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遅れてきた突っ込み
書きたいことは山ほどあるけど、暇がない。 だから、多分、どれも旬を過ぎた話題ばかりに なりそうなブログ。ここでのハンドルはたか号ですが、小説などはgatsutaka名で書いています。
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秒5で検索上位になったのは
このブログ、一応匿名ですし、リアルの個人的お知り合いや友達にはURLを教えていないので、家庭内などの出来事を好き放題に晒しています。
ここの存在を唯一知っているのが娘のA子です。

「ふーん。このアクセス解析すごいね。何ヶ月か前は閑古鳥だったのに、最近はそこそこの人が来てる」
「そりゃお前、あれだ。俺の文章が優れて面白いからだ」

「運よく検索の上位に載ったからってだけでしょう?」
「いやいや、決してそれだけではない。何となれば、丁寧に他の日付のも読ん下さる人もいるからだ」

「下手なリンクでグルグル回されてるだけじゃないの?」
「失礼な」

「それにしても『秒速5センチメートル one more side』でGoogle6番目か。どういう姑息な手段を使ったの? 参考にするから」
「またまた失礼な。何もしていない。単に感想を書いてUPしただけだ」

「でも、前に涼宮ハルヒの消失の感想を書いたときは全然検索にかからなくて、殆ど誰も来なかったって言ってたじゃない」
「ああ、まあ、そういうこともあったな」

「何が違ったんだろうね」
「それはだな……。ごにょごにょごにょ」

「へえ、そんなことで」
「それで本当に効果あるのかは分からん。でも結果として上位になっている。次に書く涼宮ハルヒの驚愕の感想でも同じことをやってみるからそれで確認できると思う」

「こりずに書くんだ。それにしてもこれだけアクセスあるのに秒5関係全体でコメント0、拍手が2、あれだけ力入れて書いた one more side が拍手0って寂しいね」
「寂しくなんかないわい。読んでもらえるだけでええわい」

「無理してるねえ。素直にコメント下さいって書けばいいのに」
「……いや、内容に自信がないから……」

「優れて面白い文章じゃなかったの?」

==

内容以前に、あの文字数が問題なのではないかと。ww

検索で上位に表示される件は、とある飛空士シリーズ、xxxHoLic、秒5と成果が出ています。
企業秘密ならぬ私家秘密ですが、もし涼宮ハルヒの驚愕でも成功したら、公表するかもしれません。 < ライバル増やしてどうすんねん!

にしても、ここは最近本の感想だけになってしまいました。
私的なことを書いても読んでもらえないから、検索客目当てにそうなってしまったのでしょう。

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秒速5センチメートル one more side 感想
<「羨ましい悲恋」としての桜花抄>

まず始めに著者である加納新太さんに最大限の賛辞を贈りたいと思います。
原作であるアニメ、及び新海監督自身によるそのノベライズ版との破綻を全く感じさせずに紡がれる物語は、まるで最初からセットで考えられていたか、もしかするとこのone more side のために原作があるのではないかと錯覚させるほどです。

小さな科白一つ一つにその言葉が発せられた意図、聞いた側の受け止め方を作り込んであるのには驚嘆しました。
手紙に書いた他愛ない語句に深い意味があり、貴樹の言った「そうかな?」と「そうだね」にまで意味があるのですから。
そして何より、明里の「秒速5センチなんだって」に込められた気持ちの美しさ。

明里という女性、というよりは女の子のありようは、明里本人によって書かれた文章で初めてその輪郭が明瞭になりました。

文章自体は大人になってから書かれたものですが、「今思えばあのとき私はこう思っていたのだ」ではなく、その時点時点で何を思い、何を感じているのかちゃんと自覚していることが伝わってきます。

こんな子供は、現実には稀です。
小説の世界にはよくいるけれど、そういった女の子は成熟の度が過ぎていて親や学校、社会に対してことさらに斜に構えた態度を取ったり自分を隠したりします。周囲をバカにしていて、はっきり言えば可愛くありません。読者はその可愛くないことを強制的に可愛いとの思わせられるので疲れてしまいます。

「現実には稀です」というのは少し嘘があります。
どんな小さな子供だって、物を感じ、考えています。
明里が稀であるのは、それを言葉として明確にしている点です。それも言葉にすることに限界があることを自覚した上でです。

いかんなあ。現実と小説をごっちゃにしてきている。w

岩舟駅のホームで貴樹を見送るシーンで明里が発する「貴樹君は大丈夫だよ」という言葉は私にとってずっと謎でした。
何が大丈夫なのか、なぜそれを言うのか、アニメ、小説、コミックどれを見てもさっぱり分かりませんでした。

そうだったのですね。
言いたいこと、伝えたいことは沢山ある。だけどそれを言葉にすると嘘になる、矮小化される、限定される。
だから何も言うことはできない。だけど伝えたい。
そういうときに最適な言葉が「大丈夫だよ」だったのですね。

「星を追う子ども」を紹介する2011年5月13日付産経新聞文化欄の記事で秒5のことを「男女の悲恋を驚異的な映像美で描いたアニメーション」と表現していました。記事のテーマが異なるし、文字数の制約もあるので仕方ないにしても、「悲恋」と言っちゃうのはどうかなと思いました。

第二話、第三話での貴樹の懊悩からそう見えてしまうけれど、私はそうでないのではないか、どこかに光明の見える物語ではないのかと思っていました。
ただ、その光明が何のかが分からなかったのです。

雪降る夜、桜の巨木の下でのシーンは、美しいファンタジーとして受け止めることにします。

意識を持った人類が生まれてから現在に至るまでに延々と繰り返されてきた恋愛という感情、行動が到達しうる一つの境地に、無垢なままで辿り着くなどファンタジーでしか有り得ないではないですか。

ずっと昔、映画「小さな恋のメロディー」がテレビ放映されたとき、解説の荻昌弘さんがそのラストシーンのことを少し困ったような顔で「これはファンタジーだ」と言いました。
あの映画自体は子供達が大人に反発反抗するという、作られた時代を如実に反映させたストーリーで、恋愛ドラマとしての精神的な深みが何もない駄作です。
でも、散りばめられた印象的なシーンには価値があります。
そして、結婚式を終えたダニーとメロディーが手漕ぎトロッコ(あの装置は本当は何という名前なのか知りません)で旅立っていくラストは現実には有り得ないハッピーエンドを美しいファンタジーとして描いたという意味があります。

秒5が桜花抄だけから成る作品であれば、あのキスシーンを頂点とした美しい「ハッピーエンドのファンタジー」として捉えることができるかもしれません。

しかし二人の時間は進行していきます。
最高のものを、それを願って意識的に得ようとした訳ではないのに手にしてしまい、もうそれ以上を望めないが故に結ばれない彼ら二人の関係を悲恋と言うなら、それはあのシーンにあの年齢で到達してしまったからなのです。

明里の文章を読んだ今となっては、この物語が悲恋なのだとしても、それは実に羨ましい悲恋なのだと思うようになりました。

この項は、桜花抄を読み終わり、コスモナウトを読み始めて間もない頃に書いています。

桜花抄は読むのに時間がかかりました。
あれくらいなら普通は2時間もかからないのに、通算で8時間以上(読み始めから読み終わりまで丸二日)かかりました。

やはり私は自分が間抜けだと思います。
one more side というタイトルから、当然「別視点」、つまりは貴樹ではなく明里の視点の物語であろうと想起すべきなのに、読み始める瞬間までそんなことは考えてもいませんでした。(別エピソードとか、少しだけ違う別ストーリーなどを想像していました)

なので、読み始めてすぐ自分の不明を恥じました。
そして読んでいてとても困惑しました。

すんなりと読み進めていくことができないのです。
理由は二つあります。

貴樹視点でしか知らなかった桜花抄を明里視点で読むことで、自分が当事者である出来事のもう一方の当事者の日記を盗み読みしているような気分になったことが一つ。

もう一つはそこに綴られている内容があまりにも貴樹の心情とシンクロしていて、この二人の関係性に対して羨望と嫉妬を感じざるを得なかったことです。

だから少し読んでは本を閉じて「はぁ~」と呼吸を整え、また改めて読むということを繰り返していました。

明里のものの感じ方、考え方は私の理想とはかなり異なっていることが分かりました。
性格や嗜好の傾向としては理想に近いのだけど、相手に与えるものと求めるもののレンジが私とはかなりずれているように思えるのです。

ああ、勿論こんなことを今の自分を基準にして考えているのではありません。
誤解のないように。w

私が明里と同世代で、彼女が転校してきたクラスに私がいたらどうだったろうなという実にくだらない妄想ですから。
それに異性に抱く理想像ってものは、現実にはほぼ間違いなく幻想でしかないことも知っていますから。

==

<「納得できる不可解さ」としてのコスモナウト>

アニメ版コスモナウトに出てくる異世界の風景は、予備知識なしに見ると理解不能としてスルーするしかありません。

私は小説版を読んでようやくその意味が判りました。
more版のコスモナウトではそれがさらに詳しく描写してあります。

一緒に丘を登っている女性は髪型や体型などから当然明里なのだろうと思っていたのに、誰だか分からない、もしかすると花苗かもしれないということでした。

アニメではこの時期の貴樹の心象はとても分かりにくいです。

まず、貴樹にとって花苗がどのような存在なのか。
寂しさを紛らわすためにそばにいることを許しているという感じではないし、校内放送で花苗が呼び出されたとき「お前の彼女じゃないか」と言う同級生に「彼女じゃないよ」と返す言葉から、ああそういう扱いなんだとも思えるし。

more版では花苗の存在が貴樹の中で揺れる様子が描写されています。
花苗の不幸は、貴樹が一度向こう側を知ってしまった人間であること、それによって求めるものを見失い、自分で何をしたいのか、何が欲しいのかが分からなくなっていたことです。

貴樹は、花苗が告白の言葉を口にすれば、貴樹の花苗への興味が「死んでしまう」というあまりにも残酷な理由でそれを封じてしまいます。

その瞬間に近い経験が私にも一度だけあります。
状況が違うので直接聞くことはなかったけれど、それは形だけ見れば私が逃げたようなものでした。
そのときの私の感覚は、同じような経験をした人の多くがそうであるように、単純に言えば「困惑」であって、言われる前からの拒絶ではありません。
貴樹の花苗への態度は当然その場面を迎えることを予想できます。
私もそうでした。でも、予想はしていなかったのです。予想していなかったというより、そういう場面が来ないことを期待していたのです。
私はそのとき自分が欲しいものは分かっていました。だから、何が欲しいか分かっていない貴樹とは対応が違ったのかなと思っています。(なんとなく論理的じゃない結論ですね)

次に、なぜ明里を見失ってしまったのか。
手紙が途切れてしまった理由が more版に書かれています。
桜花抄もそうなのですが、「言葉」に対する思い入れと、それとは逆に「言葉」にすることの限界とが繰り返し語られています。
手紙が途切れた理由もそこに拠っています。

でも、私、これには少し異論があって、途切れたのは単純に手紙を書くことに「飽きた」からではないかと思うのです。
いやまあ、そう言い切ってしまうと、桜花抄のキスシーンを経験した二人に「飽きた」なんて言い方は不遜に見えるかもしれません。

でもね、本人達も認識していた時間と距離の残酷さは、そういうことも起こしてしまうのです。
むしろそれが自然かなと思います。
小説作品としては「飽きた」なんて身も蓋も無い言い方ですますことはできないでしょうけれど。
私はそう思うので、手紙が途切れたことへの「言葉が云々」という理由は、その部分だけ納得していません。

つながっていた絆を、意図した訳ではないのに自ら切ってしまったことは、後付けで色々な言い訳を重ねさせます。
そのうちに、自分が誰に言い訳しているのか、なぜ言い訳をしているのかも分からなくなってきます。
残るのは何か大切なものを失くしたという感覚と、同じようなものを手に入れたいのだけどそれにはどうしたらいいのか分からないという感覚です。
そして喪失感の代償として、出すあてのないメールを書いては消すということを繰り返すのです。

そう捉えれば、コスモナウトでの貴樹の態度の不可解さ、切れるはずのない貴樹と明里の絆がいとも簡単に切れてしまった不可解さが納得できます。

more版コスモナウトを読んでいてハッとしたことがあります。
それは花苗が犬のカブと戯れているのを見て、貴樹が何かを思い出す場面です。
これは明里が猫のちょびと触れ合っているシーンのことですよね。
そういう発想はなかったなあ。

ロケットの搬送速度が「時速5キロメートル」だと言う花苗と、桜の花びらが落ちるのが「秒速5センチメートル」だと言った明里の対比に、カブとちょびの対比を単純に重ねれば、貴樹が花苗のどこかに明里の面影を探していたということになります。
私はそう感じたけれど、ちょっと違うかな。

あのロケット、アニメでは架空のメーカー名でごまかしてありましたが、more版でははっきり実在のメーカー名が記載されていました。
なんかちょっと嬉しかった。何故かって? それは秘密。w

ちなみに、私も離島ではないけれど九州で、生まれ育った町の高校生はバイク通学していました。学校で原付の免許試験を受けるのです。
でもこれは校区が広くて公共交通機関の少ない郡部に限った話であって、都市部の高校では勿論バイク禁止です。

この項は、コスモナウト読了後、第三話にはまだ手をつけていない状態で書きました。
さあ、第三話に入ります。ラストシーンが楽しみです。

==

<「ロマンチストの抵抗」としての秒速5センチメートル>

結局のところ、私達読者は、大人になった貴樹と明里が語らう場面を見たかったのだと思います。
(ここを読んで下さっている、あなたやあなたを勝手に「私達」の中に含めてしまうのは申し訳ないですが、少なからぬ方に賛同して頂けると思っています)
でもそれは無理なのです。

秒5は難しいです。
何回見ても分からない。
何回見てもその都度違う受け止め方をしてしまう。

アニメ版「秒速5センチメートル」を見る前に「ほしのこえ」と「雲の向こう約束の場所」を見ました。
それで、新海監督はロマンチストなんだと思っていました。
そのつもりで秒5を見ましたし、そういう作品なのだとずっと思っていました。
でも、今は新海監督はロマンチストであること以上にリアリストなんだと思っています。
私はこれまでこのブログに秒5の感想を今回を含めて3回書きました。

一回目は2008年4月に、アニメ版と小説版の感想を。
二回目は2011年4月に、コミック版の感想を。
そして今回のがmore版の感想です。

二回目を書くとき一回目を読み返して、かなり外れた文章のように思えてその日付を内緒にしておきました。
でも、今、もう一度読み返してみて、これを書いた当時の意図とは違った意味で結構当たっている部分があるのではないかと思いました。

>この作品は、三話構成になっていて、一つの話を時期によって三つの部分に分けて
>いるように見えます。
>でも、そうではなく、各話は独立して完結していると考えたらどうでしょうか。

>第三話だけは、一、二の内容を引いている部分がありますが、この第三話は、
>前の話に対して、有り得る一つのストーリーを提示しているに過ぎず、これだけで
>一つの話として完結しているのだと。

>こう考えることによって、三話構成になっている理由が理解できますし、
>桜花抄のその後として色々なストーリーが有り得てもいいのだと思うことができます。

この中で明らかに間違っているのは「有り得る一つのストーリーを提示しているに過ぎず」の部分です。
新海監督にとって、貴樹と明里が再び出会う第三話は有り得ません。
加納さんもその部分は原作を忠実に再現しています。

第三話ラストシーンで明里が踏み切りの向こうに留まっていたらそれはもう秒5ではないのです。

でも、受け手である私達読者は勝手なことをやっていいのです。
秒5は秒5としてそのまま受け取っておいて、それを否定はしないけれど、別の物語を想像してもいいのです。

それを秒5と呼べないのなら「時速5キロメートル」でも、「年速5天文単位」でも「劫速5光年」でもいいじゃないですか。

それはロマンチストのささやかな抵抗としての秒速5センチメートルになるのですから。
但し、それは上で私が桜花抄について書いたのとは少し違う意味でのファンタジーになるのでしょう。
コミック版のラストシーンもそんなファンタジーの一つと考えていいのかもしれません。
たわ言はさておき。

第三話の明里は真っ当なごく普通の女性でした。
貴樹とのことは、度重なる転校が彼女に与えていた精神的負荷を溶解させ、その後の成長の糧になったことは間違いありませんが、時々思い出す幼い頃の微笑ましい記憶に過ぎません。

やっぱり男の方が引きずるんですよねえ。
身につまされる。w

同じ記憶が貴樹に与えた影響は明里の比ではありません。
第三話に表れている対人関係の築き方とか、仕事に対する態度とかは、もし貴樹が明里に出会っていなかったら、もっと違うものになっていたはずです。
ただそのことを本人は明確には自覚できていません。
それは、その後、10年から20年が経過してようやく判るのです。

more版に引用されていた「One more time, One more chance」の歌詞、その一部である
「いますぐ君に見せたい 新しい朝 これからの僕」の「君」は、引用前後の文脈から見て明里なのでしょうか。
私にはこの「君」は理紗のことのように思えてなりません。

二回目の感想で書いたように、私が大人の恋についてコメントしたら上滑りになる恐れが強いので、これ以上は書きません。
ただ、more版の中で一番かわいそうなのは理紗だろうと思います。

==

<more版の謎>

「タカキ」「アカリ」「リサ」はなぜカタカナ表記なのか。
セクション番号を逆順にしているのはなぜか。

明里の大学名を明示はしていないが、誰にも判る形で出したのはなぜか。

==

<金のかかる秒5>

ネットでアニメ版秒5のパンフレットを2部買いました。
あれ、高いんですよねえ。
新海監督のサイン入りなんかとても手の出ない値段が付けてあります。

で、サイン無しの未開封を1部買ったのですが、これが開けられない。w
でも中身を見たい。
だからもう1部買ったのです。バカかな。

持っているDVDは通常版です。
人に貸したら、ケースにひびが入ったとかで、新しいのを買って返してくれました。
私、あまりそれにはこだわらないから申し訳なかったです。

ときどきネットに出るポスターは迷いに迷っています。
限定版DVDを買うかどうか今迷っています。
ブルーレイ版はそのうちに必ず買います。
エミネンス交響楽団のPROMISEは通勤の行き帰りによく聴いています。
One more time,One more chanceは秒5Special Editionで聴いています。

新海誠作品イメージアルバム「Promise」新海誠作品イメージアルバム「Promise」
(2009/12/09)
エミネンス交響楽団

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One more time,One more chance 「秒速5センチメートル」Special EditionOne more time,One more chance 「秒速5センチメートル」Special Edition
(2007/03/03)
山崎まさよし

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まあこの程度だったら、どうでもいいグッズ、フィギュアの類が大量に出ている他のアニメなどに比べたら安いものです。

私の今の夢は、劇場の大きなクスリーンで秒5を見ることです。
個人貸切でそれを実現するのにどのくらい費用がかかるのでしょうか。
権利者の許可が取れるのかどうかも分からないですけどね。

2013/6/22 パンフレットとポスターについて写真付きて新たしい日記を書きました。
値段についても言及しています。
こちらです。 → 秒速5センチメートルのパンフレットとポスター

==

more版を中心とした三回目の秒5感想は以上です。
なぜかこのブログが秒5関係の言葉での各種検索で上位に表示され、多くの方が訪問して下さいます。
せっかくなのでカテゴリー「秒5」を作りました。
よろしかったら、そちらもお読み頂ければ幸いです。
画面左のカテゴリー欄で選択して下さい。


私がなぜ秒5にここまでこだわるのかは、その中にある過去分の感想に書いています。
引きずってる? www

2011/11/7 amazonに載っていたカスタマーレビューの文章に関する日記を書きました。
ちょっと癇に障ったので、天に唾してみました。ww


秒速5センチメートル one more side秒速5センチメートル one more side
(2011/05/20)
加納新太

商品詳細を見る


==

あれ! おかしいなあ。
一回目の感想にもカテゴリー「秒5」を付けようと思って探したけど。
無い。無い。無い。無い-----。

私はこのブログに一度載せた文章は一つも削除した記憶がないのに。

普通、文章はパソコン上のエディタで書いて、それをコピペしています。
だから、自分のブログを開くことはあまりしません。
その文章を保存しているフォルダに「5cmBLOG.txt」というファイルがあって、内容的にも書きかけじゃないから、てっきり載せていると思っていました。
秒5のDVDを買ったのがamazonの履歴で2007/11/29。
ファイルのタイムスタンプは2008/4/8。
新しいテレビを買ったのが2008/5/13。
であれば4/8から5/13の間にアップしているはずなのに。

内容に納得できずに載せなかったのかなあ。

今更ですけど、以下に載せます。

==

アニメ秒速5センチメートル及び小説秒速5センチメートル感想及び解釈

この文章は今年の1月に書いたものです。桜の季節になりましたので、アップすることにしました。

この作品は、長崎では映画館での上映がありませんでした。もしかすると、短期間で気付かなかったのかもしれません。
ユナイテッドシネマができてから老舗の映画館がバタバタ廃業してしまい、残念な限りです。アヒルと鴨のコンロッカーも来なかったし。
秋にはTOHO SCREENSが開業するらしいので少しは改善されるでしょうか。

仕方ないのでDVDを発売後まもなく買いました。でも、テレビが新しくなってからと思ってずっと見ないでいました。冬のボーナスが出ていよいよ買えるかとなっても、初売りまで待つはめになり、そうこうするうちに価格COMの底値が跳ね上がってしまい、新機種が出るという噂も流れ(実際に2月発売となりました)、またしばらく様子見ということになりました。

それでとうとう辛抱たまらず、パソコンの小さい画面で見ることにしました。
見てすぐ小説版を注文し、届いてから1日で読み終わり、もう一度DVDを見ました。

そういうわけで、今更ながらの感想と現時点での解釈らしきものを書いてみました。
背景や人物などの絵がどうとか、主題歌がどうとかいうことは、あえてここには書きません。

ストーリーをご存知ない方は、Wikiなどでお読み下さい。
以下ネタばれを含みます。

最初に感じたのは、以前私がここに書いたエントリー「再開の場面で私は」との類似性でした。類似なんて言うとおこがましいです。内容は全く違います。でも、とり方次第ではありますが、転校、手紙、再開などといったキーワードで符合する部分がいくつもあるように思えたのです。

そのため、第一話桜花抄は胸がキリキリする思いで見ていました。
特に、再会の後の二人がどうなったのかという点に注目していました。

第二話、第三話と進むにつれて、なぜこんなことになってしまうのだろうと思いました。

アニメは特に第三話が短くダイジェスト的に作られていて、それだけ見るととてもわかりにくくなっています。

小説を読むことで、アニメでは分からなかった部分が補完されて、全体の見通しはよくなりました。

その小説の第三話の3にさりげなく「いつのまにか文通も途絶えてしまった」と記載されています。
あの後も手紙のやり取りは続いていたのに、途絶えてしまったということです。

そんなことありかあ、と思いました。

しかししばらく考えた上で、今は、こう思っています。

この作品は、三話構成になっていて、一つの話を時期によって三つの部分に分けているように見えます。
でも、そうではなく、各話は独立して完結していると考えたらどうでしょうか。

第三話だけは、一、二の内容を引いている部分がありますが、この第三話は、前の話に対して、有り得る一つのストーリーを提示しているに過ぎず、これだけで一つの話として完結しているのだと。

こう考えることによって、三話構成になっている理由が理解できますし、桜花抄のその後として色々なストーリーが有り得てもいいのだと思うことができます。

これで少し気持ちが軽くなりました。

それでもまだ理解できていない部分があります。

あの再会の前、貴樹と明里は自分達を隔てる距離と、今後待っている人生の時間と、それらに対する自らの無力さを想像して、あの手紙を書いたのでしょう。

しかし、再会によってその手紙の内容は彼らにとって相手に渡す必要のないものになりました。

なぜそれぞれが書いてきた手紙を渡す必要がなくなったと判断したのか分からないのです。
これは、二人の再会の後での心の変化がはっきりと理解できていないためだろうと思います。

あちこちのブログを見ていけばヒントになるようなものがあるかもしれません。まだ他の人が書いた感想なり解釈なりは一つも読んでいません。これについてはとりあえず自力で解決したいと思っています。

ところで、手紙の内容はアニメ中では示されていませんが、小説には記載されていて、そのままWikiに引用されています。

13歳の時点の二人が、達観とはまた違う、それでいて酔っているのでもなく、漠とした将来に慄きながらも冷静に、相手のことを強く思いながら、求めながら、あの文章を書けるものでしょうか。

実話ではなく創作ですから、大げさに感嘆する必要はないのかもしれません。
であるならば逆に、作者の感性に敬意を表することになるのでしょう。

いずれにしても、本作品を見るときに私が感じる切なさは、桜花抄の二人にしても、第二話の花苗にしても、彼らの心の感度の高さに比して、その同じ時期の自分がいかに鈍であったかという悔恨からきているように思えます。

その一つの象徴がこれ(上のリンクと同じ)なのです。


====================================

以下は、秒5と直接は関係のない文章です。
でも、限りなく秒5、なかんずく桜花抄を意識した私の行動に関するものです。

別エントリーにすべきものですが、それではあまり読んでもらえそうにないので続きとして載せます。
ここまでと同じくらいのボリュームがあります。
興味と、暇のある方は下の「Read More」から読んで下さい。


[READ MORE...]
one more side は今読んでいます
すみません。
one more side の検索で来る方が多のですが、それは前回と前々回に書いた日記で、その時点ではまだ読んでいないのです。

昨日の朝届いて、今読んでいますが、なかなか進みません。
1ページ読んでは「はぁ~」となって本を閉じてしまうので。w

つうことで、多分次の週末までには感想書きますが、現時点ではまだ書けません。

5/25追記
今日感想が完成したのに、保存して持ち帰ったメディアが読めません。orz
明日UPします。

載せました
(改めて)秒速5センチメートルコミック版感想
前回、感想という日記タイトルにしておきながら感想を書いていませんでしたので、改めて書きました。

尚、同じタイトルで混乱するので、アニメ版を「アニメ」、小説版を「小説」、コミック版を「コミック」とします。共通する部分は「秒5」とします。
受け手のことはアニメを見ることを含めて「読者」とします。
これを書いている時点で「one more side」はまだ出版されていません。

アニメの動画とか美術、音楽といった部分についてはここでは度外視します。
コミックの絵柄についても、私は好きですが、言及しません。
物語の部分にだけ焦点を当てます。

「秒5」は各独立した、それでいて連続している3話から構成されています。
小中学の第一話、高校の第二話、大人の第三話は、読者に少なくともどこかの部分で自分の体験と共通したものを感じさせます。

第一話はちょっと特殊な設定、展開で、これそのものに似た体験はがあるという人はあまりいないでしょう。
でも、一部分だけを切り取ればそれに近いものがあったと思わせるエピソードが多く含まれています。
女性読者には第二話の花苗の体験が多いかもしれません。
第三話はある意味難解で、読者として貴樹の心象をどう受け入れることができるかが鍵になります。
そしてこの第三話を理解できない限り「秒5」を理解したことにならない予感がします。

予感がするというのは、もう数え切れないくらい何度もアニメを見た私が第三話での「貴樹の心象」をまだ十分には理解できていないからです。

理解できていない点はまだまだ他にもあります。

その一つが第一話で明里が言う「貴樹君は大丈夫だよ」です。
これは、全編を通じて核になっている言葉だと思います。
でもこれが私にはまださっぱり分かりません。

さらに、アニメ第三話のラストシーン。
あのシーンは本当にどう理解したらいいのか分かりませんでした。

==

でもそんな私に正に神の手のように差し出されたのがコミックです。
アニメのラストシーンに対応する部分の描写は、確たる解答もしくはそれに準ずるヒントのように思えました。

電車が通り過ぎたとき、踏み切りの向こうに明里がいなかったのは大きな謎でした。
コミックによるとすれ違うときに明里は貴樹に気づいています。気づいていてあえてその場に踏みとどまりません。それは明里が確信しているからです。
その確信が「大丈夫だよ」から来ているのは間違いないので、この「大丈夫だよ」が理解できていない私はまだ正解にはたどり着けていませんが、少なくとも謎が謎でなくなったことはコミックを読んだ最大の収穫だったと思います。

白状すれば、アニメを数回見た時点では、このとき明里がもう結婚していることに私は気づいていませんでした。
婚約かそれに近い段階で式はまだだと思っていたのです。
でもアニメの岩舟駅ホームで年末らしい時期に両親から見送られるシーンで明里が「来月には式で会える」と言っていました。
つまり1月には結婚していたのです。

結婚していることに気づかなかったのは、貴樹と明里が結ばれることを無意識に期待していたからでしょう。

コミックはこれでもかってくらい明里の結婚指輪を強調しています。
これは同じような誤解をしている読者が他にもいたからなのかもしれません。

この項はコミックがアニメと同じラストシーンを違う角度から描いているという前提に立った文章です。
小説のラストシーンはアニメと少し異なっています。
新海監督の文章にも、小説ではアニメと変えた部分があると書いてあります。
もしかするとコミックのこのシーンは、新たに作られた第三のラストシーンであって、アニメとは違うものなのかもしれません。

でもそれでも構いません。
どうしても解けなかった謎に一つの解答を与えてもらったのですから。

==

また、第二話で花苗が貴樹に「やさしくしないで」と言って告白できない理由も理解できませんでした。

貴樹の表情から何かを感じ取ったんだろうなという想像はしていました。
サーフィンで波に立つことができて、告白するんだと盛り上がっている花苗の状態では少々のことでは突っ走ってしまうでしょう。
それを押し留めたのは花苗の感性のなせる業だとしても、アニメでの貴樹の表情からはそこまでのものを読み取ることができませんでした。
小説を読んでもその部分はピンときませんでした。
コミックにはその明確な答えが示してあります。

花苗については、コミックの最後の話のラストシーンは一つの救いに思えました。
救いと言っても、単純に「花苗よかったね」ではありません。
あのラストシーンはハッピーエンドでもバッドエンドでもありません。
それからどうなるのかは読者それぞれの想像に委ねてあります。

ではどういう「救い」かというと、それは読者にとっての救いだと思うのです。
第二話の花苗の思いを読者としてどう受け止めたらいいのか分からないでとても困っていました。
高校時代の甘く切ない思い出として割り切りを求めるのは忍びないという感覚がありました。
でも、貴樹には明里がいるのだから、読者の「気持ち」としてもどうしてやることもできません。アニメの画面を見ながら心の中で応援することができないのです。

しかしコミックではアニメのラストシーンに解答を与えたあとで、花苗にももう一つのラストシーンを用意してくれました。

つまり読者は、花苗の気持ちを受け止めた上で、応援することができるようになったのです。
これは第二話の読み方(見方)の大幅な変革となります。

勿論、花苗は現実には存在しません。
読者が応援する花苗はあくまでもそれぞれの読者の中にいる花苗なのです。

==

第三話の理紗について言えば、私には基本的に大人の恋には興味がありません。
興味がないと言い切ってしまえば、どんだけ性格が偏ってるんだと思われそうです。

別の言い方をすれば、私はいい意味での大人の恋に恵まれなかったので、それについて語る言葉を持っていないということです。

なので、理紗の気持ちの動き、決断、そういったものについて細かく考察することができないし、私が何かを語っても上滑りな的外れのことになってしまうのです。

理紗と付き合っている時期の貴樹は、大人ではありますが、中高生の頃と本質的には同じように思えます。
だから、彼が何を考えているのかを想像すること、「貴樹の心象」を理解することは、今はまだ出来なくてもいつかは可能になるのではないかと思っています。

コミックの詳細な描写はその理解の助けになるだろうと思っています。

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さて、第一話についてです。

色々な受け止め方、理解の仕方ができる秒5ですが、第一話桜花抄は格別です。
上でも書いたような、少なくともどこかの部分で自分の体験と共通したものを感じる点で言えば、私の場合は圧倒的にこの第一話なのです。

詳しくは、過去の日記「再会の場面で私は」を参照してください。
これを書いたのは、2005年10月なのでアニメが公開される遥か前のことです。

他人から見ると牽強付会かもしれませんが、かなりの部分で符合があるように思えるのです。
(1) 小学校での出会い
(2) 転校(引越し)による離別
(3) 手紙のやり取りと、いつのまにかの消滅
(4) (ちょっと劇的な)再会
(5) だけどそれっきり

こんなのどこにでもある普通のことなのかもしれません。
ただ、4は少し珍しいかなと思います。

なので最初にアニメを見たときにはとても驚きました。
だからこそ、それから何度も何度も見たのです。

そしていつも行き着いてしまうのが明里の「貴樹君は大丈夫だよ」なのです。
この言葉の意味の謎解きは、これからもずっと考え続ける自分への宿題にしておきます。

コミックの最後の部分で花苗が「いつでも会えるチケット」を手に入れました。
ラストシーンの前の時点で、花苗がそれを持っていることの気持ちは少しだけ分かるような気がします。

それは私も同じようなチケットを持っているからです。
電話番号ではありません。アドレスでもありません。
多分、それは死ぬまで使わないでしょう。
私も彼女もそれぞれ別の結婚指輪をしています。
会う必要はないし、会ってどうするということでもありません。
でも持っていることによって、私は今の苗字さえ知らない私の明里にいつでもコンタクトできるのです。

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実はアニメのDVDを最初に見て、それからすぐ小説を読んだ時点で一度このブログに秒5の感想を書きました。
その感想はここにまだ残していますが、今読み返してみるとかなり外れた文章で恥ずかしい限りです。
だから、その日記の日付は内緒にしておきます。

ここまでお読み頂いてありがとうございました。


2011/11/7 amazonに載っていたカスタマーレビューの文章に関する日記を書きました。
ちょっと癇に障ったので、天に唾してみました。ww



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