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たか号(gatsutaka)

Author:たか号(gatsutaka)
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遅れてきた突っ込み
書きたいことは山ほどあるけど、暇がない。 だから、多分、どれも旬を過ぎた話題ばかりに なりそうなブログ。ここでのハンドルはたか号ですが、小説などはgatsutaka名で書いています。
おくんちの日の披露宴
7日日曜日、会社の部下(現時点で正確には元部下)の結婚披露宴に行ってきました。

披露宴出席なんてもう6年振り。
私の職場にはなかなか新人が配属されないので、招待される機会も少ないのです。
甥姪の世代は一番年長でも21歳だから、もうちょっと先です。

案内状に式と披露宴の時間が両方書いてあって判断迷ったものの、式の10分前に会場に行ったらそのまま式に参列することになりました。

チャペルでの結婚式に出たのは初めてでした。
三面ガラス張りで、港を見下ろすいいロケーションです。

披露宴は仲人を立てていなかったので、始まってすぐ新郎側課長と、新婦側社長の挨拶がありました。
私はその後の乾杯の発声を頼まれていました。

披露宴に出席する職場の先輩から「くれぐれも、挨拶は短くするように」と釘を刺されていたので、そのエピソードも含めて1分弱でまとめました。

それでもやっぱり緊張します。
その夜と翌日、家族から「独り言が多いよ」と指摘されまじた。
心理的な負担と、終わった安堵感からそうなってしまったようです。

席は課長と並んで一番の上席でした。
あんな上座に座ることはもうないでしょう。

披露宴は午後4時始まりで、終わったのは6時過ぎ。
会場から見るおくんち初日の長崎の夜景が綺麗でした。

私の家の近所に住んでいる同僚と乗り合わせてタクシーで帰りました。
その運転手さんが喋ること喋ること。

「この前はですね、一人旅の男の人が乗ってきて『福山雅治の実家に行ってくれ』って言うんですよ。行ったらそこで降りて『写真撮ってくれ』って。女性のグループではたまにありますけどね。男の一人ってのは初めてでした」

式場から帰る道の近くにその実家があるのです。
うーん。ご近所は迷惑だろうなあ。
私はおおよその場所はわかりますが、ピンポイントでは知りません。
タクシーの運転手さん達はみんな知っているのでしょう。
長崎駅前からなら片道1000円くらいです。

翌日は一日寝て過ごして、結局おくんちには行きませんでした。

そのおくんち。今年の「川船」の大太鼓の一人が次男の同級生でした。
市内中心部の中学に通っているとそんなことがあります。

おくんちは長崎(市)で年間最大の行事です。
観光の意味合いも強いですが、基本は諏訪神社の氏子による宗教行事であり、限られた人しか参加できません。
それは江戸時代の天領長崎の領域だけであって、現在の行政範囲からみればとても狭い部分だけです。
今は中心部の人口減少のせいで参加できる人が減って、外部に担ぎ手の公募なんかもしていますが、しょせんは「加勢」扱いでしょう。
だから私みたいに郊外に住んでいる人間には直接の関係はないのです。

披露宴の席でその話題になりました。
その日朝から、NHKと民放で奉納踊りの生中継を延々やっていました。

「あれ見ると、ああ、俺は余所者だなあと思います。なんで2つのチャンネルで生中継する必要があるんだろうって腹立つ。だって全然関係ないんだから」

これは他県から就職でやってきてもう十年以上住んでいる人の感想です。
逆に「おくんちの時期は血が騒いで、仕事どころではない」という人もいます。

NHKはEテレでした。民放はTBS系のNBCで、サンデーモーニングを午後にシフトしての中継でした。他の民放は10時頃に録画放送していました。

本来宗教行事である祭は父祖の代から受け継いでその地域に密着したものです。
何も分からない子供の頃からその雰囲気に親しんできた人にはかけがえのないものなのでしょう。

そのありように文句を言っても仕方ありません。祭とはそういうものなのですから。
長崎市内を含む近郊には、それぞれ地元の神社でミニくんちがあります。
それすらも無関係な郊外の新興住宅地に住む者は、観光客と同じ目線でせいぜい夜店に出かけるくらいしかできません。
娘が生まれたときのお宮参りと七五三は諏訪神社に行きましたが、我が家にとってはそれだけのことなのです。

ところで、私が生まれ育った田舎の町の神社にも長年続く祭がありました。
八坂祇園神社の末社で、梅雨明けの頃に行われる夏祭りでした。

沿道の家々でバケツに水を用意していて、やってきた神輿にその水をかけます。
大勢の子供がそれを追いかけてずぶ濡れになって走り、御旅所では夏休み期間以外は禁止されている海にどうせ濡れているからとみんなで飛び込んで遊んだ思い出があります。

私も大きくなったらあの神輿を担ぐんだとずっと思っていましたが、高校生の時に家が引っ越したので、結局その機会はありませんでした。
その後、担ぎ手の青年が激減して、もう何年も前に中止になったと聞きました。

同じように、日本中のあちこちで古くからの祭がなくなっているのでしょう。

町興しなどの名目で行政や地域が始めた無宗教の行事は、祭と名付けてあって夜店が出るとしても、しょせんは根無しのイベントでしかありません。
神社や仏閣などの、なんだかよく分からないけれど昔からそこにあって、なんだかよく分からないけれどそこにあることでいつもお世話になっている、神様だか仏様だとかの人知の及ばない存在への畏敬と畏怖を伴わない祭は、形だけのものです。
失ったものにとって代わることはないのだろうと思います。

くんちという町のハレの日に、結婚という身近な人間のハレが重なった日、そんなことを思いました。


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あくのうらの坂(前回の補足:福山雅治)
もう二週間たつのに前回のエントリーを検索して見にくる方がいますので、情報を追加しておきます。地図はその前回のエントリーを参照してください。

・あの坂でほぼ間違いなし

・「飽の浦」は「あくのうら」と読みます。「悪の裏」ではありません

・見に行きたいという物好きのための情報

  長崎駅からバスで行く場合

    路面電車では行けない。
    バスは駅を背にするほうのバス停で、
    「立神(たてがみ)」又は「福田(ふくだ)」方面行きに乗る。
      ex. 神の島、みなと坂、福田サンセットマリーナ、
    長崎バスでも県営バスでも可。
    飽の浦下車(道向こうにその坂、米屋さんの横)。
    帰りは田上(たがみ)、大平橋(おおひらばし)、新地(しんち)ターミナル行きに乗る。
    それ以外でも市役所経由又は大波止(おおはと)経由なら可。

     長崎駅前 → 八千代町 → 宝町 → 稲佐橋 → 稗田橋
      → 旭町 → 旭町桟橋前 → 三菱電機前 → 三菱研究所前
      → 水の浦 → 飽の浦神社前 → 飽の浦(150円)

    浦上など北部方面から来る場合は「宝町(たからまち)」で上記のバスに乗り換え。


  車で行く場合

    旭大橋(あさひおおはし)を渡り、信号で右折(注意※)する。
    三菱電機、三菱研究所を過ぎ、道なりに左折すると、三菱重工のレンガ塀が
    続く道になる。
    しばらく行って、「飽の浦」バス停を過ぎ、角に交番のあるT字路の信号を
    直進してすぐ左にコインパーキングがある。(バス停から200mくらい)
    歩いて飽の浦に戻る。
    その坂を車で登ってみようという気は起こさないこと。
    狭くて本当に急な坂です。でも長崎ではざらかもしれません。

    注意※
    旭大橋は浦上川を渡ったあと、川沿いの道路も越えてからヘアピン型に
    カーブして接続しています。だから、目的地に行くのは右折になります。
    これに限らず、長崎は車線が突然、しかも頻繁に変わるので、慣れないと
    車の運転は難しいです。
    また、平日の朝8時前後、夕方5時以降は三菱の通勤渋滞があるので避けたほうがいいです。


  周辺情報

    現地は夜景で有名な稲佐山の麓に当たります。
    福山雅治さんの地元(よく知らない)らしい稲佐町へは旭大橋と三菱電機の
    間にある道から行けますが、一筋間違うと全く違う所に出てしまうので、
    地図やナビで事前調査が必要です。

    飽の浦バス停のすぐそばに三菱重工業長崎造船所の史料館があって、一般にも
    公開されています。電話で予約が必要ですが平日の昼間なら見ることができます。
     http://www.mhi.co.jp/nsmw/introduction/history/archive/index.html
    造船所内の見学はできません。

多分この坂(福山雅治)
超ご無沙汰してます。
ここんとこ別のことやってて、ブログはずっと放置してました。
まだ再開できる状況にないのですが、テレビ見ててこの情報は載せねばと思って。

今日のMステで福山雅治さんが言ってた急な坂は多分これです。
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=32.744159,129.855646&spn=0.002671,0.004072&t=h&z=18

確証はないけど、「飽の浦」「変電所」「驚くほどの急坂」というキーワードから思い浮かぶのはこれです。
「サンハイツ飽の浦」と「村田眼科」に挟まれた道です。
サンハイツの上は墓地です。
福山さんの育った地域にも近いです。

でも違ってったらごめんなさい。

そいじゃまた、しばらく眠ります。
また再開したくなるまで。

2012/7/18 追記

この日記を書いてから3年半が過ぎました。
今でも、検索でここを開いて頂くことがあります。

村田眼科は、先生がお亡くなりになったとかで、今では消防署(分室?)になっています。
Googleの地図ではまだそのままのようですね。

この坂への行き方は、この日記の次の日記に書いていました。
http://gatsutaka.blog26.fc2.com/blog-entry-190.html
安穏な時間
昨夜から降りだした雨がずっと降り続いて肌寒い一日でした。

その昨夜は、B太の柔道の飲み会でかみさんの帰宅は夜中の12時半。
勿論タクシーなど使うはずもなく、私が送り迎えです。

夜の場合は、いつ迎えに来いコールがあるか分からなくて寝ることができないのがつらいです。

今日は、ボーイスカウトの新年会で、また飲み会。昼間。
私以外の家族全員参加したので、2時間だけ憩いの時間ができました。

パソコンに録画しているテレビ番組やDVDの整理をするにはちょっと短すぎるので、小説を読んで過ごしました。

来週の週末もこの程度の安穏な時間が持てますように。
長崎市長銃撃
今日の午後8時頃の事件ということで、ニュースを見て驚きました。
その直前に現場前をバスで通っていたのです。

覆面パトが何台もサイレンを鳴らして走っていましたから、その現場に向かっていたのでしょう。

伊藤さんの前の本島さんも銃撃されており、そこだけみると長崎は物騒な町のように思えるでしょうが、一般生活でヤクザを目にすることもありませんし、「意外」という気持ちが強いです。

9時のNHKニュースは、伊藤さんの平和活動のことを強調していました。
元々、市議、県議を経て、12年前の選挙で本島さんを破って市長になった伊藤さんは、市長就任当時は平和活動に言及することはあまりなかったように思います。

そもそも、伊藤さんが本島さんに勝ったのは「平和運動では飯は食えない」という市民の選択だと分析されていました。

でも、それから3期12年のうちに「長崎市長」という立場はそういう風になってくるのでしょう。
本島さんほどエキセントリックではありませんが、段々と発言がエスカレートしてきたように思います。


私自身は「平和活動」「反核運動」というものに胡散臭さを感じて距離を置く立場でいます。

今回の銃撃は、動機背景がまだ分かりませんから何とも言えません。
続報を待ちたいと思います。

ところで、今回の地方選、私も少し係わっています。
明日は一日選挙カーに乗りますし、明後日は個人演説会で挨拶をしなければなりません。

勿論、候補者ではありません。

「民主主義のために命もかける」などという大層な気持ちがあるのではありませんが、政治に関るということは、そういう事柄の一端に接することだということを思い知りました。


長崎原爆の日
今年も長崎原爆の日がやってきました。

長崎県内はこの日はどの学校も登校日で、それぞれ平和教育を受けます。
職場でも始業時に全員で一分間の黙祷を捧げます。

毎日の通勤で爆心地公園の脇を通っていますので、当時の被害の状況を地名付きで目にするにつけ、具体的な場所がイメージできるような気がしています。勿論、本当の被害状況を理解している訳ではないのでしょうが。

私は郡部で生まれ育ったので、家族、親戚に被爆者はいませんでした。
小学校のときの先生(担任ではありません)に、勤労動員で三菱の工場で働いているときに被爆して、身体にまだそのときのガラスの破片が残っているという人はいました。

原爆資料館に行ったのは3回。小4の頃家族で、小6の修学旅行で、大学生のとき一人で。

前2回はとにかく怖かった記憶しかありません。当時はまだ長崎に住んでいませんでしたから、この惨状がこの場所で起きていたのだという実感が湧かなかったのも事実です。

3回目はたまたま時間が空いたので、気まぐれで行ったものです。
このときはかなり衝撃を受けました。
その直後に行った平和公園で平和記念像を見たときの感慨は、それまで単に眺めていたときとは異なるものであったと思います。

もし、長崎に来る機会がありましたら、「原爆資料館」→「爆心地公園」→「平和公園」の順でご覧になることをお勧めします。どれも隣接しています。先に平和記念像を見ても感じるものは少ないはずです。

このテーマ、次回も続けます。
アッパッパの勢力範囲は?
「少年アシベ」や、毎日新聞連載の「うちの場合は」で人気のマンガ家森下裕美さんの初期の作品(タイトルは忘れました)にこんな場面があります。

若いOLが数人で話をしている。そこにもう一人が出勤してきた。
彼女の着ている服を見て、みんなが悩む。あれ、何ていうんだったっけ?
一人が「思い出した。アッパッパだ。アッパッパ。」と言うと、他のOLも「そうだ」と同意する。
着ていた彼女は、「失礼ね。ピンクハウスのワンピースよ!」でオチとなる。

これを見て、アッパッパは全国的に存在する服だと思いました。

でも、「長崎に来ちゃった!」には、アッパッパを初めて見て驚いた様子が描かれています。

森下さんは奈良出身とこのと。

アッパッパの勢力範囲はどうなっているのでしょう。
少なくとも、長崎特有ということはないと思いますが。

なお、うちのかみさんは「これはムームーだ」と言い張って、毎年着ています。


よう分からんとど
今回は昨日のエントリーと同じ方言がテーマですが、「長崎に来ちゃった!」から少し離れます。

中学のときの音楽の担任の先生から、何かの大会に行ったときの話として、こんなことを聞いたことがあります。

別の地方から来た先生が「九州地方の先生方にお尋ねします。五木の子守唄の最初の部分は、『と』が正解ですか?それとも『ど』ですか?」と発言し、どう回答すればいいか困った、と。

おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらん[と、ど]
(私は盆限り、盆を過ぎたらいなくなるよ)

元々この歌は伝承子守唄なので、「正しい歌詞」というものは存在せず、原型といわれるものも沢山あります。

「と」と「ど」の違いもバリエーションの一つであって、どちらが正しいということは決められないようです。

「おらんと」と「おらんど」のニュアンスの違いは、熊本と長崎で差異がないと思いますので、私なりに思うことを書いてみます。

まず意味は同じです。「私はいなくなるよ」と「私はいなくなるの」が意味の上では同じであるのと同等です。

では何が違うのか。これは「含み」とでも言うべき感情の違いだと思います。

「おらん」ではわかりにくいので、別の言葉で説明します。

問「わいは、なんか知っとっとや?」(あなたは何か知っているのですか?)
甲「おいは知らん。」       (私は知りません)
乙「おいは知らんと。」      (私は知りません)
丙「おいは知らんど。」      (私は知りません)

甲の回答がニュートラルだとすると、
乙の回答には「あなたは困るかもしれないけれど、私は知らない。」というニュアンスが含まれています。
丙の回答には「あなたが困ろうがどうでもいい、私は知らない。」というニュアンスが含まれています。

つまり、乙は突き放してはいるけれど多少なりとも相手を慮る気持ちがあるのに対し、丙は自分の主張を押し出しているだけという感じです。

但しこの例も、質問者と回答者の関係や状況、聞いている内容でかなり幅ででてきますから、万全な例ではありません。

実際の会話の中では、状況に応じて無意識に使い分けることをやっています。
一般的には「ど」のほうが強い感じになりますが、「どうするか自分で考えなさい」という愛情がこもっている場合もあるので、一概には決められません。

一応これを歌詞の解釈に当てはめると、

盆から先ゃおらんと   盆を過ぎたらいなくなるから悪いけどあとよろしくね
盆から先ゃおらんど   盆を過ぎたらいなくなるからあとどうするか俺は知らん

となります。

この解釈が正しいとすれば、歌の全体的な構成から考えて、「ど」のほうがこの歌に合っているように思えます。

ところで、こういう言い方もあるんです。
「おらんとど」

最後の「ど」は「おらんと」を強調しているという感じですかね。
相手に「どうするか自分で考えろ」ということをより強く訴える表現になります。
どちらかと言えば、目下に使う言葉です。


シトラス・ミントの爽やか言葉
「長崎に来ちゃった!」に爽やか・柑橘系の言葉(笑)として紹介されている「ミント」と「シトラス」は比較的一般的なものです。

ミント  = みないと  (してみんとわからん→やってみないとわからない)
シトラス = 「する」の現在進行形もしくは現在完了形「シトル」の尊敬語

但し、方言はかなり細かい地域差があり、さらに年代、性別でも使い方が異なります。以下は私の経験の範囲で書いていますので、必ずしも正確ではありません。

「ミント」は、このままの形で使うのは主に女性だと思います。類型に「ミンバ」があり、これは男女兼用です。
「ミント」を男性が使う場合は、相手が限定されます。
他に同じような言い回しは、「ミラント」「ミランバ」「ミイニャ」などがあります。
最後の「ミイニャ」は字面だけ見ると猫の名前みたいですね。

してミント? で語尾を上げると疑問形になります。

ミントは地元テレビ局の番組タイトルにもなっています。


「シトラス」は、厳密には「ラス」が敬語部分で、「シ」は動詞「する」の活用形です。
「ト」は、「シテオラレル」のテとオが一つになったものに相当するのではないでしょうか。(根拠のない想像です)

この表現は目上の人の動作にしか使いません。
見トラス、来(キ)トラス、食ベトラスというように、日常で結構使います。男女兼用です。
上で、現在進行形もしくは現在完了形と書きましたが、頻度としては完了形のほうが多く、進行形の場合は「トラス」ではなく「ヨラス」使うことがあります。

見トラス 既にご覧になっている 「あの映画はもう見とらすけん、他んとにしゅい。」
     但し運動会で母親が子供に「お父さんが見とらすけん頑張らんばよ。」と
     言う場合は、現在進行形です。
見ヨラス 今ご覧になっている  「新聞はお父さんが見よらすけん、もうちょっと待っとけ」
     運動会の例では、「お父さんが見よらすけん・・・」とはあまり言いません。

来トラス おいでになっている
来ヨラス 今こちらに向かっていらっしゃる

食ベトラス 既に召し上がっていらっしゃる
食ベヨラス 今召し上がっていらっしゃる

どちらも敬語表現ですが、私の感覚ではヨラスはあまり上品な言葉ではありません。
かといって下品という訳でもなく、このニュアンスは説明しづらいです。

そのせいかもしれませんが、長崎市内の女性は、「ヨンナル」という言い方もします。シヨラスをシヨンナルと表現し、シヨラスよりも柔らかい感じがします。これは郡部では聞きません。また、「シトンナル」という言い方は、まったくではありませんが、あまり聞きません。

==

NHKみんなのうたの4,5月の歌のなかに、さだまさしさんの「がんばらんば」があります。この前、FM長崎を聞いていたら、地元のランキング上位に入っていました。

その中に長崎弁のラップ風の歌詞があり、画面に表示されている歌詞を読む範囲では「正しい」長崎弁なのですが、聞いていて何か違和感があります。

彼の声の質とか、ごく微妙なイントネーションとか、何なのかよく分かりません。
私自身が真正のじげもんではないからかもしれませんが。

今、DVDを取り寄せ中なので、届いて聞いてみてからまた書くことにします。


長崎での自転車事情
坂の町長崎と言われますが、これは本当にその通りです。
よくもまあこんな所にと思うくらい急な坂の上のさらに階段を登った上に民家が建っているのはざらです。

元々平地の少ない地形で、江戸期の所謂天領長崎はそういう乏しい平地を中心とした極狭い領域だったはずです。
維新後に近隣の村を吸収して広がりますが、そういう所も平地がありませんから、どこまで行っても坂また坂となっているのです。
本来だったらこんなところに都市はできないのでしょう。たまたまいい港になる海があったこと、江戸から遠く、南蛮からは近い(大した違いはありませんが)ので鎖国時の貿易に向いていたことなどから無理やり作った町という気がします。今でも時々県庁の移転問題が出てきますが、都度長崎市の反対で没になっています。

幹線道路は、そんな地形を縫うようになるべく勾配の少ない所を通っていて、中心部から放射状に延びています。
枝道や裏道は少なく、あっても狭いし坂道だしで、結局少し離れた所に行くには幹線道路で中心部を通って行かざるを得ないことになります。
しかも、その幹線道路には路面電車が走っているのです。
これでは、市内が慢性の交通渋滞になるのは避けられません。

交通渋滞が一番酷いのは長崎駅前です。九州一の渋滞と聞いたことがあります。これは、市北部から中心部へ行く場合の唯一の道になっているからです。立山を迂回して東側から行く方法と、浦上川の向こうを通る西側から行く方法が無いわけではありませんが、遠回りですし、その道が空いているというのでもありません。

という状況を踏まえた上で、長崎での自転車のありようについて書きます。

「長崎に来ちゃった!」に、長崎で自転車に乗る人の3分類が載っています。
・子供(家の近所で遊ぶため)
・体力作りの大人(ごく少数)
・引っ越してきた人(無理であることを理解するまで)
これ、正解です。

長崎で、普通の生活で自転車を使うことは殆どありません。
ここで生まれ育った場合、特に女性は自転車に触ったことがない人も珍しくありません。

そりゃあそうです。これだけ坂が多かったら、自転車に乗るメリットはありません。

自転車に乗る人が少ないため、車の運転手は自転車に慣れていません。たまに見かけると、とても嫌がります。
私が学生の頃、数人で列になってサイクリングをしたことがあります。
その列を追い越したバスが次のバス停で止まって、運転手が降りてきました。何かしらかなり怒っていて、「何だお前たちは!!」みたいなことをがなりたてました。
もしかしたら、抜いていくバスに近寄った自転車があったのかもしれませんが、接触があったのではありません。誰も危ない状況と思っていなかったので、「はぁ?」状態でした。

こちらのリーダーが冷静に、「私達は大学のサークルのものです。まず、お名前を教えてください。」というと、運転手はさらに癇癪を起こしてなにか言っています。

そのうちに、開いていたバスのドアから乗客が降り出しました。「こんなバス乗っておられん」と言っているのが聞こえました。

他のメンバーが手帳を出してバスに乗ろうとすると、会社に通報されたらまずいと思ったのでしょう、その運転手はそそくさとバスに乗って発進してしまいました。
もう20年以上前の話ですから、その運転手もとうに退職しているとは思います。

これは極端な例でしたが、普通の町でも車と自転車のいざこざは多かれ少なかれあるとしても、運転手も自転車に乗る機会がありお互い様が成り立っているでしょう。長崎では運転手が自転車に乗らないので、このお互い様が存在しないのです。

もし、自転車のツーリングなどでよそから長崎に来る機会がありましたら、十分ご注意下さい。

自転車が少ない代わり、バイクはやたらと多いです。
バイクについては別の機会に。