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たか号(gatsutaka)

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遅れてきた突っ込み
書きたいことは山ほどあるけど、暇がない。 だから、多分、どれも旬を過ぎた話題ばかりに なりそうなブログ。ここでのハンドルはたか号ですが、小説などはgatsutaka名で書いています。
核保有の議論
私は、日本の核武装について常に議論をしていく必要があると考えています。
誤解しないで頂きたいのは、核武装が必要であると言っているのではありません。
持つかどうかは、議論の結果と、その時点での判断に導かれるものであるからです。

現在の日本では、公式に核武装の議論を行なうことができません。政府は非核三原則を堅持していますし、唯一の被爆国としての核廃絶の強い願いがありますから、それと逆行するような議論は始めることすらできません。

核兵器廃絶は、究極の願いであると思います。
しかし、今後数十年、もしくは数百年のスパンでそれが実現するでしょうか。

その可能性は極めて低いと思います。

たとえ実現したとしても、それは「核兵器が非道な兵器だから」という理由ではないと思います。例えば、地殻変動兵器など今の核兵器以上に強力な兵器が現れて、核兵器が不要にならないかぎりそれは実現しないでしょう。

いまのところ核兵器に取って代わるような兵器は存在しません。

国際的な世論の高まりによって実現することはあるでしょうか。民主国家であればその可能性は0ではないかもしれません。しかしそれも極めて怪しく、限りなく0に近い。ましてや、非民主的国家では絶対にありえません。

核不拡散どころか、テロ組織すら持ちかねない状況もあって、「既に持っている国家」と「持ちたいと思っている国家」がそれを放棄することは、放棄によるメリットが保有によるメリットを超えない限りありえないことでしょう。

それを踏まえての日本での議論です。

持つことによるメリット、デメリット。持たないことによるメリット、デメリット。
これらを冷静に、現実に即して議論することが必要であると思います。

ことろで、この議論をすることによるメリット、デメリットというものも存在します。
これについては、メリットのほうがデメリットよりもはるかに大きいと思います。
民主主義の基本として、議論は自由にできなければなりませんから。

中国や韓国あたりはすぐに反応してくるでしょう。
周辺の国が日本の核武装を認めるはずはありません。
そんなものは放っておけばいい。
「周辺国の嫌がること=日本の国益に反すること」という等式は成り立ちません。
むしろ「周辺国の嫌がること=日本の国益に適うこと」のケースもありうると思います。

だから周辺国から非難を受けるのは当然としても、その非難が「持つこと」に対する非難ならまだしも、「持つかどうか議論する」ことに対してのものになることも100%間違いなくありうることです。
そして、殆どの新聞、テレビなどのメディアも全く同じように反応するでしょう。

しかし、この議論は秘密裏にやっては意味がありません。
公開の場で、冷静に国益を踏まえて議論しなければなりません。

でも、核に関しては、この「冷静」さも、「国益」を踏まえての議論も、まだまだ日本では難しいのが現実でしょう。

==

以上を8月9日の時点では既に書いていました。
だから、「次回も続ける」としていました。

でも、まだまだ言葉が足りない気がして、アップするのをためらっていました。

そうなると、予告が足かせになって、他の文章も書けなくなってしまいました。

でも、著名なブログぼやきくっくりにこんなエントリーも出ていましたので、思い切って載せることにしました。

やれやれ。肩の荷が下りた。



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天声人語06年08日10日
昨日のテーマを続けると書きましたが、ちょっと寄り道。
今日の天声人語を読んで、「正気か?」と思いました。

 同じ13世紀、チンギス・ハンの孫フビライは鎌倉時代の日本に遠征軍を送る。文永・弘安の役で、いずれも失敗した。望郷の念を抱きつつ倒れた兵士もあっただろう。

 この元寇の後、北条時宗は鎌倉に円覚寺を開創した。蒙古襲来による死者を、敵味方の区別なく弔うことが建立の一因だという。

 今日、小泉首相がモンゴルに飛び立つ。星空の下で、元寇の時代にも思いをはせてもらいたい。自、他国を問わない弔い方は、現代の追悼のあり方にも示唆を与える。誰であれ、いやしくも一国を代表する人物なら、他国の戦没者の思いにも目を向けるべきだろう。



元寇の兵士は何をしに日本に来たのか。それは紛う方なき「侵略」だったはずです。
円覚寺建立の趣旨は、日本の歴史の立派な一面として誇りに思っていいでしょう。
この当時は国際的なアピールの意味は皆無のはずで、純粋に利害を超えたところでの追悼であったと思います。

ところで、普通に考えれば、この話を持ち出すのならその相手は小泉首相ではなく、どこぞの国の政府になるのではないでしょうか。

日本には侵略者も追悼した歴史がある。

お国でもそうしろとは言わないが、
せめて日本での追悼に口出しするのは
止めてもらえないだろうか。

これなら論が通ります。


日本には侵略者も追悼した歴史がある。

(現代でも)他国の戦没者の思いにも目を向けるべきだ。

靖国には他国の戦没者は祭ってない。

だから、靖国に行くな。

これではあまりに論を捻じ曲げているように思えます。
朝日新聞は「普通に考え」ない新聞だからしょうがないか。

「(現代でも)他国の戦没者の思いにも目を向けるべきだ」という主張は、あまりにナイーブで現実に即しません。

「一国を代表する人物」がそのような態度を取るということは、現代では極めて政治的な意味が込められます。

小泉首相の靖国参拝は、「公約だから行く」という点では政治的な意味合いがありますが、その元々の動機はかなり個人的なもの、本人がよく言うように「心の問題」であるように見受けられます。

しかし、周辺国はそう見ません。あくまで政治的な意味があると判断していますし、その上で、政治的に口出ししています。

従って、天声人語が言うような、「他国の戦没者の思いにも目を向ける」行為を「一国を代表する人物」が行なえば、それは周辺国にとって政治的な意味を持つということになります。

それがいい結果をもたらすのであれば結構ですが、そんなことはないでしょう。
未来永劫謝罪をさせられ、金をむしり取られ、傲岸な要求を突きつけられるのがオチです。

いまなら、Ask.jp辺りで、「天声人語」でブログ検索すれば色々な突っ込みが見つかります。

面白かったのはこちらなど。


長崎原爆の日
今年も長崎原爆の日がやってきました。

長崎県内はこの日はどの学校も登校日で、それぞれ平和教育を受けます。
職場でも始業時に全員で一分間の黙祷を捧げます。

毎日の通勤で爆心地公園の脇を通っていますので、当時の被害の状況を地名付きで目にするにつけ、具体的な場所がイメージできるような気がしています。勿論、本当の被害状況を理解している訳ではないのでしょうが。

私は郡部で生まれ育ったので、家族、親戚に被爆者はいませんでした。
小学校のときの先生(担任ではありません)に、勤労動員で三菱の工場で働いているときに被爆して、身体にまだそのときのガラスの破片が残っているという人はいました。

原爆資料館に行ったのは3回。小4の頃家族で、小6の修学旅行で、大学生のとき一人で。

前2回はとにかく怖かった記憶しかありません。当時はまだ長崎に住んでいませんでしたから、この惨状がこの場所で起きていたのだという実感が湧かなかったのも事実です。

3回目はたまたま時間が空いたので、気まぐれで行ったものです。
このときはかなり衝撃を受けました。
その直後に行った平和公園で平和記念像を見たときの感慨は、それまで単に眺めていたときとは異なるものであったと思います。

もし、長崎に来る機会がありましたら、「原爆資料館」→「爆心地公園」→「平和公園」の順でご覧になることをお勧めします。どれも隣接しています。先に平和記念像を見ても感じるものは少ないはずです。

このテーマ、次回も続けます。
第14回日本ジャンボリー
WYSIWYGを気付かずに使っていて、読みにくかったので訂正しました。
(公式ホームページの更新が遅れたのは、会場の回線トラブルだったようです)


昨日から石川県珠洲市でボーイスカウトの14NJが始まっています。

4年に一度、参加者2万人以上、メーン行事には皇太子殿下もご臨席される大きな大会なのに、テレビは勿論のこと、全国紙のベタ記事ですら報道されていません。

さすがに地元紙では大々的に扱っているらしく、こちらで紹介されている北國新聞には大きなスペースが割かれているようです。

まあ、国体でも地元以外ではあまり報道されませんから、そんなものなのかもしれませんが。

ところで、14NJのサイトを検索すると、まず第14回日本ジャンボリー公式サイトが出てきます。
しかし、なんとなくやる気の感じられないサイトで、リンクも大したものないし、変だなあと思っていました。

で、URLの「/25nj/」を削ってみたら、ここってボーイスカウト日本連盟のサイトでした。そのindexページの右下に「日本ジャンボリー」というバナーがあったのでクリックしたら、第14回日本ジャンボリー 公式ホームページにつながっていました。
なぜ「公式サイト」と「公式ホームページ」があって、後者から前者へのリンクはあるのに、その逆はないのでしょうか?この公式ホームページにはコンテンツが多くあります。

でも、「14NJ会場の珠洲から、毎日、できるだけ早くスカウトの表情や会場の様子をお伝えしていきます!」とありながら、現時点でまだ今日の情報は載っていません。

あまりウエブサイトに力入れていないんでしょうね。
「概要」ページには「来年(2006年)開催の」なんて文章がそのまま載っているくらいですから。 ところで、何でこんなこと書いているかというと、
[READ MORE...]
とうとう言ってしまった
仕事帰りのバスの中。
学校が夏休みなので高校生が少なく、比較的空いています。

中乗り、前降りのバスは座れる座席が少なく、一人掛けが駄目なときは一番後ろの真ん中に座るのを常としています。

先月買ったウォークマンにも少し飽きてきて、久々に本を読んでいると、またあの音が聞こえてきます。

シャカシャカシャカシャカ・・・・・。

今日のはまた、いつもに増して音量が高いです。
その音漏れ姉ちゃんは私の2つ前の席の通路側に座っていました。

それだけ離れていても、許容範囲を超える音漏れ。
周りの乗客もチラッチラッと視線を送るものの、勿論のこと我関せず、若しくは我気にせずの構えです。

今日は夏休み明け3日間の仕事の疲れが溜まってきていていました。
活字を追ってもシャカシャカが気になります。

何より腹立たしいのは、私は自分がウォークマンを使うときは、音漏れだけはしないように、細心の注意を払っているのに、そのお姉ちゃんは全く意に介していないことです。

それなのに、あろうことか、そのお姉ちゃんが席を移動しました。
私のすぐ前の席に。
そこも二人掛けが丸々空いていたのではなく、通路側に座るしかないのです。

あまりのことに、私は読んでいた本を膝の上の鞄に叩きつけました。
読んでも何も頭に入らないのです。

当然、その音はお姉ちゃんには聞こえません。

私は、無意識にそのお姉ちゃんの肩を叩いていました。

「申し訳ありませんが、ボリュームをもう少し下げて頂けないでしょうか。」

口を動かす毎にアドレナリンが増加していくのが自覚できます。
穏やかな顔を保とうとしましたが、強張っていたかもしれません。

「あっ。分かりました。」

安堵と後悔。

客観的に考えて、至極真っ当な要求だとは思います。
昨年11月4日のエントリーに書いたことを忠実に守っています。

でも「GJ>自分」とは言い切れない虚しさが湧いてきます。

あのお姉ちゃんをたしなめたところで、音漏れ馬鹿はゴキブリよりもしぶとくどこにでも生息しているのですから。