本心を周囲に悟らせないために生み出した彼女のキャラは、誤解されることを目的としています。
だから私達も誤解してあげなければいけないと思うのです。

ネフレンは。
ああ、誰か私を止めて。
放っとくと際限なしに感想を書いてしまいそう。w

ネフレンは所謂肝臓系女子の一種であって、口数は少ないけれどその内側では沢山の言葉が溢れているはずです。

但し肝臓系女子は一括りにできないくらいバラエティがあります。
代表例を挙げると、
言いたいことがあるのに言えない典型が汐宮栞(神のみぞ知るセカイ)。
言いたいことがあるのかないのか最小限のことしか言わないのが長門有希(涼宮ハルヒの憂鬱)。

これに対してネフレンは言えない訳ではないし、言わない訳でもありません。
必要なことは必要なタイミングで口にする。
ただ必要な状況があまりないだけなのです。

普段は「ん」だけで十分なのでしょう。

よーし。今回はここまでで我慢だ!


ライムスキン一位武官は、実際の軍で言えば大佐クラスなのかな。もっと上?
原作でもよく登場します。
黄金妖精に対する彼の眼差し、扱い、負い目といった部分が、護翼軍の中で一番の理解者であり、且つ冷酷な使用者であることを示しています。
声はやはりちょっとイメージが違うのですが、原作通りだと聞き取りにくいだろうから仕方ないのでしょう。

聖剣(遺跡兵装)の保管庫はまたイメージと違ったなあ。
埃っぽい部屋に雑然と置かれているのかと思っていたのに、厳重な地下保管庫でそれぞれ専用のケースに収めてありました。
経済的価値、そして軍事的価値から言えは、あの扱いが当然かな。


リーリァが1シーンだけ出てきました。
その横に、スウォン。白いマント。
大賢者様の若い頃のお姿がようやく拝めました。w


さて、スルーしておこうかと思ったヴィレムによるクトリのマッサージの場面。
あれはラッキースケベではなく視聴者へのサービススケベと言うべきかな。
ラッキーではなくて必然ですからね。その意味ではサービスですらないとも。
ヴィレムの過去の経験と「おとうさん」的側面があればこそのシーンですね。

ネットで読んだ第1話感想に、蛙面人の入浴シーンをラッキースケベの一つと捉えて、そして勿論がっかりしているのがありました。
妙にツボにはまって可笑しかった。

クトリとアイセアの下着姿のシーンはどっちと言うべきか。
あれは明らかにサービスだよなあ。w
ネフレンだけ服を着ていたのは、年齢に配慮ってことでもないだろうから、謎だ。
2人(もしくは3人)が相部屋ということなのかな。
でもクトリのブローチを遺していった先輩は個室だったはず。

尚、私はネフレンにそっち系を求めていないからがっかりなんかしていません。w
カラメルを舐めるシーンが少しそれっぽかったか。
食べることはエロと通底するからねえ。

この第2話でPVなどの事前情報に含まれていた部分はほぼ出尽くしたはずです。
次回以降は新しいシーンばかりになるのでしょう。

2017/4/27 追記 第3話感想。

うん、良くまとまっている。
下手な端折り方された物語は、原作未読の視聴者を置いてけぼりにしてしまいがちです。
すかすかでそれを感じることはあまりないと思います。
その意味で未読の人が羨ましい。
アニメで興味を持って原作を繙くと、画面で見えなかったさらに奥深い世界が開けるのですから。

資料室は綺麗過ぎかな。w
もっと雑然と、というか、私の居室(家族以外にはお見せできません)みたいな混沌とした部屋をイメージしていました。
ナイグラートの性格から考えると、あの程度でも散らかっていると見なすべきでしょうかね。

ネフレンの行動は、まあ確かに誤解を招きますよね。
資料室を覗くクトリの目の怖いこと。w
ネフレンはある目的というか、役割を自認してヴィレムに近づいています。
それは話が進むにつれて顕著になっていって、原作4巻では大きな意味を持つことになります。
決して天然とか鈍感などではありませんので。

いつも出遅れるあの子の名は?

ライムスキン、湯呑みでお茶(薬湯だったっけ)を飲むのは身体構造的に無理じゃないのか?

セニオリスの調整場面で各タリスマン(護符)が鳴らしていた音は、原作を読んでいるときのイメージそのままでした。
ドーム状に広がるビジュアルはなかなか良かったですね。
私の貧困な発想では柄を中心として同一平面で相対的に間隔が広がるという地味な場面を想像していました。

クトリが先輩妖精からブローチを受け継ぐ場面。
先輩は顔を出さないで後姿だけということを想像していて、それは予想通りだったです。しかし、ブローチを直接手渡されるという意外な展開でした。
主が帰ってこない部屋の机の上に大切にしていたブローチぽつんと残されていて、それをクトリが(無断で)引き継ぐという原作のほうがドラマチックというか、心情に迫ってくるものがあるでしょう。
でもそれをアニメでやって、視聴者に理解してもらえるようにするにはかなり時間を取ることも確かです。
手渡しは苦渋の選択だろうと理解することにします。

さ、次回は「敗北」の知らせだ。
ヴィレムはどんな顔を見せるのか。
そこで引きかな。

尚、各話の感想は、木曜朝4:50に起きて5:00から朝食を食べながら録画を見、そのまま出勤して昼休みに記憶を頼りに資料無しで書いています。
帰宅して運が良ければ(家族に他に見たい番組、録画がない)もう一度見ますが、感想はあまり推敲する余裕もなしにUPしています。
Twitterにはそれから抜粋しています。
なので、あちこちに綻びがあるのは仕方ないと開き直っています。

2017/5/4追記 アニメ第4話感想

私はあの市の名前が覚えられない。何度目にしても次の瞬間に忘れる。
なのでフィルには申し訳ないけれど、コ市と呼ぶことにします。
こんなとき頼りになるはずのWikipediaのすかすかのページは結構おざなりで、充実というにはまだほど遠い状態なのです。
コ市についての記述はないし、フィルについては「狼徴人(リュカントロポス)市長の娘」とあるだけ。これじゃ「リュカントロポス市の市長の娘」にも読める。

コ市の市街風景はとても綺麗でした。
私は石造りのもっと重厚な街をイメージしていましたが、あれも悪くない。
ティアットのトカゲ映画への入れ込みがなかなか笑えました。

そしてもたらされた敗北(失敗)の知らせ。
未読の人に、あの豚面族の言葉の意味が通じたかな。
その後のヴィレムの態度で分かりますよね。

私は4話はあそこで終わって以下次回かと思っていました。
でもまあ、予告もあるし、あそこで止める意味がないですね。

そして訪れたヴィレムによるクトリのハグの場面。
前半のハイライトですよね。
ヴィレムの行動は取りようによっては唐突です。
(それ言っちゃうと、ちょろいとも形容されているクトリの心理も唐突なんだけど)
木槌の夢の話など伏線はあります。
それなのにどうして唐突に見えるのかと考えたら、クトリ達が戦っている場面があの時点ではまだ直接は見えていないからかなあと。

戦いはどこか遠いところで行われている見えない戦いに過ぎません。
これまでに見えていたのは戦いから帰った妖精たちの疲れ切った姿だけ。

だから、失敗したとの報告を聞いたヴィレムの反応、そのあとのハグが唐突に見えるのだと思うのです。


2017/5/11追記 アニメ第5話感想

なんだかんだ言いながら、ネフレン目立つんだよなあ。w
ヴィレムの膝に座る。ティアットと階段ではしゃぐ。

特にティアットとのあの様子には驚きました。
ネフレン的存在は、同輩(年長組)や年上(ナイグラート)には可愛がられるけれど、小さい子はあまり近寄ってこないだろうと思っていたのです。
私の認識が間違っていて、面倒見がよくて慕われているのかもしれないですね。

フィルの発音。父が乳に聞こえて困った。
いや別に困りはしないんだけど。w

滅殺奉仕騎士団との対決は、かなり単純な結末に変更されていました。
ヴィレムの洞察力の披露が無くなったのは少し残念かな。
アニメでやるにはちょっと難しいですしね。

ついにエルク登場。まだ声だけですけど。
クトリが見た雑多なイメージは、原作を読んだ人それぞれが独自の映像や音声を思い描いていたはずです。
アニメで示されたのは、そういうものの中の一つということですよね。
私は映像としては赤と黒のツートーン、但し黒が勝っていて、額縁のような背景の中に「物」が浮かんでは消えていく情景を考えていました。
音声はアニメにかなり近い、但しもうちょっと明瞭なものを想像していました。
何度も見るうちにアニメのイメージで上書きされて、私だけのイメージは消えてしまうのでしょう。(これは良い悪いではなく、仕方ないことだと思います)


そして兎の憲兵さんバロニ=マキシも登場しました。
日本では憲兵というとドラマや映画で何度も悪役にされているから、威張っていて怖い存在と感じている人が多いでしょう。
そういうこともあっただろうけれど、描き方が一方的過ぎるからあまり囚われないほうがいいと思います。
念のため説明しておくと、「憲兵」は「軍組織内の警察」と考えればいいです。英語ではミリタリーポリス(略称MP)です。
自衛隊だと警務科(国賓への栄誉儀仗礼などをやっている)。

  余談:有村架純さんの朝ドラ「ひよっこ」がいつものパターンに入ってきました。
     イケメンのロシア民謡合唱指導者が警察官を見て逃げようとする。
     ほんと、NHKのドラマってマルキストが好きだねえ。
     朝ドラはマルキストを、大河ではキリスト教徒を「権力に迫害され、
     それでも信念を貫く善良な人」として描くのが毎度のことです。
     ひよっこは戦後それも占領解除後の話だから権力(の犬)は警察官です。
     これが戦前戦中だったら特別高等警察(特高)になります。
     特高と憲兵は全く別の組織なので混同しないように。

話をバロニに戻します。

彼は武闘派ではなく有能な官僚タイプなのでしょう。
そもそもの話をすれば、護翼軍が組織としてどのような構成になっているのかよくわかりません。
予算の問題、指揮系統の問題、深く考えれば結構危うい軍隊です。
現実の国連軍ともまた違うでしょうね。
敢えて例えれば宇宙人との戦いに特化した地球防衛軍かな。

護翼軍の将兵は各国から派遣されているのではなく、個人が直接志願して入隊しているという印象があります。(原作に記載があるなら教えて下さい。私は覚えていない)
派遣制だったら各国の利害が絡み合って統制がとれなくなりそうです。
それでも部隊を駐留させるにはどこかの島に土地を提供してもらう必要があります。
すると場所によっては戦闘組織が二重に存在することになります。
戦う対象、守る対象が違うから本来であれば共存は可能です。
(アメリカのどっかに米軍とは無関係な地球防衛軍の基地があると考えればいい)
だけど人の世の常としてそうそう単純にはいきません。
憲兵としての本来の任務の他に、外部(それこそ大賢者など)との折衝・調整機能が必要で、バロニがそれを担当していると考えればいいかな。

あれ待てよ。
スウォンが護翼軍のトップにいるということも有りえるかな。
であるならば指揮系統は明確になるし、バロニは彼の参謀的立場にいると見なすことも可能ですよね。(またまた原作の記載内容を覚えていないw)

==

2017/5/18追記

第6話はラキシュのうさぎエプロンがハイライトです。
なんて言うと、あちこちから怒られそうだ。w

バロニが登場した後にあれを見せられたから、
これはスタッフさんの遊びなんだろうか、それともたまたまなんだろうか、
と、ちょっとだけ楽しむことができました。それはともかく。

前回くらいから「原作未読の人はアニメの進行に付いてこられているんだろうか」と少し不安を感じています。
既読者である私はアニメでカットされた部分を無意識にでも脳内補完して楽しむことができます。
しかし読んでいない人が見た場合、画面に現れている出来事の意味合いがどの程度伝わっているのか。

アニメの範囲だけで考えてここまでの部分にストーリーの破綻はないと思います。
カットはあっても可能な限りそれを補う配慮もされていると感じます。
ヴィレムの科白には特にその傾向があります。

でもそのせいで場面によっては出来事や科白などの冗長度が減ってしまい、ぼんやり眺めているだけではそれに気付けないことが多いのではないでしょうか。

冗長度:この場合は、幾つかの場面を見落とし科白を聞き逃しても、全体としては理解できる度合いのことです。

例えば、クトリが過去の記憶に侵蝕されて意識を失ったことがどれほど重いことなのか、意識が戻ったことがどれほど奇跡的なことなのか。

だからどうしろ、という類のことではありません。
上と矛盾しますが、私は冗長度が大きな物語、つまりなかなか話が先に進まない物語はあまり好きではありません。

せいぜい言えることは、みんな画面に集中して見ようねということ、かな。
一言やワンカットに特別な意味を持たせてある場合、それに気付けばより楽しむことができるのですから。

スウォンの姿を見ていて、今更ながら疑問が湧いてきました。
彼はあの若い姿で戦って「生きてはいない」状態になったんですよね。
それなのに身体が大きくなり、顔に老けが刻まれているのはなぜでしょう。
生きていなくても身体は代謝をしているということかな。
でもそれは生きているということではないのかなあ。w
若いままだと大賢者としての威厳がないから、自ら身体を変えたのかもしれませんね。

エルクが言っていた探し物は「じぇい」と「いーぼ」でした。
一瞬、あれっ「かーま」は? と思ったけれど、あ、そうか、かーまは探す必要がないんだった。

アルマリアのクッキーは、ナイグラートが食べていたものと同じ形してなかった?
ここら辺は、ラキシュのエプロンと同じでアニスタの遊びなんでしょうね。
他にも色々仕込んであるんじゃないかなあ。
誰か、これまでで気付いたことないですか?


夜は短し歩けよ乙女 映画感想
2017/4/9午後2時開始の回にかみさんと行ってきました。

感想 「私が求めていたものではない」

全体として振り返って思うのは「夜は短し歩けよ乙女」と題される作品に何を求めるのか、そのレンジもしくはスコープが私と映画で殆ど重ならなかったということです。
それは仕方がない。
原作者の森見登美彦さん以外は、みんなそれぞれが勝手な「夜は短し歩けよ乙女」を持っているのであって、どれがいいとかどれが悪いとか間違っているとか考えても意味がありません。

なのでこの感想では「どういう部分が私に合わなかったか」を表明します。

私は「夜は短し歩けよ乙女」にラブコメの要素を強く求めていました。
でも映画はスプラスティック的な部分が濃く、ラブコメ色はかなり薄められていました。

最初にキービジュアルを目にしたときから危惧はしていました。
これはちょっと違うんだろうなと。

私は四畳半のアニメは好きです。
初回版はレンタルで、この冬の再放送版は録画して見ました。
四畳半の原作は読んでいません。
フィルムコミックは持っています。
つまり元々は湯浅作品に拒否感はありません。

でも映画の冒頭、乙女が酒を飲み干す動画の表現を見たときに持った違和感は、詭弁踊りで頂点に達して、それ以降も解消されることはありませんでした。

後半の学園祭から私(先輩)の脳内議会に至る部分は退屈で退屈で、もし一人で見ていたら席を立っていたかもしれません。
私の主観ではありますが、後半部分では客席全体が「退屈」の空気を醸していました。

そんな中で唯一目を見開いたのはプリンセスダルマの正体が明かされたシーンでした。
「えっ? 象の尻の人は存在しないのか」……絶句。
彼女が削除されたのは二人の頭に錦鯉が当たるという原作にないエピソードのため?
パンツ総番長のビジュアルに全く納得できないのを我慢して見ていたのに、その仕打ちがこれかい? 
ロバート秋山さんのことはどーでもいいんだけど。

先輩は。
ものすごく影が薄かったように感じたのは錯覚かな。
あの名言「恥を知れ! しかるのち死ね!」は言いましたっけ?

映画の予告で「ナカメ作戦」が大々的に扱われています。
これ、私はあまり重要視していませんでした。
外堀を埋める作業の一環くらいにしか思っていなかったのです。

でも映画では「ナカメ作戦」が功を奏したように見えます。
乙女が自らの気持ちとして先輩に惹かれたのではなく、ナカメ作戦でそう誘導されてしまっただけのような。

源ちゃんは、まあどうでもいいや。
私は「顔が思い浮かぶCV」が嫌なのですが、彼の声はそれがなかったです。


黒髪の乙女は。
私、中村乙女は決して嫌いではありません。
ハードカバー本を持っているのに、さらに文庫版まで買いました。
でもそれよりも、コミック版琴音乙女のほうが好みです。

この感想を書くに当たって琴音らんまるさんによるコミック版のamazonレビューを読んでみたら、酷評だらけでした。
えーっ、そう?
私はとてもいい仕事だったと思うのですが。
乙女が先輩に惹かれていく部分は映画よりも丹念に描いてありますよね。
色々な細かいエピソード、仕草、表情、それらから立ち現れる性格は若干天然で、とても魅力的な存在でした。
映画版乙女は、強調され過ぎている大酒のみという属性以外は行動原理が今一つ分からないのです。
あ、花澤さんはGJでした。

左からハードカバー、文庫、らんまるコミック

新装版、ぶーた版は知りません。


その他のキャラは。
四畳半との融合を図った結果、それに引きずられて色んな所が台無しになったように思います。
古本市の神様しかり、学園祭事務局長しかり。
樋口氏は四畳半ではあれでいいんだけど、夜はでは気持ち悪いだけで飄々とした雰囲気が乏しい。
李白さんは好々爺的部分が乏しい。
春画はあこそまで見せる必要ありや?
パンツ総番長は本来は好青年なのに、今時絶対にいないあんな見た目にされて本当に可哀そう。
偏屈王がミュージカル? はぁ?

==

入場者特典の冊子その2も欲しいんだけど、二回目見に行く気になれません。
息子が行くかもしれないから、その時期を調整させようかな。


映画 3月のライオン 感想
2017/3/18の公開初日、12:10開始の回にかみさんと行ってきました。
家を出る前にネットで上から4列目の中心部に二人並んで席を取りました。

混んではいませんでした。
それどころかまばらと言った方が正しい、私としてはとてもよい環境でした。

客層がちょっと変わっていて一人客が半分以上、若い人は少なかった。
私から見えた範囲ではポップコーンを持っている人は皆無でした。Excellent!!
(だよねえ。この映画をポップコーンポリポリしながら見る神経のやつとはできれば一緒になりたくない)

車椅子の老人が孫のような人に連れられて来ていました。

本編上映開始ちょっと前にもう一人、こちらは杖をついた老人が入ってきて、客席の階段を上がってきました。
一歩上る度にごほんごほんと咳をしていて、内心「うえ~っ」と思っていたら、私らの席の列の一番端(私らとの間は全て空席)に座り、しきりに咳をするし、ビニール袋をガサガサさせるしで、うるさいったらありゃしない。
その反対側、かみさんが座っている方の端(同じく間は全て空席)には女性二人連れがいて、こちらはず~っと喋っています。

とんでもないハズレ席を選んだものだとがっかりしていたら、本編の上映がはじまったら両方ともとても静かになり、それは映画が終わるまで続きました。
なので気が散ることもなく見ることができました。

もっとも、エンドロールになったらとたんに女性二人のお喋りが再開され、爺さんは立ち上がってごほんごほん言いながら下りて行ったので、「どっちもあとちょっと我慢してくれよ」と思いましたが、あまり贅沢言ってはいけないかな。
それに老人の咳に文句言ってると、後々自分がそうなったとき映画を見に行けなくなるから、寛容になっておくべきですかね。


余談ですけど、私は余程のことが無い限りエンドロールの最後まで席を立たない派です。
最近は少なくなったのかな。以前はエンドロールの後に映像がまだ残っている映画が結構ありましたよね。それを見逃すのは勿体ない。
そして今回の3月のライオン前篇は、当然のごとく後編の予告的な映像が最後に入っていました。

そんな映画は上映前に「本映画はエンドロールの後にも映像が含まれています」的なテロップを見せれば、客の行動が随分違うと思います。
そんな気遣いをしている映画にはお目にかかったことがありません。

さて、映画の内容について。

原作ストーリーからの改変部分、カット部分、違和感なし。とても丁寧。
キャストは殆どがはまり役。それぞれの演技もいい。香子の子役がいい味出してたかな。
原作とアニメでしか見たことのなかった「舞台」が現実の風景としてそこにあるのも素晴らしい。
「文句なし」です。

これで感想終わったら書く意味があまりないので、少しだけ不満を。

キャストは殆どがはまっているのですが、唯一主人公の零役神木君が「あんたどう見ても高校生じゃないだろう」と思えてしまうのが残念。
私は最初に見たLittleDJはともかく、その後の神木君に厳しいから偏見込みの感想です。

また、描かれている各エピソードの描写が丁寧であるが故に冗長さを感じました。
テンポが緩く、じれったいのです。
全体としてもとても長く感じ、終わったとき私が最初に口にしたのは「長かった~」。

それと、画面の色彩、トーンが少し落としてあるのかな。
そもそも、めでたく明るい話ではないからそのせいかも。
ほっこりできる川本家の登場部分の比率が少なかったことも一因ですね。
後編はアニメ版でもまだ描かれていない中学でのひなたへの虐めと、父親の登場でもっと暗くなるのでしょうけれど。

==


2017/4/22 後編行ってきました。

前編と印象が異なりました。
何か違う。これじゃない。

零が結婚に言及した件を伯母さんが肯定しなかったのは分かりやすい例。
中学でいじめにあっていたちほちゃんとひなたの関係がまともに描かれなかったのもそう。(これは尺の問題で仕方ないのかもしれないけれど)

そんな明確な部分だけでなく、全体的に少しずつずらされている気分でした。



すかすか#EX感想
「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? #EX」



いやあ、良かったですねえ。
これぞサイドエピソード。
それも読者が望んでいた内容そのもの。

最初に言っておきます。
枯野さん、ありがとう。

口絵裏(カバーと同じイラストの裏のページ)にクトリ、リーリァ、アルマリアの三人が三頭身で並んでいるのを見たときは、これは一体どういう内容なんだと驚愕したのですが、実際にはその想像とは全く違っていました。

カバー裏や帯に「外伝」と書いてありますが、枯野さんご本人によるあとがきにはこの言葉が出てきません。
それは意図的ではなくてたまたまなのかもしれません。でも、
外伝って言うと、ちょっと重いというか本格的なストーリーをイメージします。
#EXは本編に対して「ある日のリーリァ」「ある日のクトリ」的な内容なので、サイドエピソードと呼ぶのがしっくりきます。
それでいてセニオリスを核としてラキシュが見た夢を示唆する展開は満足度100%。楽しかった。


#EXがどういう意図で企画されたのかは分かりません。
タイミングとしてはアニメ化、コミカライズとして始まった多方面展開を後押しするためであろうことは容易に推定できます。
それはまあ、どうでもいいです。
アニメでもっと人気が出て、EX2とか、そんな感じで広がったらなおいいなあ。
だけど、その場合でも初回限定版付録とか、ショップ購入特典なんて形にはしないで下さいね。※1

にしても、リーリァは変換しにくい。笑
何でリーリャじゃないんだろう。
発音したときに違いますかねえ。

もう一つ。
「#すかすか」「#すかもか」って、いつ頃から(準)公式の扱いになったのかなあ。
「すかもか」#03の枯野さんのあとがきでは「終末な(略)」「終末も(略)」と表記してあって、私の感想でもそれを踏襲したからその後なのかな。


→ 「#すかすか感想」
→ 「#すかもか感想」

大事な事を書き忘れていた。

「青空の黄金伝説」内の
「4.灰色の髪の妖精の場合」(P204-216)は、ね。
間違いなく枯野さんから私へのプレゼントなんです。
だって、そうとしか思えない。笑



2017/2/23
コミック版本日発売      すかもか#04 は4/1発売(まだ絵がなかった)

   

2017/3/15  04の表紙イラスト 今日時点で大はまだ no image 中と小はありました。これは中。
(3/20 いつのまにか大も no image 脱していました)



※1 初回限定版付録とか、ショップ購入特典なんて形にはしないで下さいね

なんて書いてたら、いきなりこんな情報が。
【2/23発売!】終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか? 第①巻 店舗特典情報!

ああ、下品な商習慣だなあ。
KADOKAWAだもんなあ。しょうがないか。
勿論これは「個人的な感想」です。
作品内容と商売の姿勢とは分けて考えていますので誤解なきよう。

2017/3/2

はい、その下品な商習慣に貢献しましたよ。

すかすかCARD
(写真はクリックすれば拡大しますが、ピントが合っていないのでボケています)

そう、コミック#01は2017/1/9にamazonに注文して手元に届いていたのです。
あんな特典見せられたらまた買うしかないじゃないですか!!

ホント腹立つ
腹立ちながらもアイセアゲット。

せうかなめさんは、このクオリティーを連載でも見せてほしいなあ。
連載が進むにつれて成長していくのでしょうけれどね。

僕が愛した全ての君へ 君を愛したひとりの僕へ 感想
この感想は8月(2016年)には書き始めていたのに、あれこれ追加しているうちにもう12月になってしまいました。
まだ書き足りないけれど、とりあえずここまでで載せてみます。



以下ではタイトルを省略形で表示します。
僕が愛した全ての君へ  = 「僕が」
君を愛したひとりの僕へ = 「君を」



いやあ面白かった。

自分と思考の方向性が同じ作者さんの作品を読むのが一番楽しい。
思考の方向性が同じとは言ってもそれはベクトルの凡その向きのことであって、長さは当然違います。
どっちのベクトルが長いかという問いには意味がありません。(ということにしておこうw)
本作品世界のことに限定すれば乙野さんのほうが遥かに長いのは言うまでもないです。

遥か向こうにあるそのベクトルの終点に向けて、思ったことを投げてみます。
これは「批判」とか「いちゃもん」などではなくて、好意的な意味で「思考して楽しんでいる」のだとご理解下さい。
このような思考は本作品で描かれている世界を十分理解した上でするべきでしょうが、結構読み落とし(読んではいるのにもう覚えていないこと)があるはずなので、話がかみ合わない部分は笑って読んで下さい。


・並行世界が整数で量子化されている。その1
 000と001の間に世界はないのか。
 IP端末に小数点以下の部分もあってその表示が変化しているという記述があるが、小数部分が何を示しているのかの説明はない。
 小数が世界としての意味を持っていないのであれば、000と001の差1が量子となる。
 虚質空間が物質空間と相互作用しているのだからその量子のスケールは物質世界での量子スケール(例えばプランク定数なら6.6x10^(-34))と似た値になるはず。
 であれば000と001の世界の差異はマクロ(人間のサイズレベル)では殆ど分からないのではないか。
 朝食の米・パン程の差異が量子1とは思えない。

・並行世界が整数で量子化されている。その2
 000からIP∞の方向への片側一次元だけというのは違和感あり。
 例えばサイコロを振ると、最低でも同時に6つの世界が生まれるはず。
 であれば、例えば000世界を中心とする円(二次元)もしくは球殻(三次元)として並行世界が広がっていると考えるほうが自然ではないか。
 この場合広がりは連続ではなく、整数で量子化されていてもいい。
 当然IPも二次元、三次元の量になる。
 二次元で考えると、(000,000)世界の隣には8つの世界が存在する。
 (-01,001)(000,001)(001,001)
 (-01,000)(000,000)(001,000)
 (-01,-01)(000,-01)(001,-01)

・並行世界が整数で量子化されている。その3
 000(=X)の隣が001(=Y)、その隣が002(=Z)。
 ではY(=000)の世界から見たX、ZのIPはどうなる?

・並行世界が整数で量子化されている。その4a
 000世界で発生した選択が新しい世界を誕生させるということ?
 であれば隣の001世界は常に移ろっていくということになる。
 001世界で発生した選択が産む世界と000世界との関係はどうなる?

・並行世界が整数で量子化されている。その4b
 そうではなく全ての世界が宇宙開闢のときに同時に生成されて、その後は増えたり減ったりせずある意味静的に存在してるとの解釈はどうか。
 近しい世界では発生する事象が殆ど同じか似通っているとしても、長い時間のうちにその差異は大きくなってくるはず。
 だからIPが1つだけ違っても百数十億年の差異の累積は「全く違う世界」を作ってしまうのかもしれない。

・IPが離れることで差異が大きくなる。(米・パンを量子1としたとき)
 35程度の距離で婚約していない世界、恋人ですらない世界になるかなあ。
 また、誰か、例えば暦に着目したとき、ある時点で暦がいる世界と、既に死んだ世界と、そもそも生まれなかった世界が存在するはず。
 それとは別に、和音がいる世界と、既に死んだ世界と、そもそも生まれなかった世界も存在するはず。
 それらの世界はマトリックスを構成するが、距離関係はどうなるのか。

・隣り合う世界は「人の移動」以外で影響を与え合うことはないのか。
 あるとすれはその速度は?
 速度が有限なら、ここでも光速の壁が現れたりして。
 その場合ある程度以上の距離がある世界同士は互いに無関係ということになる。
 人の移動の速度はどうか。移動が一瞬と言っても0ではないはず。
 でも虚質空間での距離とか時間とかは普通の世界のそれとは性質が異なるのかな。

・意識と身体の関係
 これ結構重い問題かもしれない。
 本作での並行世界移動は意識だけが入れ替わると説明されている。
 意識だけの移動では、脳内の血流、シナプス、神経細胞間の信号は移動しない。
 では移動前後で記憶や思考は継続できるのか、そもそも意識とは何か、という問題が発生する。
 シフト先で事件や事故で身体に重大な損傷を受けたときに死ぬのはどっちなのか。
 シフト先での自殺はどうなる? 自殺したほうの意識が死に、片方は元の世界に戻れなくなる?

とかなんとか。いやあ楽しい。
ここに書いた項目は全て「僕が」だけを読んだ状態で考えたものです。

乙野さんはこんなことは当然承知の上で、物語の世界観を読者に分かりやすく提示するために余計な枝葉を落として「デフォルメ」したのではないかと思っていました。
だから「君を」で栞の事故が出てきたとき、ああやっぱりと思いました。

私は2冊同時に買って、「僕が」の後に「君を」を読みました。

読み終わって、本作は発想としてはまず「君を」ありきで、その後に「僕が」が作られたのだろうなと感じました。

最初に書いた「思考の方向性が同じ」ということは色々な意味を含んでいます。
その一つは「独自に作り出した世界観を舞台とした物語において、その世界の成り立ちを必要な範囲で説明する姿勢がある」ということです。
論理的に成り立つかどうかは問題ではありません。
矛盾を含んでいたり、破綻があっても構わないのです。
方向性が全然違う作者さんの作品を読んだらどうなるかは、こちらを参照して下さい。
 →  ぼくは明日、昨日のきみとデートする 感想


ところで、「僕が」の序章を読んだとき、私は萩尾望都さんの「ヴィオリータ」を思い浮かべました。
ヨハンが時空を超えてヴィオリータという少女を追い求める幻想的な物語です。
死期を迎えたヨハンの部屋に幼い孫娘のヴィオリータが訪れて「ヨハン、寝てらっしゃるの?」と尋ねます。

「僕が」ではレオタード像の下で車椅子に乗っている年老いた暦の前に少女が現れて謎の言葉を告げます。
何となく似ていますよね。

なので本作全体に「ヴィオリータ」のようなリリカルな雰囲気を想像していました。
しかし実際にはかなり異なっていました。
むしろリリカルの真反対のシャープさを感じました。
各章が年代で区切られていて、エピソードとしてはそれぞれで完結しているせいかもしれません。

とは言え、大きく俯瞰して考えれば、本作も全体としては詩情を湛えていると見なすことも有りかな。

「僕が」の000世界と「君を」の000世界は暦の思いによって強く結び付けられています。交差点の幽霊と化して10代の姿のままの少女栞と、栞を救うために人生の全てを捧げた年老いた暦。
彼が見出して実行した解決方法が、本来出会うはずのなかった「僕が」の暦と栞(両方の世界の栞)を引き合わせました。
この構造が巧まずして本作にリリカルな側面を与えているのかもしれません。
(乙野さんが狙ってそうしていたのなら、私の読みが浅いだけなのでごめんなさい)


ここで幾つか不満点を挙げておきます。

1)「僕が」の壮年期エピソード

通り魔犯の奥さんが殺された事件は、本作に挿入するエピソードとしては重すぎると思いました。
奥さんに罪はなく、ましてや謝罪に訪れているのに殺されるなんてやりきれない。
動機もその奥さんに対する恨みとかそういうことではありませんよね。
IPロックを持ち出すには殺人というインパクトが必要なのかなあ。
それに社会の反応を考えると、たとえ別IPの別人格者が起こした事件だとしても「暦は状況によっては人殺しを行う危険な人物」と見なされることになりかねません。
これは「ちょっと嫌」でした。

2)「君を」P161

栞の身体が死ぬ場面での暦の心理描写はいらない。
私の個人的な好みの問題ですが、殆ど全ての読者が「何が起こったか判っている」場面でそれを否定する無駄な心理描写がぐだぐだと続くのは嫌いなのです。
その読者の想像とは違う方向に話が進むのならともかく。

あれ? 不満はこれくらいかな。
そうだ、もう一つありました。

本作を貫く原則の一つに「違う世界の同一人物は別人格の別人である」というものがあります。
何だか変な文章になってしまいました。
本作中にもっといい表現がなかったですかね。

これによって並行世界を跨がっての冤罪という概念が出てきます。
犯罪を犯した者が異世界に逃げ、それと入れ替わった犯罪を犯していない人格が罪を問われるということです。
しかしこの冤罪は法的にはかなり厄介かもしれません。
犯人が本来所属している世界Aで犯罪を犯して逃げた場合はまだいいです。
シフトした先の世界Bで罪を犯して元の世界に戻った場合はどうなるでしょう。
犯罪が成立したのはB,犯人がいるのはA。
ではその罪はどちらの世界で誰が裁かれるのか。
Aの犯人をBにシフトして裁くとしたら、死刑の場合はどうなる?
この犯人がさらに別の世界Cで別の犯罪を犯していた場合はどうなるのか。
ある世界では犯罪であっても別の世界では犯罪にはならないように法律が違っている場合はどうなるのか。

科学のエリアはともかく、法的・社会的分野を考えるとちょっと厳しいなあ。


それはさておき。
各世代でのエピソードは面白いですね。

勿論その中でも一番はIP085の和音ですけれど。
シールを貼るなんてアナログな誤魔化しは予想もしていなかったもんなあ。w

暦にとって000以外の和音は「結婚したい和音」ではありません。
この考えが後になって「全ての可能性の和音を愛する」に変わるのですが、それでもそれぞれの和音を別人と見なしていることに違いはありません。

日常において自然現象として発生しているシフトについてはその原因などの説明がありませんでした。
ここではそれを「ゆらぎ」と呼ぶことにします。

お互いの初体験のとき、及び結婚のとき(この「結婚」が式のことなのか、誓約のことなのか不明:まあどっちでも同じかな)暦と和音は相手が000であることに拘ります。
ゆらぎによってしばしば変動するものなのに、この拘りはどういうことかな。
その行為を「精神的な部分における神聖なもの」と捉えているということでしょうか。

でもなあ、ゆらぎの確率を数値化したら、今目の前にいる和音は、例えば
000の和音が84.48%
001の和音が 7.78%
002の和音が 5.59%
003の和音が 1.56%
004の和音が 0.43%
005の和音が 0.12%
・・・ 以下IP∞まで
が混在したシュレディンガーの猫的存在ということになりませんか?
なまじIPを測定して確定できるようになったから故の拘りなのかもしれません。

私がこの世界の住人だったら「IPが近傍なら人格も含めて同一人物」と考えそう。
これを拡張して「全てのIPで同一人物であり、その振る舞いの差は『可能性』の現れ」という考え方も可能です。
これは暦の「全ての可能性の和音を愛する」と似ているけど違うのかな。

==

本作中に明示はしてないけれどこの推測は多分正しいと思うことがあります。

以下の説明では表記がごちゃごちゃになるので、「君を」の暦を暦A、「僕が」の暦を暦Bとします。栞、和音についても同じです。

暦Aは栞Aが幽霊になったあと高校を中退して大学に行かず独学(父親Aや所長Aの助けはあり)で虚質科学を習得しました。
これに対して暦Bは中学の頃から秀才で、あまり勉強しないでも高校では常にトップ、そのまま九大に進学しています。

これは暦Bが生来の秀才だからではないと思います。
勿論父親Bから受け継いだ資質もあるでしょう。
しかしそれだけではなく、暦Aが過去に遡って暦Bと意識だけ合体したからなのではないでしょうか。
暦Aの記憶は消えていますから、その知識もどの程度暦Bに影響しているかは分かりません。
100%ということはないかもしれませんが、あるかもしれません。

そのくらいのメリットがないと、暦Bは巻き込まれただけということになります。
デメリットも考えられませんけれど。

栞B(「僕が」の序章にでてきた老婦人)にとってはどうかなあ。
「名乗るほどの者ではない」を言いたかったのは栞Aですよね。
それを本当に言うことができて幸せな気分になれたってとこかな。

この推測が本当に正しいとしたとき、次のような事態を想起することができます。

想起事態1
暦Bがその死の間際にさらに別の世界で過去に遡って暦Cに合体する。
暦Cがさらに・・・、と繰り返していけば、一人の人間が一生かけて習得した知識を無限に累積していくことが可能になる。
全ての世界で時間(時刻)が同じなのだから、暦Aが過去に行ったその同時刻に暦最終形がどこかの世界に存在していることになる。

想起事態2
暦Bがその死の間際にさらに暦Aの世界で過去に遡って暦Aに合体する。
これによって暦Aと暦Bの間で知の無限ループが形成される。

これをちょっとだけ検証してみたのですが、想起事態1に書いた「無限累積」はかなり難しことが分かりました。

暦Aが生まれたときの知識=0、過去遡及を行ったときの知識=100とします。
暦Aが合体したとき、暦Bの知識=0+100*a (a=同化率、最大で1)
暦Bがその生涯で暦Aに匹敵する知識100を得たとする。
暦Bが過去遡及を行うときの知識=100*a+100=100*(a+1)
暦Bが合体したとき、暦Cの知識=0+100*(a+1)*a
暦Cがその生涯で暦Aに匹敵する知識100を得たとする。
暦Cが過去遡及を行うときの知識=100*(a+1)*a+100=100*(a^2+a+1)
以下同様に、比例係数はaの累乗の和になります。
a=1のときは累乗の和は無限に大きくなります。
しかしa<1のときは、過去遡及を繰り返すと比例係数Σ(a^n,n=0,1,2,...)がある値で止まってしまい、それ以上増えなくなってしまいます。
a=0.9のとき10、a=0.8のとき5、a=0.5のとき2。
つまり1/(1-a)に収束していくのです。
物理現象でa=1はあり得ないでしょうから、「無限の知識」は実現できないということです。
そもそも脳のキャパの問題もありますしね。

想起事態2ではどうなるのか。
考えてみたのですが、分かりませんでした。
A,Bそれぞれ一回の遡及だけで平衡状態になってしまうのかなあ。

==

暦Aは栞Aを連れて過去に行くことで栞Aを交差点の幽霊状態から救い出しました。
それがなかったら、死ぬことのない栞Aの意識は永遠にそこに留まっていたはずです。

そのとき、暦Aの世界の近傍のIP世界ではその世界の暦が同じように幽霊になっている栞を救い出したはずです。
暦と栞が(若いときに出会った)世界では栞は必ず幽霊になっています。
幽霊になった「全ての栞」はこれで救われたのでしょうか。

それとも暦が失敗して幽霊のままの栞がいる世界もあるのでしょうか。

物質で構成されたものは時間の経過、エントロピーの増大によって分解され、いずれは消滅します。
虚質で構成されたもの、栞の意識はどうなんでしょうね。

誰かにあやかった名前について

本日二本目です。(一本目は「かみさんと長男のドイツ珍道中」)

今年(2016年)も子供の名付けランキングが発表されました。
明治安田生命(元々は明治生命)はずっと以前(昭和初期)からこのランキングの統計を取っています。
私は約20年前に明治生命のおばちゃんに頼んでその冊子を入手しました。
まだネットに情報が載ってなかった頃です。

冊子の使用目的は勿論、自分の子供への名付けの参考にするためです。
ただし、流行の名前を付けるためではありません。

第一子が生まれたとき、かみさんと話し合って意見が一致した点。

(1) 流行の名前は付けない 流行の漢字は使わない
(2) 難読の名前は避ける
(3) 有名人、偉人に肖(あやか)った名前は付けない

意見が合わなかった点。

(4)  姓名判断は考慮しない 私
(4’) 姓名判断は熟考する  かみさん

姓名判断については、私が数十個の候補を上げて、かみさんが本で読んだ規則に則って判定して可否を決めたので、実質考慮したのと同じ結果になりました。
私は今でもバカバカしいと思っているんですけどね。

流行りの名前を付ける付けないは人それぞれの好みなので、私がとやかく言うことはありません。
かみさんの兄貴さんの二人の子供はどちらもその子が生まれた年のベストテンに入っている名前をもらっています。

難読を避けたのは、私自身の名前がちょっと難しくて一発で読めた人がこれまでいなかったので、子供にはその苦労(というより面倒かな)をかけたくなかったからです。
ただし、私は自分の名前が嫌いではありません。

この当時まだキラキラネームという言葉はありませんでした。DQN名はあったのかな。
名付けの本(4,5冊は買った)に、そんな名前を主に並べているものもありました。
そういう名前は端から論外であることは夫婦で一致していました。

そして、あやかり名。
これも好みの問題だから他の人がどう考えようが勝手なのですが、ちょっとだけ意見を言いたい。

今年は「けい」や「こうへい」といったスポーツ選手と同じ名前が昨年より上位になったそうです。
今年に限らず以前からその傾向はあります。
でもね。これも言っててみれば流行に乗ったのと同じでしょう?

で、例えば「こうへい」と名付けた場合、その子に「内村航平さんのようになってほしい」というあやかりの意識はあるのでしょうか。

私にもし今年子供が出来たとしても「こうへい」と名付ける気は全くないから、その気持ちを想像するのが難しいです。
内村君が恰好いいから? たまたま考えた名前が内村君と同じだった?
子どもが大きくなって「内村選手と同じだね」って言われるの嬉しいかなあ。

「内村航平さんのように」というのは、「金メダルを取れる体操選手になってほしい」から「周囲の期待に応える活躍ができる人になってほしい」まで、幅が考えられます。

でもなあ。その人が既に亡くなっていて、社会的もしくは歴史的な評価が固まっているのならともかく、存命のしかも若い人は、今後どうなるか分からないですよ。

今太閤と言われた田中角栄さんが首相になって国民的人気があった頃、生まれた子供に同姓同名の名前を付けたケースがありました。
その子が小学生になった頃ロッキード事件が報道されて、角さんは天下の極悪人になってしまいました。
そしてその子は、学校でいじめられるようになったのです。
最終的には家庭裁判所が改名を認めたんじゃなかったかな。
これは極端な例ですけどね。

私があやかり名を避けたのは、他人にあやかった名前を付けると「結局その人を超えることができない」ような気がしたからです。

どうしてもあやかりたかったら一文字もらう程度がいいのではないかと思います。

==

私は高校生の頃、万葉集を読んでいてそこに出てきた万葉仮名の言葉に惹かれて、将来娘ができたらその言葉を使った名前を付けようとずっと思っていました。
ところが、うちの娘が生まれる少し前にあるタレントさんがお子さんにそれと全く同じ名前(漢字も)を付けて、わざわざ記者会見を開いて発表してしまいました。
失礼ながら、そのタレントさんは万葉集まで遡る言葉だという知識をお持ちとは思えませんでしたが、もうその瞬間にその名前は諦めました。
そのタレントさん(の子供)と同じなんて絶対に嫌だったのです。

==

上からの流れで、前々から言っておきたかったことを書きます。
結構反論される内容かもしれません。


私はファーストネームだけの芸名が大嫌いです。

特殊な、一般的でない名前であればいいのです。
一般的な名前の場合です。

なんでお前がそれを独占的に使ってんだよ! ということです。

これが始まったのがいつ頃からなのかよく分かりません。
最初は、バンドやグループのメンバー名くらいからなのかなあ。
仲間内でファーストネームで呼び合っていて、それを表に出したケースです。
その場合でも、○○の△△さんという認識があったはずです。

例に挙げて恐縮ですが、タレントのヒロさん。
彼の場合は最初は「B21スペシャルのヒロミ」という立場でした。
しかしB21は現在活動休止中ですし、今ではそんなコントグループがあったことすら知らない人も多いでしょう。
つまり現在彼はヒロミという名前を占有しているのです。

その後、グループとは関係のない人でもファーストネームだけの芸名を付ける風潮が生まれました。女性歌手に多いですね。
私にはそもそもそんな芸名にしようとする神経が理解できません。
だから嫌うのかな。

最近はファーストネームではなく、ファミリーネームつまり苗字だけの芸人が出てきました。
あいつにはさっさと消えてほしい。
彼の「芸」も大嫌いです。あんなの芸じゃないよね。

これ言い出すとネットでのハンドル名はどうなんだということもあるんですけど。
こんな気持ちになるのは苗字も名前もバラエティが豊富な日本に住んでいるからかもしれません。
キリスト教圏やイスラム教圏はそれこそ聖人のあやかり名ばかりですから。


かみさんと長男のドイツ珍道中

二週間のドイツ旅行に行っていたかみさんと、お供の長男が帰ってきました。
その間、うちにいたのは私と高2の次男だけ。
掃除、洗濯、食器洗い、ゴミ出し、飼い猫の世話、やりました。
食事は基本、コンビニ弁当。
土曜夜だけ私の実家に行って食べさせてもらい、さらに残った物をタッパに詰めて持ち帰って日曜の食糧にしていました。
自分で作ったのは一回だけ。オムライス。

面倒だったのがHDレコーダーの管理。
かみさんが山のように録画予約しています。
でも安物なので容量が500GB。あっと言う間に残量不足になります。
ブルーレイディスクに書き込んで削除を繰り返すのですが、時間かかるし操作は面倒くさいし、もううんざり。
だけど自分が見たいものも録れなくなるのでこれは手を抜くことができません。

この寒い時期にドイツ(緯度は北海道より北)に行ったのは勿論理由があります。
大学生の娘が語学研修、つまり遊びで8月から半年間の留学に行っています。
そのホームステイ先の家主のおばさんが「家族なら泊めていいよ」と言ってくれたのです。
しかしかみさん一人で行くのは自信がない。
最初は私に一緒に行かないかと言っていましたが、さすがに二週間も仕事を休めません。
それでもう一人の大学生である長男に当たったところ「11月だったら行ける」ということだったのです。
だから通訳兼ボディガードとして長男がお供することになりました。

ところが、出発の数日前になって、そのおばさんが「泊められない。母親だけならまだしも、弟はダメ。それと料金は取るからね」と言い出したのです。
話が違うやんけ。
泊めていいと言っていたのは娘がホームステイを始めた頃です。
どうも反りが合わなくて、その後、何度も衝突したらしいのです。
でも今更。勿論お礼はするつもりでしたが、日本人の感性としてはそれはその場でのことでというつもりだったので、直接「金払え」と言われたら気分が萎えます。
仕方ないので長男が格安ホテルを探して予約だけはして出発しました。

ドイツ滞在中は私には全く音信不通でした。
向こうでスマホが使えないので、wifiでのLINEだけだったのです。
私はガラケーです。
なのでどうしても必要な連絡は次男のスマホで取っていました。

21日に成田経由で福岡に帰ってきて、22日に家に戻りました。
これから当分、行っている間のことを聞かされるのでしょう。

23日からは次男が東南アジアへの修学旅行に出発しました。
娘は母ちゃん達が帰ってすぐ、留学仲間数人でフランス・スペイン・イタリアを周遊しています。
私は出張で上海に一泊で行ったことがあるだけだってのに。

それにしてもかみさんのジンクスはすごい。
これまでもちょっとした小旅行でも、大雨、雷雨、積雪など「よくないことが起こる」のオンパレード(この言葉を使うのは年寄の証しらしいw)でした。
今回は前泊した当日福岡で国道大陥没、帰国時に乗っていた飛行機が上空を通過した福島で津波襲来。
どちらも人的被害が殆どなくてよかったですけど。

これまでに聞かされたエピソード。

・帰国したとき成田の入国審査で、列に並ぼうとしたら「そこじゃないあっち」と係員に手であしらわれ、並び直した列でもまた同じ扱いを受け、再度並び直した。
ようやく順番が来てパスポートを出したら、「あ、日本人だったのですか。これは失礼しました」とまるで手のひらを返した態度になった。
お土産の酒の関税も「なるべく安くなるように計算してみますね」と、何度も何度も計算しなおしてくれたとか。
 その部屋に入ったとき某国の団体の横を通って並ぼうとしたから、その某国人と間違われていたのだろうとのこと。

・ブレーメンに行ったとき、早く周れたので予定よりも一本早い快速で帰ることにした。
 駅に行ったらもう隣のホームに列車がいたので、長男がホームから線路(段差が低い)に降りて横切ったからついていった。
 列車に乗り、出発してやれやれと思っていたら、検札があった。それは問題なかった。
 その後で、女性のごついおばさん車掌がやってきて、ドカッとシートに座ると、半身の状態で片肘をついてこちらに向かい何がガーガー怒鳴っている。(ドイツ語だからさっぱり分からない)
 切符が間違っていて怒られているんだろうかと思っていたら、どうもそうではなく、乗った駅で線路に降りたことを問題にしているらしい。ずっと説教された。
私「そりゃそうだ。どこの国でも怒られるよ」

・トイレはどこも有料
 最初の頃入ったトイレに黒人の受付おばさんがいた。いくら払えばいいのか分からなかったので、適当な小銭を出したら「Noooooooo!」と怒られた。
 仕方ないので手持ちの小銭を全部見せておばさんに選んでもらった。
 それでも有料トイレは少し安心できる。

・デパートでスカーフを買った。そのデパートを出るときに「ブー」という電子音が聞こえた。何だろうなと立ち止まったけれど、続けて同じ音が何度も聞こえたし誰も気にしていないようだからいいのかなと外に出た。
 別の店に行って買い物をして出ようとしたらまた音がした。
 今度は係員がやってきて「こっちに来い」と事務所に連れて行かれた。
 持っている物を全部出せと言われ、その店で買った物を出した。ちゃんと支払ているから問題ないはず。
 その紙袋は? と先のデパートで買ったものも出さされた。
 スカーフを出すと「これは何だ?」とあれこれ聞かれた。
 どうも最初のデパートで値札のタグを取ってくれなかったからブーが鳴ったのではないだろうか。
私「そこでも某国人と間違われていたんじゃないの?」

・現地に到着したその日午後3時、息子が予約した格安ホテルに住所を頼りにタクシーで行った。降ろされたのは雑居ビルみたいな所。とてもホテルに見えないが、ビルの案内表示には二階に確かにそのホテルの名前がある。(他のフロアは関係なさそう)
 ビルに入って二階に行ってみたら、電灯がついていない薄暗いところで誰もいない。
「えーーー。本当にここ?」
暫くそこにいたら、別の客らしい男(ドイツ人のようだった)が入ってきた。彼も「あれ?」という素振りで当惑していた。
 諦めて外に出たら、その男も付いてくる。そして話かけてきた。
 息子が英語で対応したら「電話を貸すから、ホテルに電話してみてくれ」ということらしい。電話したけれど誰も出なかった。
 こんなとこ、泊まるのやめようということになり、タクシーで見かけた日系のホテルまで歩いて行ってロビーに入ったら日本人スタッフがいて本当に安心した。

・その後、比較的安い宿を探して、そこをベースにした。
 朝食はビュッフェ形式。パン、ハム、チーズは美味しんだけど、野菜がひどい。適当に厚くスライスしたキュウリとか生のままのピーマンとか。ドレッシングもなくて、テーブルにあった塩と胡椒をかけて食べた。やっぱりジャガイモが多い。
「私、イモ嫌いなのよね。そう言えば去年うちに泊めたクロアチアの子達、肉ばっかり食べてサラダに全く手を出さなかったけど、そもそも野菜を食べる習慣が無かったのかもしれないね」

・ドイツの感想
 思っていた以上に治安が悪そうだった。浮浪者みたいのがゴミ箱漁っているし、道歩いている人は男も女もこちらをにらんでいるような目つきだし、気持ちの休まるところが無い。
 海外旅行初心者が個人旅行で行くところではない。


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さて、一体幾ら散財してきたのか知りませんが、私が聞いたら気分が悪くなるような金額なのでしょう。

その間の、私と次男の食費として渡されたのがそれぞれ1万円。
14日間1日700円で私は朝と夜(昼は社員食堂なので給与払い)、次男は3食です。

それとは別に「何かあったときの為に」と10万円が抽斗に入れてありました。
通院している病院に行ったし、メガネを新調したし、何よりコンビニ弁当とは言え700円では足りないので見る見る目減りしていきました。
問い詰められると思っていたら。

「ねえ。あの10万円残ってる?」
「ある程度はね。だっていくら何でも10万は使わない」
「あっそ」

え? それで終わり?
この反応から推察するに、10万円程度を問い詰めるのが気が引ける程の金を向こうで使ってきたんだろうなあ。

ざんげちゃんと千石撫子フィギュア
ひさしぶりにnakomunaさんのフィギュアの紹介です。

化物語の千石撫子と、かんなぎのざんげちゃん。
zange+nadeko     nadeko_UP

これに以前紹介した汐宮栞を加えると花澤香菜さん演じた三人娘だ。w
3ninMusume  いずれもクリックで拡大します。


そもそも私は声優さんにあまり興味がなく、上手でキャラのイメージを壊さないなら誰でもいいやという考えでした。
ここまでならごく普通の感覚だと思います。
(そういう感覚を踏みにじったというか、真向から否定してくれたのがジブリですね)

で、こっから先は「普通の感覚」とは自分でも違うと思うのですが、
私の場合は、

神のみ→栞→花澤→化物語→撫子→nakomunaさん→ざんげちゃん

というルートで興味がつながっています。
つまり「花澤さんだから」が始まりではないし、ざんげちゃんを除いで作品への興味が先で、それから特定のキャラ、結果としてその声が花澤さんだったということです。
かんなぎはあまり面白いとは思えなかった。(これ、語りだすと長くなるので割愛)

そこから花澤さん個人に興味が向いて、本人名義のCDはすべて買って聞いています。
(栞の声が花澤さんだと知った頃は、人気のある声優さんだなんて全く知らなかった。CDについても語りだすと長くなるので割愛)

アニメは作品毎に判断するので花澤さんが主役や主役級で出ていても見るとは限りません。
現在放送中で見ているのは3月のライオンだけ。
それでも一応ビデオレコーダーに「花澤香菜」でキーワード予約を入れています。
今週の「境界のRINNE」がそれで録画されていたので見たところ、なんとワニの幽霊役だったよ。w


期待しているのは「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? 」のネフレン。←くどいねw
7月にアニメ化が発表されて、その後の情報がまだ出ていないのです。
やってくれないかなあ。