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| プロフィール |
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Author:たか号
妻と3人の子持ちです。 長女 A子中2 長男 B太小6 次男 C介小3 gatsutaka#mail.goo.ne.jp #を@にして下さい

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| 遅れてきた突っ込み 書きたいことは山ほどあるけど、暇がない。
だから、多分、どれも旬を過ぎた話題ばかりに
なりそうなブログ。 |
| 夏の終わり |
私の夏休みは明日までです。
9日間のうち、今日8日目まで見事にどこにも行きませんでした。 というのも、B太が足にギブスを巻いていて海にもプールにも入れないからです。
A子には8月に大きなイベントが控えているので不満はなし、C介は近所のプールの夏季教室に入れてやってこれも一応クリア。 こんなにのんびりした夏休みは実に久しぶりでした。
さて、1日からの仕事に備えて準備でもするかと思っていたら、神奈川に住んでいるかみさんの兄貴さん一家が今夕からこちらに来るとのこと。 私ちょっと勘違いしていて、来週来るのかと思っていました。
「明日は両家でお出かけだからね!!」
うわあ。勘弁してえ。...
勿論聞き入れられるはずもありません。
今からも、食事を兼ねて長崎港まつりの花火大会い行ってきます。
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| 映画 デスノート |
二週間で4回も映画に行くという近年まれな出来事の掉尾を飾って「デスノート」を観ました。
原作は全部読んでいて内容は知っているし、新聞の紹介記事を読んで原作にほぼ忠実に作ってあることも知っていました。
確かにその通りで、原作そのものの実写で見ているという感じでした。映画のオリジナルエピソード部分もなかなかの出来で、そこだけ比較すると原作よりいいかもしれません。
キャストは敢えて見ていませんでした。月(ライト)が藤原竜也であることはポスターで嫌でも分かります。それ以外は誰が演じているのか知らないで観ました。
月の父親が鹿賀丈史というのはイメージが違いました。演技はよかったです。 ミサミサの配役にも驚きました。戸田恵梨香は真理子のイメージが強かったので。今回の前編ではあまり出番がありませんでしたが、なかなか雰囲気を出していたように思います。
月は、誰が演じても見た目のイメージを合わせるのは無理でしょう。藤原達也は顔の輪郭が違いますね。高校生ではなく大学生という設定でした。怪しげな店に行って、良からぬ連中にからまれるシーンは、原作の月ならそんなことしないわなあと思いました。
Lはイメージ通りでした。足で足を掻く最初の登場シーンなどまんまでした。
リュークも見事でした。
あそこまでが前編として、後編はどこまでなのでしょうか。 配分から考えて、Lが死ぬまでかなあとも思います。
それで、ニア、メロの部分は、「続デスノート前編/後編」とかなったりして。
原作は、まあ確かにそれしか無いんだけどという終わり方ををしています。映画もそうならざるを得ないのですが、月の最期のシーンをどう扱うのか。楽しみではありますね。
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| ブレイブストーリー |
「デスノート」お預けのまま、家族で「ブレイブストーリー」を観に行きました。
原作は読んでいないし、新聞広告以外の細かい情報は知りませんでした。でも、映画館で予告編を観たとき、これなら子供に観せてもいいかと思いました。
うちは、大体において男の子が怖がりで、映画館で「怖い〜。外に出る〜。」と言い出すのがしばしばあった(ハリポタは勿論、千と千尋でも)ので、少し不安はありました。でも、下の子も一年生になり、ある程度は大丈夫になったようです。
また、うちが家族揃って映画に行くのは封切後かなり経ってからのことが多いです。いつも同級生のあの子もあの子も観に行った後という状況だったのに、今回は公開二日目という奇跡的に早いタイミングで行くことになりました。
結果として、子供三人は堪能したみたいです。かなり喜んでいました。
さて、内容ですが。
映画を一つの作品として評価すると、全体としては面白く、楽しめるものであると思います。 各キャラクターもそこそこ個性があって、魅力的ではあります。
だだ、かなり長い原作(文庫本で3冊[上,中,下]/4冊[1,2,3,4])を2時間程度にまとめてあるためか、あちこちに破綻がありました。
観終わった後で、小1のC介すら「あそこ、おかしかったよね。」と指摘する箇所があったくらいです。 ファンタジーであることを差し引いても、辻褄が合わない点があるのはいただけません。
映画ではなく、テレビ番組として続き物にするような内容なのでしょう。
また、主人公(亘:わたる)の父親が「他の人と暮す」といって、有無を言わさず家を出て行き、その直後母親が倒れるというシチュエイションは、子供向けの話としてはちょっと酷かなあと思います。
亘は事情の説明は一切なく、家庭崩壊という結果だけが主人公に突きつけられ、その家庭を取り戻すために「最後まで行けば何でも願いがかなう」という旅に出ます。 大人の側があまりに無責任に描かれているので、極端な見方をするとこの家庭を取り戻してもあまり意味がないのではないかとも思えます。
普通の小学生が冒険を始めるモチベーションとしては、これくらいないと成り立たないのは分かりますが、もっと他の状況でもよかったのではないでしょうか。
うちの子達はこの部分をどう解釈したらいいのでしょう。ましてや、両親の離婚で悲しい思いをしている子がこの映画を観たらどう思うでしょう。
配慮が足りないように思います。
厳しい現実を知らせることも意味があるという言い訳は受容できません。楽しむために観に来た映画でそんな思いをする必要はないと思います。
「ブレイブストーリー」というタイトル自体、意味を説明しないと子供には分かりません。それを言えばスターウォーズだって同じようなものではあります。ただ、これは「勇気物語」とするよりは「ブレイブストーリー」のほうが格好いいですね。
クライマックス近くに、心の本音部分、弱い部分が自分の分身として現れ、亘がそれを倒すシーンがあります。大人の目で見ると「ありがち」な表現ですが、子供にはどう映ったでしょうか。 大体において、子供ってのは大人が「ここに気付いて欲しい」と思う場面はスルーで、他のところばかり観ているものです。(自分でも思い当たることがある)
亘の声は松たか子がやっていました。殆ど全員が専門の声優ではなかったので、特に力量の違いを感じることはありませんでした。というか、誰がどのキャラの声を演じているか知らなかったので、気に留めなかったのかもしれません。 (演じている人の顔が浮かんで困ったハウルとはえらい違いです。)
ただ、亘がライバルの芦川を「あしかわ」と呼ぶのですが、それが「あしかが」と聞こえてかなり後のほうまで彼のことを「足利」だと思っていました。 そしたら、A子も同じように聞こえていたそうで、しかも彼女は今社会科で歴史を習っているので、「あしかが→室町幕府」と連想していたそうです。
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| タイヨウのうた |
本日2本目です。前の続きになります。
その口直しで、「タイヨウのうた」を観てきました。そのときも本当はデスノートを観るつもりでしたが時間が合わなかったのです。
「タイヨウのうた」は予備知識殆どなしでした。たまにそういう観方をします。唯一事前に知っていた情報はここ。
上映最終日の夜ですから、ガラガラだろうと思っていたら、何の何の。若い二人連れは勿論、女子高生のグループなどで結構席が埋まりました。
最終日に混むのは、口コミなどの評判がいいという証拠。期待が大きくなりましたが、客の年齢層が偏っているのがちょっと気になりました。(私、浮いてたかも)
結論から言うと、40代のおじさんにはこの映画ちょっときつかった。
16歳、純愛、難病、湘南、サーフィン、音楽の才能、といったモチーフは目新しいものがなく、全体のストーリーもあまり意外性のないままに終わってしまったという感じです。
最近の所謂「泣ける」映画、泣かすのを目的/売りとして作られる映画が本当に泣けるかどうかは、製作サイドの思惑とは無関係に、観る側のスタンス(別の言い方をすれば感性)に左右されるため、世代による物事の受け止め方が大きく異なっている現在では、ターゲットを限らざるを得ないのでしょう。
元々この映画は香港映画のリメークとかで、それにオリジナルアイデアを加味して作られたそうです。 見え透いている感じが強く、それを超えて訴えてくるものはありませんでした。
XPという難病を扱うのならば、彼女が小中学校時代をどう過ごしたのか、高校進学をしなかったときどうだったのか、ギターに出会ったときどうだったのか、両親がどのように育ててきたのか、等々、描いておいてほしい場面が幾つも思い浮かびます。 しかし、メインテーマが恋愛であるために、話を発散させないよう意図的に省いてある(もしくは最初から入れるつもりがなかった)のでしょう。登場人物の台詞の端々にほんの少し現れているだけです。
こういう点をある程度は場面として見せておかないと、深みが出てこないように思います。敢えてきつい表現すれば、甘いだけの恋愛物語に毛色の変わった難病というスパイスをふり掛けた映画とも言えます。
...と書きつつも、駄目映画である言いたいのではありません。
脚本はまあよかったと思います。演技も主演二人が新人の割には自然で嫌味がなかったし、何より父親役の岸谷五郎がよかったです。
主演のYUIの歌は、高音域で顔をしかめて歌うのはちょっとなあと思いつつも、歌自体や歌唱は悪くなかったです。
また、できるだけジメっとしないように作ってあり、軽く笑えるエピソードもちりばめてあります。
総合評価としては、「観て損はない」というところです。 但し、私と同世代以上の人には薦めません。
世代を超えて受け入れられるのは「三丁目の夕日」のように例外的なものだけになってしまったのでしょうね。 おじさんが純愛映画を観に行くのが無謀なんだとも言えます。
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| おちきんおらーめん |
以前、笑う大天使(ミカエル)の映画化について、「面白くないでしょう」と、観もしないで書いたのが気になっていました。
その後、新聞記事でオール県内ロケとあったので、一応の興味はそそられました。 それに面白くないと言い切った責任上一度は観ておかないとという思いもあったので、先日行ってきました。
予想を裏切らず、面白くない映画でした。(笑) こんなのに、金と時間を浪費した自分が情けなくなりました。(大袈裟)
まず、企画した意図が分かりませんでした。 原作は随分前のものだし、川原ファンには受けていたのでしょうけれど、一般的には知られていなかったし、あの「もぎゅもぎゅ」した世界を実写で再現するのはかなり無理があります。
ハウステンボスを借りてのロケはよかったと思います。お嬢さん学校の雰囲気は出ていました。どの場面も、「ああ、あそこで撮ったのか」というのが判りました。
しかし、今時は、「良家の子女」の学校よりも、TVドラマ版「花より男子」に描かれているような、今風の意味でのセレブが通う学校のほうが、善し悪しは別にして憧れの対象となっているため、見ていて「何じゃこの学校の生徒達は」という印象を持たれてしまう恐れが大です。 チキンラーメンも知らない女子高生なんて、哄笑の対象でしかないでしょう。
猫かぶりトリオは、ぎりぎり原作のキャラの雰囲気を出していたようにも思えます。しかし、彼女達と対になる、兄、師匠、先生の男性キャラは、その特徴が際立っているとは思えませんでした。
アクションシーンに関しては、ノーコメントとします。
ギャグの類は、元々原作の滑り気味のギャグを余計に滑らせているように見えました。
結論:この映画で楽しめるのは、小学生くらいまでかなあ...。
本当言うと、デスノートを観に行ったのです。しかし、映画館に着くまでにトラブルがあって時間が合わなかったので、しかたなくこれにしたのです。
エンドロールに協力先の一つとして諏訪神社が出ていました。 どこに出てきたのだろう。
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| テポドンは置いといて |
最近、事件が多いですね。 事件は最近に限らずいつでも起きていて、報道メディアでそれに気付くかどうかだけの違いかもしれませんが、それにしても最近はめまぐるしい。
ある事件について少し深く考えようとすると、数時間もしないうちに次の事件、次の事件と現れてきて、考えがそれに幻惑されて停止してしまうように思えます。
このブログは時事社会ネタを扱うことをこれまで殆どしていませんので直接の関係はないにしてもです。
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広島女児殺害事件の一審判決は無期懲役となりました。
「被害者が単数で、衝動的な犯行であり、前科もなく、矯正不可能とまでは言えない」
死刑の適用に関する最高裁永山基準は、「本当言えば死刑判決は出したくないが、ここまで酷かったら仕方ない」という思いが滲んでいるように思えます。
死刑廃止論者の言説は脇に置くとして、 この基準のうち、私が一番納得できない、計画性の問題です。
計画的に殺されようが、衝動的に殺されようが、被害者にとって殺されたことに何の違いもなく、計画性がなかったから罪を減ずるという考えは普通に考えたらおかしいのではないでしょうか。
この点に関する考え方のずれは、刑罰が「報復」のためではなく「矯正」のためにあるとする刑法の根本思想のせいであろうと思います。
「懲役」という言葉には「こらしめ(懲)」とい文字が入ってはいますが、懲役を科すのは、悪いことをしたやつを懲らしめるために牢屋にぶち込んでおくという意味ではなく、悪いことをした人を矯正(反省させ、謝罪させ、もう悪いことをしないと誓わせる)するためなのです。
これは、人間は弱い存在であるから罪を犯すことがある、それを受け止めて、本人のために矯正してあげるのが社会の務めであるという、理性的かつ人道的な考えに基づきます。 ここには、報復の意味は含まれていません。
個人であれ、社会(国家)であれ、報復する権利は持っていません。 死刑に処するのも「矯正できないから仕方なく」行なうのであって、罪に対する報復ではないのです。
この考えに立つ限り、刑事裁判に被害者及びその家族が参加する余地はありません。永山基準に「被害感情」が入ってはいますが、印象としてはあまり大きなファクターではなく、被害者が犯人の更生を望んでいる場合などに(死刑を忌避するために)考慮される程度ではないのでしょうか。
死刑にするのは、その罪が重いからではなく矯正できないからなのであれば、計画性の有無が判断の基準になるのもむべなるかな。
でも、これ、やっぱり納得できませんよねえ。
百歩譲って矯正の可能性が基準であることを認めるとしても、広島の事件の犯人の矯正の可能性ってどうなんでしょう。 判決の付け足しとして、仮釈放には慎重にという文言がつきましたが、最初にそれを聞いたときは、裁判官が死刑を言い切れなくてその後ろめたさを補うために付けただけのように思いました。
下級裁判所の裁判官にとって最高裁判例はかなり強い拘束力があるそうで、現行の基準である永山基準を踏み出す勇気がなかっただけなのではないでしょうか。
ええっと。私は刑法や刑訴法を勉強したことも、まともに読んだこともありませんので、ここに書いたことが間違いないことかどうか保障の限りではありません。所謂ネット上の「石」ということで。
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