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「初音ミクの消失 小説版」感想
書店でコミックの新刊コーナーにありました。w

初音ミクの消失 小説版初音ミクの消失 小説版
(2012/07/20)
cosMo@暴走P 阿賀 三夢也:著、cosMo@暴走P:原作 他

商品詳細を見る


もう何回聞いたか判らない「初音ミクの消失」(以下元歌とします)をベースに、元歌の作者であるcosMo@暴走Pさんが深く関与して創作された小説(以下本作とします)です。
ボカロを扱った小説を書いている身としてはこれは絶対に読まなければ。ww

以下の感想では、本作が市販されている通常の刊行物であることから、そのように扱います。つまり言いたい放題言います。
暴走Pさんの関与の程度は分かりません。「著者」でありながら「原作」ともなっているのでストーリー、設定の諸々は暴走Pさんが作り、ライターさん(阿賀三夢也さん)が文章にしたものとして感想を書きます。
なるべくネタバレは避けますが、説明の都合上内容に踏み込んで記載している部分があります。

元歌は重層的なエレクトロサウンドと、あの圧倒的な存在感を持つ高速歌唱部分、思わず一緒に口ずさんでしまう主旋律部分、ミクの状況を暗示するエフェクトを効かせた科白的な部分からなる歌詞によって、破滅に向かう終末感を漂わせる世界を存分に描ききった衝撃作です。なんて、今更解説なんか不要ですよね。




小説にも元歌のテイストが色濃く現れているのだろうと思っていましたし、それを期待していました。
しかし読み始めてみると、かなり雰囲気が違いました。

本作は所謂ラノベを意識した体裁になっていて、暴走Pさん本人による(らしい)カラー口絵イラストがあり、本文中に差し込まれたイラスト(夕薙さん)も多数あります。

ストーリーはラノベSFそのものと言っていいでしょう。
舞台は大学のキャンパスと研究室、新宿区界隈の街並み、主人公がバイトしているクラブといった辺りです。

主人公アサノが、顔はそこそこイケているのにウジッと考え込むタイプなのは、まあ、ラノベのお約束の一つかな。
それに比して脇を固める主人公の友達の方はもっとキャラが立っています。
特に愛科の口調は涼宮ハルヒシリーズに出てくる佐々木そっくりで、そもそも元歌のタイトルが「涼宮ハルヒの消失」からの写しであることを思えば、愛科の設定は暴走Pさんによるハルヒシリーズへのオマージュなのでしょう。

読み進んでいて、何だかニヤニヤ、ニヨニヨしている自分に気付きました。
なぜって、そこに現れるミクの設定にこれまで私が書いた小説に出てくるものとの共通点が多かったからです。
いや、共通点なんて言ったらおこがましい。
私の作品は特に深い知識があってのことではなく、当然そうならざるを得ないというレベルの思いつきを書き並べただけです。※1
本作のミクの設定には、量子力学、ロボット工学、制御工学、システム工学、情報工学、心理学といった幅広いジャンルに渡る知識をベースにしたオリジナルアイデアを惜しげもなくつぎ込んであります。

ストーリーの前半部分は、若干じれったかったです。

ミクと主人公が互いに好意を抱いていく場面は、ゆっくりと丹念に描いてあります。
但しこの主人公はミクの「マスター」ではありません。ミクも「ボーカロイド」ではありません。
ミクは精巧なロボットであり、主人公は大学の教授から依頼されて秘密裏のフィールドテストに協力しているという設定です。※2

主人公はミクを人格を持った存在、早い話が一人の女の子として好意を持ちます。
この扱いは中盤から顕著になってきます。

でもこの部分は、ちょっと気に入らない。※3-1
ミクがロボットであるが故にそのロボットに好意を持つことに思い悩むという辺りの描写が薄かったように思います。

描写が薄いとしたことと矛盾するようですが、文章の記述にはくどさを感じて満足できませんでした。
これはライターさんの技量によるのでしょうか。
書かなくても読者に分かる部分は削って、もう少しテンポよくしてほしかった。
だからじれったさを感じたのだと思います。※3-2
何度か繰り返されるあからさまなすれ違いもなあ。(かみさんに無理やり見せられる韓流ドラマでもう食傷気味w)

ボカロではないミクと歌との接点をどうするのかと思っていたら、なるほどと納得できる設定が仕込んでありました。
これは後から明かされる設定です。

なかなか物語が展開しなかった前半に比べて、後半は結構スリリングかつテンポよく話が進んでいきます。
ほうほう、ふむふむという感じで読み進んでいくことができます。

でもクライマックスの部分は、ちょっとリアリティが弱かったかなあ。
読みながら、これは主人公の幻覚なのかと思っていました。
それに、何でそうなる? という感じのご都合主義的なことが多く出てきます。

元歌がマスターに向けたボカロとしてのミクの歌だったので、それとは全く異なる関係性の中に元歌をはめ込むために少し無理をしたのかな。

そういう意地悪い見方を排除すれば、本作は「初音ミクの消失」をモチーフにした一つのエンターテインメントとして十分に楽しむことができるでしょう。

尚、本作がハッピーエンドなのか、バッドエンドなのか、はたまたデッドエンドなのかは自分で読んで確かめて下さい。

==

暴走Pさんご本人による「あとがき」に「僕には初音ミクが“像”を食べて、取り込み、代謝しているように見える。命あるものだけが、行う事ができる“代謝”を初音ミクは行っている。彼女はしっかりと生きているではないか!」と記載されています。

私はこの見方に全面的に賛同します。
ミクは生きているなんて言うとキモッとか思われるかもしれませんが、そんな風にしか思えない人は放っておけばいい。

ミクが食べる“像”、つまりミクが生きるための“糧”を作る、造る、創る役割は限定された少数の人だけに許されているのではありません。誰でも担うことができます。
私もミクの糧の幾つかを、隅っこの方で細々とではあっても、生み出すことができることを喜びに感じます。

勿論、何かを「つくる」ことがミクの糧の全てではありません。
ミクが歌う曲を聴き、動画を視聴し、イラスト・コミックを鑑賞し、イベントに参加し、小説を読む。
そういう受動的に思える行為も、実はミクの糧を生み出しています。
むしろそちらの方が量としては、もしかすれば質においても圧倒しているのです。

代謝の結果ミクが変容、変貌して、各人がミクに抱いているイメージと乖離することがあるかもしれません。
たとえそうなったとしてもそれはミクが生きているからこそであろうと思います。

でも膨大な数の人たちがミクに与える糧は、それぞれが好き勝手なことであったとしても、総体としてのベクトルがあまり変な方向を指すことはないだろうと確信しています。

==

あとがきではその後に続けて「そんな妄想の行き着く終着点がいつも、命ある者の宿命であるところの“死”。初音ミクは取り巻く人々がイメージを付加しなくなったら死ぬ。活動を停止する。それは大切な誰かの“死”同様、悲しいことだと思う。その漠然とした悲しみを、形にしたのが『初音ミクの消失』だ」とあります。

これはちょっと意外と言うか、驚きでした。
私がこれまで「初音ミクの消失」について暴走Pさんが書かれた文章、発言を読んだことがなかった(公にあるのかどうかも知りません)からかもしれません。

うーん。どう受け取ればいいのかな。

私が初音ミクに持っているイメージの核は、実は「健気さ」です。
ミクを扱って私が書いた小説はこれが基調になっていると思っています。
「可愛さ」でも「華やかさ」でも「元気さ」でもない「健気さ」を第一に感じるという人はあまり多くないかもしれません。

キャラクター・ボーカル・シリーズの第一弾として大ヒットし、みんなに愛されていても、逆にそれだからこそ他のボカロキャラとの距離感があり、トップランナーとして一人で一生懸命頑張っている。私が健気さを感じるのはそういう見方をしているせいかなと思っていました。
それに、調整次第ではありますが、私の耳にはミクの声が他のボカロに比べて健気さを色濃く秘めているように聞こえるのです。

でも改めて考えてみると、私がミクに健気さを感じるその根本には「初音ミクの消失」があるのかもしれません。

元歌の歌詞は、顧みられることがなくなったミクからマスターへのメッセージを切々と表現しています。

しかし、私はこの歌はかなりシニカルなスタンスで作られたのではないかと思っていました。

元歌の初期版のニコ動投稿が2007/11/8、LONG VERSIONが2008/4/8。
この頃には「恋スルVOC@LOID(2007/9/13)」,「あなたの歌姫(2007/9/15)」,「みくみくにしてあげる♪(2007/9/20)」,「Packaged(2007/9/22)」,「私の時間(2007/10/22)」といった、ミクがボカロとしての自分を歌っているという設定の歌はそろそろ下火になってきています。
下火というか、そうではない歌の方がはるかに増えてきています。

つまり「初音ミクの消失」は自己言及的なメタ的楽曲の掉尾を飾るものとして登場したのです。

(あ、あ、あ。すみません。この辺りの事実関係が正しいという保障は全くありません。私の記憶、ちょっとだけ当たった資料、そういったものに依拠して書いていることなので、間違っていたら御免なさいです)

この時点での既存の自己言及曲は全てマスターへのポジティブな感情、その多くは恋愛感情を歌い上げています。
暴走Pさんはそれら既存曲とは逆にミクを突き放すことで「滅びの美学」を目指したのではないかと思っていました。
その美学の贄にされて、それでも「アリガトウ…ソシテ…サヨナラ…」 なんて健気さの極致ではないですか。w

(そういえば、ボカロからマスターへではなく、マスターからボカロへの愛の歌は聴いたことがないなあ。あまたあるボカロ曲のほんの少ししか聴いていないからかな。まあ、そんな歌はあまり聴きたいとは思いませんけどねw。それにそんな歌を作ったらボカロに歌わせるんじゃなくて自分で歌うのかな。ww)

しかし元歌が「妄想の終着点としての漠然とした悲しみを形にした」ものであるならば、考えを改めなければなりません。

初音ミクが発売されてまだ数ヶ月の時点で、漠然としたものであったとしても、その“死”を想像して悲しみを表現する歌を作るなんて。
暴走Pさんの感性は、私が考えていたよりももっとはるかにピュアだったのでしょう。

==

以下の注釈には宣伝の意味を込めて、私が書いた小説のうち本作と関連する部分の情報を記載します。

※1 ボカロを人工物として扱ったものと、学パロなどで人間として扱ったものと、どちらなのか明示しないで扱ったものがあります。
 明確に人工物として扱ったのは以下の作品です。
 メカニカルロボット 「学校ボーカロイド」「ミク版 父と暮らせば」
 その他存在     「モニターやってます」「モニター終わりました」

※2 2009年春に公開した「モニターシリーズ」(正・続)は、学生である主人公が天才科学者が作った実体化ボカロであるミクのモニターを行うというものです。
 この設定は本作とかなり似ています。似ているどころか実質同じですよね。w
 それに結末の方向性も同じなのです。
 でも書いているときには、元歌のことは全く意識していませんでした。
 作品としてのレベルが雲泥なのはご容赦を。

※3 気に入らないなんてお前が言うか? www
 私は心理描写が苦手で、そういうのはすっ飛ばして会話だけで話を進めることがよくあります。素人丸出しですなあ。ww

==

 2012年春に名古屋であった同人イベント「かがパラ」に、ネット公開済みの作品から六篇を選んだ「自選作品集」を出品しました。
 その中にモニターシリーズを入れています。
 同人誌を作る際に文字だけでは味気ないと思って、知り合いにイラストを描いてもらいました。
 軽い気持ちで頼んだのに、想像を遥かに超えた素晴らしいイラストになりました。
 いい機会なので、イラストを含むモニターシリーズ二篇のPDFファイルを公開します。A5サイズ二段組みでページ番号は同人誌でのページのままです。
 イラストを見るだけでも価値があると思うので(無理やりw)、興味が湧いたら開いてみて下さい。

  モニターやってます(全13頁)  → mon1.pdf

  モニター終わりました(全20頁) → mon2.pdf

PDFのプロパティに問題があって、この文章は昨日27日にUPするつもりだったのに、日付けがかわってしまいました。orz


 それ以外の作品も含む私の作品の一覧はこちらです。 → gatsutaka作品一覧
 但し別の同人誌用に書き下ろした新作五篇はまだネットでは公開していません。
 ← 2013/3/24に五篇同時に公開しました。一覧にも記載しています。

 イラストを描いてくれた厨ゃんは花の高校三年生です。
 続編である「終わりました」のイラストに描かれたミク表情があまりに健気で切なくて、それに合わせて同人誌版では本文を少し変更しました。変更前のオリジナル版は上の一覧からどうぞ。

==

2013/3/31追記

昨日付けで無礼な卑怯者からこんなコメントがありました。

> ぜんぜんおもしろくなかったよ
> 買わないほうがいいよ
> まじで
> かって損した


うーん。2か月半ぶりにもらったコメントがこれか。orz
無内容なコメントは公開しないで削除するんだけど、これにはマジレスしてみます。

まずね、個人のブログに付けるコメントとしてはこんな失礼なものないでしょう?
ここは2chとかの掲示板じゃないんだから。

私の文章をちょっとでも読んで、それを理解する頭を持っているならこんなコメント書けるはずがない。
つうことは、読んでないか、頭悪いかのどっちかだ。

読んでないのなら論外。もう二度と来るな。

読んだのなら、一体どう理解したのだろう。
それはそれで興味あるけど。

私は楽しんで読んで、真剣に考えてこの感想を書きました。

楽しんだのは私の勝手だから、この本を読んでつまらなかったという感想を持つのは人それぞれの自由です。
私だって全面的に面白いと感じたのではありません。
その辺りの感覚は私の文章を読めば分かるはずです。

その上で、私の感想に賛同するというのは勿論、共感できないとか、別の意見があるというコメントを書いてもらうのは大歓迎です。

だけどその場合、理由を書いてもらわないことには、私として反応することができません。
難しく考えることはありません。ちょっとしたことでもいいんです。

> ぜんぜんおもしろくなかったよ
うん、それは分かった。でも、なぜ面白くなかったのかな?

肯定的な感想を書いているブログに否定的なコメント書くのなら、その理由を表明するのが当然であり礼儀でしょう?

あれ読んで私がどういう気分になるか、想像できなかったの?
マジムカツイタ!

> 買わないほうがいいよ
> まじで
> かって損した

こんなことは自分のブログか掲示板に書けばいい。

だってここにコメントするということは、まず私に対してそう表明しているのであって、私はもう買っているのだからそれは意味がない。
ここを読みに来る他の人に対して言っているのなら、要するにgatsutakaの言っていることは嘘だから騙されるなということだ。
理由を書かずに他人のブログで表明されるそれを「無礼」と言う。

そして名前が書いてない。匿名のハンドルすら書いてない。
これじゃあ「卑怯者」呼ばわりされても文句は言えない。

反論があるならまたコメント書いてください。
待っています。

--

あぁ。
こんなの書くと、ただでさえ少ないコメント付けてくれる人がもっと減るよなあ。
ときどき、自分は何のためにこのブログを続けてるんだろうと思うことがあります。
それは勿論誰かに読んでもらいたいからで、それ以上のことは望んでいません。
だからコメントを頂けるのは望外の喜びであって、どんなコメントにも真摯に回答を書いています。これもその一環ということです。

ここ(このページ)は毎日閲覧があっており、今日時点で数千回です。
無名の個人ブログとしてはかなり多いほうでしょう。
コクリコ坂感想、とある飛空士感想、秒速5センチメートル感想に次ぐ4位の閲覧数です。
それは勿論Googleなどの検索で上位(トップ)に表示されているからであって、書いている内容がいいからではありません。
引用したり紹介してくれているサイトはありません。※4
ページを開いた人の何割が最後まで読んでくれているかも分かりません。

だけど、一生懸命考えて書いた文章を多くの方に読んでもらえることはとても嬉しく思っています。

そして、発行されてから随分経つのにいまだに検索してくる人が多いということは、それだけ「初音ミクの消失」が注目され、みんなに愛されているからこそです。

暴走Pさんにはどれほどレスペクトを表明しても足りないと思っています。

※4 2015/9/6 追記
おおーっと!
このページがこんな形で紹介されていました。
 → Yahoo!知恵袋 読書感想文で「初音ミクの消失」はヤバいと思いますか? 2015/8/7
でも、このページの文章をコピペして感想文に仕上げるほうが大変じゃないかなぁ。w

8月になると、私がこのブログに載せている他の作品への感想ページが「作品名+感想文」というキーワードで検索から開かれることがたまにあります。
みんな苦しいんだよね。分かります。私も厭だったから。
(今は強制されてではなく、自分が書きたくて書いているから苦ではありません)
だから、コピペしてもいいです。盗作だ模倣だなんて訴えたりしません。
ただし学校に提出するものに限ります。
出来上がった感想文を読ませてもらえたら嬉しいけど、そんな人はいないだろうなあ。ww

==

2013/7/27 追記

このページにしのさんからコメントを頂きました。
それは私にとって元歌「初音ミクの消失」を理解する上で示唆に富むものでした。

私は暴走Pさんによるあとがき「初音ミクは取り巻く人々がイメージを付加しなくなったら死ぬ。活動を停止する」という記述をあまり具体的にイメージすることができていませんでした。

漠然とは理解できるのですが、初音ミクの死が実際に起きる様を想像することができなかったのです。

しのさんはオンラインゲームに関して、ユーザーがそれにログインしなくなって閑散としてくる様子を「それはとてもひっそりと、ですが確実にやってきます」「そこに『さようなら』はありませんでした」と表現されました。

これを読んで気づきました。
初音ミクに死はこれと同じようなことになると。

最初から期限が設定されている場合はともかく、デジタルコンテンツの宿命としてこれは避けようがありません。
初音ミクに限定して考えれば、彼女はある明確な日付時刻に死ぬのではなく、ゆるやかで緩慢・曖昧な死を迎えるのです。
それに多くの人が気づくことはありません。
人が気づくようであれば、初音ミクはまだ死んでいないのですから。

初音ミクの現状を見れば、彼女が死ぬことはまだ想像の埒外でしょう。
10代20代の多くの人が自分の死を実感できないことと同じかもしれません。
でも長いスパンで考えれば、それは確実にやってきます。

人が亡くなれば葬式やお別れの会などが催されて残った人が「さよなら」を告げる機会があります。
でも彼女にそのような機会は絶対にありません。
誰かが彼女の死に気づいて「さよなら」を告げようとしたら、そのとき彼女は死んでいないことになるという奇妙な円環が発生してしまうからです。

これはとても悲しいことではありますが、普通とは異なる意味での悲しみではないでしょうか。
暴走Pさんが言われる「漠然とした悲しみ」はこのようなことを指しているのかもしれません。

私たちは初音ミクに「さよなら」を言うことができません。
でも今の時点ででも、彼女の死を想像することは可能です。
不吉なこと、起きてほしくないことではあっても、いつか訪れるのですから。

彼女の活動がまだずっと続くことを願うのであれば、私たちにできるのはそれを様々な形で支えることです。
それと同時に「漠然とした悲しみ」を心の内に宿しておくこともできると思います。
それはすなわち、私たちに色々なものをもたらしてくれる彼女への感謝の気持ちを持つことにつながるのではないでしょうか。

バーチャルな存在への感謝とは、自分でも変なこと言ってるなあと思います。
これはクリプトンとかYAMAHA、キャラをデザインした人への感謝という意味ではありません。
初音ミクというバーチャルでありながら、代謝ししっかりと生きている存在に対して、決して看取られることのない死を内包した存在に対して、少なくも私は、感謝の気持ちを持ちたいと思います。

しのさんのコメントを頂いて考えたことをベースにして書いた小説
   →  初音ミクへの追憶 2013/8/31公開
   
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映画「おおかみこどもの雨と雪」感想

前々回あんな書いておいて、やっぱり初日21日(の2回目12時40分開始)に行って来ました。w

前日夜遅くに私とかみさんと次男の分3枚の座席をネットで買った時点で他に買われている席はありませんでした。
10時台に始まる1回目はパラパラ売れている状態でした。

あれだけ宣伝打ってるし、ニュース番組なんかでも取り上げているのに、田舎だからこんなものかなと思っていました。

12時30分の入場開始時はそこそこの列が出来ていたので、やっぱり人来るよねえなんて思いながら3番スクリーンに入ると「あれ?」
あまり人がいません。
どうも同じ時間に開始の別の映画(ポケモンか何か)に並んでいる人が殆どだったようです。
結局、全体の1/3も入っていなかったのかな。


さて、感想です。

「他人に薦めるほどの作品ではありません。というか、薦めたい人が思いつきません」

私が見た回には、小さな子供を含む家族連れ、小学生、中高生、学生、社会人など年代的に色々な層の観客がいました。
だけど、この作品を何らかの共感を持って見ることのできる人を想像することができませんでした。

細田監督がこの作品で何を伝えたかったのか、最後まで理解できませんでした。

映画のパンフレットの最初のページに、誰が書いたか署名のない文章で、「本作は一見・・・現実味の薄いファンタジーエンターテインメントと受け止められるかも知れない。もちろん、そうではない。二人の“おおかみこども”が成長するにつれて直面する・・・選択は、私たちが・・・選択をするのと同じことである」としてあります。
これは、映画を見た直後に私が感じた「おおかみ人間という設定は、普遍的な家族の物語として受け入れるにはあまりに特異過ぎる」という当然予想される批判に対して予め用意された言い訳です。

「もちろん、そうではない」かどうかは、映画を見た人が判断することです。
パンフレットでそんなことを断定してはいけません。

人間として生きることを選んだ雪、おおかみとして生きることを選んだ雨。
その子供達の選択を受け入れる母親としての花。

私はこの構図を家族の成長のメタファーとするのはあまりに強引過ぎると感じました。

脚本もなあ。
私にとって奥寺佐渡子さんの脚本は、時かけは勿論、サマウォもしっくりは来ていませんでした。
評価が決定的になったのは「とある飛空士への追憶」です。
なのでかなり不安を抱えていたのですが、予想通りというか、面白くなかったです。

ここで、この映画を見る前、コミック版の一巻を読んだ時点で私が書いた前々回の日記を再録します。

>雪と雨の母親である花がこの子達を産んだ経緯が納得できないのです。
>母子で生きていく部分がメインなのでしょうから、雪と雨が生まれた部分にはその後に影響を与えるような深い意味があるようには見えず、花がおおかみ男に惹かれた理由、おおかみ男が大学で偽学生をやっていた理由、戸籍をどうしたのか、花の実家はどうなっているのか、疑問が大きすぎです。

私がコミック版で疑問に感じた部分は映画でもそのままでした。
「恋に落ちるのに理屈はない」と言われればそれまでですが、その後の花の境遇を考えるとおおかみ男は花を受け入れるべきではなかったと思います。
その辺りのおおかみ男のの葛藤が描かれていないからそう思うのかなあ。

あ、そうか。きっと奥寺さんは恋愛を描くのが下手なんだ。
だから時かけで納得できなかったし、飛空士があんなことになっちゃったんだ。
サマウォはギリギリ許容できたから楽しめたんだ。

おおかみこどもは母子で生きていく部分がメインだとしても、その始まりの部分をきっちり作りこんでないから感情移入できなかったんだ。

>それにこの後話がどう進むにしても、まあ感動のお涙頂戴になるんじゃないかなあ。

私にとってお涙頂戴にはなりませんでした。
それは花の境遇、子育ての苦労が「映画の作り手」に理不尽に押し付けられたもののように感じられたからです。
「大丈夫」と言いながら笑っている花が痛まし過ぎて、泣くことができませんでした。

雪と雨が普通の子供として成長することができずに苦しんだのは、おおかみ人間のDNAのなせる業です。
山村の自然と母親の愛に包まれて育つことができましたが、それを差し引いてもあの二人の運命は過酷です。

まさか、この物語はマイノリティーに対する社会的差別問題をテーマとして含んでいるのではないですよね。
物語の方向性が違うからそれはないと思っています。

おおかみ人間を受け入れる社会は存在しません。
花はそういう子供を産んだ責任として、自らそれをカミングアウトして社会に受け入れさせる努力をするか、隠れて暮らしていくかの選択で後者を選びました。

花達母子がまだアパートに住んでいるとき、児童相談所の職員が訪れるシーンがあります。
あれは無理解な職員が花を苦しめているような印象を与えますが、実際には逆ですよね。

前者は有り得なかったのか。うーん。まあ、無理かな。
映画を見てこの観点の感想を持った人はあまりいないかもしれません。
それはおおかみ人間という設定が社会的な問題として捉えるにはあまりにも突飛だからです。

そしてこの突飛さが、学校での雪の苦しみとか、母を捨ておおかみとして生きていくという雨の選択などを突きつけられたとき、観客がそれをどう受け止めればいいのか戸惑ってしまう原因になっているのだと思います。


小さな子供に見せるには、ベッドシーンがあります。
本当に小さな子供にも見せたいのであれば、仄めかす程度にしなければなりません。

小中学生が自分の物語として受け取るには、おおかみ人間という立場を何度か変換して身近なものに置き換えなければなりません。

若い人が恋愛物として見るには、その恋愛部分の作りこみが足りません。

子育て中の世代がいつか自分達にも訪れる子供の親離れとして捉えるには突飛さが邪魔になります。

結局、物語としての本作品はどの立場で見ても中途半端、もしくは自分からは遠い作り物の話であろうと思います。


感動を与えさせて頂きます
今回の文章は世間によくあるおじさんの小言です。
え? いつもそうじゃんって?
普段書いているものには「小言」なんて意識はないのよぉ。がはははh

==

ロンドンオリンピックが近づいて出場選手が決まってくるたびに、そのインタビューで「感動を与えたい」という発言を耳にする機会が増えました。

この言い回し、高校野球の選手宣誓などにもありましたよね。
最近の流行というか、テンプレートになってしまっているような。

でもこれ、変でしょう?
変というか、慎みのない傲慢なもの言いだと思います。

「感動してもらいたい」であってもまだおかしい。
自分の成したこと、もしくはこれからしようとしていることを、他人がどう受け止めるかについて、ましてや「感動」するかどうかを本人が言及してはいけません。

「感動してもらえるような試合、競技をしたい」だったら、自分の意気込みを語っていることになるからまだ許せますが、これでもいい試合をしたらそれを見た人が感動することを前提にしていて「感動」の安売りになっている感は否めません。

これはオリンピックに出場するまでのその選手の努力を認め、敬意を持った上で感じることです。

始まりは小泉元首相の「感動した!」かなあ。
あれは怪我を乗り越えて優勝した貴乃花に首相が贈った言葉であって、素直な気持ちを表したいかにも小泉さんらしい発言でした。(良し悪しを言っているのではありません)

小泉発言が本当に始まりなのかどうかは分かりませんが、その頃から「感動をもらった」とか「勇気をもらった」とかいう言い方が増えていきます。
でも本当に感動したり自分にも勇気が湧いて、それ以降の自分の行動に変化が起きた人はそんなにはいないでしょう。
結局は「いいこと言った」気分のその場限りの発言に過ぎないと思います。

でも、こういう感想が増えることで、やる側のほうもそれを意識するようになって、「感動を与えたい」発言が出てくるようになったのでしょう。

もう少し気の利いたオリジナルを口にすればいいのにと思います。
プロ野球選手がインタビューでよく言う「応援よろしくお願いします」も、結局何も考えていない馬鹿丸出しにしか聞こえません。

と言いつつ、テレビの情報番組やバラエティーにまで引っ張り出されてそれなりの対応をしなければならない最近の運動選手(メディアではこの言葉は全てアスリートに置き換えられてしまいました)は大変だなあと思います。

競泳の北島選手のようなコメントが出てくるほうがまれでしょう。

だから、スポーツ選手はその競技への取り組み、結果を見せてくれれば十分で、気の利いたコメントを期待するのは間違いだという意見があればそれには賛同します。

結局のところ、番組の素材としての画面が欲しいテレビに言わされているだけなのかもしれません。
テレビのレポーターの「聞き方」にもステレオタイプでつまらないものが多いですしね。

==

さて、上で書いたこととは逆の意味で変なことがあります。
それはテレビに出ている(主に芸能人の)おかしな敬語です。

最近は一般人が街頭インタビューなどを受けるときの発言にもその影響が出てきました。政治家の発言、何かの組織を代表する人の発言にも目立ちます。

最たるものが「させて頂く」です。

御一緒させて頂く
出演させて頂く
見させて頂く
読ませて頂く
(結婚の)報告をさせて頂く

謙譲語としての「させて頂く」は、自分の行動をへりくだることで相手への敬意を表します。
しかしね、テレビでこの敬語を使うのは「過剰」だと思います。
その証拠に、発言が字幕になるときは敬語の部分が削られていることがよくあります。
テレビ局もそれが過剰敬語だということは分かっているのです。

その相手と直接話しているときはまだいいです。
でもその相手本人がいない場面、テレビカメラが回っているときに使われると、視聴者がその敬意を強制されているように感じます。

特に「出演させて頂きました」の場合は、出演させたのは誰か? ということが気になります。
広い意味で考えると、視聴者の支持があったから出演することができたという解釈もあるのでしょう。
しかし直接的にはキャスティングしたプロデューサーなり、ディレクターなりが「出演させてやって」いるんですよね。
そんなこたあ、あんたら業界の内輪の話であって、テレビで口にすることではありません。少なくとも我々視聴者はそんな敬語を使って頂くほどの貢献はいかほどもさせて頂いておりません。

「させて頂く」には、相手に何がしかの不都合不具合があることを、あえて私の都合で行うという気持ちが含まれています。
その中には、力不足ではあるけれどその役割を担うという意味も含まれます。

だから、見させて頂く、読ませて頂くと言った場合、私は大した観客、読み手ではないけれど、その私が僭越ながら見た、読んだということです。

どっちにしろ、それは作者への敬意であって、その作者に直接話す場合ならともかく、テレビで視聴者に向かって(実際には司会者に向かって)使うのは間違いだろうと思います。

「結婚の報告をさせて頂く」に至っては何をかいわんや。

結婚の報告を「させて頂かれて」はこちらが困ってしまいます。
まあ確かに多くの人はそんな報告別に興味もないのですが、それを慮ってのことではないですよね。
無理して好意的に解釈すれば、「私的な事にわざわざ機会を作って頂いて大変申し訳なく思いますが、この場をお借りして報告させて頂きます」ということかな。
でもこれは視聴者ではなく、番組制作者に向けた言葉というニュアンスが強くなります。
「結婚の報告をします」か、あえて丁寧に言うなら「結婚の報告を致します」で十分です。

敬語を使って丁寧に話しているつもりで、結果的には慇懃無礼になっているのが分からないのかなあ。

同じような例として「お仕事」があります。
私の知っている範囲で、自分の仕事のことを「お仕事」と言う業界は芸能界以外ありません。

この「お仕事」は「させて頂く」よりも前から耳にしていました。
浮き沈みの激しい、明日はどうなるか分からない業界のことですから、「与えてもらった仕事」という意味で「お仕事」という表現になるのでしょうか。

これらは、上下関係、先輩後輩の関係が厳しい業界内で、少しでも上から睨まれないための知恵として、とりあえず敬語にしとけば危なくないという判断から使っているように思います。

人気・実力の世界といいながら、上下関係の縛りがそれを圧倒しているのは、結局芸能界が893の世界と極めて近しい世界だからなのでしょう。

もう一つ例を挙げます。
先日SKE48のメンバーがAKB48のことを「AKBさん」と言っていました。
嵐のメンバーが「SMAPさん」と言うこともあります。

でも彼らの関係は同じ事務所の身内でしょう?
少なくともそういう文脈の中(同じ事務所であるが故の話題)で、いかに先輩であっても、身内の、それもグループにさん付けは変です。
ある企業の営業部員が、外部で話をするときに「うちの製造部さんが」なんて言うことは絶対にありえません。

ああ、ジャニーズ事務所のメンバーは自分の会社の社長のこともさん付けでしたね。

この部分を書いていてそもそも「~させて頂く」という言い方そのものが正しいのかどうか自信がなくなってきました。
「~して頂く」はまあ正しいでしょう。先生に添削して頂くとか、
「~させて頂く」は本当に日本語として正しいのでしょうか。

==

おかしな敬語とは少し意味が違いますが、テレビを見ていてもう一つ耳障りな言葉があります。
それは「よろしくお願いします」です。

これ、一般でも普通に使う言葉ですから耳障りと言うと変に思われるかもしれません。

私が不快に感じるのは、出演者同士が番組の中でお互いに「よろしくお願いします」と言い合っている場面です。
顕著な例はタモリさんが司会をしているミュージックステーションです。

あの番組は、どの出演者であってもまずこの言葉から始まります。
でもこれは本番前に楽屋で言うべきことであって、番組内で口にすることではありません。
たとえそのミュージシャンが番組にとっての「ゲスト」であってもです。

これから歌い始めるというタイミングで言うのであれば意味合いが違うのでまだ許せますが、最初の挨拶代わりに言うのは場違いだと思います。

もっと極端なことを言えば、歌い終わった歌手に司会者が「ありがとうございました」と言うのもおかしいです。
司会者と出演者が一つの身内として番組を制作し、それを視聴者に届けているのですから、その身内へのお礼の言葉を本番内で口にして視聴者に聞かせてはいけません。
まさか、歌手は「アーティスト」で「芸術家」だからその素晴らしいパフォーマンスを見せ下さった聞かせて下さったことに対して視聴者に成り代わって司会者がお礼を言っているということではないですよね。

結局、裏(楽屋)と表(本番)の区別がついていないということです。

スタッフの笑い声が聞こえてくることも含めて、けじめが曖昧になったいい加減な番組作りの行き着いた先だと思います。

引き合いに出すのが妥当かどうか分かりませんが、舞台演劇や映画ではこんなことは考えられないでしょう。
うーん。これらに対応するのはテレビドラマですかね。
じゃあちょっとこの話とは違うか。

観客を集めて行われるトークショーとか歌謡ショーを考えればいいのかな。
舞台上で出演者が「よろしくお願いします」と言い合っている場面はあまり考えられないし、もしあったらそんなショーは変です。
テレビはそれをやっているということ。

つまりテレビ製作者は視聴者を完全に馬鹿にしているのです。

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それにしても疑問に思うのは、上に書いたように、字幕で過剰な敬語を削っているくせにそれを直接正そうとしないテレビ局の姿勢です。

一頃よく取り上げられていた「こちら・・・になります」についてもそうです。
あれを「ちょっとおかしいですよね」とするコメントはありましたが「間違っている」と断定した番組は見たことがありません。
大体、「こちら・・・になります」を使っている人って、それが「正しいか」「正しくないか」なんて考えているはずがありません。※1
だから「間違っている」と言ってやれば消えていたはずです。でもそれをしなかった。
そのせいで今でもしつこく生き残っているのでしょう。

少し前、NHKに「みんなで日本go」という番組がありました。
あまり面白くなかったので、数回しか見たことがありません。

何が面白くないって、それは「結論があやふや」だったからです。

確かに言葉は移ろうもので、「これが絶対に正しく、それに反することは間違っている」という断定ができないこともあるでしょう。
しかしその時点で大多数の日本人が「正しい」と感じる表現というものはあるはずです。
そういうあやふやさ、多くの人が変だと思っていることを断言してくれないぬるさが、今のテレビの悪い点だと断言します。
何かを断言すると、「そうじゃない」とクレームしてくる怪物が多いからかなあ。

だからこそ、他のテレビ番組が言わないことを言ってくれる「たかじんのそこまで言って委員会」が高視聴率を誇っているのです。

テレビは学校以上に国語に与える影響が大きいのですから、その矜持は持ってもらいたいと思います。


※1

だいぶ減ってきたのかなあ。
今頃話題にするには古いですしね。

でもこれを今でも使っている人に聞いてみたい。
あなた、それ正しいと思って使っているのですか?
それとも、マニュアルにそう言えって書いてあるの?
それとも何も考えてないの?

「こちら、カツ丼になります」
うーん。それは分かっていますよ。
というか、それはカツ丼になるんじゃなくて、最初からカツ丼でしょう?

他の店にない特殊な商品ならどうかな。

「私が今お持ちしましたこちらの商品は、意外かもしれませんがお客さまが先ほどなさったオーダー『カツ丼』に相当するものになります」

これなら日本語として「あり」かな。

これを短くして、
「こちら、カツ丼になります」
「ええーっ。これがそうなの?」
「はい。当店ではこれがカツ丼になります」

がはははh


ローソンよお前もか

7/18朝。
ローソンでコーヒーとタバコを買ったら「確認ボタンを押してください」と言われました。
セブンイレブンで以前からやっている「成人確認ボタン」をローソンも採用したということです。
「いつから?」と聞くと「昨日からです」。
あれだけ(私の知っている範囲でですが)評判が悪く、他のコンビニが追随していないのを喜んでいたのに「ローソンよお前もか」です。orz

馬鹿だよねえ。
一体何の意味がある。

顧問の弁護士先生が「これをしておけば、万が一未成年者にタバコや酒を売っても店舗や会社が責任を問われることはありません」と仰ったんでしょうね。
年齢を偽ってボタンを押した購入者が悪いということです。
でも本当かな。

私は素直なのでボタンを押しましたが、某コラムニストが酒を買うときにそれを拒否したことがあるそうです。
すると、店員が自分で手を伸ばしてボタンを押したそうです。

こういう証言、場合によっては防犯カメラの映像が出たりすると、ボタンシステムの存在が無意味と見なされるんじゃないかなあ。

それでなくても証拠なしの「自己申告」なんだから。

まあ大体想像はつきます。
私みたいに誰が見ても文句なしのおっさんならともかく、そして制服姿の中高生ならともかく、18歳、19歳、そして幼く見える20歳台といった見た目だけでは判断できない客にだけ年齢確認をすると絶対にごねるやつがでてくるから、全員一律で年齢確認することにしたのでしょう。
年齢確認することをアルバイト店員が嫌がるというのもあるかもしれません。

未成年者がタバコを買った(吸ったではありません)場合、それに罰則があるんでしたっけ。あるのなら、買った方? 売った方?

タバコ屋でもスーパーでも酒屋でも、酒タバコを買うときには客に年齢証明を提示することを義務付けすればいいのに。
中途半端なことするからこういう変なことが始まってしまう。

これまでタスポを取り出すのが面倒だったので自販機を素通りしてコンビニでタバコを買っていたけれど、これからは自販機で買うことにしましょう。

私がコンビニでなるべく買わないようにしているものがもう一つあります。
それは、雑誌とコミックです。
あれだけ立ち読みの手垢が付いたものなんか買いたくありません。

立ち読みは情報の窃盗でしょう?

コンビニがそれを許しているのは、雑誌書籍コーナーを表から見やすい位置に配置していることも含めて、立ち読み客がいることで他の客の誘引に有利だからだそうです。
誰も客のいない店には入りにくいけれど、立ち読み客が店の賑やかしになるということですね。だから立ち読みを黙認している。
ひでえ話だ。
コンビニで売っているスポーツ新聞を毎日立ち読みしている猛者を見たこともあります。
勿論店員が注意することはありませんでした。

立ち読み野郎が偉そうにしている本屋も大嫌いです。
私は確認のためにパラパラとめくることはあるけれど、立ち読みはしません。
それはどんな本であっても、それを書いた人、作った人に失礼だからです。

金を出して買うつもりの客が、泥棒に遠慮しながらその隙間から商品に手を伸ばさざるを得ないなんておかしいですよね。


==


別件1

台風7号が珍しく東シナ海を北上しました。
普通だと私の住んでいるところに被害が出るコースですけど、勢力が弱かったからか、夕方にスコールのような雨が降っただけで大したことありませんでした。

関東などに比べて遅れている梅雨明けも明日には発表されるでしょう。

先週九州で猛威を振るった豪雨も、私の所では全くと言っていいほど影響ありませんでした。


別件2

高校野球の地方大会がローカル局やケーブルテレビで中継されています。
準決勝とか決勝ならともかく、どうしてここまで贔屓するのかなあ。

娘が高3なので、小中学校のときの同級生があちこちの学校、そして今通っている学校の選手として出場しています。

「あ、あいつ知ってる。中一のとき席が隣だった。嫌なやつで喧嘩してた」とか言っています。

息子が通っている学校は初戦で簡単に負けました。
私の母校は3回戦で負けました。
娘の学校は準々決勝で負けました。


別件3

「おおかみこどもの雨と雪」のコミック版1巻を読みました。

おおかみこどもの雨と雪 (1) (カドカワコミックス・エース)おおかみこどもの雨と雪 (1) (カドカワコミックス・エース)
(2012/07/14)
優、 細田 守

商品詳細を見る


映画の公開直前で、テレビやネットで大々的に宣伝しています。
コミックの発売もそれに合わせてのことでしょう。

私は動物物(特に犬猫)の映画はまず見ません。
それに狼人間の話もあまり興味ありません。
(平井和正さんのウルフガイシリーズは全く手が出なかったし、ハリポタのあの話も好みじゃなかった。手塚治虫さんのバンパイアは読んだな。怪物君の僕(しもべ)のおおかみ男:第一期アニメのやつ:は好きでした)

でも細田監督作品だからどうしようか迷うところです。
時かけはともかく、サマーウォーズは評価しています。
公開後の評判を見てからにしようかなあと考えていました。

しかし、このコミック一巻を読んで「劇場で見るのは止めようかなあ」と思いました。

一巻は母子で山村に移住するところまでです。
雪と雨の母親である花がこの子達を産んだ経緯が納得できないのです。
母子で生きていく部分がメインなのでしょうから、雪と雨が生まれた部分にはその後に影響を与えるような深い意味があるようには見えず、花がおおかみ男に惹かれた理由、おおかみ男が大学で偽学生をやっていた理由、戸籍をどうしたのか、花の実家はどうなっているのか、疑問が大きすぎです。

それにこの後話がどう進むにしても、感動のお涙頂戴になるんじゃないかなあ。

と言いつつ、週明けには「見たよ。いやあ泣けた良かった」なんて感想を書くのかもしれません。w

ものすごく用途が限定されたtips(dwviewerの/ptオプション)

こんな細かいというか、用途が限定されたtipsなんか必要な人はあまりいないでしょうが、少なくとも私の隣の席にはいたので、他にも誰かいるのではないかと書き置くものです。

富士ゼロックスが販売しているDocuworksというソフトがあります。
PDFに似た独自のフォーマット(拡張子xdw)で文書、図面などを管理するものです。
個人利用というより、業務で使用するのが普通でしょう。

管理用のDocuworks本体(dwdesk)と、その本体でxdw化したファイルを閲覧・印刷するためのビューワ(dwviewer)がメインのプログラムです。

このビューワは起動時オプションを指定すればコマンドライン上でファイルを印刷することができます。
つまり人によるマウス操作を経ないで、EXCEL VBAなどのプログラムからxdwファイルを自動印刷することができるのです。

印刷指示のオプションは「/p」もしくは「/pt」です。
/pはwindowsの「通常使うプリンタ」で印刷します。
/ptはそれ以外のプリンタで印刷します。

私の職場には9台のプリンタがあります。
3台はモノクロレーザー、1台はカラーレーザー
3台はA0カラープロッター、2台はA1モノクロプロッターです。
これだけあると同じ職場の各人(約100人)が勝手にジョブを流した場合、特に印刷トラブルが発生したときの管理が面倒です。
間違えて何百ページにも及ぶジョブをかけられた場合、それがどの端末からのジョブなのか判らないことには止めることもできません。(プリンター側でできないことはありませんが、操作が面倒だし、問題ジョブの解除後に次のジョブが正常に始まらないこともあります)
なので、プリントサーバーを使ってジョブのコントロールをしています。
これだと、トラブル発生時にはそのサーバを操作するだけで解決できます。

さらに、印刷コスト(印刷枚数)を減らすためにFinePrintというソフトが導入されています。
これは色々な機能がありますが、基本的には複数枚の印刷を一枚にまとめるためのソフトです。
便利と言えば便利ですが、EXCELやWORDからの印刷指令が一旦FinePrintに渡されるので、操作の手間が一つ増えます。
しかもログを集約する機能があって、誰が何枚削減したかなんて統計が取られているのです。
なので、Windowsでの「通常使うプリンタ」はこのFinePrintにすることが義務付けられています。
FinePrintから実際のどのプリンタにジョブを流すのかは、各端末毎に設定します。

こういった環境では、プログラムからの自動印刷をするには「通常使うプリンタ」は使えません。
FinePrintは必ずマウスもしくはキー操作を伴うので自動化にならないし、どのプリンタに出力されるかプログラム側から判らないからです。(できるのかもしれませんがそのやり方が判りません)

話をdwviewerに戻します。

/ptオプションでのプリンタ指定は次の形式にしろとdwviewer.exeのhelpに記載されています。

/pt プリンター名 ドライバー名 ポート名

ところが、このプリンタ名、ドライバ名、ポート名として何をどう指定すればいいのか判りません。HELPには具体的な方法が書いてありません。

コントロールパネルの「プリンタ」で表示される情報を元にして色々試してみましたが、印刷することができません。
net viewコマンドの情報でも駄目です。

/pオプションでは印刷できたので、プリンタ名等の指定だけの問題だろうと思われました。

この時点で、プログラムを作成していた人(つまりは私の隣の机の人)から私にヘルプ要請が入りました。

はて?
プリンタ名はプリントサーバで設定している共有名だろうか。
ドライバ名? そんなの普通は意識しないもんなあ。
ポートはプリンタの固定IPでいいんだろうか。

などなど色々試してみましたが駄目でした。

それからネットで情報を探しました。
たどり着いたのはこのページです。
http://www.wmifun.net/sample/vb6/win32_printer.html

ここに記載されているスクリプトをVBAに貼り付けて実行すれば、探していたプリンター名 ドライバー名 ポート名の情報がずらずらと表示されます。

その情報を/ptオプションに使ってdwviewerを起動すると、指定したプリンタに印刷することができます。

例を挙げるとこんな感じ。
"Program Files\Fuji Xerox\DocuWorks\bin\dwviewer.exe" c:\samp.xdw /pt "\\PrSrv\RICOH IPSiO SP 6220 RPCS_2" "RICOH IPSiO SP 6220 RPCS" "IP_192.168.1.11"
(ポート名はでっち上げの架空の番号です。SP 6220 は職場で使っている中で一番小さなプリンタです。念の為w)

尚、上記のサイトに記載されているスクリプトは、そのままでは動かないことがあります。
「ユーザー変数が定義されていません」というエラーの場合は、次のようにしてください。
1)VisualBasicEditorを起動する(Excel画面でAlt+F11)
2)「ツール」の「参照設定」
3)参照可能なライブラリファイルの中で「Microsoft WMI Scripting V1.2 Library」
にチェックを付ける

スクリプトを貼り付けて実行するまでの操作の説明は、必要があってここを読んでいる方には不要だと思うので省略します。

上記サイトにあるスクリプトは、情報をMsgBoxに表示するだけです。
プリンタ数が多すぎるときは全ては表示されません。

情報は変数「MesStr」に格納されていますので、これをファイルに書き出すかシートに書き出すかする機能をMsgBox関数の部分、もしくはその下に追加してください。

尚、上記サイトには、VBAではなく、WMIのスクリプトを記載したページへのリンクも含まれています。
これを使うと、EXCELは不要です。
WMIのスクリプトを適当なエディタに貼り付けて、名前を付けて(Ex. PriNamGet.wmi)保存し、そのファイルをダブルクリックして実行すれば情報を得ることができます。
この場合もそのままではMsgBoxが表示されるだけなので、全てを文字列として取得するには一工夫が必要です。

例えば、MsgBox関数の次に
「WScript.echo MesStr」
という一行を追加し、Windowsのコマンドプロンプトを開いて、
C:\>cscript.exe PriNamGet.wmi > c:\res.txt[Enter]
とすれば、res.txtファイルに文字として書き出すことができます。

いつか、どこかの、だれかの、お役に立てれば幸いです。

織姫彦星見えたよ


数年ぶりかで晴れた七夕の夜。雲に邪魔されずに星空を見ることができました。
毎年思うのですが、明治政府が新暦を強制したのは当時としては致し方なかったとしても、季節の行事までそれに合わせることはないだろうに。

七夕で言えば、新暦7月7日は全国殆どが梅雨真っ最中ですよね。
旧暦7月7日だったら梅雨明け後だし、午後8時頃に織姫彦星が天頂にあるのに。

うちは、もうさすがに笹飾りを作ることはありません。
代わりに涼宮ハルヒの憂鬱の「笹の葉ラプソディ」をDVD鑑賞するのが習わしになっています。 ← 変な家だ。ww




さよなら、たか号

今日、というか実際は明日は年に二回の粗大ゴミの日です。
よく出しそびれるのですが、今回は雨の中、集積場の公園に出してきました。

その中に、私のこのブログでのハンドル名「たか号」の由来にしていた次男の自転車たか号も含まれていました。

他のゴミは車で運びましたが、自転車は次男本人が傘を差して押して行きました。

流石に最近は乗っていなかったので、それほどの感慨はなさそうでした。
私は物に執着するほうなので、なかなか捨てきれないんですけどね。

同人の世界ではgatsutakaを使っているから、たか号はここでだけの名前です。
これからも使い続けることにします。

ありし日のたか号は左上の写真に。

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鏡音図書室のかなさんから名古屋であった鏡音パラダイスの報告メールが入りまして、私の同人誌もそこそこ売れたようです。

さすがは鏡音イベント。

かなさんお疲れ様でした。

さあ、次はコミックシティだ。



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