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遅れてきた突っ込み
書きたいことは山ほどあるけど、暇がない。 だから、多分、どれも旬を過ぎた話題ばかりに なりそうなブログ。ここでのハンドルはたか号ですが、小説などはgatsutaka名で書いています。
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すかすかアニメ 感想
いや、まだ早い。喜ぶのはまだ早い。
まだ一回だよ。今後どうなるか分からないんだよ。

幾つかあったよね。
初回を見ていいと思ったのに後半ガタガタになったアニメが。

という自らへの戒めをどーーーーーでもいいと思うくらい、良かった。
#すかすか

後半ガタガタというのは、小説を原作とするアニメで、一回目はその原作にほぼ忠実なストーリーなのに、途中からエピソードをズタズタに切り貼りしているようなものを指します。

原作が好きな場合は、アニメの作画とか動画とか背景美術などよりも、ストーリーをどう扱うかがやはり一番気になるのです。
原作の長さが影響するので、取捨選択が行われるのは仕方ありません。
アニメオリジナルエピソードが挿入されることも有りえます。

そこに原作への愛があるか。
原作のエピソードを泣く泣く削っているのか、オラオラで削っているのか。
受け止め方は主観でしかありませんが、見ていて伝わってくるものなのです。

枝葉は問題ではありません。原作と100%同じにしろなんて言いません。
場合によっては大幅に変わったっていいんです。
世界さえ変わらなければ。

「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」 アニメの放送が始まりました。

==

さて、第1話。
私でも気付くような明確な変更が何か所かありました。

クトリがヴィレムの上の落っこちるシーンとか、パニバルがヴィレムに襲い掛かるシーンとか。
冒頭が養育院ではなかったこととか。←これ、第一回のラストとして効果的でしたね。

クトリが動いている。ヴィレムが喋っている。
ティアットが、コロンが、パニバルががそこにいる。
ラキシュが謝っている。

グリックは以前から知っている通りのいいやつだ。
ナイグラートはそのまんまナイグラートじゃないか。
アルマリアは……;;。うん、まだ我慢しとこう。

これからの一週間、もうこれだけで楽しく生きていけそうです。
次回、ネフレンが出てきたら本当に泣いてしまうかもしれない。笑

==

実写版PVを見たとき、何でこれ? とは思ったもののあまり気にしていなかった
Scarborough Fair (スカボロフェア) について。

スカボロフェアはサイモンとガーファンクルの歌が有名(というかそれがオリジナルと思っている人が多い)で、私も男性視点の歌と思っていました。
「かつて彼女は俺の恋人だった」と「そうすれば彼女は俺の恋人になる」の部分の主語はsheです。

OP曲ではheと歌われています。

それを聞いて、中学生の頃カーペンターズの涙の乗車券で、ビートルズの元歌詞のsheがheに変えられていることに衝撃を受けたことを思い出しました。
英語には男言葉、女言葉の違いがないから、これが成り立つのだと。

とは言えスカボロフェアには元々女性視点の部分もあるのです。

それはさておき、すかすかでこの曲が使われていることは、色々な受け取り方、解釈ができそうですね。

==

第2話感想  2017/4/20

第2話を見て最初に浮かんだ感想は「グッド・オルタレーション」でした。
「良い改変」という意味です。Good alteration!
実際の英語にこんな言い回しがあるのかどうかは知りません。← ひどい!

一つだけ残念だったのは、コロンの関節技が出てこなかったこと。
あれは文章では面白いオチになるけれど、アニメではちょっと苦しいかな。

なにより、チビ達の顔が見えたのがいいですね。
原作では年長組3+2人と年中組4人が出ずっぱりで、それ以外ではアルミタがほんの少し。
文章の場合は役どころの薄いキャラが大勢出てくると混乱するから、あの程度で十分です。
映像では一人ひとりを描き分ける必要があってしんどいでしょう。
アニメの作り手さんがあの子達それぞれに愛情を注いでくれていることがよく分かります。
みんな、姿と声と、そして名前を貰えて嬉しいんじゃないかな。(名前は5巻最後に出てた)

原作でヴィレムが最初に妖精倉庫に行ったとき、妖精達は7歳から15歳くらいまで30人程と記載されています。単純計算で同じ歳が3人強。
実際には2歳から6歳の範囲もいないと不自然ですが、それには言及してありません。
また、年長と年中の中間の存在もいません。
妖精の発生が定期的でなくばらつきがあるということなのかな。

アイセアは実際に喋っているのを見ると、想像以上に「うざいキャラ」でしたね。
これ、私は態と誤解されそうな言い方をしています。
アイセアがその内面、本心を周囲に悟らせないために生み出した彼女のキャラは、誤解されることを目的としています。
だから私達も誤解してあげなければいけないと思うのです。

ネフレンは。
ああ、誰か私を止めて。
放っとくと際限なしに感想を書いてしまいそう。w

ネフレンは所謂肝臓系女子の一種であって、口数は少ないけれどその内側では沢山の言葉が溢れているはずです。

但し肝臓系女子は一括りにできないくらいバラエティがあります。
代表例を挙げると、
言いたいことがあるのに言えない典型が汐宮栞(神のみぞ知るセカイ)。
言いたいことがあるのかないのか最小限のことしか言わないのが長門有希(涼宮ハルヒの憂鬱)。

これに対してネフレンは言えない訳ではないし、言わない訳でもありません。
必要なことは必要なタイミングで口にする。
ただ必要な状況があまりないだけなのです。

普段は「ん」だけで十分なのでしょう。

よーし。今回はここまでで我慢だ!


ライムスキン一位武官は、実際の軍で言えば大佐クラスなのかな。もっと上?
原作でもよく登場します。
黄金妖精に対する彼の眼差し、扱い、負い目といった部分が、護翼軍の中で一番の理解者であり、且つ冷酷な使用者であることを示しています。
声はやはりちょっとイメージが違うのですが、原作通りだと聞き取りにくいだろうから仕方ないのでしょう。

聖剣(遺跡兵装)の保管庫はまたイメージと違ったなあ。
埃っぽい部屋に雑然と置かれているのかと思っていたのに、厳重な地下保管庫でそれぞれ専用のケースに収めてありました。
経済的価値、そして軍事的価値から言えは、あの扱いが当然かな。


リーリァが1シーンだけ出てきました。
その横に、スウォン。白いマント。
大賢者様の若い頃のお姿がようやく拝めました。w


さて、スルーしておこうかと思ったヴィレムによるクトリのマッサージの場面。
あれはラッキースケベではなく視聴者へのサービススケベと言うべきかな。
ラッキーではなくて必然ですからね。その意味ではサービスですらないとも。
ヴィレムの過去の経験と「おとうさん」的側面があればこそのシーンですね。

ネットで読んだ第1話感想に、蛙面人の入浴シーンをラッキースケベの一つと捉えて、そして勿論がっかりしているのがありました。
妙にツボにはまって可笑しかった。

クトリとアイセアの下着姿のシーンはどっちと言うべきか。
あれは明らかにサービスだよなあ。w
ネフレンだけ服を着ていたのは、年齢に配慮ってことでもないだろうから、謎だ。
2人(もしくは3人)が相部屋ということなのかな。
でもクトリのブローチを遺していった先輩は個室だったはず。

尚、私はネフレンにそっち系を求めていないからがっかりなんかしていません。w
カラメルを舐めるシーンが少しそれっぽかったか。
食べることはエロと通底するからねえ。

この第2話でPVなどの事前情報に含まれていた部分はほぼ出尽くしたはずです。
次回以降は新しいシーンばかりになるのでしょう。

2017/4/27 追記 第3話感想。

うん、良くまとまっている。
下手な端折り方された物語は、原作未読の視聴者を置いてけぼりにしてしまいがちです。
すかすかでそれを感じることはあまりないと思います。
その意味で未読の人が羨ましい。
アニメで興味を持って原作を繙くと、画面で見えなかったさらに奥深い世界が開けるのですから。

資料室は綺麗過ぎかな。w
もっと雑然と、というか、私の居室(家族以外にはお見せできません)みたいな混沌とした部屋をイメージしていました。
ナイグラートの性格から考えると、あの程度でも散らかっていると見なすべきでしょうかね。

ネフレンの行動は、まあ確かに誤解を招きますよね。
資料室を覗くクトリの目の怖いこと。w
ネフレンはある目的というか、役割を自認してヴィレムに近づいています。
それは話が進むにつれて顕著になっていって、原作4巻では大きな意味を持つことになります。
決して天然とか鈍感などではありませんので。

いつも出遅れるあの子の名は?

ライムスキン、湯呑みでお茶(薬湯だったっけ)を飲むのは身体構造的に無理じゃないのか?

セニオリスの調整場面で各タリスマン(護符)が鳴らしていた音は、原作を読んでいるときのイメージそのままでした。
ドーム状に広がるビジュアルはなかなか良かったですね。
私の貧困な発想では柄を中心として同一平面で相対的に間隔が広がるという地味な場面を想像していました。

クトリが先輩妖精からブローチを受け継ぐ場面。
先輩は顔を出さないで後姿だけということを想像していて、それは予想通りだったです。しかし、ブローチを直接手渡されるという意外な展開でした。
主が帰ってこない部屋の机の上に大切にしていたブローチぽつんと残されていて、それをクトリが(無断で)引き継ぐという原作のほうがドラマチックというか、心情に迫ってくるものがあるでしょう。
でもそれをアニメでやって、視聴者に理解してもらえるようにするにはかなり時間を取ることも確かです。
手渡しは苦渋の選択だろうと理解することにします。

さ、次回は「敗北」の知らせだ。
ヴィレムはどんな顔を見せるのか。
そこで引きかな。

尚、各話の感想は、木曜朝4:50に起きて5:00から朝食を食べながら録画を見、そのまま出勤して昼休みに記憶を頼りに資料無しで書いています。
帰宅して運が良ければ(家族に他に見たい番組、録画がない)もう一度見ますが、感想はあまり推敲する余裕もなしにUPしています。
Twitterにはそれから抜粋しています。
なので、あちこちに綻びがあるのは仕方ないと開き直っています。

2017/5/4追記 アニメ第4話感想

私はあの市の名前が覚えられない。何度目にしても次の瞬間に忘れる。
なのでフィルには申し訳ないけれど、コ市と呼ぶことにします。
こんなとき頼りになるはずのWikipediaのすかすかのページは結構おざなりで、充実というにはまだほど遠い状態なのです。
コ市についての記述はないし、フィルについては「狼徴人(リュカントロポス)市長の娘」とあるだけ。これじゃ「リュカントロポス市の市長の娘」にも読める。

コ市の市街風景はとても綺麗でした。
私は石造りのもっと重厚な街をイメージしていましたが、あれも悪くない。
ティアットのトカゲ映画への入れ込みがなかなか笑えました。

そしてもたらされた敗北(失敗)の知らせ。
未読の人に、あの豚面族の言葉の意味が通じたかな。
その後のヴィレムの態度で分かりますよね。

私は4話はあそこで終わって以下次回かと思っていました。
でもまあ、予告もあるし、あそこで止める意味がないですね。

そして訪れたヴィレムによるクトリのハグの場面。
前半のハイライトですよね。
ヴィレムの行動は取りようによっては唐突です。
(それ言っちゃうと、ちょろいとも形容されているクトリの心理も唐突なんだけど)
木槌の夢の話など伏線はあります。
それなのにどうして唐突に見えるのかと考えたら、クトリ達が戦っている場面があの時点ではまだ直接は見えていないからかなあと。

戦いはどこか遠いところで行われている見えない戦いに過ぎません。
これまでに見えていたのは戦いから帰った妖精たちの疲れ切った姿だけ。

だから、失敗したとの報告を聞いたヴィレムの反応、そのあとのハグが唐突に見えるのだと思うのです。


2017/5/11追記 アニメ第5話感想

なんだかんだ言いながら、ネフレン目立つんだよなあ。w
ヴィレムの膝に座る。ティアットと階段ではしゃぐ。

特にティアットとのあの様子には驚きました。
ネフレン的存在は、同輩(年長組)や年上(ナイグラート)には可愛がられるけれど、小さい子はあまり近寄ってこないだろうと思っていたのです。
私の認識が間違っていて、面倒見がよくて慕われているのかもしれないですね。

フィルの発音。父が乳に聞こえて困った。
いや別に困りはしないんだけど。w

滅殺奉仕騎士団との対決は、かなり単純な結末に変更されていました。
ヴィレムの洞察力の披露が無くなったのは少し残念かな。
アニメでやるにはちょっと難しいですしね。

ついにエルク登場。まだ声だけですけど。
クトリが見た雑多なイメージは、原作を読んだ人それぞれが独自の映像や音声を思い描いていたはずです。
アニメで示されたのは、そういうものの中の一つということですよね。
私は映像としては赤と黒のツートーン、但し黒が勝っていて、額縁のような背景の中に「物」が浮かんでは消えていく情景を考えていました。
音声はアニメにかなり近い、但しもうちょっと明瞭なものを想像していました。
何度も見るうちにアニメのイメージで上書きされて、私だけのイメージは消えてしまうのでしょう。(これは良い悪いではなく、仕方ないことだと思います)


そして兎の憲兵さんバロニ=マキシも登場しました。
日本では憲兵というとドラマや映画で何度も悪役にされているから、威張っていて怖い存在と感じている人が多いでしょう。
そういうこともあっただろうけれど、描き方が一方的過ぎるからあまり囚われないほうがいいと思います。
念のため説明しておくと、「憲兵」は「軍組織内の警察」と考えればいいです。英語ではミリタリーポリス(略称MP)です。
自衛隊だと警務科(国賓への栄誉儀仗礼などをやっている)。

  余談:有村架純さんの朝ドラ「ひよっこ」がいつものパターンに入ってきました。
     イケメンのロシア民謡合唱指導者が警察官を見て逃げようとする。
     ほんと、NHKのドラマってマルキストが好きだねえ。
     朝ドラはマルキストを、大河ではキリスト教徒を「権力に迫害され、
     それでも信念を貫く善良な人」として描くのが毎度のことです。
     ひよっこは戦後それも占領解除後の話だから権力(の犬)は警察官です。
     これが戦前戦中だったら特別高等警察(特高)になります。
     特高と憲兵は全く別の組織なので混同しないように。

話をバロニに戻します。

彼は武闘派ではなく有能な官僚タイプなのでしょう。
そもそもの話をすれば、護翼軍が組織としてどのような構成になっているのかよくわかりません。
予算の問題、指揮系統の問題、深く考えれば結構危うい軍隊です。
現実の国連軍ともまた違うでしょうね。
敢えて例えれば宇宙人との戦いに特化した地球防衛軍かな。

護翼軍の将兵は各国から派遣されているのではなく、個人が直接志願して入隊しているという印象があります。(原作に記載があるなら教えて下さい。私は覚えていない)
派遣制だったら各国の利害が絡み合って統制がとれなくなりそうです。
それでも部隊を駐留させるにはどこかの島に土地を提供してもらう必要があります。
すると場所によっては戦闘組織が二重に存在することになります。
戦う対象、守る対象が違うから本来であれば共存は可能です。
(アメリカのどっかに米軍とは無関係な地球防衛軍の基地があると考えればいい)
だけど人の世の常としてそうそう単純にはいきません。
憲兵としての本来の任務の他に、外部(それこそ大賢者など)との折衝・調整機能が必要で、バロニがそれを担当していると考えればいいかな。

あれ待てよ。
スウォンが護翼軍のトップにいるということも有りえるかな。
であるならば指揮系統は明確になるし、バロニは彼の参謀的立場にいると見なすことも可能ですよね。(またまた原作の記載内容を覚えていないw)

==

2017/5/18追記

第6話はラキシュのうさぎエプロンがハイライトです。
なんて言うと、あちこちから怒られそうだ。w

バロニが登場した後にあれを見せられたから、
これはスタッフさんの遊びなんだろうか、それともたまたまなんだろうか、
と、ちょっとだけ楽しむことができました。それはともかく。

前回くらいから「原作未読の人はアニメの進行に付いてこられているんだろうか」と少し不安を感じています。
既読者である私はアニメでカットされた部分を無意識にでも脳内補完して楽しむことができます。
しかし読んでいない人が見た場合、画面に現れている出来事の意味合いがどの程度伝わっているのか。

アニメの範囲だけで考えてここまでの部分にストーリーの破綻はないと思います。
カットはあっても可能な限りそれを補う配慮もされていると感じます。
ヴィレムの科白には特にその傾向があります。

でもそのせいで場面によっては出来事や科白などの冗長度が減ってしまい、ぼんやり眺めているだけではそれに気付けないことが多いのではないでしょうか。

冗長度:この場合は、幾つかの場面を見落とし科白を聞き逃しても、全体としては理解できる度合いのことです。

例えば、クトリが過去の記憶に侵蝕されて意識を失ったことがどれほど重いことなのか、意識が戻ったことがどれほど奇跡的なことなのか。

だからどうしろ、という類のことではありません。
上と矛盾しますが、私は冗長度が大きな物語、つまりなかなか話が先に進まない物語はあまり好きではありません。

せいぜい言えることは、みんな画面に集中して見ようねということ、かな。
一言やワンカットに特別な意味を持たせてある場合、それに気付けばより楽しむことができるのですから。

スウォンの姿を見ていて、今更ながら疑問が湧いてきました。
彼はあの若い姿で戦って「生きてはいない」状態になったんですよね。
それなのに身体が大きくなり、顔に老けが刻まれているのはなぜでしょう。
生きていなくても身体は代謝をしているということかな。
でもそれは生きているということではないのかなあ。w
若いままだと大賢者としての威厳がないから、自ら身体を変えたのかもしれませんね。

エルクが言っていた探し物は「じぇい」と「いーぼ」でした。
一瞬、あれっ「かーま」は? と思ったけれど、あ、そうか、かーまは探す必要がないんだった。

アルマリアのクッキーは、ナイグラートが食べていたものと同じ形してなかった?
ここら辺は、ラキシュのエプロンと同じでアニスタの遊びなんでしょうね。
他にも色々仕込んであるんじゃないかなあ。
誰か、これまでで気付いたことないですか?

==

2017/5/25追記

第7話感想

今回はやはりノフトとラーントルク。
この二人の描き方は、これまでの他のキャラに比べてより力が入っていたように感じました。
はい多分錯覚です。
でも存在感はんぱない。


改めて考えてみると、すかすかという作品ではUEさんというイラストレーターの存在が大きいです。
一巻の表紙がUEさんのクトリでなかったら、書店で見かけても手に取らなかった可能性があります。
その頃はUEさんの正体を知ろうとネットで検索したけれど、殆ど何も出てきませんでした。
大体「UE」では調べようがない。※
最近はどうなんですかね。ネット上での居場所とか出てきていませんか?


獣の大きさについて。
ティメレ(六番目の獣)、アニメでそのヴィジュアルが見えたのはいいのですが、サイズがイメージよりもはるかに大きくないですかね。
イメージと言っても私の貧困なそれだし、原作の記述では個体によって大小はあるらしいですけど。(最近はちょっとビクビクw)
でもあれがプランタギネスタに数百匹取りつくんですよね。
しかも艦内に入り込んでくる。
それにそもそもの獣の出自を考えると、あの大きさで成り立つのか。(ネタバレ防止)
アニメで考えると戦闘シーンに迫力を持たせるには怪獣並みの大きさは必要なのかもしれませんが。

クトリのただいま。
濡れ場というか恋愛描写の場面の読み方、受け止め方、アニメでの見方は、これ実は人それぞれ違うのではないでしょうか。
その人の恋愛観とか、経験値とか、そんなことが影響するのではないかと思います。
分かり易く言えば、「にやにや」見るか、「ケッ」と見るか、「はぁ~」と見るか、「いいなあ」と見るかの違いということです。
ヴィレムとクトリに関して言えば、ここまでの場面は、なんかどこかぎこちないんですよね。見ていて「えーっとぉ……」、という感じ。w

私多分ね、まともにやられるのは苦手のようです。
最近ので言えば「僕らはみんな河合荘」の宇佐と律のゴミ捨て場での告白のようなものがいいなあ。
だからこの後に控えているプロポーズの場面は個人的には「超受ける」のです。

あの場面の間がどこまで再現されるかなあ。
間の取り方も読者それぞれで違うだろうから、無難なところになるのかな。

というのは置いといて。
クトリの「ただいま」は、私が勝手にすかすかシリーズの主題の一つだと思っている「回帰願望」に直接関与する重要な出来事です。
(すかもか含めて)これまでのところ、回帰願望がかなったのはクトリのこの「ただいま」しかありません。
だけど、クトリ良かったねと言えないところがつらいですね。
5巻末のヴィレムはその意味合いがまだ分からないのでちょっと保留にしておきます。



ネット上での自分の名前に個性を求める人と、没個性を好む人がいます。
あ、あと、何も考えていない人。
没個性の場合は、なかなか情報にたどり着けません。
最近では子供の名付けで「ネットで個人情報検索にひっかからないために敢えて平凡なありふれた名前を付ける」親もいるとか。
UEというのはどうかな。「上田さん」とかそんなとこなのかも。
個性的ではあるけれど、検索には不向きですね。

私が使っているgastutakaは本名からのもじりではありません。
はっきり言って失敗作だと自分では思っています。
でも10年以上使っているし、今更変える気はありません。
同じハンドルを使っているロシア人の女性がいました。
一度だけコンタクトしたことがあります。
私の本名、下の名前は、多分日本では私以外にはいないでしょう。
読みは平凡なんだけど。
「日本では」としたことには意味があります。あまり嬉しくない。


2017/06/04
8話ようやく見ました。
でも今更なので感想書く気が失せてる。
それもこれも私に無断で勝手に時間変更もしくは中止したTVQのせいや。
結局どうなったのか今になっても分からない。
あまりに不親切だわ。

で、一応8話に言及しておきます。
時間配分に不満があります。
プランタギネスタに関する一位武官との会話なんかあれほど画面化するまでもないと思うのです。
ヴィレムの科白だけで済ませることもできますよね。
「地上に行くことになった。お前も愛人扱いで連れていくからな」
「えーっ。何よそれ」

最後の場面をクトリの過去侵食にするためなのかなあ。

アルミタの屋上からの落下は、手摺の老朽化じゃなかったっけ。
まあそれはどうてもいいです。
原作になかった崖から落ちるシーンは、今回の事件が唐突と思われないための伏線扱いだったのかな。

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すかすか#EX感想
「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? #EX」



いやあ、良かったですねえ。
これぞサイドエピソード。
それも読者が望んでいた内容そのもの。

最初に言っておきます。
枯野さん、ありがとう。

口絵裏(カバーと同じイラストの裏のページ)にクトリ、リーリァ、アルマリアの三人が三頭身で並んでいるのを見たときは、これは一体どういう内容なんだと驚愕したのですが、実際にはその想像とは全く違っていました。

カバー裏や帯に「外伝」と書いてありますが、枯野さんご本人によるあとがきにはこの言葉が出てきません。
それは意図的ではなくてたまたまなのかもしれません。でも、
外伝って言うと、ちょっと重いというか本格的なストーリーをイメージします。
#EXは本編に対して「ある日のリーリァ」「ある日のクトリ」的な内容なので、サイドエピソードと呼ぶのがしっくりきます。
それでいてセニオリスを核としてラキシュが見た夢を示唆する展開は満足度100%。楽しかった。


#EXがどういう意図で企画されたのかは分かりません。
タイミングとしてはアニメ化、コミカライズとして始まった多方面展開を後押しするためであろうことは容易に推定できます。
それはまあ、どうでもいいです。
アニメでもっと人気が出て、EX2とか、そんな感じで広がったらなおいいなあ。
だけど、その場合でも初回限定版付録とか、ショップ購入特典なんて形にはしないで下さいね。※1

にしても、リーリァは変換しにくい。笑
何でリーリャじゃないんだろう。
発音したときに違いますかねえ。

もう一つ。
「#すかすか」「#すかもか」って、いつ頃から(準)公式の扱いになったのかなあ。
「すかもか」#03の枯野さんのあとがきでは「終末な(略)」「終末も(略)」と表記してあって、私の感想でもそれを踏襲したからその後なのかな。


→ 「#すかすか感想」
→ 「#すかもか感想」

大事な事を書き忘れていた。

「青空の黄金伝説」内の
「4.灰色の髪の妖精の場合」(P204-216)は、ね。
間違いなく枯野さんから私へのプレゼントなんです。
だって、そうとしか思えない。笑



2017/2/23
コミック版本日発売      すかもか#04 は4/1発売(まだ絵がなかった)

   

2017/3/15  04の表紙イラスト 今日時点で大はまだ no image 中と小はありました。これは中。
(3/20 いつのまにか大も no image 脱していました)



※1 初回限定版付録とか、ショップ購入特典なんて形にはしないで下さいね

なんて書いてたら、いきなりこんな情報が。
【2/23発売!】終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか? 第①巻 店舗特典情報!

ああ、下品な商習慣だなあ。
KADOKAWAだもんなあ。しょうがないか。
勿論これは「個人的な感想」です。
作品内容と商売の姿勢とは分けて考えていますので誤解なきよう。

2017/3/2

はい、その下品な商習慣に貢献しましたよ。

すかすかCARD
(写真はクリックすれば拡大しますが、ピントが合っていないのでボケています)

そう、コミック#01は2017/1/9にamazonに注文して手元に届いていたのです。
あんな特典見せられたらまた買うしかないじゃないですか!!

ホント腹立つ
腹立ちながらもアイセアゲット。

せうかなめさんは、このクオリティーを連載でも見せてほしいなあ。
連載が進むにつれて成長していくのでしょうけれどね。

終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか? #01 #02 #03 感想
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すかもか#01の感想は、すかすか#05感想(超長文)を書き終わったすぐ後に書いたので、
続きの感覚になっていて、前書きもなしにいきなり始まっています。w


「いいですか」5巻で、獣と化したヴィレムがエルピス集商国の金属鎧兵器を倒し、そのヴィレムをラーントルク達妖精が倒したことで、エルピスの思惑は頓挫しました。
それによって妖精達はあの妖精倉庫での暮らしを続けることができることになりました。
でも彼女達は何も救われていません。

「会えますか?」では「いいですか?」で幼かった四人が成長して、妖精兵として前線に配置されています。
そのうち三人はデータを取るための捨て駒として妖精の門を開くことが予定されています。


挟み込まれていたリーフレットで、「会えますか」の惹句が「最高の涙を」となっていました。
これは失敗だと思います。失敗が言い過ぎならタイミングが悪い。
「最高の涙を」は#01だけでない「会えますか」全体としてのキャッチコピーなのかもしれませんが、そのリーフレットの絵がティアットが泣いている#01の表紙ですから、それを見た誰でも#01が泣ける内容なのだろうと考えます。

私は#01の内容では(まだ)泣けませんでした。
「会えますか#01」は新しい物語のプロローグに過ぎないと感じました。
しかし#02以降に泣ける場面が現れるのは確実でしょう。
その意味であのキャッチコピーはタイミングが悪い、早過ぎたのではないかと思うのです。

もう一つ失敗ではないかと感じる点があります。
それは口絵のフェオドールの表情とそこに書かれている科白との関係です。
あの表情は堕鬼種としての本質に迫っています。でも、
彼が「君たち(妖精兵)の邪魔をする」と言ったのは、明らかにあの表情とは逆の意味を持っています。
多くの読者が最初にあの口絵を見るのですから、これはどれほどの悪意から出た科白なのだろうと思います。
そのつもりでフェオドールの気持ちの変化を追いかけていたのに、あれ? そうじゃないじゃん。

いや、まだ分かりません。

フェオドールの立ち位置は「いいですか?」のヴィレムと似ているように見えます。
でも背負っているものが違うので、ヴィレムのような父親的側面を持っていないという意味で妖精達と対等の立場に近い、つまりこれまで妖精達の周囲にいなかった存在でもあるのです。
ですから、彼の今後の動きは予想が難しい。

もしかするとフェオドールは#01を読んだ時点の印象よりももっと食えないやつかもしれません。
幼少時の婚約者もいずれ登場するでしょうし、彼女との関係がどうなっていくのかもウエイトが高いと思います。

==

そういえば、「会えますか」の主人公は誰になるのでしょうね。

「いいですか」の主人公をヴィレムと断定して異論のある人はいないでしょう、
ヒロインは当然クトリ。(途中で消滅しちゃいましたけど)

今回はフェオドールが主人公? 今の時点ではまだちょっと違和感ありかなあ。
主人公があんな顔しちゃ駄目ですよ。w

そしてヒロインは? ティアット?
#01の最後でラキシュにクトリと同じ過去の侵蝕が始まっています。
しかもラキシュは4人の中では一番強い。

妖精達は全員「同じ育ち」だから、「キャラ」としてみたときの属性は「見た目」と「性格」しかありません。
適応した剣と得意な戦い方に違いはあっても、それはパラメーターみたいなものです。
生い立ちや家庭環境といった、一般の物語に登場する少女達を特徴付ける要素が乏しいのです。前世の影響は規則性がありませんしね。

だからこそ、口絵で4人の出生時の記憶が語られているのかもしれません。
これは一人ひとりに明確な特徴と言えます。でもそれがその後の成長や性格に影響があっている訳ではなさそうです。

仮に4人が物語の中の役回りとしてほぼ同格に描かれて、群像劇的なストーリーになったとしても、コロン、バニパルはヒロインって雰囲気ではないですかね。

私としては珍しいことに、コロンの性格に惹かれるんですけど。ww

物語はどう展開していくのでしょうね。

==

#01ではヴィレム、クトリ、アイセア、ネフレンについての言及がありませんでした。
ヴィレムとクトリは会話の中に出てきますが、語られているのは読者が「いいですか」で既に承知している内容だけです。
これは意図的なのでしょう。

おいおい明かされるのだと思います。
まさか、今後も全く言及されないってことはないでしょう。

ただ、可能性として、
1) 「会えますか?」でこの世界の物語が完結する
2) シリーズとして続く
があり得ます。

本来「終末」の世界を描いていて、延々と続いていくってのはあまり考えられません。
でも出版社側の営業的な判断でってことも無きにしもあらず。

私個人的には1を希望します。
「会えますか?」で物語が完結するのであれば、「いいですか?」で描かれたことよりもさらに壮大な展開と圧倒的なクライマックスが待っているはずですから。

「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?  感想」
はこちらです。→http://gatsutaka.blog26.fc2.com/blog-entry-385.html とても長いです。

そういや、今年初めての新しい日記エントリーになりました。
過去分にちょこちょこ(というか、かなりな文字数)追記はしているんですけどね。

==

2016/7/11 追記  #02感想

わあーーーーん。

リンゴが開門した場面。
#01で「まだ泣けない」と書いたけれど、これは声を上げてしまいそうでした。

古今東西の物語の中で、二歳児が自分の意志で行ったことが大好きな人達を救い、その上で自分を殺すことになるというものがあったでしょうか。
リンゴ本人はその意味を自覚していませんでしたけれどね。

あの事件がフェオドールに及ぼす影響は計り知れないでしょう。
そもそも小瓶を持ち込んだのは誰なのか知ったら、そしてその理由を知ったら、凄まじい葛藤が彼を襲うことになると思います。

「もう一度だけ、会えますか?」というタイトルはフェオドールと彼の婚約者の関係を表しているということかな。

もう一つ、あっと思ったのは、マシュマロの正式名でした。
リィエルは「いいですか#05」の最後、ヴィレムが妖精倉庫に戻ってきた場面に少し成長した状態で出てきます。
つまり「会えますか?」は、少なくとも#02の時点はヴィレムの帰還よりも前のことだ、ということです。


私は「会えますか?#01,#02」で4人の妖精達がヴィレムについて話す部分に少し違和感がありました.
ヴィレムが戻ってきたことへの言及が全くなかったからです。
逆に「いいですか#05」の最後でヴィレムが帰ってきたことも唐突に感じていました。
この点の種明かしは会えますか#03以降でなされるのでしょう。

#02を読んで、リンゴの開門という事態を目の当たりにして、どうなったら妖精達が救われるのかを考えてみました。

考えてみたのですが、かなり難しい。

まず、どのような状態が彼女達にとって「救われた」ことになるのか。

それを決めるために、まず妖精の特性を並べてみます。

生まれるのではなく発生する
生きてはいない
開門で消滅する→開門しないと獣を倒せない
魔力を熾せる→心身の負荷となる
衣食住が必要→経済力(後ろ盾)が必要
成長する→ただし長生きできない
感情を持っている→恋愛する(生殖能力は不明)
死を恐れない→自己保存(防衛)本能がない
過去の記憶に侵蝕される→自己が保存できない
人権がない→不要になったら売られる


彼女達を「不幸な存在」と見なすのであれば、「発生しないようにする」のが一番の救いかもしれません。(できるできないは別のこと)
新しい妖精が発生しなくなれば、現存する妖精が全て消滅した時点で「救われていない」存在としての妖精はいなくなります。
でもこれでは現存する妖精は救われません。

しかし彼女達は不幸なのか。
死を恐れてはいません。※1
だけど先輩妖精がいなくなったことは悲しんでいます。
そして自らが戦場の赴いて戦うこと、最終的には消滅することを、「後輩達を守るため」と意義付けています。

これは取りようによっては「不幸ではない」と見なすことができないでしょうか。
10代そこそこまでしかいられないとしても、それが種族としての寿命なのであれば短いとは言えません。
現に、獣人の種族によっては短いライフサイクルのものが存在しています。
長く生きる獣人だって、親しい人が死ねばそれは悲しいでしょう。
その上で戦う意義を自覚していてその目的を果たすことができるのだから、もしかすれば普通の人(獣人)よりも幸せかもしれません。※2

彼女達があまりに人間に似ているから読者としては可哀そうな存在に見えいるだけなのかも。

……というふうに、思考が変な方に行ってしまったので、今回は結論が出ませんでした。

アイセアがお姉さんになってる。
UEさんの年齢描き分け能力はすごいですねえ。


※1

#01にフェオドールとの会話の中でティアットの本音として「死ぬのが怖い」という趣旨のことが出てきます。

これね。その意味合いを考えると結構難解なんです。
そもそも、現実の生物は基本的に自己保存本能があって、それがなければ進化の過程で滅んでいたはずです。
人間も乳幼児時期はともかく、物心つくかつかないかの頃から「恐れ」という形で危険に近づかない本能を持っています。

黄金妖精の場合は、成体になる前は自らの死を恐れていません。
成体になって、先輩が消えていくのを見て、それによって自らの死を恐れるようになったのであれば、それは生得的ではなく後天的に取得、つまり学習によって生じた感情ということになります。

環境によってはその学習ができずに、死を恐れないままの成体もあり得るということです。
いいですが?#05に出てきたエルピスの金属鎧兵器に仕込まれていた妖精(あれは成体ではなかったかな?)などがそれに当たるかもしれません。
少なくとも、成体になれば全員が死を恐れるようになるということではないでしょう。
コロンなんかはどう考えているんでしょうね。

※2

この考え方は、#01にフェオドールの義兄の言葉として出てきたものと基本的に同じです。
フェオドールは義兄に心酔していたが故に、それと同じことを言うティアットに反発します。

私は#02の感想を書きながら(一応独自に)考えたのですが、その後で#01をもう一度よんだら、あれ?
私の考えることなんて、底が浅いですね。w


==

#03は、今読んでいます。2016/12/5

==

#03感想 2016/12/12 追記

#03で物語が一つの角を曲がりました。
「終末も(略)」は最終的にどの方向に向かうのでしょうか。

もし終末シリーズが「終末も(略)」で終わるのであれば、おぼろげながらでもある程度は予測ができます。
勿論そこに至るまでの過程はまだまだ想像の埒外ですけれど。
また別の世代の物語が続くのであれば、黄金妖精達の置かれた状況は温存されることになるのでしょう。


りんご開門のインパクトが強すぎたので、#02感想ではラキシュのことに全く触れていませんでした。

#01最後でラキシュに過去の侵蝕が始まっていました。
それはクトリのパターンとは異なっていて、アイセアと同系だったというかな。

ただし、同系・異系と分けることが正しいかどうかはまだ分かりません。
ここまでで明確になったのは妖精が輪廻しているということだけです。
過去の記憶の侵蝕の有無はケースバイケースなのでしょうか。

また、前世からだけ侵蝕されるのか、その前(前前世など)の影響はどうなのか、は分かりません。

ラキシュは実質消滅してしまいました。
良い娘だったのになあ。
彼女にするにしても、嫁さんにするにしても、一番理想的な存在でしたよね。
私の主観です。ネフレンは嫁さん向きじゃないものなあ。(笑)

で、そのネフレン。
あの木箱の中身はもしかして、ネフレン? そうなの?

==

#03に現れた戦闘場面の描写に、何となく「ダンまち」の影響が混じってきていませんか? 以前からそうだったかなあ。

「終末な(略)」感想で私が「熱さを秘めた冷静さ」と評価した三巻最後の戦闘描写や、「抒情的」と感じた五巻対獣用兵器との戦いの文章はとても好きでしたから、それとは少し違ってきているように思えるのです。

戦闘自体ではなく、それを描写する文章、文体のことです。
私「ダンまち」は外伝含めて全部読んでいますけど、あのちょっと独特というか極端とは言えないけれどアクのある文章、文体があまり好きではないのです。

戦闘のある小説をあまり読まない私の感覚は全く当てになりませんけどね。

==

さてさて、「終末な(略)」は2017年春アニメだそうで、楽しみですねえ。
私の所で視聴できるかどうかまだ分かりませんけど。
MXと少数の地方局だけ、BS無し、なんてことになったら泣いてしまう。
その場合でもネット配信はあるかもしれないけど、あれは色々不便ですもんねえ。
せめてBSでやってくれることを切に願います。

それと、外伝も出版されるって!
これも本当に楽しみです。

==

「終末な(略)」=「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」

「終末も(略)」=「終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?」

#03のあとがきでの枯野さんの表記に従いました。

==

2017/2/22
EX感想書きました。 → 「#すかすか#EX 感想」

==

2017/4/8

#04は昨日読み終わりました。
感想は多分、終末。←ベタに間違えた。週末です。

==

#04感想 2017/4/11追記

なんとなく感想が書きにくいのです。
内容がどうというより、今この瞬間のタイミングの問題。
だってすかすかアニメ放映開始の週ですもの。

でもなあ。
だからと言って後回しにすると余計書けなくなりそうなので少しだけ。

すかもか#04は、一冊全体の雰囲気が以前の巻とちょっと違うように感じられました。

逃走と追跡。
それらが交錯する展開がスリリング且つ(若干)軽やかな印象を与えるのです。
アニメではなくサスペンスコメディーの洋画を見ているような気分でした。
口絵のラキシュとフェオドールの変装の様子に影響されているのかも。

それと枯野さんのあとがきに「次巻に続く扱い」的なことが書いてあって、一巻読み切り(実際にはそうとも言えないけれど)だったこれまでと違うせいもあるのでしょう。

ラキシュの人格の相克は、これまでの黄金妖精の記憶破壊・人格交代の描写よりもビジュアル的で分かりやすかったかな。
相克と言っても、オリジナルラキシュは新しい人格に打ち勝とうなんてしていません。
エピソード記憶を持たない、記憶喪失者のような人格がオリジナルの人格を追いやってしまう。アイセアも同様ですね。
新しい人格はどのような存在なのか、ここに至ってもまだわかりません。

しかし、現ラキシュがフェオドールよりも一枚上手だったのが笑える。
堕鬼種は読者の立場でもその言うことすることをどこまで本気と捉えていいのか分からないです。
これは作者さんとしても難しいのではないでしょうか。
読者に共感を持ってもらいたいけど、そのために判りやすくすると、堕鬼種としての存在意義が薄くなりますよね。

今回は登場した獣人の種類がまた更に増えました。
あの世界の生物相は一体どうなっているのでしょう。

さて、前回の感想で大恥をかいた木箱の中身について。
あ、やっぱ言及するのやめとこう。笑

アイセアに抱かれるリィエル。
妖精倉庫にはあれだけ手のかかる子が他にもいるんですよね。
ナイグラート一人でどうやって世話を焼いていたのでしょうか。
年長さんがお手伝いするにしても、最年長組は戦場に出ているし、その下の世代は2歳児、3歳児を扱えるかなあ。
それに#04ではナイグラートは出払っているし。
アニメでその辺りの様子が描かれればいいなあ。

#04でもネフレンへの言及が全くなかった。
一体、いつになったら出てくるんだ!!
とりあえずアニメで満足しておきます。

さ、明日深夜に備えて寝ようかな。
AT-Xは見られないけれど、TVQはケーブルテレビで視聴できるのです。
初回くらいはリアルタイムで見たい。
でも1:05ならまだしも、深夜2:35という「ど真夜中」はきつい。
寝ずに起きているのも、夜中に起きるのも、無理。
翌日の仕事に差し支える。
録画して、早起きして見るかなあ。

各話ごとに追記しているアニメ感想はこちら → すかすかアニメ感想
終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?  感想とアニメ言及
祝 アニメ化
祝 コミカライズ

詳細は最後のほうに。2016/7/2

2017/3/13
放送情報が公表されました。
★放送情報
TOKYO MX 4月 12日より毎週 水曜日 深夜1:05~
テレビ愛知 4月 12日より毎週 水曜日 深夜2:35~
KBS京都 4月 12日より毎週 水曜日 深夜1:05~
サンテレビ 4月 12日より毎週 水曜日 深夜1:30~
TVQ九州放送 4月 12日より毎週 水曜日 深夜2:35~
BS11 4月 14日より毎週 金曜日 深夜3:00~
AT-X 4月 11日より毎週 火曜日 深夜23:30~
リピート放送:(木)15:30/(日)25:30/(月)7:30
dアニメストア4月 13日より毎週 木曜日 12:00~最新話配信
よかった。うちでもTVQとBS11で見ることができる。

2017/2/18
キャスト発表されました。昨夜遅くかな。
https://twitter.com/i/moments/832629831690956804
キャスト情報(1)
ヴィレム・クメシュ #新井良平
クトリ・ノタ・セニオリス #田所あずさ
アイセア・マイゼ・ヴァルガリス #Machico
ネフレン・ルク・インサニア #上原あかり

Wikiにはもう反映されていて驚いた。笑
でも、そのWikiにネフレン役の上原さんのページがないんです。
クトリはこのちょっと前に田所さん本人が公表していましたけど、フライングだったのかな。

私、声優さんは殆ど知りません。でも、このラインナップはどうなんだろう。
若手起用ってことなのかな。
うーーーーん。私のしょーもない願いは叶わず。
ま、決まっちゃったんなら、もうどうでもいいや。

2017/2/22
EX感想書きました。 → 「#すかすか#EX 感想」

== 以下本文

ヒロインが①死ぬことになっている話と、②死にかける話と、③死ぬ話の3冊を連続して読みました。
内容を知らないでジャケ買いしたのに、どうして話の中核が同じようなものになってしまったんだろう。w

ヒロインの「死」だけでなく、魔法や説明不能の超常現象が重要な要素になっていることも共通しています。
まあ、これはラノベ系の小説ではよくあることだから。

それにしてもこの感想というか文章を書き始めて、3冊ともタイトルを覚えていないことに気付いて愕然としました。ww

ちなみに、買ったのは1月30日、③を読み終わったのは2月5日です。

① 終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?

(2015/7/8 結構長い3巻感想を下のほうに追記しました)
(2016/1/14 結構長い4巻感想を下のほうに追記しました)
(2016/4/7 4/1に届いた5巻を今日読み終わりました。感想はまだ書けません。敢えて、感想の核を書けば「残念だった。でも満足した」です。
同じ日に届いた「終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?#01 」はまだ手を付けていません)


(2016/4/30 5巻感想追加しました。超長いです)

「終末あ(略)」の感想はこちら → 終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか? #01 #02 #03 感想


終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (角川スニーカー文庫)終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (角川スニーカー文庫)
(2014/10/31)
枯野 瑛

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この種の魔法とバトルが絡む話は普段は読みません。
ファンタジーが嫌いということではありませんが、最近のには付いていけなくて。(老化w)
内容を知っていたら買わなかったかも。
面白かったから、ジャケ買いして正解でした。

物語中にメタ的な言い訳がよく出てきます。
小説に限らず、ゲームでもコミック・アニメでも異世界っぽいところで剣を使って戦う魔法少女という基本設定を持つ物語がそれこそ山のようにあることを意識してのようです。
作者さんとしては、あれと似てるとか色々突っ込まれることを意図的か無意識かは別にして避けたかったのでしょう。
私はそのこと(言い訳めいた文章が含まれること)は好意的に受け止めています。

さすがに「世界の運命を背負っている美少女」という部分だけを考えたら今更感が強いですけど、

魔女達は10歳前後が多くて、ヒロイン(クトリ)と同じ15歳くらいが3人。
この3人のキャラがいいです。若干類型的なのは仕方ないですけれど。
私の好みとしてはやはりネフレンかな。
本好きキャラなんだから、アニメ化されるときはぜひ花澤香奈さんにCVやってほしいです。

ヒロインが死ぬことになっていたのは、強大な敵を倒すのにその命を使うことが定められていたからです。
でも主人公(ヴィレム)が剣本来の使い方を教えることで回避できることになりました。
ヴィレムとクトリの出会いの場面は有りがちだったけれど、全体的な展開はかなり面白いと思います。

気になっていた"娘”がどうなったのかが最後のほうに少し出てきました。
それによって続きを読む気になりました。

2巻が1月に発行されているのですが、品切れになっていました。
人気あるってことなのかな。

下はPIXIVで見つけた本作のイラスト担当ueさん(PIXではうさん)が投稿したクトリです。
ネフレンも描いてほしー。版権物は難しいのかな。


2015/3/5 追記

ようやく2巻を読み始めています。

それで思うのは、
なんか上の感想、たったあれだけの文章なのに随分間違ってないですかね。

妖精を魔女と書いたのはまあいいとしても。 ← よかないよ!
根本的な理解が違うんじゃないかと心配になってきました。

まあ、2を読み終わってから。w

終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (2) (角川スニーカー文庫)終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (2) (角川スニーカー文庫)
(2014/12/27)
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ああ、ネフレンが泣いてる・・・・・・。
(左がネフレン、右がアイセア)

2015/3/10時点ですけど、Googleで「クトリ ネフレン」の画像検索をやってみると、このブログの絵がずらずら出てきます。
まだ、ネフレンに言及しているサイトが少ないのかなあ。

2巻読み終わりましたが、まだ感想は書けていません。

私の中で「面白くて、キャラもよくて、大好きなんだけど、イマイチ」という不思議な評価になっています。
それがなぜなのか、言葉として整理できていないからです。


==

2015/6/16 追記

amazonで3巻の予約が始まっています。
7月1日発売です。

ここ、FC2ブログのマイショップ機能が先月で廃止になってしまったので、
amazonのタグがまた作れていません。
これから作り方を調べます。
面倒くさあ。

==

2015/7/2 追記

私って、バカ? ?????

上で7/1発売で予約始まってますって書いておきながら、予約してなかった。
何で?????

多分、タグ作ってここに載せてから予約しようと思って、それが簡単じゃなかったので
後で、と思っているうちに忘れていたのでしょう。

そういえばそろそろだったなとamazon開いてみたら、品切れでやんの。orz

明日地元の本屋に行ってみるかなあ。

fc2のマイショップ機能が廃止になったので、使いやすかった商品紹介リンクが作れなくなりました。
↓ この形のやつは嫌なのですが、私には今はこれしか作れません。



==

2015/7/5 追記

あ、それで、3巻は3日の仕事帰りに駅ビルの本屋に行ったら1冊だけ残っていました。
よかったあ。ww
初版発行部数が少ないのかなあ。

その3巻の帯に
「WEB,ブログ、読書メーターなどで、話題騒然!!
熱烈な支持を受け、人気急上昇中!」
とあります。

おほほっ。
このブログもほんの少しだけでも役に立ってるのかな。

尚、3巻は現在読んでいます。

==

2015/7/8 追記

3巻読了。

妖精のことを「健気な」と形容したら彼女達に怒られるか笑われるかするのかな。
しかしそれ以外どう言ったらいいのでしょうか。

妖精のレゾンデートルが自らを殺す、もしくは壊す、失うであって、それによる彼女達の行動が結果的に「健気」に見えているだけなのかもしれません。
最終的に明かされる(かもしれない)妖精の正体によっては、この見方は見当外れの可能性もあります。
でも、今の時点では「健気で」「儚く」「愛おしい」存在と認識しておいて、大きく間違ってはいないでしょう。

3巻あとがきに本作は「続けられないことに決まっていた」と書いてあります。
読者のおかげで続けることができるようになったと。

因果関係がよく分かりません。打ち切り決定のです。
最初からそうだったはずはありませんから、そんなに売れなかったってこと?
でも2巻だって発売直後にamazonで品切れになっていました。
元々発行部数が少なくて、amazonでは瞬間的に品切れになったけれど、末端の本屋では売れ残って全体としては低迷していたということなのでしょうか。
その上で、熱烈な読者(私を含むw)のプッシュがあって継続が決まったとか。

信じがたいなあ。
本作面白いですよ。
まあ確かに、以前も書いたように世界の運命を美少女が背負っているという設定、さらには異世界的なファンタジーの世界が舞台となると、そういう設定を好む読者が他のジャンルに比べて少ないのかもしれませんけれど。(ただの推測。根拠なし)

情報を持たない人間が色々憶測してもしょうがないか。
3巻が出たからよし、としましょう。

唯一現実の状況として見えていたのは、妖精達のイラストがネットに出ていないことでした。
試しにGoogleで「クトリ 終末」や「クトリ アイセア ネフレン」などで画像検索しみると、特に後者は今でも私のこのブログの(本作とは関係ない)絵が表示されます。
UEさんの描く妖精達はあれほど可愛いのに、なぜ絵師さん達が食いついてこないのでしょう。
一般的に、映像化されていないラノベのキャラは注目されないのかなあ。

私は絵を全く描けないから歯痒いのです。
絵師さん達は私なんかとは興味の観点が違うのかもしれません。
でも、大量に描かれているキャラ(今だったら「ダンまち」のヘスティアとか)を描いて埋もれるより、独自の嗅覚で見出したキャラを描いて注目されるほうがよほどいいのではないかと思うのですが。

さて、3巻内容について。
あ、内容に入る前に別のことを少し。

3巻を読んで、枯野さんの文章が私好みのそれであることに気付きました。
読んでいてとても心地いいのです。

これは「プリズム少女」「還りの会で言ってやる」の八重野統摩さんの作品を読んだときの感覚に似ています。
勿論お二人の文章はそれぞれ異なっています。
何か共通点があるのかもしれませんが、具体的には自分でも分かっていません。

枯野さんの文章は結構断片化されている部分があって、普通はそんなことをされると読むリズムが乱れます。
なのに本作を読んでいてそれに引っ掛かることはありませんでした。
地の文、会話、いずれもいい流れで読むことができました。
単純に「上手い」と言うべきなのでしょうか。

あとがきに「読み返したときに、『これはああいうことだったのか!』と額をぴしゃりできるような話が好き」と書いてあります。
これは私にとっては一部賛同できるのですが、微妙なところがあります。

私は、伏線とも呼べない、その時点では意味がさっぱり分からないことが、脈略のないところにあからさまに挿入されている文章はあまり好きではありません。
道を歩いていて大小様々な障害物が転がっているようなものです。
ゴール地点に辿りついてようやく「あの障害物は実はこういうことでした」なんて明かされても、邪魔だった印象のほうが残ってしまうからです。

だけど全てのそれが嫌なのではありません。
重要なのは「あからさま」の度合いです。
それを読んでいるときは引っ掛かりなくすんなり読めて、後になって「あ、あれは!」と思いだす、気付くようなものは好きなのです。

これは書き手の技量による部分が大きいと思います。
引っ掛かりを感じさせる文章は(私にとっては)下手の部類に入ってしまいます。

どのようなものに引っ掛かりを感じ、どのようなものに感じないかは、読んでみないことにはわかりません。
だから微妙と表現しました。

で、本作はどうかというと、例えばクトリの前世に絡む部分は、その「あからさま」に相当します。
でも論理的な説明はできませんが「脈絡」はあると思っています。
重要な要素として「そこにある必然」を感じるから、障害物ではないのです。
これは、やっぱり、上手いということなんだろうなあ。

また、描いてある情景、人物の心象、人物同士の距離感、そういったことが私の好みに合っていたことも文章に心地よさを感じた一因だと思います。

さてさて、内容についてです。

クトリとヴィレムの恋愛について。
あの距離感の絶妙さはどうでしょう。
べったりではない、イライラするほど焦れったくもない。
簡単には割り切れない背景からなかなか踏み出せなくて、それでいて互いを思っている心情の描写がとても好ましいと思います。
そしてヴィレムがプロポーズの言葉を口にするときの状況、情景、心象の面白さ。
ああいう、照れを含んだ場面にニヤニヤが止まりません。
枯野さん個人の恋愛に対するスタンスが反映されているのでしょうか。

ヴィレムのような主人公は、鈍感だったり、固すぎたり、下手したら唐変木だったりするのが普通です。
でもヴィレムは適度に敏感で、周囲との折衝などには適度に柔軟で、しかも適度に行動力があります。
この「適度に」ってところが重要なんです。

キャラの性格付けに作者さんがどの程度腐心されるのか知りません。
私は1巻を読んだ時点で、3人の妖精のことを若干類型的と書きました。
でもね、今回新たに登場した2人を含めて、類型的という表現は撤回します。
妖精だけではなく登場人物それぞれが、あの世界の中で、しっかり個性を持って生きていることを感じます。

3巻の終盤、数百匹の第六の獣に飛空艇が襲われる場面。
枯野さんの筆致は決して熱くはありません。
かと言って淡々としているのでもありません。
熱さを秘めた冷静さとても言えばいいのかな。

限界まで戦ったネフレンが落ちていく。
ヴィレムがそれを追って宙に舞う。
絶望的な状況の中、クトリが駆けつける。
自身の記憶を犠牲にして二人を救うために。

クトリは幸せにならなければなりません。
私だけではない、多くの読者がそう思っているはずです。
失われてしまったクトリの記憶は、次巻ではどうなってしまうのでしょうか。
アイセアがアイセアではなかったことは重い事実ですよね。

枯野さん、お願いします。
クトリをクトリのまま、幸せにしてあげて下さい。

小説の感想でこんなお願いを作者さんに向けて書くのは初めてだ。
でもやっぱり、私はネフレンがいいなあ。←誰も聞いてないよ!



2015/12/30

4巻は昨日届きました。(本当は一昨日だけど、不在通知)

大掃除の合間に少しずつ読んでいます。
感想は年明け。

本当はこれまでに読んだ部分にだけでもコメントしたいけれど、自重します。

==

2016/1/14 追記

4巻感想

4巻は難解でした。
難解というより、密度が濃いと表現したほうがいいかな。

実際には「夢のゴマグ市での出来事」が内容の大半なので、物語としては3巻の巻末で止まったままと見なすこともできます。
それなのに密度が濃いと感じたのは、一つには、4巻の中で時系列を細かく前後させた記述が多かったのが原因でしょう。
読んでいて自分が今どこに(どの時点に)いるのか、あれ? と思うことがよくありました。

結局4巻は二度読みしました。
これは私としては珍しいことです。

二度読みしたのは密度が濃くて難解だったからではありません。
だって……。
4巻はネフレンが重要なプレーヤーとしてずっと登場しているのですから。w

ネフレンははっきり物を言わないし、なぜそんなことをするのか分からないことも多いので、ぼんやり読んでいるとその意味に気付かないことが結構あります。
彼女の発言や動作行動を正しく理解して読み解くには二度読みしなければ。

私はこのブログには主にラノベ系の小説の感想ばかり書いていますが、それ以外の本も読んでいます。
読むべき本、読みたい本が沢山あるので、1冊を再度、それも続けて読むなんて滅多にしません。

4巻を二度読みしたおかげで、ネフレンの発言や行動の細かい理由、機微がよく分かりました。
以前の巻にあまりなかった「ネフレンがそれを言う理由」「ネフレンがそれをする理由」がかなり明示してあったことも大きいです。

そうかあ。
私はネフレンはヴィレムに好意を持っているのだけど、クトリとの関係から一歩から二歩身を引いているのだと思っていました。
勿論それもあるのでしょうが、それだけじゃなかったんですね。

アルマリアとの会話で出てきたこの科白。
「ヴィレムは一人でいると壊れそうだったから、そうならないように、そばにいるのが私の役目。ちょっと邪魔かなってくらいの距離感を保つのが、最近つかんだ極意」P136

ヴィレムのことが分かっているし、そのために自分が何をしたらいいかも分かっているということです。
この中で「壊れそうだった」と過去形になっているのは意味があります。

冒険者組合からの依頼を終えてヴィレムとネフレンが養育院に帰っているときの会話。
「じゃあ何で今は遠慮勝ちなんだよ?」
「……放っておいても、壊れなさそうだから」
「ん?」
「私ひとりだけで、壊れそうだから」P176

この「私ひとりだけで、壊れそうだから」は解釈がちょっと難しかったです。
「壊れなさそう」はヴィレムのことで、だからもう放っておいてもいい。
じゃあ「壊れそう」なのは誰なのでしょう。
ネフレンは言葉が足りないから。

ネフレン自身のことであれば、なぜネフレンが壊れるのかが分からないのです。

また「壊れる」という比喩的表現の指す事態が、ヴィレムの場合は何となく想像できます。
しかしネフレンはどう壊れるのでしょうか。

但し、袖をつまんだ理由はこれで分かります。
自分が壊れそうで怖いからそれを防ぐため、もしくは安心するためにヴィレムの袖をつまんだということです。
それも「遠慮勝ちに」っていうのが、いかにもネフレンらしいなあ。

4巻のクライマックス、ヴィレムが第一の獣に侵蝕されるとき、ネフレンはアルマリアとの約束を守って自らもそれに身を委ねます。
ネフレンのことだから、アルマリアとの約束が無くてもそうしたかもしれません。
でも、あの約束は「記憶」ではないアルマリア「本人」の願いからなされたものですよね。
ネフレンの行動は、次巻以降どのような影響を与えるのでしょうか。

==

ということで、ネフレンのことをより深く理解できたので二度読みした甲斐がありました。

しかし、4巻はこれまで以上に謎が広がりました。

まず、あの夢の世界の正体。

4巻を読んでいる途中、私は「ヴィレムとネフレンが過去に飛ばされた」のだと思っていました。

しかしあの世界は最初に<獣>と化したアルマリアが、ヴィレムの「帰ってくる」という約束を実現させるために作り出した箱庭でした。
だから現実から取り込まれたヴィレムとネフレン、そして緋色の髪の少女と空魚以外は全て死んだ人、もしくは獣になった人の「記憶」でした。

だとしても、幾つか腑に落ちない点があります。

・住民が灰だけの世界を懐かしいと感じる理由
 これは夢の世界の元になったのが「記憶」だとしても、その記憶は獣の出現から500年間、砂だけの世界に「いた」のだから、それを懐かしく感じるのだろうと理解しています。
 しかし住民の記憶はアルマリアが500年前自らが獣になったときに自分の中に取り込んだと説明されていますから、住民にはその記憶(砂の世界の記憶)はないはずです。
 結局、第一の獣つまりはアルマリアの影響によるものなのでしょうか。

・緋色の髪の少女と空魚が巻き込まれた理由
 3巻最後の時点でヴィレムの近くにいたということなのでしょうか。

・夢の世界で住民の獣化が始まるまでアルマリアに獣としての自覚がなかったとしても、自分の姿を消して地下室に戻ったとき、そのアイデンティティーはどうなっていたのか
 これ、分かりません。
 箱庭を作る動機というか、箱庭を作る時点での獣の意識にはアルマリアの意識がある割合含まれていたのかどうかも分かりません。

==

緋色の髪の少女については、現時点ではまだ推測するのも困難です。
クトリとの関係、不死人とはどういうことか、現実の500年前何をしていたのか(リーリャをなぜ知っているのか)、氷塊の中の子供との関係、空魚とは何か、かーまとは誰か。

どれもこれも分からないのです。

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次巻ではアイセアが活躍するのかな。

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うーん。1,2,3巻もまた読んだほうがいいかなあ。

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2016/4/30 追記

5巻感想 (これを書き終わるまで「会えますか?」は封印しました)


再度書くと、5巻を読んでの感想は「残念だった。でも満足した」です。

本作(以下「いいですか?」と表記)の主題(テーマ)は、「回帰願望」と「無常」であるという理解でいいのかな。

ただ、「無常」という言葉は「いいですか?」には似つかわしくないように思えます。
言葉の持つイメージとしては「無常」よりも「万物流転」のほうが「いいですか?」で表現されている世界に近いんだけど、これもしっくりはしません。
「無常」は平安末期くらいの抹香臭と諦観が匂い立つし、「万物流転」は語感が動的過ぎるからでしょう。いずれも私の個人的な感覚です。
「無常」の静謐さと「万物流転」よりも少し弱い程度のダイナミックさを兼ね備えた言葉で、「いいですか?」を5巻まで読んだ私の心象に合致するものが思いつきません。

なのでここでは但し書きを付けた上で「無常」を使うことにします。

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ここで、「いいですか?」の正式タイトルを思い出してみて下さい。

「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」という、いかにもラノベっぽい長いタイトルの言葉は誰のものなのでしょう。
5巻まで読み終わってこれに納得できるという読者はあまりいないのではないでしょうか。

タイトルの3項目「救ってもらっていいですか?」は、「誰を」もしくは「何を」が省略されています。
普通に考えると「私を」「私達を」「私の世界を」という辺りでしょうか。
自分が含まれない第三者を救ってもらいたい場合はその対象を明示するはずです。
であれば救われたい「私」は誰なのか。

ちなみに英語表記のタイトルではさすがに目的語を省略できないせいか“save xxxx”としてあります。これ考えた人(枯野さんかどうかは不明)はどう表記するか悩んだかも。w   ※

妖精達は救ってもらいたいとは考えていなかったんですよね。(私の読みが浅いだけかも)
その中でクトリはちょっと変わっていて「死にたくない」と思っていました。
かと言って彼女が「救ってもらいたい」と思っていたかどうかは結構微妙ではないでしょうか。

また、このタイトルが問いかけている相手も誰なのか分かりません。
ヴィレムだと考えるのはかなり座りが悪いし、かと言ってanybodyってこともないでしょう。
英語タイトルではyou。読者?

そんな訳で、私はこのタイトルにはいまだに違和感ありありなのです。

その上で特に注目したいのはタイトル冒頭の「終末」という言葉です。

「いいですか?」1巻でのクトリとヴィレムの出会いの場面の賑やかさや、妖精倉庫での日常などは、それなりの繁栄が見られて終末の世界という感覚が希薄でした。
終末と言えば夕暮れの薄暗いイメージが湧いてくるため、空に浮かぶ陸地とそこにある都市が持つ「青空に近い明るい場所」というイメージと乖離しているせいもあります。

その意味では、獣によるカタストロフが出来した500年前の時代のほうが終末の雰囲気が濃いのではないでしょうか。
取り方次第では、500年前に終末は終わって、その後新しい時代が始まったと見なすことも可能かもしれません。

気を付けなければならないのは「終末」=「無常」ではないということです。
私はここで言う終末は、ある文明、またはある惑星、さらには宇宙規模の終わりの時期という意味だと思っています。つまりキリスト教や仏教で言うところの宗教的な終末・末世とは別の概念であり、敢えて言えば歴史のタームです。

惑星であれ宇宙であれ、その時点で何等かの知的存在による文明が、形態はともかく存在していることを前提としています。
だって生命の(もしくは知的存在の)いない惑星が滅んだとしてもそれは終末とは言えません。宇宙が滅んだ場合はそれを記述する歴史なんて残りませんけどね。

一般的な意味での文明の終わりというのは、他民族に滅ぼされるとか、気候変動・疫病・天変地異といった外的要因で壊滅的な被害を受けるということが殆どでしょう。何らかの理由で自滅した文明もあったのかもしれません。
惑星の場合は巨大な天変地異か、超遠未来に太陽に飲み込まれるか。核戦争や重力兵器による惑星崩壊も考えていいかな。
宇宙の終末は想像の枠外だなあ。せいぜい思いつくのはビッグクランチとか熱的死とか。光瀬龍さんの「百億の昼と千億の夜」では宇宙そのものに最初から滅びの因子が組み込まれていました。

文明の場合はそれを支配する政体が滅ぶのは一瞬だとしても、文明自体は長い衰退期を経て滅ぶのが普通でしょう。
この衰退期にはあまり面白い物語は生まれないような気がします。
あえて物語にすれば、衰退を止めるため、もしくは繁栄を取り戻すため何等かの抵抗をするという内容になると思います。
百億の場合はアシュラ王、シッタルタ(仏陀)、プラトンの三人がそのために動きました。

このように終末を、終末期の物語を考えてみると、「いいですか?」はちょっと違うんですよね。
その違いについては後述します。

と、ぐだぐだ書いてきました。
ところが、私はこのタイトルが嫌だと思っているのではありません。むしろ好き。

もう少しぐだぐだが続きます。

タイトルの前2項は同音の「週末なにしてますか? 忙しいですか? 」の捩(もじ)りになっていると見なすことができます。
そしてこの言い回しは2つの解釈ができます。

A) あなたは(毎)週末にバイトか何かやっていますか?
B) あなたは今度の週末に何か予定は入っていますか?

同じようなものに見えるかもしれませんが、状況はかなり違います。

Aの状況:新しく集まったグループで何か(同人誌作り、軽スポーツ、ボランティア等々)をすることになって、リーダー役の人がメンバーに予定を聞いている。

Bの状況:女の子が学校の先輩もしくはまだそれほど親しくない同級の男の子に、何か(代表はデートなんだけど、それ以外のことでも可)をお願いするために探りを入れている。

そして3項目として「救ってもらっていいですか?」に相当する「~してもらっていいですか」が続くのであれば、この場合の状況はBであるということになります。

例示すると、こんな感じ。
「週末なにしてますか? 忙しいですか? 買い物につきあってもらっていいですか?」

つまり、かなり特殊に見えるあのタイトルは、私達の日常のありふれた状況で発せられる言葉とその構造的な本質は同じだということです。

な~んて、そんなこと誰だって分かっているのでしょうが、文字として書き残しておくことに少しは意味があるかな。

私は「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」というタイトルで状況Bを想起して、それ故に惹かれて、本書を手に取ったのです。
「それ故に」を説明し始めたら痛いことになりそうなので、止めておきます。w


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3巻感想で書いた私の、そして私以外の多くの読者も持っていたであろう「願い」は叶いませんでした。
5巻のクトリは登場人物の会話や思考に現れるか、幻聴じみた声を聴かせるだけの存在でした。

クトリが消滅したのは否定しようがありません。
5巻最後に登場した幼い妖精(リィエル)はクトリの生まれ変わりを示唆しています。
リィエルが木から落ちてヴィレムにぶつかる場面の描写は、1巻で猫を追いかけて街中で転落したクトリがヴィレムにぶつかる場面と全く同じです。

うーん。これ、
無常という主題の上では、あってもおかしくない結末です。
だけどなあ。

これが「残念だった」という感想の正体です。
私はクトリがクトリのまま幸せになることを願っていたのですから。

P272にヴィレムとエルクが世話になっている宿の主人アスタルトスの科白として「ずっと幸せに暮らしました」というお伽噺の結末へのコメントが記載されています。
あれは3巻感想で私が書いた
>枯野さん、お願いします。
>クトリをクトリのまま、幸せにしてあげて下さい。
に対する枯野さんの回答だと理解することにします。

ただまあ「会えますか?」ではもしかするとという期待もまだ持ってはいるのです。
5巻物の小説でメインヒロインが3巻末で死んでしまうなんて、あんまりだ。w

それに「いいですか?」の世界の中では生と死の概念、境界がかなりあやふやなんですね。

エルクは不死人と言いながら死ぬし、でも生きてるし。
妖精たちに殺されたヴィレムも妖精倉庫に戻ってくるし。

それとエルクが何度も口にする「くとりは私だけど、私はくとりではない」という科白は、希望的観測を添えて深読みすれば色々な解釈ができそうです。

これは「会えますか?」の楽しみの一つとしておきましょう。

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クトリが3巻で過去に侵蝕されているときに見た雑多なイメージは何だったのでしょう。
3巻までの説明では、妖精は幼くして死に、自分の死を認識できていない子供の魂の生まれ変わりでした。
であれば、その死んだ子が生前に見たもののイメージが、まだ幼いが故にちょっと変わったものとなってクトリに見えていたと理解することはできます。

でも5巻で明らかにされた妖精の正体は、リーリャによって殺されたエルクの魂の欠片でした。

え? 違うんかいと思いました。
それまでは人(獣人)の子供の魂の生まれ変わりだと思っていたのですから。

でもよくよく考えてみると、3巻までの妖精の説明部分は実に巧妙に書かれています。
まず、それはあくまで「そう言われている」というレベルの話であること。
獣人(もしくはエムネトワイト)の子供だとは明言してないこと。

エルクは幼い星神であり、殺された時点では死を認識できていません。
だから妖精の正体がエルクの魂の欠片であっても、3巻までの説明に嘘はないのです。

ただ、過去の記憶に侵蝕されてしまう点にはちょっと納得できない部分があります。

アイセアは、過去の妖精の記憶に侵蝕されてしまい、アイセアとして生まれた妖精のそれまでの記憶は消えてしまっています。

アイセアの前世妖精は記憶侵蝕を受ける前に死んだ(消滅した)ようなので、その記憶が保存されていたことに矛盾はありません。
しかし記憶侵蝕が起きるとそれまでの記憶が消えてしまうのはなぜでしょう。

また、クトリは髪や目の色という身体的特徴の変化がありましたが、アイセアは変わらなかったようです。(変わったら周囲の妖精に気付かれてしまいますもんね)

また、クトリは妖精としての前世ではなく、エルクに記憶侵蝕されている(らしい)こともアイセアと異なっています。

また、アイセアは記憶侵蝕の進行中に奇妙なイメージは見たのでしょうか。
見たのであれば、それは前世妖精のもの? それともエルク?


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そう言えば、最終的にネフレンはどうなったんだ!

ネフレンは最初の獣に半分侵蝕された状態でアルマリアの結界から解放されました。
その後護翼軍に保護された形で浮遊大陸群に戻りました。

本人が言う「使用済み兵器」であり、しかも人間と違った意味で獣に侵蝕されていることで放置しておくと何が起きるか分からない危ない存在になっています。

妖精倉庫に戻ることはできません。

彼女はそれでも「ヴィレムの側にいてやること」を自分の存在意義として認識しています。

愛情とかではないと言っています。
ヴィレムが獣に成り果てていても構わないと言っています。

じゃあ何が目的なのでしょう。
まあ、それはいいや。

ヴィレムが自己を保つことができのは、ネフレンが獣の半分を引き受けたからなのでしょう。
4巻でヴィレムと一緒にアルマリアの夢の結界に取り込まれたのはそういう意味もあったのですね。

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ここで、「会えますか?」の世界を、私の中途半端な理解と、中途半端な想像を交えて整理してみます。項目によっては間違っている可能性があるので鵜呑みにしないように。

本作では浮遊大陸群のあるあそこを指す言葉が明示されていませんので、ここでは便宜上「地球」と呼ぶことにします。
また、人間と獣人との関係も少しややこしいので、ここでは両方指す場合は「人」と表記します。人間と表記したら、獣人を除外した所謂エムネトワンを指しています。

・星神は遠い異星の住民だった
・遥か昔、星神の星で異変が発生し、星神達は船に乗ってそれを逃れた
・船が宇宙空間を彷徨う乗り物なのか、異世界への移動手段なのかは不明
・星神全てが同じ出自ではない
・「獣」と「砂」の惑星だった地球に星神が到着した
・星神は地球で大きな力を振るうことができる(元々なのかどうかは不明)
・星神は地球では不死人となる(トラブルが何もなければ死なないということかな)
・星神は地球で人間を作った(同時に環境も作ったと思われる。時期は不明)
・人間の核は当時地球にいた獣であり、皮は星神の魂である
・人間が世代を重ねて増えるにつれてその皮が薄くなってきた
・皮が破れるか、それ以外のトリガーが発生すると人間は獣に戻る
・500年前、人間の新しい皮を得るためにリーリャは星神エルクを殺した
・ヴィレムは地神イーボとの戦いで石化した
・スウォンは地神ジェイとの戦いで殺されたが、人間ではないものとして生き残った
・人間はエルクの魂の処理に失敗した。半分はエルクとして残り、半分は破片となった
・このときアルマリアが最初の獣になり、地球地表の世界は崩壊した
・エルクは地神カーマとともにアルマリアの夢の結界に閉じ込められた
・大賢者スウォンは浮遊大陸群を作り、生き残った獣人を移した
・獣人がどうやって生まれたのかは不明
・地神とはエルクが乗っていた船のAI(?)
・エルクの破片は妖精として生まれるようになった
・大賢者スウォンと地神イーボは黄金妖精に肉体と人格を与えて対獣の兵器とした
・エルクは夢の結界の中で黄金妖精の一生を物語として見ていた
・500年前の戦いで石になっていたヴィレムが復活した
・プランタギネスタ事件発生。クトリ消滅。ヴィレムとネフレンがアルマリアの夢に囚われる
・ヴィレムがアルマリアである第一の獣を殺し、夢の結界は崩壊

5巻で判明したことを中心に思いつくまま主要事項を列記してみました。
一応時系列としています。

こうやって俯瞰してみると、すごい世界だなあ。

星神にはヴィジトルスとルビが振られています。
つまりvisitors、訪問者達ということです。本文中では来訪者と書かれています。

ヴィレムの師匠であるニルスはエルクとは別の星からきた星神でした。
500年前の時点で、星神はエルクとニルスの二人しかいません。

人間に星神を信仰させたのも、星神であるエルクを殺して人間の新しい皮にすることを目論んだのも、そのニルスのようです。

ニルスはリーリャがエルクを殺すことで必然的にリーリャも死んでしまうことを避けるためにリーリャに行くなと言います。
つまり自分を殺すつもりだったのです。

しかしリーリャはニルスの言葉を蹴ってエルクを殺し、自らも死んでしまいます。

5巻冒頭でニルスとリーリャの会話として語られるこの辺の事情はかなり深いです。

ニルスがエルクと同じ出自だったら、そもそもニルスはエルク殺しを発案するはずがありません。だから違う出自という設定になっているのでしょう。

リーリャがエルク殺しに赴いたのは、正規勇者の資質を持たないヴィレムをアルマリアが待つあの家に「帰す」ためでした。
(この点については、まだちょっと私の中での論理構成があやふやです)

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5巻ではアイセアが活躍するのかと思っていたら、アイセアよりもラーントルクのほうが目立っていました。

アイセアは以前の妖精の生まれ変わりという記憶を持っているせいか、どこか達観した風情があります。
クトリを助けるためにネフレンが色々やっていた調べ物を引き継ぎ、自分達が何者なのかを探求しています。

しかし黄金妖精の正体についての情報は、誰がどうやって入手して本に記録したのでしょうか。
全てというか、概要を知っているのはニルスだけのはずです。
地神イーボと大賢者スウォンも当然知っています。ニルスとの情報格差は不明です。
そういった人から聞き出した誰かが死霊学として記録していたってことかな。
大賢者スウォン自身が書いたのかもしれませんけど。

アイセアは通俗恋愛小説を読みながら「もう少し長かったら私も」的な愚痴らしきものを口にしています。
「いいですか?」がもう少し長く続いたら、ヴィレムとの関係がもう少しどうにかなったかもということかな。

この場面はもしかしたら4巻感想で書いた
>次巻ではアイセアが活躍するのかな。
に対応しているのかもしれません。

こういうメタ的な(恋愛小説の登場人物が「っす」と言う点にも言及している)記載があちこちにあって、それを嫌う人もいるかもしれませんが、私はとても楽しかったです。

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獣人とは何なのか。

蜥蜴、狼、犬、猫、兎、鳩、豚といった動物だけでなく、鬼とかまあ色々います。
記述をよく読むと、爬虫族と獣人族は別の種族に分類されているようです。
ただ、あまり厳密な体系的記載がありませんので、ここでは人間(エムネトワイト)以外の知性を持った存在を獣人と呼ぶことにします。

トロールであるナイグラートは徴無しに分類されています。
獣人の中で、角や牙、翼といった見た目の特徴が無い存在、つまり人間と同じ外形をした存在が徴無しであり、妖精も徴無し扱いされています。

こういう存在は、500年前以前から地球いたことになっています。
であるなら、どうやって獣人ができたのかよく分かりません。

星神が地球に来たとき、そこは「原初の獣」と「砂」の星であり、人間はいなかったのだから、獣人もいなかったはずです。

・星神は獣を核にして、自分達に似せて人間を作った
・それと同時に、植物や動物も作った(モデルは自分達の故郷)
・動物を作るとき、獣を核にはしていない(私の想像)

ここまでは無理なく推定できます。

ではこのとき獣人(知性のある存在)も作ったのか。
その核になぜ獣を使わなかったのか。
獣人の核が原初の獣なら500年前のカタストロフのときに人間と一緒に獣化するはずです。

可能性を挙げると、私が思いついたのは次の2つです。

A)人間と同時に獣人を作った。目的は争わせて星神の娯楽にすること?
B)獣人は動物が勝手に知性を獲得して進化した

人間と対立して争う程度の知性があっても、文明を築くほどではなかったのかもしれません。

・500年前のカタストロフのとき、スウォンは浮遊大陸群を作った
・そのとき人間は全て獣と化していた(石化していたヴィレムを除く)
・獣を核にしていない獣人を人化し、知性を与えて浮遊大陸群の住人とした

つまり、最初に人間を作ったときに獣を核としたように、獣人を核として現在の獣人を作ったのではないかということです。
皮は獣化した人間から剥がれた星神の魂です。

私の想像なのでこれが正しいという保証はありません。多分間違っています。
それに4巻以前のどこかにちゃんと書いてあって、私がそれを覚えていないだけかもしれません。

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ナイグラートはいいキャラをしているなあ。
ネフレンは別格としても、私は登場人物の中でナイグラートが一番好きかもしれません。トロールとしての特異な設定は勿論、会話の妙、妖精たちへの気持ちがとてもいいです。

彼女に限らず、枯野さんの文章の中では会話部分が秀逸だと思います。
会話している当人達が特別に意識して気取って喋っている訳でもないのに、どんな場面でも機智溢れるやり取りが展開されています。
読んでいて本当に楽しいです。

それと、エルピスの対獣用兵器とヴィレムの戦い、その後の妖精たちとヴィレムの戦いの場面はその激しさとは裏腹に抒情的でさえあって、私が3巻プランタギネスタ事件での獣との戦いの場面を形容した「熱さを秘めた冷静さ」そのものだったと思います。

5巻もやはり二度読みしました。
4巻を二度読みしたネフレン云々からではなく、この感想を書くに当たって細部を覚えきれなかったからです。

ストーリーの大筋は覚えていました。でも所々、なぜそうなるのか、なぜそうするのか、といった論理的な展開が頭に残っていないのです。

これはどうしてかなあ。
やはり1巻なんかに比べて物語の密度がちょっと高いんですかね。

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さて、上述した「いいですか?」の世界における「終末」について、もう少し考えてみます。

500年前、リーリャを代表とする人間達がエルクを殺そうとした(実際殺した)行為は「衰退を止めるため、もしくは繁栄を取り戻すための抵抗」に相当します。

ただこれは実際には衰退を止めるというより、「当面の滅亡の危機」を避け、「現在の繁栄を持続する」ことが目的です。

結果としてそれは失敗し、人間は瞬間的に滅んでしまいました。

でも、エルク殺しの時点ではまだ終末(期)は訪れていないのではないでしょうか。
少なくとも一般の人間は自分達が滅亡(獣化)の淵にいることを知りません。
だから見えない終末期って言えばそうなんだけど、人間の社会がその雰囲気に覆われていることはないと思うのです。

その後の浮遊大陸群の人(獣人達)は地上の獣の脅威から自分達を防衛しながら500年間暮らしてきました。
第六の獣の襲撃は別にして、その世界にも衰退へ向かう終末の気配はありません。
細々かもしれないけれど、それなりの文明を築いて繁栄しています。
ここにも終末の姿は見えないのです。

ただ、大きく俯瞰して考えれば、あの世界そのものが、星神が人間を作った時からすでに終末を内包したものであると捉えることも可能かもしれません。
(何だか、自分が言ってることを簡単にひっくり返す論法になってしまったw)
2巻だったかに、明日にでも滅ぶかもしれない状況を妖精達の働きで防いでいるといった記載があります。

このあたりは「終末」という言葉をどのようなものとして捉えるかの違いによるのかもしれません。

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さてさて。
5巻の帯に色々なステージで本作が高ランクになっていることが示されています。

となるとアニメ化の可能性も高くなってきたんじゃないかな。

1巻を読んだときの感想でネフレンについて
>アニメ化されるときは花澤香奈さんにCVやってほしいです。
と書きました。

このときはアニメ化自体が「されたらいいなあ」程度の気持ちでした。

でも現実味が出てくると、花澤さんにやってほしいという気持ちも大きくなってきます。

だって、天野遠子-汐宮栞-河合律と連なる花澤さんが演じた本好き少女の系譜にネフレンが入ったら嬉しいじゃないですか。
キャラCDも出るだろうし。

少年ジャンプのバクマンに、マンガのアニメ化の際、キャストに原作者の意向がある程度は考慮されるみたいなことが書いてありました。
枯野さんに例えば「クトリはこの人でなきゃ嫌だ」的なこだわりがないのであれば、花澤ネフレンのことを頭の隅にでも置いといてもらえたら。

あ、でも、そうならなくてもいいんです。
キャストが誰になろうとも、アニメ化は近い将来にやってくる(かもしれない)楽しみの一つとして心待ちにしておくことにします。

ヴィレムはどんな風に「けけけ」と笑うのでしょうね。

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やっと5巻(と言うより全体)の感想を書き終わりました。
1巻から4巻までの感想の文字数合計を凌駕するボリュームになりました。
まだ全然書き足りていないのですが、とりあえずここまでとします、

1巻を読んだ時点で「いいですか?」のことを特殊な設定下でのラブコメなのだろうと思っていました。
巻が進むにつれて、いやいやとんでもない、壮大な世界観をバックにした骨太のファンタジーであることが分かりました。

この5巻感想を書きながら、1.2.3巻を結局もう一度読みました。

文明の終末とはどのようなものか、生まれ変わりによる自己とは何か、存在する理由、戦う理由、帰りたい場所、そして移ろいゆくもの・こと。
この感想を書くに当たって色々なことを考えました。
その多くは言葉としてここに書き記すにはあまりに中途半端で恥をかきそうなので秘めておきます。
上に書き連ねたことにも、多くの間違い勘違いが含まれていることでしょう。

打ち切りになりかけた事情や「会えますか?」との兼ね合いなどからなのか、「いいですか?」を単独でみた場合、緻密さや完成度という点ではあまり評価をすることはできないのかもしれません。
だけど、それでも、本当に満足することができました。

さあこれでようやく「会えますか?」を読むことができます。
読み始めたらすぐ、この5巻感想に書いたことがひっくり返されたりして。ww
いいんです。そういうことはこのブログの「あるある」ですから。

==

ずっと待ち望んでいたネフレンのイラスト。
forget-me-notさんによるPIXIV最初のネフレンです。




2016/7/2 追記

本日届いた「会えますか? #02」の帯に「アニメ化企画進行中!!」の文字が!!!!!
うれしいですねえ。
このページで「いいですか」一巻の感想のときからアニメ化に言及していた私としては、それが現実のことになるこの日を待っていました。
ツイッターとか関連情報にアクセスしていないから、遅い反応なのかな。まあいいや。w

枯野さんのサイトを開いたら、昨日公開の情報でした。
続報を待ちましょう。

本当に嬉しい。

同時にコミカライズも連載開始だって。
帯の裏にイラストが載っています。
これは買わざるを得ない。


2016/07/09

月刊コミックアライブ8月号届きました。

騙しじゃなーかあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。

変だとは思ってたんですよ。

角川スニーカー文庫の公式サイト、終末のページに「月刊コミックアライブにて、コミカライズ連載開始!!作画:せうかなめ click!>>」という丸いポップみたいなリンクがあります。
それをクリックすると月刊コミックアライブのオフィシャルサイトが開きます。
トップページの8月号の表紙写真に、4大新連載!としてクトリの絵が載っています。

これだけ条件が揃えば、と言うかこれで8月号からの連載開始を疑う人なんかいません。
でも、どこも妙によそよそしい。
トップページのバナー並びの中に無い。
華やかであるべき新連載なのに、最新号の内容紹介ページで一番最後にモノクロイラストが1つっきり、しかも紹介の文章も他の連載作品には書いてあるのに、これだけ無い。


さっきクロネコが届けてくれました。
あれ? こんな重いの最近注文した覚えないけどなあ。
おお、これこれ。待ってました。

さて、どこだあ。
カラーページにイラストは、っと無いかあ。まあまだ知名度ないからねえ。
最後の目次を開いて、1257頁? すごっ。

さあて、千二百五十・・・、あれ? もうページないぞ。
あっ! なんじゃこれは!!!!

「プレ連載」 4ページ

これが、お前らのやりかたかあぁぁぁぁぁ・・・
角川さん、最近こんなやり方してんの?

いいんですけどね。
知ってても買ったでしょうけれどね。
800円だし。

でも知らないで書店で買って、重い重いと持ち帰って、さあっと開けたら4ページだったら悲しいと思うよ。
クロネコさんありがとう。

で、まあ。
その4ページを見た範囲では、「会えますか?」#02の帯にあったイラストで若干不安だった作画も、満足とは言わないまでもまあ我慢できそうな範囲だったから、とりあえず良かった。

ネフレンも1カットだけ出ています。寝顔だけどね。

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2017/3/15

タイトルの英語表記なんですけどね。
文庫版の表紙と、アニメ公式サイトでかなり違っています。

原作
Do you have what THE END?
Are you busy?
Shall you save XXX?

アニメ
What do you do at the end of the world?
Are you busy?
Will you save us?

中学校英作文だとアニメ版が正解かな。
アニメ版では救う対象が明確に「私たち」になっています。




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