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遅れてきた突っ込み
書きたいことは山ほどあるけど、暇がない。 だから、多分、どれも旬を過ぎた話題ばかりに なりそうなブログ。ここでのハンドルはたか号ですが、小説などはgatsutaka名で書いています。
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「ライトノベルは好きですか?」感想及びKSI入会希望届
以前から薄々自覚していましたが。

どうも私、黒髪萌えで、セーラー服萌えで、二次元萌えという立派な変態だったようです。
← このブログの他の文章を読んだことのある人からは、何を今更と言われそうだ。w

大橋崇行:著、和遥キナ:イラスト、「ライトノベルは好きですか?  ようこそ! ライトノベル研究会」(以下本作)を読みました。

ライトノベルは好きですか?― ようこそ! ラノベ研究会ライトノベルは好きですか?― ようこそ! ラノベ研究会
(2013/04/12)
大橋 崇行

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1/3程読んだ時点でとらのあな、アリスブックス、その他の手段で和遥キナさんのイラスト集、イラストを担当したラノベを買い漁りました。
現時点で8+2冊。

そのイラストについては後述します。まずは本作について。

尚、この文章の中にあるリンクは特記している場合(2か所)を除いて、全てこのブログ内の文章を指しています。
興味を引かれるものがありましたら、お読み下さい。


==

はっきり言います。
本作は和遥さんが描いた若菜がカバーでなかったら買っていません。
内容に興味はそそられるのですが、以前書いたように私はラノベがあまり好きではないのです。

本作は大雑把に言えば(1)ラノベに関する薀蓄の部分と、(2)本編ストーリーから成ります。
その二つの部分が一つの作品として融合してあります。
ストーリーの中に薀蓄が織り込まれていると言えばいいかな。
各章の終わりにコラム的な解説、各ページにはそこで言及されている事柄の脚注が丁寧に付けてあって、とても読みやすい構成になっています。

(1)の部分は私のようにラノベにまだ足首くらいしか浸けていない者にはとても為になる内容でした。
一応メジャーな作品の名前は知っている、ある程度は読んでいる、ラノベの前史に当たる部分は同時代性を皮膚感覚で分かっている身にはとても面白かったです。

コバルトシリーズやその前のSFジュブナイルシリーズは読んでいました。
その前の江戸川乱歩辺りはあまり興味がなかったので読んでいません。
「超革命的中学生集団」のタイトルは懐かしかったなあ。

それとラノベのネタを使ったギャグの部分は「あまちゃん」に毎回組み込まれている芸能界の小ネタで笑うことに似たニヤニヤが止まりません。
エンドレスエイトのアニメ8回分を一日で見ろなんて正に鬼の所業だ。今度やってみよう。w

私の世代でラノベネタで笑えるやつなんて、出版関係者や作家、評論家でもない一般人には稀な珍種なのかな。
大橋さんには「そうでもないっす」と言われるような気がする。w

勉強にもなりました。
メディアワークス文庫が狭義ではラノベに含まれないなんて知らなかった。
素人が知ったかぶりして文章を書くと火傷するいい例かもしれない。
それと、ネットに転がっている感想(つまり私が書いているようなもの)を研究に使うのはご法度だったとは。w
はい、役に立たないゴミ文章をたれ流しております。

尤も、本作はラノベにどっぷり浸かっているいる人にはもしかしたら物足りない、突っ込みが足りないと感じられるのかもしれません。
但しこれは「初音ミク公式ガイドブック Mikupedia」に私が大いに不満を感じたことからの類推に過ぎないので、根拠はありません。

(2)の部分はヘタレとまでは言えないけれど、ちょっとトホホでそれでいて卓越した慧眼も持っている(らしい)大学生を主人公にしたごく普通の楽しめるものになっています。

光輝が卒論で羅生門の老婆の年齢を考察しようとしたことは、夏目レイコや日永梨枝子の年齢を考えた私と同じじゃん。w
でも私がこの二人を考えたのは、それぞれ十代の頃の姿が描かれているからです。
婆さんの姿だけだったら年齢など気にするはずがありません。※1

若菜のキャラは狙い過ぎかなあと感じる部分もあるのですが、天然っぽい毒舌がビジュアル的によく似ている氷菓の千反田えると比べて見事に差別化してあると思います。
これは天然である分、元々毒舌キャラとして作られた女の子や、御坂妹が放つ毒舌とは少し違います。※1
アイスまんじゅうはよかった。
私もガリガリ君よりそっちのほうが好き。w ※1

ただ、この物語部分は少し切れが弱いと感じました。
これは一般的なラノベ主人公とほぼ同じになっている光輝のキャラ設定が、私が好ましいと感じる範囲から少しだけずれているせいでしょう。
それにあの境遇で「リア充は死ね」なんて思ったら、読者から反発されますよね。w

また、読者の予想を裏切る展開はいいとしても、全貌が明かされてみると、えっ、そっちの方に行っちゃうの? という感想を持つのは私だけではないはずです。

ストーリーやキャラについてこれ以上踏み込んだ内容紹介はしないでおきます。

続編は声を大にして所望します。
今度はとある飛空士シリーズも取り上げて欲しいなあ。
追憶、恋歌はともかく、夜想曲がラノベレーベルで出版されたことなどを。

==

さて、冒頭で書いたように和遥キナさんのイラストについてです。

ここから先はかなり暑苦しい文章になると思うのでご注意下さい。w
大火傷するのは覚悟の上で書いています。ww

だた、あくまで私の個人的なことを書いているのであって、一般論を述べるつもりはありません。

「萌え」「萌える」「二次元萌え」といった言葉の意味合いはそれぞれ異なります。
できるだけ区別して使用することにします。

ーー

日本における美人画の系譜は、江戸期の浮世絵、大正の竹久夢二、昭和のおおた慶文程度しか知りません。
無茶苦茶大雑把でしかも片寄っている。www
実はこの3種、画集すら持っていません。(国芳は持ってたかなあ。ここでは関係ないや)

現在においては美少女イラストが大量生産されています。
これを美人画の範疇に含めてしまうのは乱暴かもしれません。
(ある程度時間が経って、歴史的文脈で見返したときにはそういうこともあるかもしれないですけれど)

乱暴だと思うのは、美人画が「美」の観点で描かれているのに対し、美少女イラストは「萌え」を最高価値として描かれているからです。。

美の観点には一種の精神性が含まれています。
敢えて言葉にすれば、浮世絵は艶、夢二は儚さ、慶文は無垢ということになります。
作者は意識するしないにかかわらず描いている女性の向こうにそれを見ているのです。
しかし美少女イラストには、それが描かれる動機に精神性は希薄だと感じています。

では「萌え」には何があるのか。
それとも何もないのか。
それともこれから新たに何かを見出すことができるのか。※6

ーー

「萌え」、特に「二次元萌え」の対象は肉体を持っていません。
実在のアイドルを萌えキャラ風に描いたとして、その絵に萌えることとその絵の向こうにいるアイドルに萌えることとは全く別の事象です。

浮世絵の美人画は遊女のプロマイドとして描かれたものが多いです。
カタログ的に「今度はこの娘を買おう」なんていう見方もあったでしょうが、遊郭に行く金もなくその絵を代替物とすることのほうが多かったでしょう。
そのとき、絵そのものに何らかの感情(純情でも劣情でも)を抱くことは考えられません。
感情の向かう先は描かれているモデルの遊女であるはずです。
これは現代のアイドル萌えと同じ三次元萌えの事象に当たります。※2

こう考えると現代の二次元萌え(ちょっと前の言い方では二次元コンプレックス)は、従来の日本になかった新しい現象であるということになります。※3

勿論絵そのものに惚れこむという例は以前から当然あります。
その中には現代の二次元萌えに通じるケースがあるかもしれませんが、多くは「物としての絵画」に惚れる、つまり絵画コレクター的な意識が強いのではないかと思います。

ーー

本作では「萌え」と「フェチ」があまり区別しないで使ってありました。(誤読だったら御免なさい)
私はこの二者は別物と思っています。別というより、二次元萌えは二次元フェチを内包すると考えています。「萌え」⊃「フェチ」です。
フェチには本来はもっと広い意味がありますが、ここでは「性的嗜好」に限定して捉えます。

このテーマで文章を書くと、どうしても自分の個人的な性的嗜好の一部を開示することになるので避けたいのですが、敢えて続けます。

私は二次元萌えではあっても、二次元フェチではありません。
つまり上の式(「萌え」⊃「フェチ」)で言えば萌えのうちフェチ部分を除外したところしか持っていないということです。
萌えを感じるイラストを前にして性的興奮を覚えることはありません。

全く無いと言えば少し嘘になるかな。
萌えキャラを使ったR18のマンガ、イラスト、そこまで露骨でなくても下着姿、入浴シーンなどを見たときの一般的な身体反応(なんかいやらしいなw)はあります。
ただこれはそこに表現された性行為、性器、下着姿といった直截的なイメージが示す「事柄」に反応しているのであって、絵そのものへの反応ではないと思っています。

別の言い方をすれば、身体的性的興奮を惹起するようなイラストには、そこにどれほど可愛い女の子が描いてあっても、萌えを感じることはありません。

注意して欲しいのは、私はここで扱っている二次元萌えは、もう一つ自覚のあるキャラ萌えとは別のものだと認識しているということです。
例えば、私は神のみぞ知るセカイの汐宮栞に激しく萌えを感じますが、ネット上に出回っている栞のイラスト全てに萌えることはありません。

定義としては異端かもしれませんが、「二次元萌え」はそのとき自分の目の前にある一枚のイラスト、そこに描かれた対象(少女以外有りえないにしても)に感じるものとします。
同じキャラを描いた別のイラストはその時点では埒外のことなのです。

ーー

なんだか話がぐだぐだしてきたので、ここまでを中間的に整理します。

私は二次元の存在である美少女イラストに萌えを感じることがあります。
但し、それは以下の場合に限られます。

・その美少女の顔が私の好みであること
   精神性云々の前に、これは言うまでもなく当然だ。w
   身体デッサンが正確なほうが好ましいですが、あまりこだわりません。
・その少女の向こうに具体的な存在が感じられないこと
   絵師さんのことではありません。
   モデルはいても構いませんが、知りたくないし見たくありません。
・性的興奮を惹起させないこと
   媚びた表情、パンチラでもダメ。
   極端な巨乳などもっての外。
   えっちなのはいけない思います! ※4
・描かれている少女に私が何等かの精神性を感じること
   後述します。

ここまで書いてきた文章が分かりにくいのは、実はこれから書く内容を先に考えて、その結果として自分の考えをまとめるために書いたものであることによります。
どういうことかは、先をお読み下さい。

ーー

私はネット上で和遥キナさんのイラストを何度も見た記憶があります。
しかしこれまではワンオブゼムという認識でした。

本作を読み始めて、ちょっと興味を引かれて改めてPIXIVを開いてみました。
そして春夏秋冬が委託に入っていることを知って速攻で注文しました。

「春夏秋冬、黒髪セーラー服少女 僕と君と架空世界と」

この画集の内容はタイトルが端的に表しています。
登場するのは原則として黒髪セーラー服の少女だけ。
3月から2月まで順に、各月そして四季を背景としています。

各季節の最初には和遥さんによる見開きのイラストがありあます。
春は桜、夏は草木、秋は紅葉、冬は雪原です。

そして各季節3人ずつのゲスト絵師さんによるイラストがあります。
一人に一つの月が指定してあり、それぞれ工夫をこらした作品となっています。
ゲスト絵師さんのイラストは一人を除いて1ページ。見開きの片方のページにはご本人によるコメントも載っています。

12人のゲスト絵師さんの作品はどれも素晴らしいです。
私が強く心惹かれたのは黒獅子さんの9月、ぶーたさんの10月、フカヒレさんの2月かな。
ゲスト作品についてはこれ以上は言及しないでおきます。

最後の見開きには和遥さんによるあとがきと、全てのゲスト絵師さん及びその作品へのコメントも載っています。

あとがきの文章は圧巻です。
黒髪、セーラー服に関する想いが熱く熱く語られています。。
四季で分けて書いてある部分は自作に関する直接の解説ではなく、春夏秋冬それぞれの季節とそこにいる少女のイメージが綴ってあります。

和遥さんの4作品にはそれぞれ感想を述べたいのですが、この文章の目的がそれではないので1作品に絞ります。

それは夏です。

ーー

夏と言えば普通イメージするのは海でしょう。
しかしこのイラストはローカル線無人駅のホームが舞台になっています。

アスファルト部分に草が覆いかぶさり、線路側のコンクリート部分との境目にも生えています。ホームの背後には灌木が繁茂しています。
ホームに設置された標識の柱に錆が浮いています。駅舎は見えません。
単線線路の枕木の間にも草が目立つので廃線かと思いましたが、レール上面に錆がないことから現役の路線のようです。

線路の向こうに遠景として建物がぼやけて見え、そのさらに奥に背の低い山の稜線が連なっています。
空は晴れていて、刺すような強い日差しはありませんが、空気に含まれる湿度と草や木の緑の匂いが湧き立っているのが感じられます。
時間帯は分かりません。昼下がりのような気がします。

見開き右ページの下のほうに、半球ドームのようなものが見えます。
大きいものと小さいものが入れ子のようになっていて、大きいほうは殆ど透明で外周の縁が赤く染まっています。
小さいほうは全体に白っぽく、大きなシャボン玉のようにも見えます。
その向こうに透けて見える草も一部赤く見えます。
これはカメラのレンズのハレーションなのでしょうか。

そのホームの端に近いところに少女が一人で立っています。

肩には黒いバッグ。学校指定の通学用でしょう。
茶色の靴に紺の短めのソックス。右足を踏み出そうとしているようにも見えますが、ふと立ち止まったという感じです。

細かくはないプリーツの紺のスカートに白いセーラーの上着。襟の縁と半袖の袖口にブルーの2本ラインがあります。
スカーフ(和遥さんはネクタイと呼ぶらしい)はオーソドックスな長さで、ラインと同系の靑です。

腰に届く長い黒髪。
それが風でなびいていますが、他に動くものの気配はありません。

でも場面が止まっているのではありません。
夏の日がそこにあり、その中で少女は確かに生きています。

そして大きな目で自分の右側、線路の方を見つめています。
角度から推定して、やってくる列車を見ているのではありません。
目線はちょっとだけ上向きです。

そちらに何かを見つけて、それが何なのかを確認しようとしているのでしょうか。
少し口を開けているのが余計にそう思わせます。

sm_file.jpg


そのイラストを眺めていた私は驚きました。
自分の目がうるんでいたからです。

ーー

私はマンガやアニメ、小説(ラノベを含む)などのストーリー、キャラを見るとき、自分の過去の経験や知っている人、見聞きしたことに照らして比較することがよくあります。
それだけではなく、経験できなかったこと、手に入れたもの、失ったもの、手に入れることができなかったもの、願望、成功、失敗といった今の自分を構成するありとあらゆるものと対比して、今自分が見ているものを定義付けしようとします。

その結果、好悪や快不快、怒り、恐怖、切なさ、そして愛しさといった反応が現れます。
ところが、このイラストで目がうるんだのはそういうことではないようなのです。
無意識レベルでは色々あるのかもしれませんけれど。

そうではないと自分で思う理由の説明は省略します。
書けばあまりに長く、しかも面白みのないものになってしまいそうです。

ではなぜ私の目がうるんだのか。

この少女に恋をしたのではありません。
これは照れて言っているのではありません。
自分が本当に恋をしたと思ったら、恥じることなくそのままここに書きます。
恋の自覚は人それぞれかもしれませんが、少なくとも、動悸の高鳴りとか、呼吸が早くなるといった身体的変化、胸が苦しくなるあの独特の感覚はありません。

愛しさとか、そこにいるのに触れることのできないもどかしさ切なさといった感情も希薄です。
あったとしても、この少女はそれを拒否するような気がします。
拒否という表現が強すぎるなら、そのような感情は彼女に届かず、届いたとしてもその周囲をすり抜けてしまうだろうという感覚と言ってもいいです。

そもそも美少女というものは鑑賞するためだけに存在しているのですから。※5

前振りが長くなりました。

私の目がうるんだのは、彼女がそこにいることを嬉しく感じたからです。
「そこ」とは描かれている場所のことではありません。
そのイラストそのもののことです。

「彼女がそこにいることを嬉しく感じた」

他人にも分かりやすいかもしれませんが、しかしこの言葉は私の感じたことを正確には表現できていません。

私の感じたことを一番適切な言葉で表現すれば次のようになります。

「そこにいる彼女に萌えた」 ※6

ーー

もし彼女が黒髪でなかったら、セーラー服を着ていなかったら、この感覚はなかったでしょう。
他の姿の彼女などどこにもいないのだから確かめるすべはありませんが、絶対に間違いありません。

黒髪の意味、セーラー服の意味は、これまたとても長くなるので説明を省略します。

ーー

私の目がうるんだのにはもう一つ理由があります。

「ああ、よくこれを描いてくれた」

それはこのイラストを描いてくれた和遥さんへの感謝です。
こう言うと、きれいごと、和遥さんへの媚びへつらいのように取られるかもしれません。

私は社交辞令が苦手で、自分で本当に思ったことしか文章として書くことができません。
思っていないことを文章にすることに罪悪案を覚えるからです。
なので意図したきれいごとを書くことができません。
ましてや媚びへつらいはできません。
そんなことするくらいなら書かないほうがましです。

画集の最後にある和遥さんの文章には、黒髪セーラー服への愛が溢れています。
それには私と共通する部分があるかもしれませんが、私なんかより遥かに深く考えておられるのも確かでしょう。

でも動機はどうでもいいんです。
あのイラストを描いて、私に見せて下さったことに感謝したいと思います。

ーー

あのイラストはPIXIVや和遥さんのサイトなどで見当たりません。
どこにもUPされていないようです。

唯一ネット上で目にすることができるのは、夏コミで頒布された紙袋セットの中に入っているクリアファイルです。見開きの左ページ部分が使ってあります。
お品書きのページ → http://kazuharukina.info/doujin.html
神袋セットを買ったKazblog管理人さんによる紹介のページ → http://aistnkaz.blog.fc2.com/blog-entry-147.html

上の方に貼ったクリアファイルの写真はKazblog管理人さんのご厚意で掲載しています。

このクリアファイルすんごく欲しいんだけど。
バラでこれだけ手に入らないかなあ。

ーー

「僕と君と架空世界と」はこの画集のサブタイトルだと思っていました。
表紙の体裁からそう思う人は少なくないと思います。

ところが、奥付に「出版:僕と君と架空世界と」と書いてあります。
和遥さんの個人サークル名でした。

でも、サブタイトルと解釈してもあながち間違いではないような。

だとすれば。

イラストに登場しない「僕」は、第一義としては和遥さんなのでしょう。
でも、私を含む読者(閲覧者? 鑑賞者? 愛好者?)全員も第二義ではあっても「僕」にさせてもらっていいのだと思います。

「君」はそれぞれのイラストに描かれている少女達。

「架空世界」の解釈は人それぞれかな。
私はこの画集そのもののことだと思っています。

ーー

さて、本作(研究会のほう)中にある団体の名前が出てきます。
「黒髪推進委員会」略してKSIです。

会員として名前があがっているのが、近代文学研究者・ラノベ作家:大橋崇行、イラストレータ:和遥キナの二名。両名とも登場人物の結衣に変態だと言われています。

この団体、実体があるのかどうかよく分かりません。
検索してみると、同じ名前の、それでいてお互いに全く関係なさそうな団体が沢山出てきます。
ニコ動のコミュニティ、ジャニーズタレントのファンサイト、レイヤーさんの個人サイト、50人の会員名簿があるサイト。
どういうことかな。

その殆どが似合っていない(また余計なことを言うw)のに茶髪・金髪が当たり前になった日本で、伝統的な黒髪を推進する活動・運動を意味する一般名詞的なものなのでしょうか。

本作で言われているKSIはこういう同名団体の一種ということ?
それとも黒髪愛好家の別称もしくは蔑称なのかな。

「推進」の意味もよく分からない。何かを推し進めるということですよね。
黒髪保存運動推進とか、金髪から黒髪へ戻させる活動推進だったらまだ理解できるんだけど。

ま、いいや。

もし本作で言われているKSIが実在するのなら、ぜひ私を入会させて下さい。
それが許されたら、微力ではあってもその会の発展に寄与したいと思っています。
但し勝手にSの推進をセーラー服に読み替える、もしくはKSSIであると認識することもお許し下さい。

もし架空の団体なのであれば、私は自分をKSIの心の会員ということにします。

この世界では「変態」が褒め言葉であることを信じて。wwww


===============================


※1

本作の感想は2/3程度読んだところで書き始めました。
最後まで読んだら、若菜の毒舌は天然とは違ったみたいですね。
大変残念ながら、私は若菜にはキャラ萌えできませんでした。
必須とは言わないけれど、ヒロインは主人公に普通の意味で惚れてなきゃダメですよ。w
夏目レイコ  緑川ゆき作 夏目友人帳 主人公夏目貴志の祖母・故人
日永梨枝子  若木民喜作 神のみぞ知るセカイ 駆け魂の持ち主
御坂妹    鎌池和馬著 とある科学の超電磁砲 御坂美琴のクローン10032号

ガリガリ君  赤城乳業の氷菓 同日発売であった
       ぷよ作:長門有希ちゃんの消失(5) 涼宮ハルヒちゃんの憂鬱(7)
       2冊のカバーイラストで長門有希が食べている

とある飛空士 犬村小六著 追憶、恋歌、夜想曲、誓約と続く戦闘機乗りを主人公にした物語シリーズ


※2

本作中に浮世絵への言及があるとは思わなかったなあ。
浮世絵をアイドル萌えに対比させた部分を書いたとき、第4回研究会はまだ読んでいませんでした。

でもちょっと視点が違うんですよね。
本作のほうは、浮世絵をラノベのイラストと対比してあります。


※3

二次コンプレックスと言われていた頃は、上で私が異端とした二次元萌えとキャラ萌えとの分化はまだ発生していません。

それは当時まだネット環境がなく、一次創作(つまりは原作者)の作品以外はそのキャラクターを描いたものを一般人が目にする機会が殆どなかったからです。
紙媒体の同人誌はありますが、それを入手するにはイベントに参加するしかなく、委託販売の通販すらかなり敷居が高かったはずです。
アニメの作画は原作者とは違っても、受け取る側の意識は同じです。

私が言う意味での二次元萌えが発生したのは、デジタル技術で多くの絵師さんによって大量のイラストが描かれ、それがネットで大規模に拡散する環境ができたから故のことです。

私が最初に二次元コンプレックス、つまり今で言うキャラ萌えになったのは、高橋留美子さんのうる星やつら・三宅しのぶです。
ああ、まあ、確かにその頃から黒髪セーラー服萌えだ。www

大学の研究室にコミック全巻持ち込んで、壁には少年サンデーの折り込みポスターを貼っていました。
現在ならともかく、当時少なくとも私の大学でそんなことをする学生はいませんでした。

時期ははっきり覚えていませんが、笑っていいともに中学生くらいのひ弱そうな男の子が一般人として出演したとき、司会のタモリさんが「ねえ君、ラムちゃん好きでしょ。好きでしょ」と弄っていたのを見たことがあります。
そのあまりに見下したような言い方に腹が立ったなあ。

最近では映画コクリコ坂からの海ちゃんかな。
但し海に関してはその黒髪セーラー服すら度外視した、彼女の性格に対するキャラ萌えであって、二次元萌えではありません。


※4

「えっちなのはいけない思います!」※4.1

これは美少女イラストに萌える条件の一つとして言っているのであって、それ以外の場面では不可ではありません。むしろ可。※4.2

現に、こんな文章も書いています。→ スカートの中の宇宙
これは別の意味で変態だ。w

 ※4.1 本作でも引用されているまほろのセリフ。
 ※4.2 「むしろ可」のオリジナルは何なのだろう。私はハルヒちゃんのセリフで知ったのですが。


※5

「美少女は鑑賞するためだけに存在している」

こう言っちゃうと、女を物として見ているのかと批判されるかもしれません。
変態のたわ言だと受け流して頂ければ幸いです。

一応、ここで言っている美少女は「イラストに描かれた美少女」を指しています。

でも実在の美少女についても基本的な考えは同じです。
実在についての言及はこれまたとてつもなく長くなるし、この文章を書いた趣旨からずれた話になるので省略します。


※6

以下は、本当は上の本文に入れたかったけれど文章の流れでそれができなかったのでここに書きます。

本文で艶、儚さ、無垢と美人画がその奥に秘める精神性を表現してみました。
これらは、特に後の2つはそれぞれ一人の画家によるものですから、絵画として求めるものを一つの言葉で表すことが可能でした。

美少女イラストは「それが描かれる動機に精神性は希薄」だと言い切りました。
もしかしたら多くの絵師さんからお叱りを受けるかもしれません。

それぞれの絵師さんが、それぞれのイラストに色々な思いを込めて描いているのであろうことは想像できます。
しかし受け手である私の目には、それがなかなか見えないのです。
ある程度は受け取っているとしても、絵師さんの数が多いことから、私の中で希釈されているのかもしれません。

でも。

あの部分を書いたのはほんの2,3日前のことです。
本文を書き終わった今になって考えが変わりました。

>では「萌え」には何があるのか。
>それとも何もないのか。
>それともこれから新たに何かを見出すことができるのか。

答はあきれるくらい単純でした。

>美の観点には一種の精神性が含まれています。
>敢えて言葉にすれば、浮世絵は艶、夢二は儚さ、慶文は無垢ということになります。
>作者は意識するしないにかかわらず描いている女性の向こうにそれを見ているのです。
美少女イラストを描く絵師さんはその美少女の向こうだけでなく、全ての方向に「萌え」を見ているのではないでしょうか。
ここで言う「萌え」は大きな概念であり、個々の絵師さん毎にそれを表す言葉、別の言い方をすればアイテムが異なっていて構いませんし、当然異なっているでしょう。

そしてそのアイテムが私が求めるアイテムに一致したとき、そのイラストを見た私も「萌える」のです。

アイテムは物とは限りません。
少女の身体やそのパーツ、表情かもしれません。
可憐さ、明るさといったプロパティに属するものでもいいし、勿論、艶、儚さ、無垢であっても構いません。

今回私が萌えた和遥さんの夏のイラストのアイテムは、物としては「黒髪」「セーラー服」です。
しかし私は全ての黒髪セーラー服イラストに萌える訳ではありません。それだけでは不十分です。

夏のイラストに描かれた少女について言えば、顔、スタイル、表情、視線、姿勢を含めた彼女の「佇まい」が最大のアイテムになります。

さらにもう一つのアイテム、あのイラストに込められた和遥さんの形のない想いに共感し、それに感謝することも必要でした。

まとめます。(以下はトートロジーにはなっていないと思っています)

美少女イラストは「萌え」を最高価値として描かれ、その精神性も「萌え」である、
作者さんの「萌え」に共感したとき、私も「萌える」のだ。


2013/10/15 追記

和遥キナさんにこの文章を書いたことをお伝えしたら、読んで下さってお返事を頂きました。
その上、ツイッターでご紹介して頂いて、驚くくらい多くの人が読みに来て下さいました。
嬉しかったなあ。

そのお返事に、

>描く女の子は没個性的でキャラが立っていない
>僕にとっての君は萌えキャラじゃなくていい
>空気感を重視した背景をかいている

とありました。(お返事の文章そのものではなくて、少し端折っています)


私が夏のイラストの女の子に萌えたのが、あの子のキャラというより、背景を含んだ佇まいそのものが対象であったことが、これによってとても納得できました。


「春夏秋冬、黒髪セーラー服少女」 まだ手元にない方、こちらからどうぞ。

とらのあな
メロンブックス


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「還りの会で言ってやる」感想
柚舞いいよぉ。
その小柄な身体に見合った、それでいて等身大を遥かに超える良いキャラをしてる。

 ↑ なんか無茶苦茶で矛盾した文章だ! ww

これはつまり、柚舞(ゆま)はその存在(ビジュアル+性格)だけでも良いのに、さらに「同級生、ご近所、幼馴染、しかも主人公に惚れてる」という強力なプロパティを持っていることを称賛したいのです。

リアルでは本当に稀有でしょう。

私は口の悪い女の子キャラはあまり好みではありません。
でも柚舞の場合は許せてしまう。

幼馴染という属性はそれほどのものです。
多分に理想化した、幻想に近いか幻想そのものの感覚でしょうけれど。

それは置いといても、自転車の荷台にちょこんと座っている柚舞を想像するだけで……ゼェゼェ。
あ、いかん。ちょっと冷静になろう。
ハァハァと表記しなかっただけでも、まだ理性が残っているけれど。



還りの会で言ってやる (メディアワークス文庫)還りの会で言ってやる (メディアワークス文庫)
(2012/06/23)
八重野 統摩

商品詳細を見る



・・・はい。
ここまではP20 第一章冒頭の文章に敬意を表して遊んでみました。※1

幼なじみという単語を出すだけで、やたらと過剰反応して息を荒くさせる輩がおれの周りには昔からうんざりするほどいる」※2


以下はとりあえずまじめに書きます。
ネタバレを含みます。
本作品は内容を知らないで読んだほうが絶対にいいので、未読の方はご注意下さい。
いつものようにとても長いです。気力と体力にもご注意下さい。

前回書いた「プリズム少女感想」を引用します。先にそっちを読んでもらったほうがいいかな。
八重野作品としては「還りの会」が第一作、「プリズム」が第二作ですが、私は逆順で読んだので、以下の文章ではその前後関係がごちゃごちゃするかもしれません。
ここでは「還りの会」を本作、「プリズム」を次作とします。

==

私は前回書いたように八重野さんの文章が大好きです。
本作では「寸止め」があまり感じられなかったけれど、リズム感、文章の冴えが気持ちいいです。

読んでいてとても気に入った物語が終盤に差し掛かると、先を読みたいのだけどそれでは今浸っている世界が終わってしまうから惜しいと思う感覚は誰にでもあることと思います。

私は本作でもこれを強く感じました。
但しそれは物語に対してではなく、文章そのものに感じたのです。
まだ二作しか出ていませんから、本作を読み終わったら次が出るのを待たないといけませんもんね。

作家さんは作家である前に、読み手であるはずです。
その読書量は私など足許にも及ばないのが普通でしょう。
(まれにはそうでない人もいるみたいですけど)

八重野作品を読んでいて感じるのは、この人の読み手としての感覚・感性が私に近いということです。
その感性で書かれた文章が私の好みに合うのは当然だと思います。

ああ、こんな傲岸で恥知らずなこと言っていいんだろうか。w
もし八重野さんがここを読まれたり、とんでもないことには私の小説なんぞを読まれたとしても、私と同じ感想を持たれることは絶対に有りえません。
好みの文章があるとしても、それを自分で書けるかどうかは別の問題です。
私にはそんな文章は書けません。orz

但し、大変失礼ながら、八重野さんの文章は文体としてはそんな高尚なものではありません。
そりゃそうだ。高尚な文体のラノベなんて考えられません。
もしかしたら鴎外や漱石をパロッたとか、そういうのがあるのかもしれないけれど。

ではどういうところが好みなのか例を挙げます。

1)その後の展開を暗示するフラグの扱い方
2)主人公の内心と会話部分のつなぎの妙
3)常套句を使うことへの含羞と、あえて使う場合の言い訳のスマートさ

このうち私が一番重要視しているのは1)です。

ドラゴンボールで悟空が強敵と闘っているとき相手にダメージを与えて、それを見たギャラリー(クリリンなど)が「やった、これで勝てる」なんて言うと、それは次に強烈な反撃を受けるというフラグですよね。逆に悲観的だといい方向に向かうとか。
私、このフラグが大嫌いです。だってそれで先が分かってしまったら面白くないんだもん。
あれで素直に安心したり、ハラハラしたりする読者がいるのだろうか。
少年マンガであることを考えればそれでもいいのかな。

最近読んだ別の人の小説にこれを多用しているのがあって、しかもフラグどころか場面が切り替わることろで「だが私の読みは甘かったのだ」なんて明言したりしてあって、本当にうんざりした覚えがあります。

本作ではフラグっぽくなりそうなところを実に軽妙に書いてあります。

P208
 この三野瀬の言葉は、果たして本心だろうか? ~~~

明らかにそれを意識して書かれている部分もあります。

P233
 まあ。/こんなふうに過剰なまでに綺麗に締めくくるってことは、その後によくないことがあったからだってのは、言わずとも分かってくれるだろう。

この部分を普通に表現すれば「こんなふうに綺麗に納まって俺は安心した。しかしその後予想もしなかったことが起きてしまったのだ」とでもなるかな。
これは話の流れからみれば本来は入れる必要がありません。
それを敢えて入れ、しかも「言わずとも分かってくれるだろう」を付けてあります。
つまり作者さんも分かっていて意図的にこの部分を書き、しかも少し捻ることで外連味を利かせているのです。
それはここが物語の最大のターニングポイントだからでしょう。

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登場人物はいずれもよく作ってあると思います。

最初に特筆すべきはやはり「還りの会」かな。
こういうサークル、グループが中心となる物語は、メンバー間の距離が重要です。
読者がそのサークルをどう評価するか、受け入れることができるかに影響するからです。
私は「強い絆でつながった熱血グループ」の物語はあまり好きではありません。
「仲間だろ」を平気で口にするのがダメなのです。
ヤンキー高校生を扱ったテレビドラマに出てくるようなあれです、

還りの会は進示朗が創吾と柚舞を巻き込んで勝手にサークルと呼んでいるだけです。メンバーに帰属意識は(本作の範囲では)あまりないでしょう。
このよく分からない関係が面白い。
創吾は進示朗に頼っているようでも、最初の情報入手と三野瀬との対決はともかく、それ以降は基本的には自力で問題を解決(謎を解明)しています。

ーー

次作の賢太郎と藍子の関係もよく分からなかったけれど、創吾の恋愛に関するスタンスは今一つ理解できませんでした。
柚舞への気持ちをはっきりとは書いてないからかな。

勿論、これは承知しています。
P6 誰かに命令されたわけでもないのに、別に惚れてもいない女の背中を追いかけているおれってどーなのよ?
P307 しかし少なくとも今のおれは、鈴城柚舞という一人の少女に対して恋愛や恋慕の情を持っているということはない。

つまり少なくとも本人の自覚としては柚舞へのラブはありません。
でも柚舞の態度は明らかに創吾に惚れています。
そのことになぜ気づかないのか、それとも気づかない振りをしているのか。それが理解できないのです。

ハルへの興味の示し方とか、いじめをやめた後の三野瀬への態度とかは、賢太郎に比べてかなり普通っぽいのですけどね。

柚舞に対しても
P50 このままセ、セックスに持ち込んで
P54 当たり前だけどな。夏だし。でもちょっとえろい。
という辺り至極健康的にそっち系の興味は持っているらしいです。

もしかすれば小さい頃から一緒にいる時間の蓄積から、柚舞を恋愛の対象として見ることにブレーキが掛かっているのかもしれません。

P277
「恋愛なんてものは、相思相愛じゃないと絶対にうまくいかん。それが分からない奴が多いから、惚れた腫れたってのは面倒なことになるんだよな」
「いや、そこでなんでおれを見るんすか?」
「なに、青春ってのは実に面倒だと思ってな」
ーーはあ?


やっぱり気づいていないのかな。
この「はあ?」は直接には進示朗の科白に対するものですけど、それが示唆することが分かっていないということですよね。

本当に面倒だ。w

ーー

柚舞のあの体型でヒロインというのは珍しいかも。w
顔の可愛さについては創吾も絶賛していますけれどね。

本作は書店の在庫検索をして書棚を探し、すぐにレジでカバーを付けてもらったので読み終わるまでカバーイラストを見ていませんでした。
そうかあ、こうやって泣いていたのか。

私は肩を落として俯いて歩きながら泣いている姿を想像していました。
学校では泣かない。親の前でも多分泣かない。唯一泣けるのは学校帰りだけだったんですね。それを創吾が即席ストーカーし、進示朗が見ていたと。
やはりこの物語は柚舞というキャラが全ての始まりということかな。

ただ、カバーイラストの柚舞は泣いているというより、本作のタイトルを叫んでいるようにも見えます。
絵師のNnyuさんがどちらにも見えるように描いたのかもしれません。

ーー

ハルは本作においては実はいなくてもいいキャラなのかもしれません。
物語に憩い潤いを与えるという意味ではとても重要ですけどね。
ハルと進示朗の出会いの物語は読んでみたいと思います。
最初の部分はある程度想像できるんだけど、進示朗がハルを更生させる様子やハルの部屋に入り浸るまでは全く想像できません。

ーー

進示朗は面白すぎる。
面白過ぎて、出木杉、ちゃうわ、出来過ぎという印象もあるかな。
(「できすぎ」で変換したら「出木杉」が出てきた。出木杉君すごいぞ。ww)
それと「沖永」を最後まで「オキタ」と呼ぶのなら、その理由がほしかった。
わざとボケているだけでは説明できないでしょう?

ーー

三野瀬には騙された。
いじめをやめて謝っても、まだ柚舞に含むところがあるのだろうと思っていました。
一緒に弁当を食べ始めてからでもです。
「暗黒面を最初から出している朝倉涼子」を想像してたんだもん。w

見当違いだったなあ。八重野さんが読者をそうリードするように書いたからなのでしょうけれど。つまり私が見事に引っ掛かったってことだ。
最後ら辺は、程度は分からなくても創吾に好意もしくは興味を持っていると理解していいんですよね。

ーー

私は三船少年が三野瀬突き飛ばしの犯人かと思っていました。
これも全くの見当外れだった。ww

ーー

野上君については後述します。

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タイトル「還りの会で言ってやる」は、これに直接対応する言葉、場面が本文中に出てきません。
次作「プリズム少女」もそうなのですが八重野作品のタイトルはちょっとひねりが効きすぎているように感じます。
悪いってことではありません。

本作の場合、何も知らない読者がこのタイトルを見たら
「還りの会? 帰りの会の間違いじゃないのか?」
「言ってやるということは、いじめか何かをホームルームで先生と他の生徒に言いつけるということか?」
という感想を素朴に持つでしょう。
どっちも外れです。

「ダメ人間社会復帰支援サークル・還りの会」の設立目的はダメ人間を社会に還元することです。
この趣旨からは「還りの会」ではなく「還しの会」か「還す会」が正しいでしょう。
そこを敢えて「還りの会」としているのは「帰りの会」と同音にすることで中高生の興味を引くためなのでしょう。

「帰りの会で言う」行為は、多くの場合問題解決につながりません。
それは多分、ほとんどの生徒が認識していることです。
なのに言うのは、何も考えていないもしくは自分のやり方が正しいと考えているバカか、戦術の一つとしてその後を考えている戦略家のどちらかでしょう。

物語の場合、単純バカを扱うことは有りえない。戦略家が何らかの意図をもってこれを宣言していると考えるのが普通で、そこに興味をひかれます。

つまり本作のタイトルは、それを見ただけの人に一瞬でそこまでイメージさせる作用があるということです。

そして実際に読んでみるとそんなイメージが完全に覆されてしまうのです。

三野瀬による柚舞へのいじめの終息については、私が先に次作を読んでいたせいで、その次作に出てくる「気づいたら自分がいじめられるほうに回っていた」方式で行われるのかと思っていました。
次作では可苗が冗談めかして言っているだけです。
本作は柚舞がいじめを受けているところから始まるので、可苗の科白は本作を意識してのことかと勘違いしたのです。

そのほうがより面白かったかな。w
流行りの言葉で言えば「倍返しだ」。
あ、こんな今時の常套句使うの恥ずかしい~。www ※3


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章の切れ目に謎の人物によるモノローグ的な比較的短い文章が挿し込まれています。
この構成は、次作でも踏襲されています。

次作ではその主が可苗であることがかなり早い段階で想像できました。
しかし本作のは全く分かりませんでした。

還りの会、そして創吾による「柚舞いじめ終息」と「三野瀬突き飛ばし犯人捜索」は本作の派手な表舞台です。
しかしその舞台に立つことができなかった野上君(なぜ彼だけ君付け?w)こそが隠されていた裏の主役なのだろうと思います。

本作を読み終わったとき、入間人間作「彼女を好きになる12の方法」の「僕」を思い浮かべました。
野上君はその「僕」と同じように、ラノベ読者諸兄の多くから感情移入を獲得し得る存在かもしれません。
だけど野上君には「僕」と違って致命的な欠点があります。

それは、「性格はともかくクラス一の美少女である三野瀬に好かれている」という欠点です。

そんなやつに感情移入なんかできるかぁーーーー!

まあ、それは置いときます。w

創吾が進示朗の言う「青春ってのは実に面倒」の正の側面だとすれば、野上君は負の側面の体現です。
彼の想いは結局報われませんでした。
柚舞の「野上君、何も関係ないじゃない」という科白は彼を奈落に突き落とします。

柚舞がこれを意図的に言ったのか、それとも無意識だったのかは、私には分かりませんでした。

以前見たテレビのバラエティー番組で「告白してきた男を振った場合、その後どのような態度を取るのがいいか」という設問で、①優しくフォローする ②冷たく突き放す という二択のうち後者が正解だとしてありました。

相手にきっぱり諦めさせることが、その相手にとってもいいということです。
これ、うーん、まあ、確かにそうなんだろうけれど。

リアルの世界でその場面を想像すると、男の立場では心が折れてしばらく再起不能になってしまうんじゃないかなあ。
双方の性格とか、それまでの経緯とか、その後の立場とか、色々あるから一概には言えないですけれどね。

物語の世界では、女性が冷たい態度を取った理由が明らかにされていれば、読者の立場で見たときにまだ救いがあります。

でも本作では柚舞がそれを口にしたことの明確な説明はありません。
柚舞は創吾に惚れているからそれ以外の男のことは眼中になく、言った科白は本人にとって深い意味がないということなのかもしれません。

その場面が野上君視点で描いてあり、それ以外の場面は創吾視点だから説明の入れようがないことは理解できます。
でもあの科白には「寸止め」で済ますにはそぐわない重みがあります。

意図的であれ、無意識であれ、野上君にとってあのセリフがもたらす結果は同じです。
明確な説明がないことによって、読者の気持ちは野上君のそれにシンクロします。

野上君、頑張れ。
君には明るい未来がきっと待っている。



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※1

私、子供の頃お隣と筋向いに一つ年上の女の子がいまして、小学校に入るまでは三人でよく一緒に遊んでいました。
世間一般ではこれも幼馴染になるのでしょうが、自分では全くその意識がありません。
というのも小学校に入ってからはほとんど遊ばなかったし、中学校以降は会話したこともないからです。
それに一対一ならともかく、向こうは二人でそこに私が割り込んだような形ですからね。

小学校のときの私の地区の子供会で、同学年の子は男子は私一人、私以外の七人は全て女子でした。
全体としての男女比はほぼ半々だったのに、その学年だけ極端でした。
ちょっとやりにくいというか、厳しかったなあ。w
もう一人、一番可愛くて仲の良い子がいましたが、小学校に入る前に引っ越して行きそれっきり会ったことがありません。
(最近、その名前をテレビやネットで目にする機会がありました。勿論本人ではなく同姓同名の人があるジャンルで有名になったということです、w)

そういう境遇なので、物語世界の幼馴染に関して、少なくとも自分の経験に結び付けて考えることはありません。

幼馴染幻想は普通に持っていますがそれはあくまでも物語世界の中だけのことで、リアルに関しては、ごく稀にどこかでそんなこともあるのかなあという程度です。
「普通に持っている」というのが普通かどうかは不明。w

ーー

私の子供はまたちょっと面白いです。
これまで何度か書いているY家の三姉妹と、うちの三姉弟は学年が微妙にずれています。

Y家長女Sちゃん 八歳 大3☆
うち長女     五歳 (謎)
Y家次女Tちゃん 五歳 大1☆
うち長男     三歳 高2☆
Y家三女Yちゃん 二歳 高1
うち次男     〇歳 中2☆

分かりやすくするために次男0歳を基準にしていますので、今の年齢は+14して下さい。
同い歳はうちの長女とY家の次女だけ。大親友です。
この二人が生まれて以降、6人でよく一緒に遊んでいました。
全員が同じ幼稚園、小学校。☆を付けた4人は中学高校も同じです。

SちゃんとTちゃんは現在東京の国立難関大に通う女子大生です。
二人とも某最高学府を十分狙えるレベルでしたが敢えて違う大学を受験しました。
Sちゃんは一浪したけれど次の年はトップ合格して入学式の総代を務めたそうです。その某最高学府生の彼氏がいるらしい。
Tちゃんはきりっとした面立ちの美人です。高校のときは言い寄る男どもを蹴散らして受験勉強したとか。
うちの次男は幼稚園の頃からTちゃんが大好きで、その後も憧れてたみたいです。w

その二人が夏休みで帰省していました。

で、両家の母親も仲良しなので、☆印の4人を連れてお出かけしました。
ちんちくりんだった男の子達が成長してかっこよくなっていると聞いて、それはぜひ見てみたいということになったらしいです。
そのときうちの長女は別の用事があり、Yちゃんは学校でした。

Y家の奥さんは商業施設内に毎夏作られるお化け屋敷に行こうと言い出しました。なぜだか知らないけれどお化け屋敷が大好きなのです。うちのかみさんは入場を拒否。w

うちの次男も怖がりで激しく拒否していたのに、SちゃんとTちゃんに挟まれて引きずられるようにして入ったそうです。
両側から才媛に腕を組まれるなんてそこだけ聞くと羨ましい限りですが、身長は追い越しているから捕まった宇宙人の逆パターン。
「いやだぁ~」という叫び声も空しく、ひどい目に遭ったようです。w

二人にとっては弟みたいな存在なんだろうなあ。

ちなみにYちゃんは上二人よりもさらに出来がいいらしい。なんて姉妹だ。
一つ違いのうちの長男との間でまた面白い話があるのですが、それは別の機会に。


==

※2

これは創吾のセリフを借りて表明した八重野さんご自身の見解なのでしょうか。
だけど、高校生男子が同級生女子を話題にするとき「あいつとは幼馴染だ」と自分から口にすることはまれではないでしょうか。
話の流れで「あいつ近所でガキの頃は一緒に遊んだなあ」「えっ。それじゃ幼馴染か?」「まあ、そういうことになるかな」だったらあるかな。

「幼馴染」という言葉の持つ意味合い、ニュアンスは昔と比べて少し違ってきているように思えます。

私の若い頃にはあまり注目されることのない、せいぜい永六輔さんが作詞した歌で惹起されるイメージを伴った言葉でした。
あの歌、NHKの番組くらいでしか取り上げることがありません。
聞いていてかなり気恥ずかしいものでした。

現在はラノベやコミック、ゲームでの扱いもあって、実態とはかなりずれた独特の存在感がありますよね。

神のみぞ知るセカイの桂馬が示した幼馴染必須の要件の最後は「将来の結婚相手」でした。
そこだけ考えると永さんの歌と同じだけど、結婚に至るプロセスが昔と今では違いますからね。

だけど「やたらと過剰反応して息を荒くさせる輩」はどの辺に反応するんだろう。
まさか一緒に風呂に入った経験とかそんなレベル? ww

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※3

常套句はともかく、私は自分で流行語を使うことにかなり抵抗があります。
意識しないで使っていることがあるかもしれませんが、流行っているからという理由で使うことはありません。

今の瞬間で言えば「倍返しだ」と「お・も・て・な・し」かな。
ただ、全ての流行語を使わないということではありません。

現に「じぇじぇじぇ」は家の中で結構使っていますし、「リア充は死ね(爆発しろ)」だったら口には出さなくても思ったりはします。w

毎年年末に発表される新語・流行語大賞の結果を見ると、あれにはその年の世相を切り取って記録するという意味はあっても、言葉そのものの価値が殆ど感じられません。

それは、選ばれる言葉の殆どがテレビを中心としたメディアから生まれたものだからだろうと思います。
こう言ってしまえば、そもそも流行語はメディアからしか生まれないのではないかと反論されるでしょう。

しかしその言葉の持つ価値、もしくはインパクトを一般大衆がどのように捉えるかは、それぞれの言葉で違うと思います。

単に新しくでてきた物や事象を指すだけのものであれば、その物や事象に意味があるのであって、名前としての言葉に価値があるとは思えません。
芸人さんの決め言葉もそうです。言葉そのものを面白いと思うか、芸人さんの存在が面白いのかで意味合いが違ってきます。

この観点で見たとき、メディア(ここで言うメディアは狭い意味の古いメディアです)が持て囃して世に出たり流行ったりした言葉の多くは面白みを感じないのです。

逆に表のメディアには殆ど出てこない「リア充は死ね(爆発しろ)」はとても面白いですよね。
かなり過激な言葉ですが、そこに込められた諧謔が泣けるじゃないですか。w
この言葉をリアルで聞いたのは、私がコミックシティに行ったとき、サークル仲間の友達が実際に口にした場面でした。
オリジナルがラノベのキャラだったとは最近まで知りませんでした。


スカートの中の宇宙
二人の息子の学校へ体育祭見物に行きました。
高校の体育祭は自分が高3のとき以来、36年ぶりです。

私のときは始まってから間もなく雨が降り始めて昼前には土砂降りになって、それでも続行されたのでずぶ濡れになった記憶しかありません。
だからこそ記憶に残っているとも言えます。

今回はずっと曇り、たまに日差しがあるといういい天気でした。
それに開会式直前に学校に着いたのに、保護者テントの椅子が2つ並びで取れてとてもラッキーでした。

中高一貫校なので中1と高3ではかなりの体格差があります。
普段はリアルの高校にはあまり縁がないのでマンガとか、マンガとか、マンガとか、アニメとかで見るそれとの違いに、なるほどなあ、と。w

だって、マンガの場合胸がでかいくせに全体としてはスレンダーな女の子はざらですし、そうでなくても痩身のキャラが殆どなのに、リアル女子高生で胸が大きいとそれに比例して下半身も大きく、そういう娘が走っているのを見るの気の毒でしたもん。

それにしても今時の体操パンツは色気ないねえ。
やっぱ女子は●●●ーでなくっちゃ。← をゐをゐ

まれにはあの体操パンツが似合っていて、思わず「おぉ」と言いそうになる娘もいます。
勿論、そんなこと思ってるなんておくびにも出しませんけど、w
そんな娘は何を着ても似合うんでしょうね。

こんな「ふしだら」な見方をするのは自分とこの娘がもう卒業して、現役は息子二人だけになったからかな。大丈夫、人畜無害です。w

今回はカメラもビデオも持っていかなかったので、ゆっくり見ることができました。
それでもパイプ椅子に4時間座っていると腰が痛くなって。
昼飯食べ(二人の息子は両親と一緒に食べるのを拒否したので夫婦だけ)てから、私だけ先に帰りました。

んで、家について体育祭朝の戦場そのままになっている台所の洗い物をし、パソコン開いてPIXIVのトップ画面イラストをざっと眺めて、幾つか気に入ったのをダウンロードして、そんな中から辿りついたのがこの動画です。

「女の子のスカートが突然めくれたりしないかなあ」



この曲というか、動画自体は2013/2/20に投稿されて、今日時点での再生数36,250、派生動画も沢山あるので、知っている人も多いでしょう。
私は知らなかったです。

脱力系に近いけれど、結構深いものがある、← ないない。w
歌詞に出てくる「女の子のスカートはたくさんの希望がつまってる」は宇宙の真理と同格かなと思いました。← ないない。ww

ここで言われている「希望」ははっきり言って妄想の産物です。
妄想、想像、そして偶然が与えてくれる刹那の幸運の範囲であれば、そこにあるのは確かに希望かもしれません。
即物的な「あれ」だけではない、温度、湿度、匂い、感触、そして闇といった五感で得られる以上の宇宙そのものがそこにあります。
それは遠ければ遠いだけ甘美な希望ですよねえ。
その甘美さの前では、いくら現実は……なんて言っても通じないでしょう。
中高生男子くらいが考えるとそこはどこよりも遠いだろうからなあ。

私は風でめくれたのを見た記憶があまりありません。
中学生のとき、女の子が階段で尻もちをつく形で転んでスカートの中が丸見えだったことはあります。
あまりに気の毒でした。それで恋に落ちることはありませんでしたけど。w

成人男子だと中高生女子のそこは宇宙どころか想像することすらできない別次元の世界であって、そこに甘美な希望を求めたら犯罪ですね。(真面目に何考えてるんだかw)

そんな訳で、この歌は中毒の一歩手前くらいで踏みとどまっています。
もし動画に兎だけでなく可愛い女の子が出てきたら危なかったかも。

動画に導いてくれたイラスト


いかんなあ。
体育祭という極めて健康的な話からなぜここに至ってしまう。w


この文章の最後の見直しをしながらテレビのニュースを見ていたら、長崎市職員が小学生の女の子のスカートの中を盗撮して捕まったとか。盗撮は憎むべき犯罪であり、邪道です。
上に書いた私の文章では、こういうことは想定していません。
文学的で純粋な妄想だけの世界とご理解下さい。


==

昨日は座敷ウサギさんのリンリンシグナル手書きPVが公開から5周年でした。



娘がお祝いのツイートを送ったそうです。
ご本人のメモリアルイラストがアップされています。


あ、これ、さっきみたらPIXIVのトップ画面に出てた。

==

自分のなのに、ここでの告知を忘れていました。
2013年ミク誕記念SSを8/31に公開しました。

「初音ミクへの追憶」

掌編です。
でもちょっと衝撃作かも。(自分で言うなw)




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