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たか号(gatsutaka)

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そして、とうとう、とうとう、
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遅れてきた突っ込み
書きたいことは山ほどあるけど、暇がない。 だから、多分、どれも旬を過ぎた話題ばかりに なりそうなブログ。ここでのハンドルはたか号ですが、小説などはgatsutaka名で書いています。
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詰めが甘いのはいつものことながら
バレーボールの割り込みで後半30分を録画しそこねた11月19日の野ブタ。を録っていないか職場の若手社員に当たってみたら、誰も見てすらいないとのこと。「だって、あれ、面白くないでしょう?秋ドラマは不作ですよね。」と言われれば返す言葉がありません。

幸い近所で録っている人がいたので借りることになった。

しかし、問題が一つ。
うちのVTRは3倍速を再生してくれない。

要するに壊れているのだが、夫婦ともにずぼらなので修理に出していない。
標準では録画再生ともに可能であるし、2時間以上の番組はパソコンで録ればいいから別段不自由はしていないというのが理由である。

さて、借りるテープはどっちでしょう。

普通なら3倍速だよなあ。かといって、職場の後輩ならともかく、近所の奥さんに「DVDに焼いてから貸して下さい」とも言えず。
これを機会に修理に出すか。

ちなみに現在のVTRは3台目。20年ほど前買ったのの1/10の値段でした。
LDP(レーザーディスクプレーヤー)が2台目でお蔵入り、ステレオミニコンポも2台目、パソコンは5台目。稼ぐに追いつく貧乏は無しではなく、その逆だわなあ。

テレビだけはすこぶる丈夫で、87年製のビクターGIGA29インチをいまだに使っている。
さすがに老境に入って画面が時々暗くなるのですが、どこまでもつかなあ。
秋葉原の路地裏の倉庫みたいなところで買ったけれど、私にとっては珍しい「当たり」だった。


上を書いたのが25日の昼。
夜に更新しようとして、その前にとパソコンで録画した花より男子をちょっと確認したら、青い画面が続くだけの映像でした。
その前の晩に、VTRからPCへの録画の確認でアンテナ線をパソコンから外し、そのまま忘れてました。
かみさんには怒られるし、更新する気が失せました。やれやれ。

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犬吠埼にはお世話になりました

自分にとって都合の悪いことが発生すると、原因を自分以外に求める人と、自分に求める人がいる。

私は多くの場合後者で、客観的には私以外の誰かに原因があったとしても、その人に対して有効な働きかけをしなかった自分が悪いと考えてしまう。

そうは言っても、自分が悪いのだからそれなりの責任を取る、解決を図る努力をする、といった行動をとるかどうかは別の問題である。

要は、「自分が悪いのだから仕方ない」という諦めのための言い訳を作っているに過ぎないということだ。

勿論のこと、これは美徳でもなんでもない。筋を通して相手の非を指摘することを避け、対外的にはなあなあで済ませてしまう。まるでどこかの国の外交のようである。

この思考方式の最大の欠点は、考えれば考えるほど「暗く」なってしまうことだ。
過ぎたことをきっぱりと忘れて、次に進んでいくのならばまだ救いがあるが、なかなかそうはできずにいつまでも思い悩み、次の行動にフィードバックするどころか、結局は同じことを繰り返す羽目になる。

世の中の人をばっさりと2つに分類した場合、両者の割合はどの程度になるのだろうか。

案外、自分もそうだと思っている人が多いのではないか。しかし、社会で出会う色々な人達に、私と同じ思考を感じる人は少ない。

ということは、もしかすると私自身も自分で感じていることとは逆に見られているかもしれない。どちらが真なのかは誰にも分からないのだろう。


これに関連して、一つだけ心掛けていることがある。

それは、なにか不具合なことが起きたとき、「大したことない」と軽く受け流さないということである。これは、大したことないと思ったことに限って後から自分に効いてくることがあるからだ。

卑近な例で言うと、異性にふられたとき、自己防衛的に大したことじゃないと考えようとすることがあるが、これは間違っていると思う。
意識の上では大したことないと考えていても、心の奥のほうのダメージは覆うべくもなく、その影響は身体にも行動にも現れてくる。
それを少しでも抑えるには、意識して「ああ、これはショックだ」と考え、少し大げさに振舞うといい。

私の思考パターンでは、ふられたということは、自分が悪かったからということだから、、そのことを考え続けるといつまでも落ち込みから抜け出すことができない。かと言って、相手が悪いと考えることは無意味である。
だから、ふられたという事実だけに焦点を当て、なぜそうなったかはとりあえず考えないことにする。

そうすれば、比較的短期間で「事実を受け入れる」ことができるようになり、なぜふられたのかは付随的な問題になる。

先になぜふられたのかを考えると、ああすれば良かった、こうすれば良かったと埒のないことばかり考えて、事実を受け入れることが先送りされてしまう。

具体的にどうするかというと、まず酒を飲むのはやめたほうがいい。酒が過ぎた場合は、酒を飲んだこと自体が落ち込みを深くするからである。
一番いいのは、しばらく環境を変えることだ。長時間の必要はないし、遠くへ行く必要もない。普段自分が足を踏み込まない所へ出かけて、気分転換をするだけでいい。但し、そのとき「事実」を受け入れることだけを考え、「なぜ」と考えないことが肝要である。それと、ストレスを与えるような環境を避けるのは当然である。ふられた後に映画館や公園などに行くのはもっての外である。

私は会社をさぼって、犬吠埼の突端の岩の上で太平洋を見ながら一日ボ~とすることがよくあった。そこは、行くには少々時間がかかるが、平日なら滅多に人が通らないし、目の前は広々とした海だし、なかなかのお気に入りの場所だった。

そういうことに使うお気に入りの場所があったというのも情けない話ではあるが、そこに辿り着くまでにもっと情けない思いを繰り返していたのだからよしとしよう。

勿論、妻子持ちになった今では、この種のことで思い煩うことは殆どない。
(「全くない」と書かないのが見栄なのか本音なのかの想像はご自由にどうぞ)

但し、不具合を受け流さないことは仕事をする上では逆に害となるので注意が必要である。仕事上の不具合をすべて背負ってしまってはにっちもさっちも行かなくなることがあるから、ある程度で流すのが身のためであろう。


まとまりの悪い文章になってしまいました。若い頃は、色々思い悩むのもいいことかもしれません。中年過ぎるとそういう訳にもいかないですからね。
今年の紅白はどうしようかなあ

組織票による葉書投票のせいで目論見が狂ったそうで、組織するほうもするほうなら、読みの甘いNHKもバカな企画をしたものだと思う。

たとえ組織票がなかったとしても、広く国民に呼びかけて人気投票すると、毎回似たり寄ったりの結果になってしまうのは当然で、「いつものおなじみ」の歌が並ぶことになって、面白みのない番組になることは予想できる。

今回の「スキウタ」投票は、やる前から、あの歌、この歌、上位に入る歌が大体想像できてしまう。そんな歌は、何も紅白でなくてもいつでもどこかで流れているのだから、新味に欠けるものになってしまうのは明らかだ。

「多くの人が楽しめる」は、「多くの人が十分には満足できない」と等価だと思う。

かと言って、「一部の人が十分満足できる」内容は、「多くの人は楽しめない」ものになってしまいかねず、視聴率低迷の紅白としては、そんな企画はできない相談だろう。

さりとて、現在の音楽業界の状況では、昔のような「その年にヒットした歌の総決算」的な内容は不可能だから、NHKとしては悩ましいところなのだろう。

私だったら、ある歌手の歌が複数あったら、その2番手、3番手の歌を選択すると思う。それでも新味が出るとは限らないが、少なくとも1番手とは違う趣向にはなるだろう。
でも紅白は紅白であるが故に、でそれはできないこともよく分かる。

それにしても、今回の企画に限らずNHKがやる「視聴者の皆様の投票orリクエストによる」番組はなぜあんなに面白くないのだろう。

FAXやメールなどで送られてくる、どこかの誰かによる歌への思い出など、番組内で取り上げるだけ時間の無駄だ。

だけど、今年の紅白ではそれをやるんだろうなあ。

以前、エド・サリバン ショーの映像を放送していたとき、曲の合間にゲスト(デーブ・スペクター)のどうでもいいトークがはさんであって、いらいらした記憶がある。
そしたら、山下達郎御大がラジオで「おしゃべりは止めて曲を増やせ」というようなことを言っていたから、同じこと考えてたのだなあと嬉しかった。

何のかんの言いながら、毎年見ています。
ある年、大晦日にスーパーでバイトしていたら、「新年の飾りつけをするから徹夜の延長できる人は残って」と言われて、迷った末に金に負けて働いたときが唯一見逃しただけ。
ほえ~

疲れがぬけきらないまま地元のボーリング大会に参加。参加というより主催者側だったんだけど、なんとか開会の挨拶も出来、ゲームの結果は50人中40番で飛び賞をもらいました。

午後は寝てました。

そういや、昨日の野ぶた。とり損ないました。
バレーボールなんて大っ嫌いだ!! ばかやろ~。

花より男子は開始早々の2回目を見損なっているし、やはりジンクスは生きています。(このブログの最初のエントリー9/27分2件参照)

ほえ~。まだ長めの文章は書けません。

埋め草にもなってないので心苦しいですが。
帰還

何とか無事帰ってきました。

朝5時に出て、向こうに11時半着。
向こうを午後4時に出て、日付が変わる直前に帰着。

帰りは、夜道で強い雨。

もう眠くて何もする気しないのに、なぜキーボード叩いているのでしょうか。

無事で何よりと、クリック頂けたら疲れも飛びます。明日(日付変わって今日)は仕事だ。

かなり不安

明日、所用で広島まで日帰りで出かけます。
JRで行きたいのに、家族全員なので「もったいない」との神(勿論かみさん)の声があり、車です。

私は、一日に最高で300Kmしか運転したことがなく、今回は片道でもそれ以上、しかも日帰りという条件はかなり厳しい。

何事もなく帰ってこれるでしょうか。

どっちにしろ、明日は多分更新できません。
← そもそもが飛び飛びのくせに何言うか!


無事帰ってくる祈りを込めて、クリックして頂けたら幸いです。



趣味で調べていること



私は、パチンコ、スロット、競輪競馬などは全くしないが、宝くじは買っている。
それも、昔ながらの紙のくじは買わず、ナンバーズとロトのみである。

最近スランプだが、今年前半は好調で黒字だった。(今は赤字つうこと:泣)

自分なりにデータを分析して色々検討しているが、必勝法は見つからない。
それは当然のことであり、普通にやってたのでは必勝法など存在しない。

雑誌や本、ウエブにも数多の予想法が載っているが、「過去データから次回を予測する」ことは、原理的に不可能である。

たとえば、ある数字Aが出たあとに、数字Bが出る頻度が他よりも多かったとする。では、またAが出たあとにBが出るか、もしくは出やすいかと言うと、そんなことはない。
確率はどの数字も全く同じである。

「よく出るから次も出る」「よく出たから次は出ない」この相反する2つの考え方は、両方とも同じ価値があり、両方とも無意味である。

実際、これまで出た数字をどれだけこねくり回しても、得られる結果は全て「確率の範囲内」であって、偏りを見出すことはできないでいる。

だから、雑誌や本、ウエブの情報は殆ど見たことがない。

そこまで知っていてなぜ分析などしているかというと、ナンバーズやロトは売り上げ高と当選口数に応じて当選金が変わるからである。

ナンバーズ3のストレートを例にすると、これは000から999までの1000個の数字のうちの1つを予想するものであり、当たった場合これまでの平均で9,7000円の当選金が出る。

これまでの最高額は333,500円、最低額は38,600円である。最高額はナンバーズが始まった直後の第2回目に出た額であり、この頃の金額はあまり参考にならない。
このような極端な高額を除いた場合、最高で170,000円程度である。


平均を境目にして、低額層と高額層の数字の傾向を調べると、面白いことが分かる。

N1___低額層__高額層_____総計
_0_______34_____119______153
_1______105______56______161
_2______136______48______184
_3______125______46______171
_4_______83______87______170
_5_______79______81______160
_6_______83______88______171
_7_______73______82______155
_8_______91______76______167
_9_______95_____108______203
総計____904_____791_____1695

N1は当選番号の100の位の数字であり、低額層、高額層、総計の数字は発生した個数である。

この表から分かるのは、100番台、200番台、300番台の数字は、低額層に入るほうが高額層の2倍以上あるということである。
逆に、0番台は高額層のほうが低額層よりも3倍近くもある。
400番台以降はほぼ半々である。

つまり、ナンバーズ3のストレートを買うのなら、000から099までの数字を買ったほうが、他の数字を買うよりも当たったときの当選金が高くなる(可能性が高い)ということになる。


ついでなのでもう一つ。1月1日から12月31日(実際には12月9日)までの日付を3桁の数字に置き換えたものは101から930まで飛び飛びに存在するが、この数字は当選金が全て低額層に入っている。

これは、購入する数字に自分の誕生日などを選んでいる人が多いためであろう。

日付___低額層__高額層_____総計
_D________100_______0______100
_X________804_____791_____1595
総計______904_____791_____1695

上の表で、Dは日付になりうる数字、Xはそれ以外である。
つまり、Dに相当する数字(私の設定では273種類ある)は、これまで100回当選番号になっているが、その全てが9,7000円よりも低い当選金であったということである。

どのような数字を選んでも当選確率は1/1000であるから、どうせ買うなら高い当選金が見込める数字を選んだほうがいいだろう。逆に言えば、低い当選金しか見込めない数字は買わないほうがいいということだ。

高額層の傾向を見ると、同じ数字が2つ入っているものが目立つ。200とか080とか766というものである。3つとも同じ111,777などはいずれも低額層である。

2同____低額層__高額層_____総計
_2Z_______172_____288______460
n2Z_______732_____503_____1235
総計______904_____791_____1695

上の表で、2Zは同じ数字が2つ入っているもの、n2Zはそれ以外である。当選金140,000円以上に限ってみると、62/95=65%が2Zである。000から999までの中で、2Zが占める割合は27%に過ぎないのにである。

ここまでの結論。
ナンバーズ3のストレートを買うなら、000から099までの数字のうち、同じものが2つ入っているものを選べばよい。

001,002,003,004,005,006,007,008,009,010,011,020,022,030,033,
040,044,050,055,060,066,070,077,080,088,090,099

断っておくが、これらの数字が当たりやすいとか、日付になる数字が出にくとか言っているのではない。当選確率は、毎回、どの数字も等しく1/1000である。

この程度のことは、ナンバーズファンには先刻承知のことかもしれない。しかし、こういうことを調べるのが楽しく好きでやっていることなので、周知かどうかは関係ない。

今回は触れなかったが、ロト6は2回連続でキャリーオーバーが出ていて、現在511,391,329円となっている。17日抽選では、400,000,000円の当選金が出る可能性もある。

さて、どの数字を買おうかなあ。

今回の内容は参考になったという方、よろしかったら、
こんなのとっくに知ってるわいという方、独力で発見した努力に免じて、
こんなのつまんなかったという方、次回に期待ということで、
クリックお願い致します。



表の作り方がわからなかったので、見づらいものになりました。
あいたあ。それどころか、テンプレートがおかしくなっちまった。

いや、Netscapeでは問題ない。私のPCのIEが変になったのか。

原因判明。「001,002,003,004....」の部分をずらずら続けていたのが悪かったみたいです。途中で改行したら解決しました。
それに気付くのに30分もかかっちまった。

11PMとハウルのDVD
うちの長男は、寝つきがものすごくいい。布団に入ったら30秒以内に寝息を立てている。それだけ昼間に動き回っているということだろう。

同じようにしているはずの娘は典型的な宵っ張りの朝寝坊で、11時頃まで起きているのがざらである。当然のこと、毎日叱られている。

私は、小学校の頃は午後9時を少しでも過ぎればコテっと寝ていた。中学になってもそれは続き、せいぜい頑張って10時が限界だった。

だから、9時からの映画番組を最後まで見ることができず、ビデオもない頃なので結末を見逃したままになっている映画は数しれない。

一番困ったのは、親が旅行などで不在の友達のところに泊まりに行ったときである。いつも決まって誰かが「11PMを見よう」と言い出す。

今から考えれば、11PMでやっていることは大したことではなかったのだが、当時は田舎の中学生でも唯一覗き見ることのできる大人の世界という感じで、しかも大人の干渉のない数少ない機会であったから、必死で起きていた。

普段と違う環境と、仲間同士が集まっているという興奮で、なんとか頑張って11時までは起きているが、+15分までのところで目がふさがってしまう。

翌日、根性で起き続けて見届けたやつの、よく分からない自慢話を聞くのは無念であった。

ちなみに、11PMが11:00PMから始まったことは一回もなかったそうな。


明日は「ハウルの動く城」のDVD引渡し日。近所のローソンで予約しています。
私はあのアニメはあまり評価していないけれど、娘が好きなので。

半年ほど前、下の子に「さつきとメイの家」のミニチュアを買ってあげたとき、バイトのおねえちゃんが間違えてその日入荷したトトロ関係の商品を私に全部渡しました。
家に帰って開けてみてびっくり。切手帳が2冊、トランプが一組。こんなにおまけが付いてたっけと思いながら、さすがに切手帳2冊は間違いだろうと、トランプも含めて返品に行きました。
もし、切手帳が1冊だったら、そのまま貰ってたかもしれません。(惜しいことをした)
わざわざ返品に行ったのに、御礼は言葉と笑顔だけ(ケチ)。店長でなければ何の権限もないだろうからそんなもんか。

今回またハプニングがないかなあ。


先に11PMのことを書いて、あとからハウルのことに気づいたので、関係ない話を続けることになりました。
タイトルもそのまんで芸がありません。

もうちょっと面白い文章にしないと、クリックお願いするのも肩身が狭いッス。

「野ブタ。をプロデュース」原作本
このブログ始めて一月半、もう三日坊主は脱したし、なんとか続けられそうなので、大胆にもランキングに登録してみました。
ここを読みにきてくださる方が一人でも増えればなあという動機です。

よろしかったらクリックお願いします

タグがこれでいいのかよく分かりませんので、不具合があったらコメントにでも書いて下さるようお願い致します。

カテゴリーは「雑談」ですが、しょっぱなは本の感想になってしまいました。まあ、いいか。

== ここから本文です。


テレビドラマを3回まで見たところで、原作本を買って読んでみた。
すると、かなりドラマと違う内容だった。

以下、ネタバレです。これから本を読むつもりの方は開かないほうがいいかも。


[READ MORE...]
ドクダミ茶を飲みながら

何気なく、アクセスログを眺めていたら気づいた。

私が訪問した先でログに記録されたドメインを見れば、これまで「Live in 九州」としてぼかしていた私の居留地、じゃないや、居住地は簡単に判ってしまうということに。

まあ、私が何処に住んでいるかなんてことに興味もつ物憑き、これも違う、物好きがいるとも思えないから、影響はないはず。

と、おとといまでの私だったらそう思っていたろうけれど、今は違う。

昨日の晩飯のときかみさんがこう言った。
「この前のテレビのニュースね、色んな人が見てたのよ。あちこちで『○○ちゃん(娘のこと)出てたでしょう』って言われたわ。」

このこと自体は問題ない。
問題はそのニュースを11月6日のエントリーに書いたことである。

強固な堤防も蟻の一穴から。

どこをどう辿って、このブログを私が書いていることが地元で露見するか分かったもんじゃない。

私は、ここで自分の本名を晒しても、写真を公表しても別に構わないとさえ思っている(意味がないからしないけれど)。しかし、かみさんは違う。

以前アパートに住んでいたときに、近所付き合いでひどい目に遭って、それからというもの悪いことは勿論のこと、たとえいいことであっても人の話題にされることを極端に嫌う。

とにかく目立つのが嫌。目立つことによって人の話題に上り、それがあらぬ方向の噂に発展することを恐れている。

私は、どうせ人の口に戸は立てられないのだし、悪いことをいう連中のことなんか放っとけはいいじゃんという考えであるが、この点についてはいくら議論しても平行線である。

従って、私がこのブログを書いていること、そして家族のことを書いている場合もあることがかみさんに知れたら、家庭争議に発展すること確実である。

前回のスカートの話などギロチン物だ。

私は夜はパソコンを置いている部屋で一人で寝ている。これは、家庭内別居とかそういうのではなく、それまで家族全員で寝ていた部屋のエアコンが壊れたので、夏の間一人だけ涼しい部屋で寝ることにし、それがあまりに心地いいので秋になってもそのままにしているからである。

だから、かみさんが寝てしまえば、パソコンで何をしてもお咎めなし、そういう環境になったからブログを始めることができたという面もある。

かみさんは機械音痴で、パソコンには全く触れようとしない。だから、本人が自分でこのブログを目にすることはまずないだろう。

さて、この状態がいつまで続くだろうか。私が陰で何かやっていることには異様にカンが働くみたいだから、外部要因でなくてもバレる可能性は十分ある。(女の勘って凄いもんですねえ)

そうなったら、私の動機や欲求など全く考慮されないで全面禁止、下手すればパソコン没収(私の金で買ったことなど問題にならない)となる。
最大級の温情で続けることが許されたとしても、今よりも面白みのないスカスカのものを書くことになってしまうだろう。それではつまらない。

もし、このブログの更新が予告なく止まってしまったら、「ああ、バレてしまったのか」と線香の一本も上げてほしい。

それと、できるだけそういう事態の発生を先送りするために、もしこれを書いている私のことが分かったとしても、武士の情けで知らない振り(家族を含めた第三者に漏らさない)をして頂けたらとてもありがたい。==>地元の方

私自身は、知られても構いません。だけど、知られた結果それがかみさんの耳に入ったら止めざるを得ず、そしてまだ止めるつもりはないのです。

今回のエントリー自体、とてつもない地雷になってしまった。
居住地がわかることには目をつぶって、これからも「在:九州」でいきます。
地元を特定したほうが話題を広げることができるけれど、リスクも高くなるから仕方ない。

こんな滅茶苦茶書いてますけど、基本的に夫婦仲はいいので、ご心配なく。(誰も心配してないって)

自分が書く文章にはある程度の毒が入ってないと面白いと思えない私をなんとかしてぇ。

ほんわかほい

八ちゃん堂、力入れてる。もう何回九州限定ホリエモンCMを見たことか。
ニュースになってるのも知らないで初めて見たときは、口をあんぐり開けてしまった。← 夫婦で。

以前、ワールドカップの公正なジャッジで有名になったスキンヘッドのコリーナ審判が出ていたときも、あの顔で、あの頭で、「ほんわか ほんわか ほんわかほい」と歌っているのを軽いめまいを感じながら見ていた。

ホリエモンも歌ってる。しかも下手。

次は誰を出すのだろう。
三木谷?村上?それじゃ二番煎じか。

首相辞めた後の小泉さんか。

==

かみさんが博多にお出かけするそうで、着ていくものを選んでいる。

「あらあ、これも入らない。これは入るけどきつい。これだったらやせて見えるかしら。」
「あの。10年前は『やせて見える』なんて言葉不要だったのはどこの誰でしたっけ。」
「何言ってんのよ。これでもまだ標準体型よ。」
「そのスカート、ぱんつの線がくっきり見えてますけど。」
「えええ。これ4月の入学式に着るつもりだったのにぃ。」
「だから、あれだけ、毎日ビール飲んだらそうなるって。」
「あなたには言われたくないわ。」

資源ゴミの日、指定ゴミ袋に満杯のアルミ缶を運びながら、「このうちの何割が俺が飲んだ分だろうか」と考えている。

ほのぼのとした話ですなあ。
ほんわかほい。
芋・芋・芋


知人が山の畑でサツマイモを作っているとかで、先々週の日曜にわざわざ採れたものをうちまで持ってきてくれた。30Kg入りの米袋2つ分。

かみさんは喜び勇んでさっそくあちこちにおすそ分けして配ったが、それでもまだ沢山残ったので、毎日芋三昧となった。
私も嫌いではないので、夜のビールを止めて芋ばかり食べていた。
(おかげで腹が張って、職場で苦しんでます)

翌週、その知人が「まだまだ採りきれないくらいあるから、一家で来ませんか。」と誘ってくれたので、息子2人を連れて出かけた。
ところが、着いたとたんに下の息子が転んで怪我したので、上の息子だけ残して病院に行く羽目になった。

残された息子は、一所懸命掘ったそうで、夕方、また大量の芋とともにうちまで送ってもらって帰ってきた。

その息子が言うには、向こうには知人の一族が子連れで来ていて、遊ぶ相手も沢山いるし、畑の脇には鉄棒やブランコまであって楽しくてしかたなかったらしい。

「12月には餅つきもするって。また行きたい。」

11月4日金曜の夜、その知人から電話が掛かってきた。直接出た息子が「はい。はい。うん、行きます。」と勝手に応対している。
後から電話を受け取って聞いてみると、猪の新鮮な肉が手に入って明日食べるからまた来ませんかというお誘いだった。

それはぜひ行かねば、と土曜の予定をキャンセルして、お邪魔することになった。下の息子は転んだショックが抜けないらしく行かないといい、娘は別の用事、かみさんはPTAの会合とかで、結局私と上の息子の2人だけになった。

町並みを過ぎたところで先日買ったばかりのEXILEのCDをガンガンかけながら、「景色と合わないね」と言う息子に「いいの、いいの」と山道を登る。全体で40分程走り、わき道に入って車を止め、先週下の息子が転んだ所を過ぎてちょっと下ったら、雑木林の中に想像したよりももっと広い畑が広がっていた。

目測で100m x 50mくらいの場所が、道路工事で地面に伏せてあるような鉄板でぐるりと囲ってある。猪よけとのこと。
中は一面の芋畑、端の方にはサトイモや大根なども植えてある。
その外には石焼芋を作るための炉があって、他に釜でご飯を炊くためのかまどもある。
さらに、同じく鉄板で囲った広めの小屋があって、土間にはバーベキュー用の炉が2つ、土間の奥の1/3くらいの面積は靴を脱いで上がれるようになっていて、食器棚もある。

80歳を過ぎたくらいのカクシャクとした婆さんを頂点に、その一族20人くらいが集まっていた。みんな気さくな人で、唯一の部外者である私も簡単に打ち解けることができた。

さっそく、鋤を借りて芋ほりを始めたが、一畝掘る度に息が上がってしまって一服。それを3回繰り返したら、立ってるのもやっとという状態になった。

その間、息子は婆さんの曾孫達と野球や、山を削った斜面の駆け上りなどで遊びまくっていた。

昼は、小屋の中でバーベキューをごちそうになる。猪肉は獲れたばかりで柔らかく、いくら食べても飽きない。この肉については面白い話があるのだが、あまり詳しく書くとまずいかもしれないので割愛;残念。

ゆっくり昼食をとったあと、大きめの袋を沢山もらってそれに掘った芋を詰め込み、車まで運んだ。息子はまだ遊んでいたそうだったが、スイミングスクールの時間が迫っていたので、3時頃帰ることにした。(まだいても、もう鋤を振るう力が残ってません)

「今度は、ぜひ奥さんも連れてきて下さい」
と言ってもらったけれど、来週も行くと4週連続の芋芋芋芋。

これはちょっとつらいかも。
現状でも、うちの狭い玄関は芋だらけ。

しかも、30代頃から、身体に無理をかけたときの疲れが翌々日から出るようになって、今日は腰と腿と腕が痛いのなんの。

と言いながら、また誘われたら行くんだろうなあ。しっぷ貼って。

いくら好きでも連日のふかし芋は飽きる。
ネットでサツマイモ料理のレシピを探すことにしましょう。
誰かお薦め料理があったら教えて下さい。


もくれさんのナイ、ナイ、スィーティーにこのブログのリンクを付けて頂きました。
記念すべき第一号リンクです。どうもありがとう。

もくれさんの文章は、ちょっと不思議な雰囲気とリズムがあります。
イラストも載ってます。



私、学校では放送委員でした

娘が最近ある団体(怪しいものではりません)に入った。
それで、週末毎に出かけている

先日は、何か知らないけれど道をぞろぞろ歩く行事に参加した。

私に似て背が高いせいか、新米なのに行進の最前列で横断幕を持つ係を仰せつかり、しかもじゃんけんで勝ったとかで表通りを歩くことになった。

帰ってきてから、「テレビ局が沢山来てたから映ってるかもしれない」と言うので、大慌てでローカルニュースの時間帯を調べ、ビデオ、パソコンをセットし、実家も動員して待機した。

結局その行事のニュースが録画できたのは一局だけだったが、1分もない映像に4カットも映っていた。

七五三のときは、神社の境内である局のカメラがうちの娘をずーっと追いかけてくれたのだが、普段人見知りしないくせになぜかその日は機嫌が悪くてニコリともせず、結局オンエアのときにはカットされていた。
放映された子はうちの子よりも不細工だった(親の欲目による主観w)ので、かえすがえすも残念であった。

あれから8年、ようやくリベンジできた。
ってああた、ローカルニュースに数秒映るだけのことに何の意味がある。->自分

思い返してみれば、

私の母はある年の衆議院議員選挙のとき、市場で買い物していたら選挙結果をどう思うかとのインタビューをされてNHKのローカルニュースに出たことがある。

上の妹は、成人式のとき振袖を着て取材の時間を見計らって神社に出かけ、しっかり夕方のニュースに映っていた。

下の妹はテレビに出たことはないが、地元ラジオ局で定期的にしゃべる仕事をやっていた。

私自身は、新聞の地方版に一人だけ写った写真が載ったことがある。

というミーハーな血筋ではある。

さあ、次は息子の番だ。(...違う。)


あなたの敏感な部分を刺激してごめんなさい


東京で勤めていた頃、寮が横浜緑区にあって東急田園都市線で通勤していた。

朝はいつも7時少し過ぎ、急行の止まらない駅だったので各停に乗る。
座席は空いてないけれど、つり革はまだ余裕があるので、ドア近くの場所に立っていた。
鞄を網棚に乗せ、駅の売店で買った日経新聞を立ったままサラリーマン読みする。
縦に折ったり、横に折ったり、裏返したり、よくまあそこまでという感じである。
(今考えると、そうまでして読む必要はなかったのだが、当時は「読んでおかねば」という強迫症だったのかもしれない)

ある日、いつものように縦折り(従って、新聞の高さは元のまま)で読んでいたら、私の前に座っていた50代くらいのおっさんがそれを手で払いのけようとする。
理由が分からなかったので、なんじゃこのおっさんと思いながらそのまま読み続けた。

すると、そのおっさんは私の新聞を鷲づかみにして怒鳴った。

「こらっ!さっきから何だお前は!」
「(はぁ)?」

「人がおとなしくしてれば、何だ!」
「(はあ)?」

「お前なんかに、新聞読む資格は無い!!!」
「(何ですとう)!」

一方的にどやしつけられた。

おっさんはすごい形相で私を睨んでいる。
場所は溝の口を過ぎたくらいであったろうか。

それからおっさんは自分の頭を撫でた。
その動作でようやく状況が理解できた。

つ・ま・り、
私の縦折りした新聞の下の角が、おっさんのハゲた頭に当たっていたのだ。
多分、何度も。

「ああっ。すいませんでした。」
私はあわてて新聞を畳み、網棚の鞄の上に乗せた。

「お前なんかに、新聞読む資格は無い!」
おっさんはもう一回繰り返した。

少しパニクッていたので、周りの乗客の反応はよく覚えていないが、
「おっさん、そこまで言わなくてもよかろうに」
という雰囲気だったと思う。

今の私だったら、
「これはこれは、知らなかったとはいえ、あなたの一番敏感な部分を刺激してしまって申し訳ありませんでした。その点は謝ります。しかし、新聞を読む資格云々まで仰るのは大人気ないとお思いになりませんか。」
くらいの切り返しを言うと思うが、当時は上京してまだ数年目の田舎出の若造であった。

何も反論できず、うつむいてそのまま青山一丁目まで屈辱に耐えたのである。
このオヤジの顔を忘れてなるものかと、その顔のシミ、浮き出た血管、額の特徴などを必死で見たが、悲しいかな人の顔を覚えきれない性格(10/28のエントリー参照)のため、すぐに忘れてしまった。

まあ、あのおっさんにとっては一番触れてほしくない所だったので、余計に激昂したのかもしれないが。
今70代くらいだろうか。もうそろそろ、くたばってないかな。←まだ恨んでます

教訓:

いかに相手に非があろうとも、公衆の面前でそれを厳しく指弾し罵倒してはいけない。

物言いによっては、逆恨みされる。
今の若い人だったら、間違いなく逆切れする。(偏見込み)

あくまでソフトに、相手をたしなめること。


呉智英氏のご意見に与します


小学校の運動会で、最大の呼び物は「部落対抗リレー」だった。

校区内に沢山の部落があり、それぞれに子供会がある。朝の集団登校、夏のラジオ体操、海水浴、月一回の例会、地域における子供の生活は全てこの子供会が中心になっていた。
その中では上級生が下級生の面倒を見、一緒に遊び、育っていた。

対抗リレーは、男女別で、1年生から6年生まで一人ずつ選手が出てリレーをする。
午前中の最後のプログラムが5チームずつの予選、午後最後のプログラムが決勝である。
他のプログラムのときは、比較的おとなしく座って見物している父兄たちも、このときばかりは総立ちで声援を送る。もちろんテントは部落別である。

選手は部落の名誉を懸けて必死で走る。
運動会が終わったら、それぞれの部落で打ち上げの宴会があり、大人も子供も混じって楽しむ。

こういう生活は別段特別なことではなく、日本中のどこにでも普通に存在していた。今でもあるはずだ。

そんな環境で育ったので、中学生になったとき、ある雑誌に読者からの投書が載っているのを読んで驚いた。内容は「部落差別をやめましょう」というもの。

「部落の人は大変な思いをしています。差別をやめましょう。」ということが切々と書いてあるのだが、意味が全く分からず困惑した。

親に聞て、「この辺にはそんなこと全くないが、日本のあちこちにそういう差別をされている人達がいて、その人達が住んでいるところを被差別部落と言い、略して部落と言うことが多い。」と教わった。

しかし、釈然としなかった。
その投書のどこにも「被差別部落」という記述が無く、全て「部落」となっていたのである。これでは話の区別がつかないではないか。

それが、部落差別問題のことを知った最初であった。

それから、注意して見ているうちに、本やテレビ、新聞などに私が使っている意味での部落という言葉が殆どないことに気付いた。

集落、村落、地区、地域。いろいろあるが、部落はない。

これでは、私が存在したあの部落の生活はなかったことにされているも同然である。
私は部落で育ったのであって、集落で育ったのではない。

思うに、あの投書を書いた女子中学生は、私と逆で、被差別でない部落の存在など知らなかったのではないだろうか。そうでなければ、配慮不足である。
いずれにしても、こういうところにマスコミによる情報操作の結果の一端が現れているように思う。


11月2日付産経新聞に呉智英氏の文章が載っている。

 新潟県中越地震から一年。
現在も避難所で暮らす山古志村(現、長岡市)の人たちが夏祭りを山古志でやろうとする。
テレビに映し出される人たちは誰もが「うちの部落は」「あそこの部落が」と語っている。
それなのにナレーターは「ここの集落では」と解説する。

 部落は町村の下位区分だ。
これとは別に被差別部落も略して部落と言う。
両方並立していて何の問題もない。

山古志村内の部落を部落と呼ぶようなことに、部落解放同盟が抗議したなどということはただの一度もない。
それどころか、こういう馬鹿げた自己規制や言い換えを批判さえしてきた。

「集落」と言い換えて平然としているマスコミの現状に、私は慄然とする。

一部省略しています。産経新聞のサイトには載っていないようです。


ここに書かれていることは、あの時私が感じた違和感に通ずるものがある。

土地の人が自分達の住む所を部落と呼んでいるのなら、それを紹介するときに集落と言い換えるのはマスコミによる一方の部落の抹殺である。

単純に並立させれば、私が投書を読んだときのように差別問題を知らない人、逆に被差別でない部落の存在を知らない人は混同してしまうかもしれない。
しかし、その点を配慮してさえあれば文脈によって区別して理解することは十分可能である。

大学の同級生に関西出身者がいた。彼は中学のとき一度こちらに越してきたことがあり、数年で戻ったが、大学は再度こちらを選んだという。

その彼が中学校の校内弁論大会で「部落差別をなくそう」というテーマで話をした。すると、聞いていた生徒はみな一様にぽかーんとした顔をしていた。あとから先生がやってきて、「お前の話は立派だった。でも、ここでは誰も(その話の内容は)判らないよ。」と言ったという。

「小学校ではよくそんな授業を受けてたし、こっちでは住んでる所を部落って呼んでるなんて知らへんかったもんなあ。」


私はあの小さな町のあの部落で育ったことを幸せに思う。
あの小学校の運動会のプログラムには、今でも「部落対抗リレー」がそのままの名前であるだろうか。


うちにも立花の母がいる


婆さんが知り合いからブランド物の子供服(お古)を2着貰ってきた。

うちの娘は色、柄にはこだわるがブランドには興味がなく、そういうのを貰ってもあまり喜ばない。

でもせっかく貰ったし、結構似合うと言われて、不承不承学校に着て行った。

するとさっそく何人かの女の子が寄ってきて、「どうしたのそれ」「すっごい似合ってる」などと言われたらしい。
普段は安物のトレーナーなどを着ているのだらか、驚かれるのも当然だろう。
でも、嬉しがってる風でもなく、淡々と帰ってきた。

翌日、もう一着を着て行くと、また騒ぎになったらしい。そこで娘が言った一言。

「大丈夫。明日から元に戻るから。」

偉いというか、何と言うか。

10月30日の読売新聞日曜版に載っていた「あたしンち」のお母さんの科白。
「オシャレやごちそうを悪と思うの。牛肉は高いからスキヤキをガマンじゃなくて、牛肉まずいと本気で思うのよ!念ずれば通ずよッ。」(別のコマの科白をつないで若干編集してます)

うちは私が承知しないから食べ物にはこれは通用しないが、着るものに対してはそのまんま同じである。

うちのかみさんなら言うであろう科白
「ブランド物は高いからじゃなくて好みじゃないから着ないの。バーゲンの500円トレーナーでも似合えば上等。念ずれば通ずよッ。」


娘よ・・・自分で稼げるようになるまで耐えるのだ。
って、既に洗脳されているから、耐えている意識はないか。

書く内容や、書き方までやぎははさんの「めぇ~日記」に似てきてしまった。
なんか、最初の志と違うような気もするが、まあいいか。


あたしンちの作者の名前をずーっと「えらけいこ」さんだと思ってました。
けらえいこ」さんだったんだあ。(ありがちな間違い)



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