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書きたいことは山ほどあるけど、暇がない。 だから、多分、どれも旬を過ぎた話題ばかりに なりそうなブログ。ここでのハンドルはたか号ですが、小説などはgatsutaka名で書いています。
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コクリコ坂から感想 映画について改めて
 映画「コクリコ坂から」は比較的単純なラブストーリーで、しかもその恋愛の始まり部分を描写しているに過ぎません。

 メインの出来事は2つ。
 高校の文化部部室棟の建て替え反対運動と、主役二人の恋および本人達が知らなかった血縁関係です。

 まずは前者から。

 映画の観客は最初からカルチェラタン取り壊し反対派の意見を刷り込まれますから、それが当然という気分になります。
 しかし冷静に考えれば、水沼、風間をはじめとする反対派がなぜそれにこだわるのかはあまり明確ではありません。
 明治時代の建物ですから古びて不便なはずで、当初のアンケートで生徒の半数以上が取り壊しに賛成しています。

 1950年代から60年代にかけて世界を席巻した学生運動について、その政治的背景や評価をここで縷々述べることは差し控えます。
 運動の目的の一つとして単純に大人への反抗があったのは間違いないでしょう。
 カルチェ保存運動は、その描かれている雰囲気から見て、誰か裏のある扇動者がいて学校及び理事会の方針に反抗するだけのために起こされた運動ではなさそうです。

 海が最初に文芸部部室に行ったとき、考古研の部員が部屋の隅で「このままでは廃部にされてしまう」と話しています。
 社会科系の部活サークルは学生運動の温床でしたから、学校側に部室棟の建て替えを機にそういった部活を廃止する思惑があったとしても不思議ではありません。
 ただ、映画を見てそこまで深読みする人はまれでしょう。

 なので若干「ごまかされた感」は残りますが、反対運動の動機に政治的な背景はなく、純粋にあの建物に愛着のある生徒達による保存運動であったと理解することにします。

 それと方法が良かった。
 海の発案によるカルチェ清掃活動は多くの女子生徒を巻き込み(その勧誘がどうやってなされたのか描かれていないのがちょっと残念)、OBの協力、生徒会長水沼の強権発動もあって、観客の予想を超えた規模で実施されます。
 活動の進捗にもとなって参加生徒が増え、取り壊し反対派も増えていきます。
 アンケートの劣勢で思うように動けなかった水沼にしてみれば正に「メルは幸運の女神」ということでしょう。

 これが授業ボイコットとか、集団で校長室に雪崩れ込んでの脅迫じみた交渉という方法などであったら賛同者は増えないでしょうし、何より観客の共感が得られません。

 清掃活動の前にカルチェ内での集会と、その翌日の全校討論会が行われています。

 自転車で通りかかった俊が「まだ大荒れ」と言っていましたから、カルチェ住人にも賛成派がいるか、活動方法で意見が合わなかったりしているのでしょう。

 討論会の経過は、発言妨害とそれを阻止しようとするグループの肉弾直接対決、会場に現れた教師をやり過ごすための両派協力しての合唱など少しコミカルに描かれています。
 あれをシリアスにやられたら観客が退屈するでしょう。

 俊が「保守党のおやじどものようなことを言うな」という一方で、「古くなったから壊すと言うのなら、君たちの頭こそ打ち砕け」と真逆ではないかと思うようなことを口にしています。
 これどっちなんでしょうね。
 討論、ディベートは、論理の整合性よりもいかに相手を言い負かすかに重さがあります(偏見だったらごめんなさい)。
 あの辺りは、行動力があって口も立つという俊の側面を表現しているのだと見たほうがいいのかもしれません。
 実際、その様子を海が頬を染めて見ています。

 徳丸理事長を訪ねたときに「なぜ清涼荘を残したいのかね」と聞かれた海が「好きだからです」と答えています。
 海は当初はこの運動に無関心でした。妹の空に頼まれるまでカルチェに行ったこともありません。
 カルチェを好きになったのは、清掃活動を行ったこと(それが楽しかったこと)、カルチェ住人の気持ちに打たれたこともあるでしょうが、反対運動をしている俊を好きになったことが大きいと思います。

 元々「運動」に興味のなかった女の子が、何かのきっかけで入り込んで行くという状況は実際の現場でよくあったことなのでしょう。物語りでも、例えばつかこうへいさんの飛龍伝などがあります。

 本映画での「運動」はそれ自体がテーマではなく、あくまでも二人の恋、もしくは二人の出会いのための道具立てです。
 運動の対象、その方法、いずれもいい選択がなされていると思います。

 次に後者のほう。

 俊と海が異母兄妹であるという設定は、俊の「安っぽいメロドラマだ」という発言を引くまでもなくありきたりです。
 生き別れとか、産院での取り違えとか、記憶喪失とか、手を変え品を変え昔から色々な物語が生み出されています。
 本映画の生まれたばかりで両親が死に、父親の親友が戸籍を偽った上で別の夫婦に預けたという設定も、本質的には他の設定と大きく変わるものではありません。

 結果的に二人は兄妹ではありませんでした。
 ちょっと極論になりますが、私はそれはどうでもいいのではないかと思います。
 つまり、俊と海の恋愛にとって、兄妹であるかもしれないという状況そのものがどうでもいいということです。

 二人ともそのことで苦悩していますから、どうてもいいという言い方はおかしく聞こえるかもしれません。
 映画のその後を考えると、兄妹だったのかそうでなかったのかは重大です。

 それを敢えて「どうでもいい」と思うのは、勿論理由があります。

 俊と海の出会いは一つの恋の始まりとして自然でキュートです。
 あれ以上の演出は不要でしょう。

 父親が同じであることを知った俊は海から距離を置くという行動を取ります。
 この行動は分かるようで、ちょっと分かりにくいです。
 この映画は海をメインとして扱っていますから、俊があのような行動を取るに至るまでの心の動きはあまり描かれていません。
 海の側から見れば不可解な行動にしか写りません。

 単純に、どう接したらいいのか分からなくなったのかもしれません。
 好意的に解釈すれば、俊は俊なりに懊悩し、苦しんだあげくに海を傷つけないための手段としてあえてあのような行動を取ったのだと見なすこともできます。

 これに対する海の態度が面白いです。
 好意を持っている相手に避けられていると悟ったら、普通だとうじうじと悩んだり、反発したり、自分も距離を置こうとするでしょう。

 しかし海は学校帰りに待ち構えて、本人に直接問いただそうとします。
「嫌いになったのならそう言って」という科白は、それが肯定されたときどうするつもりだったのでしょうか。

 この科白の持つ意味は、その直後に兄妹であることを告げられたせいで少しぼやけてしまいます。
 しかしこの科白を言えることこそが、映画の作り手(それが吾朗監督なのか、脚本を書いた駿監督なのかは分かりません)が海に与えた芯の強い、まっすくな性格の現われだろうと思うのです。

 そして海の重要な科白がもう一つあります。
 海は東京からの帰りの電停で「血がつながっていてもいい。風間さんのことが好き」という告白の言葉を吐きます。
 海のあの性格でなければ言えないこの科白によって、二人の関係は血縁があるとかないとかいう次元から離れた、強い絆に変わったのだと思うのです。

 これが、兄妹であるかもしれないという状況はどうでもいいと私が思う理由です。

 ここまでをまとめると、本映画はカルチェラタン保存運動という学校でのイベントを通じて知り合った俊と海、二人の恋愛を、海の際立った性格を軸にして描いた物語であるということになります。

 私は、その海の性格に惹かれ、その姿を見たいと思ったが故に映画館に幾度も足を運んだのです。

==

 私は映画「コクリコ坂から」をこれまでに6回見ました。
 6回のうち4回は一人で行っています。
 自分でもなぜそこまでという気持ちはあります。

 最初見たとき一度感想を書いてこのブログに載せ、その後幾度か追記訂正をしています。
 6回も見に行った理由を自分で整理する意味から、改めて本映画を真正面から論じてみました。
 突っ込み所の多い、雑な感想であることは自覚しています。

 これを書くに当たって、「脚本コクリコ坂から」を買って読みました。
 感想に引用した登場人物の科白を確認するためです。
 しかし、映画では前後が入れ替わっていたり、追加削除変更されている科白も結構あるので、正確さのための資料としてはあまり意味がありませんでした。
 そのため、引用は自分の記憶に残っている印象そのままにしています。

 尚、この本は全体としては映画の内容とほぼ同じですし、駿監督の「企画のための覚書」など映画を理解するための情報もありますので、読んで意味がないということではありません。

脚本 コクリコ坂から (角川文庫)脚本 コクリコ坂から (角川文庫)
(2011/06/23)
宮崎 駿、丹羽 圭子 他

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 もう少しくだけた感想は以前書いていますので興味がありましたらお読み下さい。
   映画「コクリコ坂から」感想

 今回敢えて言及しなかった原作の感想も別に書いています。
   「コクリコ坂から」原作感想

 ついでに、手嶌葵さんのCDの感想もどうぞ。
   「コクリコ坂から」歌集感想


2011/9/24 追記

 昨日、23日にとうとう7回目行きました。
 これで同じ映画を劇場で観た回数としては「涼宮ハルヒの消失」に並びました。
 もしかしたら超えるかも。
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CD「コクリコ坂から歌集」感想
勢い余って、コクリコ坂から歌集の各曲レビューを書いてみました。
でもまだ通しでは20回くらいしか聞いていません。
レビューというより、私の印象を書き連ねただけです。
サントラCDはまだ買っていないので聞いていません。

各曲毎に<一番・・・・・・>というキャッチを付けました。
中にはネガティブな言葉もありますが、正直に書いていることなのでご容赦下さい。

曲に関してはあまり用語を知らないので、歌詞中心になっています。
谷山浩子さんが作る丁寧な曲は昔から好きです。帽子屋さん、てんぐさはよく聞いたし、綿の国星をテーマにしたアルバムも持っていました。
でも最近は聞いていなかったなあ。

歌詞の内容が映画と完全にシンクロしている訳ではないことは承知した上で、映画との対比を行っている部分があります。

8/16追記
 今日、5回目の映画鑑賞に行ってきました。
 新しい発見、気付きはもうないだろうと思っていたら、何の何の。
 冒頭からいきなり「あれ?」となりました。
 映画の始まりの「朝ごはんの歌」は「エスケープ」のインスト版からの連続した構成になってたんですね。
 私は暫くの間、あの「タターン タターン」というシンコペーション(?)のリズムが朝ごはんの歌のイントロだと勘違いしていて、このレビューを書く直前にその間違いに気付きました。
 どうしてそんな勘違いしてたのかと思っていたらこれが理由だったのです。
8/16追記ここまで
8/18 6回目


2. エスケープ (作詞:宮崎吾朗 作曲:武部聡志)

<一番元気な歌>

 この歌の曲調は、私のイメージとしては(つまり一般的に言って正しいとは限らない)昭和20年代後半から30年代前半の、戦後の傷跡が少し癒えかけ、明るい時代を迎えた嬉しさがあるように思えます。
 ただ、一般の家庭でジャズっぽい歌が歌われることはない時代で、歌うにしても少し後ろめたさを引きずりながらという感じです。
 それゆえに、社会のちょっとしたタブーを突き破って、この歌を大きな声で歌えるのは、より快感が増すというところでしょうか。
 ピアノだけの伴奏がリズミカルで心地いいと思います。


3. 朝ごはんの歌  (作詞:宮崎吾朗・谷山浩子 作曲:谷山浩子)

<一番楽しい歌>

 朝ごはんを作る情景を沢山の擬音語を使って表現したこの歌は、映画の冒頭に流れます。
 画面では海ちゃんが起き出して、朝ごはんの支度をしています。
 いい歌です。
 子供も親しめるメロディーと歌詞でテキパキと働く海ちゃんの様子が描写されています。
 家族(映画の中では下宿人も)揃って朝食を取るという習慣は、私が育った家もそうだったのでとても好感が持てます。
 歌詞の中で私が一番好きなのは「今日も一日がんばろうね」という部分です。
 あんな朝ごはんが食べられるのなら、本当に頑張ろうという気になれるでしょう。


4. 旗  (作詞:宮崎吾朗 作曲:谷山浩子)

<一番情景が目に浮かぶ歌>

 俊君視点の歌です。
 この歌に限らず、歌集に含まれる俊君視点の歌は、映画での俊君の印象とはちょっと違って静かに海ちゃんを見つめているという感じですね。
 作詞した吾朗監督の心象がそういうものなのかもしれません。
「丘の上の君 海の上の僕」のパートが2回あり、それぞれ君の想いと僕の想いが並置してあります。
 旗に込められた君の想いと、それを見つめる僕の想いの対比が切なさを際立たせます。
 カラスが出てくるのは唐突かなあ。
 最後の行「返事がなくとも 君からの」が倒置になっていることに最初は気付かず、しかも「の」が「と」に聞こえていたので、解釈に苦しみました。w


5. 春の風  (作詞:宮崎吾朗・谷山浩子 作曲:谷山浩子)

<一番印象の薄い歌>

 申し訳ない。
 このCDを聞くとき曲を飛ばすことはしないからちゃんと聞いているのに、なぜか印象が薄いのです。
 でも、手嶌葵さんの歌唱はこの歌にとても合っていると思います。
 手を離したのが私となっていますから、映画のストーリーとは合致しません。
 映画の海ちゃんは、自分から逃げたりはしていませんね。迷ったりしていませんね。
 俊君に避けられていることを悟ったときも、「嫌いになったのならそう言って」と正面から俊君に向き合っています。


6. 懐かしい街  (作詞:宮崎吾朗・谷山浩子 作曲:谷山浩子)

<一番好きな歌>

 この歌、本当に好きです。
 「懐かしい」と言っているのだから、大人になってからの歌と解釈して間違いないですよね。
「二人は育った」というフレーズは「幼馴染」かそれに近い関係を暗示しますが、高校での出会いでもまあギリギリ含めていいかな。
「僕が君を泣かせて 途方にくれたときも」という部分のなんと微笑ましいこと。
 一番と二番で少し伴奏が変えてあります。
 横浜のような大きな都市の場合、各個人の「育った街」はどの程度の範囲で認識されるのでしょうか。遊び歩いた範囲、学校の校区、少しずつ広くなっていくのかな。
 私は小さな町で生まれ育ったので、その行政範囲が「育った街」に重なります。
 海があって、丘があって、いい町でした。(平成の大合併で周辺と一緒に市になりました)


7. 並木道 帰り道  (作詞:宮崎吾朗 作曲:谷山浩子)

<一番切ない歌>

「旗」と似た雰囲気の歌です。
 これ歌詞をそのまま朗読(黙読も可)してみたときの印象と、メロディーの乗せて歌ったときの印象がかなり変わります。
 歌ったときのほうが心情がより迫ってくるのです。
 これは、「名前も知らない」「ほどいてあげたい」の部分の旋律がナチュラルな転調をしているせいかもしれません。(すいません知ったかぶりしているだけです。w)
 歌詞に「旗」が出てこなかったら、普遍的な歌にできたかもしれません。
 でも「揺れる二つの旗」が含まれることで、表面上はその寂しさを見せない海ちゃんの気持ちを俊君が受け止めているという、二人の関係を描いていると限定して見なさざるを得ません。
 この関係は映画にありませんから、もう一つの「コクリコ坂から」ということになるのかな。
 高校生ではなく中学生か小学校高学年くらいの時期、声を掛けることも出来ずにずっと見つめている男の子というイメージがあります。
「かたく握りしめた手」はその女の子の心を象徴的に表現しているのだと思います。


8. 雨  (作詞:宮崎吾朗・谷山浩子 作曲:谷山浩子)

<一番もの悲しい歌>

 映画で雨と言えば、海ちゃんが俊君から自分達が兄妹だと告げられて悄然と帰宅する場面です。
 この場面、意図的なのか海ちゃんの表情などが見えません。
 ずぶ濡れで家にたどり着いた状態、「すごかった」と言われる夕食を作っている情景もありません。布団にうずくまっている様子が見えるだけです。
 そのときの海ちゃんの心情が歌詞に仮託されています。


9. 初恋の頃(ALBUMバージョン)  (作詞:宮崎吾朗・谷山浩子 作曲:谷山浩子)

<一番可愛らしい歌>

 誰もがこういう状況に憧れる時期があり、でもそれを手に入れるというか体験できるのはある意味運のいい人に限られます。
 努力ではどうしようもない面があります。それはさておき。
「ただそれだけで わたし よかったの」という部分は、「あの頃」を過ぎた二人がどうなったのかについての微妙なニュアンスが含まれています。
 もし「よかったのに」と「に」が付いているのであれば、その後の破局なり離別なりを暗示します。
 この歌の歌詞には「に」が付いていませんので、純粋に「あの頃はそうだった」と述べているだけで、その後については言及していないとみなすこともできます。
「その距離がなぜか とても愛しくて」の部分がいいなあ。
 多くの場合初恋は実りません。
 でも海ちゃんと俊君はうまく行ったのだろうと思いますし、思いたいです。


10. 赤い水底  (作詞:宮崎吾朗 作曲:武部聡志)

<一番嫌いな歌>

 原作では遭難となっていますから、海ちゃんのお父さんが戦争で亡くなったという設定は映画でのオリジナルです。
 どうなのかなあ。あえて戦争にする必要があるのかどうか。
 しかも朝鮮戦争でというのがまたその意味付けが微妙で。
 戦争に奪われたと言ってしまうと、お父さんの死が空しいものになってしまうのではないでしょうか。
 お父さんがどういう思いでその任務に就いたのかを考えるべきだと思います。


11. 紺色のうねりが  (作詞:宮崎駿・宮崎吾朗(原案:宮沢賢治) 作曲:谷山浩子)

<一番歌いたい歌>

 東日本大震災との関連については敢えて述べません。
 いまのところ、宮沢賢治の原案がどのようなものなのかその情報にたどり着けないでいます。
 タイトルが「紺色のうねりが」でありながら、歌詞の内容はそのうねりを否定するものとなっています。ちょっと不思議な気がしますが、「が」が付いているからまあいいのかな。
「未来から吹く風」と「透明な宇宙の風」の重複もちょっと気になります。
「未来から吹く風にセイル」をあげたら過去に行ってしまわないかとも。
 そんな野暮な突っ込みはともかく、旧制校の寮歌か応援歌を思わせるこの歌(設定では生徒会歌)は、手嶋さんの独唱版でも、映画で使われている合唱版でもどちらも聴いていて心地よく、ワクワクしてきます。
 歌詞に込めた作詞者の意図はともかく、カラオケですぐにでも歌ってみたい歌です。
 映画では海ちゃんの友達である悠子ちゃんのソロから始まります。あんぱんが好きなこの悠子ちゃんのキャストは映画内やパンフレットなどに記載されていません。当然のこと手嶌葵さんなのですが、ビジュアルガイドの58ページでそれがようやく確認できました。


12. 愛をこめて。海  (作詞:宮崎吾朗 作曲:谷山浩子)

<一番健気な歌>

 この歌も映画の内容と異なる物語を歌っています。
 全く違うのではなく一番は映画と同じ内容になっていますから、その後の二人の有り得る一つの物語を示していると考えることも可能です。
 手紙形式になっており、「去年より背が伸びました」の部分は書き手がまだ若いことを表しています。
 設定としてはありがちですが、「わたしはもう一人でも漕ぎ出すことができると知っていた」の部分が、「わたし」が自分に言い聞かせていることのように思えて、健気さが引き立つのです。


1. さよならの夏~コクリコ坂から~  (作詞:万里村ゆき子 作曲:坂田晃一 <映画主題歌>)
13. さよならの夏~コクリコ坂から~(主題歌別バージョン) (作詞:万里村ゆき子作曲:坂田晃一 <映画主題歌 ※1曲目とは別バージョン>)

<一番扱いに困った歌>

 主題歌に付けたキャッチが「扱いに困る」とはあんまりだと自分でも思います。
 なぜ既存曲を主題歌にしたのか、内容が映画の主題と合ってないのではないかという疑問が大きいのです。
「さよなら」は、誰が誰に向かって投げる言葉なのでしょうか。
 歌詞の2番はこの映画のために作詞者が書き下ろしたものだそうです。
 なのに映画ではカットされたその2番ですら、映画にマッチしているとは思えません。
 出来の悪い歌ではありません。いい歌で、好きです。だから困るのです。
 この曲を主題歌にしたかったのは駿監督だそうで、あの爺さんの妙なこだわりが悪い形で出たのではないかと思います。
 13は1の別バージョンですが、アレンジの傾向は殆ど同じです。1の伴奏から幾つかの楽器パートが削除されてピアノ主体になっているだけなのかもしれません。
 私は1のほうが好きかな。
 切ない三拍子のリズムがより哀愁を帯びて聞こえます。

スタジオジブリ・プロデュース「コクリコ坂から歌集」スタジオジブリ・プロデュース「コクリコ坂から歌集」
(2011/07/06)
手嶌 葵

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コクリコ坂からビジュアルガイド(A)とコクリコ坂からカードブック(B)を買いました。

(A)には細かな情報が含まれていて、私が前々回書いた映画感想、前回書いた原作感想で色々推定しながら書いた部分がある程度明確になりました。
先にこれを読んでから書けばよかったな。

・父親達の学校は東京高等商船学校だった
・俊君が飛び込んだのは防火用水槽だった
・P40上に「猫の欄干」と書いてあるのは「欄間」の間違いか
・横浜MAPでは映画内での建物などの位置関係は明示してない

(B)は名場面が沢山収録されていて楽しいです。
でも、私が一番気に入ったシーンはありませんでした。
それは、海ちゃんが最初にカルチェラタンに行って、俊君の席でガリを切る場面です。
その横顔が一番好きなのです。ww

コクリコ坂からビジュアルガイド~横浜恋物語~コクリコ坂からビジュアルガイド~横浜恋物語~
(2011/07/16)
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映画の感想はこちら 映画「コクリコ坂から」感想
原作の感想はこちら 「コクリコ坂から」原作感想


「コクリコ坂から」原作感想
「コクリコ坂から」の原作コミックを角川文庫版でようやく読みました。

コクリコ坂から (角川文庫 み 37-101)コクリコ坂から (角川文庫 み 37-101)
(2011/06/23)
高橋 千鶴

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前回の映画感想に書いたように、あの絵柄からなかなか手が出なかったのです、
映画を3回見た時点でやはり読んでおこうと思って買いました。
今日時点で映画鑑賞は4回です。かみさんが呆れてる。w


原作は雑誌掲載が1980年1月から8月だそうで、私が大学2年から3年にかけてです。
その頃の私は、妹が買っていた「LaLa」と「花とゆめ」、そのコミックスと集英社系を少し読んでいました。
でも「なかよし」講談社系のは全く目にしていませんでした。(講談社系には少女マンガに限らずその後も、今もあまり縁がありません)

原作者付きのマンガなので、ストーリーはよくできています。

でも、まずもって風間、水沼両名のキャラとしての筋がよくありません。
やんちゃと言うには性質(たち)が悪過ぎるのです。
賭けマージャンによる公費使い込みとあくどい手段での穴埋めの画策、飲酒、喫煙。
制服廃止運動すら純粋な動機からではなく、新聞売り上げのために起こした騒動でしかありません。
いくらその世代の女の子が少しワル振った男の子に惹かれるのだとしても、普段の彼らはそれを隠しているのだから、こういう設定にした理由が理解できません。

海ちゃんは周りに振り回され過ぎで、その発言や行動に本人の意思がなかなか明確に現れていないのが残念。
婆さんのキャラ設定は安っぽいし、学生芸者の自己中心的言動も気に入らない。
映画では女性にされてしまった北斗さんの存在と海ちゃんの彼への恋心もあまり意味が見出せません。

なので読んでいて楽しさはあまり感じられず、むしろ軽い嫌悪感がありました。
駿監督がこのマンガを気に入って長年映画化を検討していたのだそうです。
どこら辺が気に入ったのかよく分かりません。

8/20追記
 「脚本コクリコ坂から」に収録されている宮崎駿氏による「企画のための覚書」を読むと、駿氏自身も原作は「結果的に失敗作である」と認識しているようです。
 何をもって失敗とみなすかには、私とはちょっとずれがあるようですけど。
追記終わり

映画はかなり大胆に設定、ストーリーを変えています。
比較することすら無意味に感じるくらいです。

私が原作で唯一いいなと感じたのは、自分達が異母兄妹だと告げられたときに海ちゃんが言った「どうすればいいの」という科白です。

私はこの「どうすればいいの」が映画の中で一番好きな科白なのです。
雨の日の学校帰り、自転車を押す俊君と二人で赤い傘に入って歩いている場面です。
ちょっと考えれば「どうすることもできない」ことはすぐに理解できますが、それでもそれを口にせざるを得ない戸惑いがよく現れています。
だから、てっきりこれは映画オリジナルの科白だと思っていました。
原作は描写の雰囲気からみて、海ちゃんの心理をそこまで考えて付けた科白ではないのかもしれませんが、映画での動作、表情はこの科白にとてもいい味を出していると感じました。

海ちゃんが掲げる旗は、原作では英国ユニオンジャック、米国星条旗、仏国トリコロール(色がないので確認不能)と、毎回違った各国の国旗になっています。
これなあ。
「自分の土地に外国の国旗を掲揚することの意味合い」を何も考えていないんでしょうね。

日本人は国旗を掲げることにどのような意味があるのが学校で教わりません。
旗が掲げる行為は、その場所が旗が表す国家や団体の領域(領土、支配地域)であることを宣言することです。
日本では各国大使館、在日米軍基地などがこれに当たります。
江戸時代の長崎出島にはオランダの国旗が掲揚してありました。
逆に、PKOなどで自衛隊が駐留しているところには日の丸が掲揚されています。
だから考えなしに外国の旗を掲げると、その意味を知っている人にはとても奇異なものに見えます。日本人同士であれば「ああ、何も考えていないんだな」と解釈してくれますが、外国人には意味不明に見えるはずです。

本当の国際人に育てるには学校でちゃんと教えなければならないのに、変なイデオロギーのせいでそれを避けているのかなあ。

これの例外として「外国からの来客に敬意を表するため」ということがあります。

とにかく旗(シンボル)には重要な意味があります。
それを焼くのは最大級の侮辱ですし、格好いいからとかファッションでとかその程度の認識で外国旗のデザインを平気で身に着ける人がいますが、そんなに軽いものじゃないんです。

じゃあイタリアレストランにイタリア国旗が掲げてあるのはどうなんだという疑問が湧きます。
商標的な意味合いが強いこの行為が、外国でもあることなのか、それとも日本だけの習慣なのか、私にはわかりません。
これはここで私が言いたいことの例外ですらない除外事項だと思って下さい。

映画では外国国旗ではなく国際信号旗で、しかも「御安航を祈る」という重要な意味付けがあります。

原作には他にはこれと言って言及することがありません。

なので以下は映画で思ったことを幾つか列記します。
映画の感想本体、及び舞台挨拶の抽選会で腕時計が当たったエピソードは前回の日記映画「コクリコ坂から」感想を参照して下さい。

・海ちゃんの家の廊下にある猫の浮き彫りの欄間(あれを欄間と呼んでいいのかどうか知りません)の意味が分からない。
 猫のことは他には出てきません。
 あ、俊君が指を怪我したのは猫のせいだった。でも関連薄いか。

・昭和38年時点で横浜の住宅地はまだ道が舗装されていなかった。
 私の田舎で、生家の前の道が舗装されたのは昭和40年頃です。
 あまり違わなかったのかな。
 雨が降るとぬかるんで、長靴でなければ歩けませんでした。

・セーラー服のスカーフが学年で色が違う
 名札での色分けとかなら目にしたけど、あれほど目立つ設定もあるのですね。
 3年女子が表面に出てきませんでした。あえて出さなかったのでしょう。
 原作はブレザー風です。
 しかもいくら制服廃止運動中とは言え私服での通学が可能ってどういうことなのでしょうか。

・カルチェラタンで本とバケツが滑車で上下していたのはなぜ?
 何のためにそれをしていたのか分かりませんでした。
 魔窟の雰囲気を出すためかなあ。
 アリエッティーのエレベーターを彷彿とさせます。

・俊君の戸籍がそのままなら二人は結婚できない
 原作では虹江母さんが戸籍訂正しなきゃねと呟いています。
 家裁に行かなければなりません。証明がちょっと面倒でしょうね。

・空ちゃんが買った俊君の写真30円
 当時、普通にプリントして一枚幾らだったのでしょうか。
 海ちゃんが「そんな写真が30円?」と呆れています。
 10円くらいかなあ。

・海ちゃんが毎日花(映画ではヒナゲシ=コクリコ)と水を上げている写真は爺さん?
 あの写真はどっちだったか、よく分かりません。
 婆さんの部屋に仏壇があるのかもしれませんね。

・あの時代における高校生世代での男女交際への認識
 婆さんの「早くいい人が見つかって旗を揚げなくなれば」という発言、北斗さんの「風間君とうまくいけばいいね」という発言、結構みんな肯定的です。
 クライマックスでカルチェラタンから二人でエスケープするシーンで、他の生徒の反応が冷やかすというより、妙に暖かだったのは単なる演出かな。

・小野寺船長の気持ち
 既に亡くなった親友の息子と娘が会いにきてくれた嬉しさはよく伝わってきます。
 あの3人は海軍兵学校なのでしょうか。それとも東京高等商船学校かな。
 制服を見ても私には判断がつきません。でも後者の可能性が大です。
 昭和38年に俊君は18歳で、生まれが昭和20年終戦の夏以降。だから結婚は早くてもその前年という厳しい時代です。
 高等商船だとしても、卒業後のその時期は戦争に召集されているんじゃないかなあ。

 ここから先はただの妄想です。

 あの数年後、俊君と海ちゃんが結婚するときは、小野寺船長に仲人をお願いするのでしょう。
仲人挨拶の内容とそれを述べる感慨すら想像できます。
 徳丸理事長が披露宴の主賓。水沼君が友人代表スピーチ。
 会場がカルチェラタンだったらなおいいなあ。w

 俊君は見習いの航海士で、海運不況が来る前だからよく働いて稼いでいる頃です。
 海ちゃんは将来的にはコクリコ坂のあの家で開業するにしてもその時点はまだ医学生かな。
 そして、海ちゃんは結婚後もずっと、良人の無事を祈って旗を掲げ続けるのでしょう。




8/17追記
8/16に5回目行きました。
このブログにコクリコ坂関係の日記を「映画感想」「原作感想」「歌集感想」と3つ書きました。後の2つはGoogleなどで検索すると検索語によっては一番目に表示されます。
しかし映画感想のほうは、普通だれもが検索するであろう言葉で(例えば「コクリコ坂から 感想」)は500番目以降にしか表示されません。
そのせいもあって、現時点で各ページの閲覧数比は1:2:1で原作感想が圧倒的です。歌集が少ないのは多分それで検索する人が多くないからでしょう。
私が読んで頂きたいと思っているのは映画感想なのです。
なので、このページや歌集感想ページにリンクを入れていますが、なかなかクリックしてもらえません。
現時点で5回も行った映画の感想ですから、よかったらそちらも読んで頂ければ嬉しいです。

映画の感想はこちら 映画「コクリコ坂から」感想
歌集の感想はこちら 「コクリコ坂から」歌集感想

その上で、コメント(これも3件合計であれだけの数の閲覧があるのに今のところ1つ頂いただけorz まあ、つまんない文章でコメントの価値もないのかもしれませんけど)を書いてもらえたら飛び上がって喜びます。
書くのが面倒だったら「拍手」(「読んだよ」ボタンだったらいいのにw)でもいいんです。
あれだけ文章書いて、あれだけ閲覧があって、誰からも無反応ってのは本当に凹みますから。
8/17追記ここまで

8/22 追記

現実は凹凹ですなあ。ww
ほんと皆さんキレイに冷たい。かまってちゃんなんか相手にしてられないですよね。
まあそれが現実で、しょうがないから。 いいです。
それに17日追記後にこのページで拍手一つもらえたし。
ありがとうございました。

ところで、昨日、映画の感想をもう一つUPしました。 「コクリコ坂から感想 映画について改めて
今回のは映画に真正面から向き合って、かなり真面目に書いています。


8/22追記ここまで

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2013/1/12 0時 緊急追記


昨夜の金曜ロードショーは「コクリコ坂から」でした。
テレビ初放送です。

それが始まった21時から、このブログの閲覧数が激増しました。
その大半が「コクリコ坂」関係の検索からです

23時の時点で普段の約5倍。その半数以上が21時以降です。
つまり21時以前にも普段の倍の閲覧が入っていたのです。
23時以降も続々とアクセスがあって、ついに10倍になりました。

普段でもそこそこの閲覧があっているのでこれは驚異的です。

すごいもんだなあ。

つでに、今日は「大学生ハルヒ」というキーワードも多いんです。
これは理由が分かりません。何かあったのかな?

2013/10/20 追記

10/16にコメントをくださったルナさん。
返信もうちょっと待って下さいね。
映画「コクリコ坂から」感想
7/31に映画「コクリコ坂から」を見に行きました。

終わってから、主題歌を歌っている手嶌葵さん、ジブリの広報部長さん、ジブリ美術館の館長さんの舞台挨拶がありました。

地方都市で、その土地にゆかりのない作品の舞台挨拶があるのはまれです。
ここ数年長崎では、福山雅治さん主演の「容疑者Xの献身」、なかにし礼さんの「長崎ぶらぶら節」くらいです。(どっちも行っていません)

東京に住んでいたときは、斉藤由貴さんの「おいしい結婚」の初日舞台挨拶に行ったことがあります。(当時ファンだったので)7/31に映画「コクリコ坂から」を見に行きました。

今回は監督やキャストではなく、歌手とジブリ関係者だけということで、満席にまではなりませんでした。
そのおかげてチケット発売3日目に前から3列目という席が取れたようなものです。

ゲストの三人が並ぶと、おっさん二人のほうがキャラが立っているように見えました。
手嶌さんは背が思ったより高かったけれど、大人し目の雰囲気でした。

東京での舞台挨拶では主題歌を歌ったとの情報があったので、少し期待していました。
でも流石にそれはありませんでした。

トークが済んでこれで終わりかなと思っていたら、司会者さんが「ではこれからプレゼントの抽選会を行います」と宣言して、場内に少しどよめきが起きました。
事前アナウンスにはなかったのです。

作品の絵やロゴの入ったピンバッジ、バンダナなど3品のグッズが座席半券(劇場側に渡したほう)を使って抽選され3人にプレゼントされました。
「ああ、外れた」と思っていたら、「まだあります、非売品の腕時計です。手嶌さん引いてください」「はい、Cの7番です」。

どっひゃー。娘が当たりました。

盤面に海ちゃんの絵(ポスターになっているやつ)が載っている腕時計で、ケースには三人の直筆サインが書いてあります。
映画パンフレットの最後のページによると、ローソンでのキャンペーンプレゼント用品らしいです。

手嶌葵さんのサイン入り非売品腕時計(クリックで拡大します)
腕時計


でもこれ、後で一悶着がありました。
私と娘と長男の3人で行って、座席はC-5,6,7でした。
C-5を大人の金額で買ったので、入場時は私が5、娘が6、長男が7の券で入りました。
でも実際の座席は適当に座ったので5が長男、6が私、7が娘になったのです。
抽選会が始まるときに、手持ちの半券を座席に合わせて交換しました。
だから、本来当たったのは長男だったのです。

それでも今更長男に渡せとは言えないので、そのまま娘の所有物になりました。
だって感激して泣いていたのですから。

抽選会が終わって、「午後2時からJR長崎駅のかもめ広場でミニライブがあります」とのアナウンスがありました。

これは行かざるを得ません。
長男は部活があったのでそこで別れました。

娘と二人、路面電車で4つ目の長崎駅に着いたのが12時丁度。かもめ広場に会場が作ってあってベンチが並んでいましたが、まだ開始の二時間も前なので一人が座っているだけの状態でした。
それから軽い昼食をとって、12時半に会場に行ったら殆どの席が埋まっていました。
読みが甘かったですが、まだギリギリ空いていた席に別れて座りました。
その後から来た人は全て立ち見です。

それから待つこと一時間半。
ライブでは先の3人のトークのあと、3曲だけ歌が披露されました。
「上を向いて歩こう(CD未収録)」「朝ごはんの歌」「さよならの夏 ~コクリコ坂から~」

その後、CDの即売会と、CD購入者への手嶌さん自らによるサイン色紙の手渡しがあったので、娘にせがまれてCD2枚を買うことになりました。

娘は、7/12にあったこの映画の試写会を私が娘の名で応募して当たった招待券で一度見ています。
本人のではない運でいい思いをしているやつです。

尚、舞台挨拶とミニライブの様子は、公式サイト内にある手嶌さんのブログで見ることが出来ます。
挨拶の写真の右下暗がりに私が座っています。(見えませんw)


==

さて、映画作品の感想です。

8/5追記  うーん。抽選会やらミニライブやらのインパクトが強かったせいか、作品内容の記憶がかなりいい加減になっていました。8/4の会社帰りにもう一度見にいったら、話の前後関係など勘違いしている部分があることに気付きました。
なので、以下の感想は一部追記訂正します。
追記部分は「/* */」で囲います。

ネットで多くの方が「ゲドがあれだったので期待していなかったけれど面白かった」という趣旨のことを書いています。
私の感想も全く同じです。

もう一山、二人を邪魔する事件か人物があったほうがよかったかなという気もしますが、それを差し引いてもいい作品だと思いました。

/* この部分は撤回します。全体の流れからみて「もう一山」を入れる余地はないし、現状で過不足なくいい作品だと思います。*/

海ちゃんの設定が秀逸なのです。

・健気さを感じさせない健気さ
  変な表現ですが、見た人には分かってもらえると思います。
・親しみを持てる凛々しさ
  これも変な表現だw。凛々しさと言うのはちょっと違うかな。何と表現したらいいのだろう。ピンと背筋を伸ばした清々しさということろでしょうか。
・母親にだけ見せた脆さ
  脆さという表現も間違っているかも。「晒すとこのできた本心」ですよね。

幼いうちに父親を亡くして母親も留守勝ちなのに、どうやったらあんな風に育つのでしょうか。
現在のうちの娘と同年齢です。うちのはもう遅いか。w

ナウシカ、シータ、キキ、雫、ハル、千尋、アリエッティ
ソラで名前が出てくるジブリヒロインはこんなもんかな。
名前を思い出せない他のヒロインを含めて比較しても、これまでになかったタイプの一番好感を持てるヒロインだと思いました。

余談ですが、駿監督作品のヒロインは、その監督の思い入れが強すぎて少し色を付けすぎてあるように感じます。
ナウシカなんかはあそこまで行くと、(親しみを感じないわけではないけれど)畏怖とも言うべき高貴な近寄り難さがありますよね。
コクリコ坂からも脚本は駿監督だからある程度はその影響が出ているのでしょうけれど。

本作品の原作コミックはまだ読んでいません。
以前本屋で見かけたとき、あの絵柄が好みではないので手を出せなかったのです。
(私は少女マンガへの忌避感は全くありません。でもたまに受け入れられない絵柄があります。花より男子もそうでした)

なので、原作との比較はできません。
かなりストーリーは変えてあるらしいので、以下は映画のみが対象です。

1963年時点での高校での学生運動がどのようなものだったのか、私には殆ど知識がありません。
私はそのとき4歳。田舎だったし、世代的にも学生運動が終息した後なので、テレビのニュースや本の記事で見聞きした程度のことしか知りません。
そういった情報にほんの少しだけ高校での状況の記載があって、「都会では高校にも学生運動があったんだ」と知った程度です。

吾朗監督は私の8つ下だからもっと知らないはずですが、駿監督や高畑勲さんといったあたりから話を聞いているのかもしれません。

でもまあ、「カルチェラタン保存運動」は、闘争というより、微笑ましいレベルでの描き方だったからよしとしましょう。

その運動をきっかけとした海と俊の恋愛と、それに影を落とす親の世代の物語は、ありきたりと言えばそれまでとしても、変な屈折をしていない分だけ新鮮に感じました。

ガリ切りはやったよなあ。
中学のときやっていたバンドの真似事のコンサートプログラム作成とか。
字の綺麗な女の子に頼んだりしてね。
私はどっちかというと水沼君の立場でしたけど。
今ならワープロだから女の子に頼むなんて有り得ないことでしょう。あ、入力とレイアウトがあるか。

私は徳丸理事長に直訴に行く場面がこの映画のハイライトだと思っています。
異論があろうことは承知の上です。
(実際には非公式だけど)公式の用事でみんなを代表していつもと違うことをする、しかもそれに女の子が同行する、というところが私としてはツボなのです。

3人で出掛けるあのイベントはもう少し濃く描いて欲しかったです。
特に電車の中での会話などをね。

/* ここ、異論もなにも、やはりハイライトでしたね。気を利かせて水沼君が姿を消し、二人で電車に乗って横浜に戻り、埠頭を歩きながらの会話、電停での告白。この横浜に戻ってからの部分と、東京に行って理事長に会う部分が上の文章を書いたときには私の記憶の中で分離していました。電車の中での会話は不要です。*/

それと、理事長が物分り良過ぎなのがちょっと残念でした。
もう少し頑固で、だけど生徒の熱意に打たれてという展開のほうが(それはそれでありきたりですが)よかったんじゃないかなあと思います。

それにしても、理事長、海に触りすぎですよね。w

/*すいません。理事長は一回しか触っていませんでした。社長室で、海ちゃんのことを色々しつこく聞き出したのが触ったという記憶にすり替わっていたようです。*/

エスケープという言葉は懐かしかったです。
いえ、勿論「ESC」キーでほぼ毎日使ってるんですけど、授業をさぼって抜け出すという意味があることはすっかり忘れていたのです。
私は高校ではその度胸はなかったけれど、大学はよくさぼっていました。

北斗さんの送別会に男の子達を呼んだことは、俊が写真を見るためにストーリー上必要なことではありますが、ちょっと不自然に思えました。

/*うーん。北斗さんは水沼君の姉ちゃんと同級生か。男の子達を呼ぼうという提案が、北斗さんから海ちゃんへのいい意味でのお節介なのであれば、不自然ではないですね。*/

物語の核心の部分についてはこれ以上触れないでおきます。
私のこの文章を今読んでいて、まだ映画を見ていないという人は殆どいないでしょうけれど。
///***すみませんなし崩しにネタバレが入りました***///


/*/* この項は新規追加です。

 2011年7月15日付産経新聞文化欄に吾朗監督の次のような発言が載っています。

「以前は建物の位置関係など、設定に合わせて人物を動かしていたが、今回はドラマを気持ちよく進めるためには、平気でウソをついた」

 これがどの部分を指すのか一回目には分かりませんでした。
 二回目に「ここかな?」と思ったのは、海ちゃんがカレーの肉を買いに家を出たときに俊君が自転車で通りかかるシーンです。彼の通学路がわざわざ坂を登った海ちゃんの家の前を通るはずないですよね。いやまあ、絶対にないとは言えないけれど、それであれば話の展開がまた違ったものになると思うのです。

「思わせぶりな演出をしていたら話が重くなったので、全体的に切りつめてリズミカルにした。そのせいか、登場人物に寄り過ぎず離れ過ぎない、心地いい距離感が生まれた気がする」

 二回目見終わって、ストーリーが実によく練られていると感じました。
 週刊カルチェラタンのコラム、屋根からの飛び込みでの鮮烈な出会い、妹に頼まれてカルチェラタン訪問、ガリ切りの依頼。恋の始まりとしては自然でキュートだし、その後の海ちゃんの心が揺れる様子もよく描かれています。

 切り詰められたせいで、ある程度想像を働かさなければ理解できない場面もあります。
 例えば、海ちゃんの母親が俊君の父親に喫茶店で会ってどういう話をしたのかなど
/*
 松崎母はどこに電話したのかな。
 風間父はその時間もう船に乗っているから家には勿論、会社の事務所にもいないはずですよね。タグボートに電話はないでしょう。
 喫茶店で会ったのが昼ならば午前中にコンタクトできなければおかしいです。
 無線で呼び出すほど切迫している訳でもないし。
 まあ、たまたま事務所にいたとしましょう。

 会って話をしてから風間父は事務所に戻り、小野寺船長の所属する会社に電話する。
 今、横浜港にいてまもなく出航すると聞かされる。
 船舶電話で航洋丸に電話して小野寺船長に事情を話す。
 それから学校に電話を入れ、息子を呼び出した。
 こんな流れかな。

 前夜、海ちゃんが母親の前で泣いたことが、このクライマックスを呼び込んだということになります。
*/
 そういう部分は何度か見なければ分からないかもしれないけれど、見る度に新しい発見があると捉えることもできるのでむしろ面白いのではないかと思います。

 ところで、コラムの詩の件でクラスメイトが「松崎のことであったか」とつぶやく場面は、その意図が今でもまだよく分かりません。
 そもそも、俊君は旗を揚げる少女が海ちゃんであることを知っていたのでしょうか。知らなかったのならばなぜ「少女」だと思ったのでしょうか。
 彼が海ちゃんに恋心を抱いたのがいつからなのかがちょっと見えないですね。

 あれ、待てよ。
 帰宅時の通学路(朝は途中まで船、帰りは全経路を自転車)が海ちゃんの家の前を通るのなら、時間帯がずれているからあまり会わないにしても何度かはその姿を見る機会はあるでしょう。
 ということは、旗の家の少女が同じ学校の生徒であることは分かっている。
 しかし、旗を揚げている人物が誰なのかは船の上からは見えないのだから、少女と決め付けるのはおかしい。
 これは朝から何等かの理由で父親の船が出ず、自転車で登校してそのときに海ちゃんが旗を揚げている場面を目撃したのだとしましょう。

 となると、俊君はそれが海ちゃんだと分かった上であの詩を書いたということになります。
 つまり俊君は海ちゃんのことを彼女が彼を意識する前から知っていて、恋愛感情とまではいかなくても興味を持っていたという解釈は可能ですね。
 だから旗の応答をしていたし、あの詩も書いたと。

 その上で、屋根からの飛び降り事件で手を握った相手が海ちゃんだったことで、感情に火が付いたと考えたら面白いかな。
 でもこれは上で私が「監督が意図的についたウソ」だろうと考えたことを前提としているから、自己矛盾で全く的外れかもしれませんけど。

//** 再追加開始 8/9

 数学研究会のクラスメート(名前忘れた。吉村君だったっけ吉野君でした)の「ボトルメールを海に流すようなやり方だな」という科白から、俊君はその少女が海ちゃんであることを知らなかったということも有り得ます。
 屋根からの飛び降りの後、ため池(プールにしては狭すぎるから防火用水かな)で手を取ってくれた二年女子が松崎海と言い、それが詩の少女であることを吉野君から聞いた。だから編集部に海ちゃんがやってきたときに驚いた顔をした。
 このとき、詩の少女が海ちゃんであることを水沼君も聞いていた。
 こちらの解釈のほうが、流れとしては自然かな。
 但しこの場合、詩で「少女」と決め付けている理由は分からなくなります。

 それにしても水沼君は勘がいいのでしょうね。
 編集部で海ちゃんにガリ切りを頼み、空ちゃんを一階までエスコートすることで二人っきりにしてあげた。
 北斗さんの送別会に行って生垣の隙間から覗いたとき、二人の表情を窺っている。
 カルチェラタン清掃作業のとき、二人の雰囲気がおかしくなったことに気付いた。

「一歩前進」と書かれたトイレの場面で、「お前、何かあったのか?」と聞いても俊君が否定しています。
 ということは、少なくともその時点では俊君は兄妹の関係を話していません。
 その後、東京からの帰りに姿を消して二人だけにしてやる気遣いをしています。
 その前、理事長への直訴に海ちゃんも誘ったことには、女子を連れて行くことで理事長が動いてくれるかもしれないという計算が含まれるでしょうが、関係がおかしくなっている二人をどうにかしてあげようという意図もあったような気がします。
 結果、「血がつながっていても好き」という告白に至るのですから、その差配は見事だと思います。

 理事長によるカルチェ見学のとき、俊君が海ちゃんを連れ出したのを「人生の重大事が発生した」と報告しました。
 東京行きの翌日、理事長が来る前に血縁のことを俊君から聞いていたのであれば、二人のエスケープを見て「何か重大事が発生したな」と感づくことは比較的簡単でしょう。
 でも、俊君は話していないんじゃないかなあ。
 水沼君、クールなようでいて、とてもいいやつです。

 再追加ここまで **/
 新規追加ここまで */*/

音楽はとてもいいと思います。
手嶌さんが歌って映画で使われたのは主題歌を含めて4曲。
CD「コクリコ坂から歌集」に収録されている曲はバラエティーがあって、それでいて統一感があります。
ジャズ風アレンジのアップテンポな曲もいいし、しっとり心情を歌った曲もいいし。
谷山浩子さんの曲をまとめて聞くのは久しぶりのような気がします。

スタジオジブリ・プロデュース「コクリコ坂から歌集」スタジオジブリ・プロデュース「コクリコ坂から歌集」
(2011/07/06)
手嶌 葵

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各曲のレビューを描きました。興味があればこちらからどうぞ。CD「コクリコ坂から歌集」感想


主題歌「さよならの夏」は1976年のテレビドラマの主題歌をカバーしたものだそうです。
そのことを知らなかったときは、歌詞に映画の内容とかなりずれがあるように感じてなぜだろうと思っていました。

映画のキャッチコピーである「上を向いて歩こう」も、確かに坂本九さんがテレビで歌っているシーンがあるのですが、それほど意味のある場面ではないし、映画のテーマとも微妙にずれています。

/*「上を向いて歩こう」は海ちゃんが俊君の自転車の荷台に乗って坂を下り、商店街に行くまで聞こえています。あの年代を表現するには最適な歌です。でもストーリーとの関連は薄いと思います。*/

プロが考えたことだから、私が思い至らないような意味、思惑があるのかもしれません。
でも、主題歌、キャッチコピー、それを全面に出した予告映像は、本映画を端的には表していないのではないか、この映画の持つ良さを表現しきれていないのではないかと感じました。

ところで1963年という設定は、学生運動や朝鮮戦争との関連で選ばれたのでしょうか。
//**出生に秘密を持たせるには終戦直後の生まれがいいということもあるでしょう**//

それにしても舞台挨拶で、ジブリ関係者は絶対に「昭和38年」とは言わなかったなあ。
平成生まれの人には昭和で言ってもピンと来ないせいかもしれませんけどね。
三丁目の夕日は「昭和」を前面に出しているのにね。

それはともかく、上にも書いたようにそのとき私は4歳です。
翌年の東京オリンピックはテレビで見た記憶が残っていますが、4歳の記憶はあまりありません。

その時期、つまり自分が生まれた後に製作された映画を見ていつも思うのは、「あの空の向こうのどこかに俺がいる」ということです。
コクリコ坂からはアニメだから、描かれている空も平成になって「作られた」ものにすぎません。
でも、その描かれた空を見ながら、実写の映画と同じ感慨が浮かんできました。
俊君、海ちゃんが青春を送ったあの時代、あの空の向こうのどこかに、幼い私がいるのです。

高校生(中学生でもいいです)の本質ってやつは、環境の違いから持っている情報の量が違うことによる差はあるにしても、時代に関係なくあまり変わらないのではないかと思います。
大きく違うのは見た目ですね。
海ちゃんのような(見た目の)女子高生は横浜の街にまだいるのでしょうか。

私が20年前にUターン転職して長崎に帰ったとき、一番驚いたのは女子高生の髪型でした。
私が現役の頃と全く同じだったのです。
東京であちらの女子高生の奔放な髪型に見慣れた目にはとても懐かしく、「有難やぁ」という気持ちでした。w
まあ、本人達は嫌なのかもしれませんが。
でも地方都市の保守性、頑なに昔からのルールを押し付ける姿勢は、現役のときは嫌でも、大人になって街の風景として眺めた場合、それはとても貴重なもの、守りたいものとなるのです。
単にノスタルジーだけではない、地域としてその世代にかくあって欲しいと期待することの一つとして存続していけばいいなと思います。

/*その後20年が経過して、学校によっては規則が緩くなってきているようです。でも変わらない学校もあります。*/

高校の学生運動でよくテーマになった(であろう)、制服廃止、髪型自由化は、そういう思いに対抗するものです。
Wikipediaで読んだら、原作で扱っていたのは制服廃止運動だったそうです。
この映画の運動がそれではなく、建物の保存運動だったのはとても良かったと思います。
これはある意味必然ですね。
制服廃止運動であれば、それが成功した暁には海ちゃんのセーラー服姿が消えてしまうのだから、そんな映画を作るはずがありません。w

さて、あと何回見に行くことにしましょうか。
海ちゃんに会えるんだったら何回でもいいなあ。ww
/* 今のところ2回 */
//** 8/6夕方3回目 **//
///*** 8/8会社帰り4回目
今回は主に俊君、海ちゃんの表情、視線の動きに注目しました。
それまでの回で、特に水沼君の視線にとても意味があることに気付いていました。
主役二人も、細やかな動きを見せてくれます。

8/9 NHKの「ふたり」はまだ1/3くらいしか見ていません。
ちょっと事情があって、録画映像を簡単に見ることができないのです。

8/16 5回目観てきました。

8/18 6回目行きました。
17:50始まりの回が唯一TOHOで一番広いスクリーンでの上映で、時間的にも会社帰りにちょうどいいのです。
なので、舞台挨拶のあった1回目と、UNITEDCINEMASに行った2回目以外はいずれも同じ時間同じスクリーンにしていました。
前日から「日本語字幕版」の上映が始まったらしく、今回私が見たのもそれでした。
前回までなかったドルビーサウンドになっていて、音はとても良かったです。
小鳥の囀りや、カルチェラタン内でのリコーダーの音もはっきり聞こえました。
ところが字幕付きの画面は動く部分の輪郭線がチリチリしていて、さらにベタ部分の色はザラザラしていてるし、ノイズは目立つし、とても残念でした。
他の映画館から回ってきたフィルムなんでしょうね。
しかも、字幕はやっぱっり駄目です。
ついついそっちに目が行って、表情などを見逃してしまうのです。
でもこれまで5回見て聞き取れなかった台詞も確認できたし、まあよしとしましょう。
脚本を買えばいいんだ。w
次行くなら字幕無しのほうだな。


***///

原作感想と、映画を見て思ったことの幾つかを次の日記に書きました。
「コクリコ坂から」原作感想

コクリコ坂から (角川文庫 み 37-101)コクリコ坂から (角川文庫 み 37-101)
(2011/06/23)
高橋 千鶴

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ここから下にはコクリコ坂からとは関係のない内容の文章を載せていました。
あまりに長いので、他の日付けの日記に移しました。


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すいません。コピペの失敗で同じ文章が二重になっていました。
自分のブログってなかなか見ないんですよねえ。
さっき気付いて削除しました。 2011/9/27


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