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遅れてきた突っ込み
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ぼくは明日、昨日のきみとデートする 感想
2015/4/4「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の二次創作小説をネットで公開しました。
詳細はこの日記の下の方をご覧ください。

==
2016/12/17 映画感想を追記しました。

==

3冊の感想を書いて、さあここに載せようと思ったタイミングで、新聞に広告が載っていたので本作を買って読みました。
切ない、泣けると評判らしいです。


ぼくは明日、昨日のきみとデートする (宝島社文庫)ぼくは明日、昨日のきみとデートする (宝島社文庫)
(2014/08/06)
七月 隆文

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でもね、私は泣けませんでした。
なので、4冊目を追加します。

手元に届いてから2日で読み終わって、娘に「これ読み終わったけど面白くなかった、時間の無駄だった。最近最後まで読んだ本の中で断トツにつまらなかった」と言いました。
娘は興味なさげに「はい、はい」と聞いていたのですが、その2時間後に灯りを消して寝に入っていた私のところに駆け込んできました。
「ね、これ見て」 手にはスマホを持っていました。
その画面には娘の友達のツイートが表示されていました。
『2日で読了。いやあ良かった、泣けた』とあり、本作のカバー写真が載っています。
「さっきお父さんに見せられたばかりの本だったから驚いた」
「ふーん。じゃ、おとんがつまらなかったって言ってたってリツイートすれば?」
「そんなことできるかぁーー!」
がはははh。

    リツートって返信という意味じゃかなったんですね。
    ツイッターやFacebookをやっていない。
    スマホを持っていない、LINEなんて知らない。
    でもブログはやってる。
    私ってネット上のガラパゴス? ww


だってこれ、見事なまでにベタな恋愛小説です。

まず、彼女(愛美)の設定が「完璧」です。

まさに非の打ちどころがない、絵に描いたような理想像です。
本作は彼女がそうでなかったら成り立たないお話なのです。

そして恋愛自体もこれまた絵に描いたように理想的に進行します。

電車の中での一目惚れから少しずつステップを踏んで進んでいくそれは、もてない男が妄想で描く恋愛の進行そのものです。
非リア充の諸兄がそれを読んで楽しいと感じると思えますか?

本作品は現時点のリア充及びリア充の経験者、さらに将来自分がリア充になりえる自信(期待)を持っている人のための作品です。
現在及び過去非リア充で、将来もそれから抜け出せない自覚のある人が読んでも全く面白くありません。

お前はどうなんだと言われそうです。
私は現在かみさんがいて、子供がいて、そこそこ満足のできる生活を送っています。
でもその状態を「リア充」とは言わないでしょう。

私の勝手な定義では、リア充とは高校生から20代までの期間限定のタームであって、中学以前と30代以降は関係ないのです。
だからその期間にリア充たりえなかった人は、現在どれだけ幸福であってもリア充とは呼べません。

で、そのリア充になれなかった私(←また要らんこと晒しちまったw)からみて、本作は本当につまらないのです。

本作の彼女は異世界(パラレルワールド)の住人です。
その世界は我々の世界とほぼ同じなのですが、大きく異なる点があります。

(1) 我々の世界に来る方法があり、それによって家族旅行などで遊びに来ることができる
    但し、ある程度の制約がある
   制約1 5年に一度しか来ることができない
   制約2 一度の来訪は40日間だけ

(2) その世界の時間軸は我々の世界と逆向きになっている
    つまり、本人にとっての翌日は、こちらの昨日である
    但しこちらの世界にいる間は、こちらの世界と同じ方向に時間が流れる
    これによってもう一つ制約が発生する
   制約3 こちらの世界に連続して存在している場合、午前0時に強制的に管理所に集められる
        そのとき、こちらの世界で前日の午前0時になっており、本人にとっては48時間前になる

時間軸が逆になっているという設定、翌日には昨日の人に会うという設定は私が半年程前に読んだ「天体少年」と全く同じです。
この天体少年については後述します。

主人公高寿が電車で見て一目惚れした愛美は、彼女の過去40日間高寿と恋人として過ごしてきた女性だったということになります。
そして、愛美はもう二度と大人の(その時点で20歳)高寿と会うことはできません。

40日前(こちらの世界では40日後)、愛美は高寿から付き合っていた間の出来事を詳細に教えてもらっており、それを忠実になぞった行動をしてきました。
なぜそのような行動をしたのかは、それよりも未来、及び過去の出来事が関係しているのでここでは立ち入りません。
要するに本作は、出合って恋人同士になることが運命付けられていた、ドライに言えば決まっていた二人の40日間の物語ということになります。

でね。
その恋愛の描写があまりにもベタなのです。
もう勘弁してくれってくらい初々しくて綺麗でそして熱々なんです。

以下、強烈な自虐を内包したおもいっきり上から目線の記述が始まります。
本作を読んで泣けた方、本作を評価している方にはかなり嫌なことを書きますのでご注意下さい。
反論は受け付けますが、考えは多分変わりません。

二人の恋愛がベタに進行するのは、そこに彼女の献身的な努力があるからです。
本作の前半では愛美の努力が謎の行動として描写されています。
例えば愛美は堪えきれずに涙を流すことがあり、事情を知らない高寿は愛美を泣き虫だと思っています。

これらの謎はある程度本を読んでいる者には見え見えの簡単な謎です。

私は読み始めるまで本作の設定を知りませんでした。
しかし、キリンのクロッキーのエピソードを読んだ時点で全て分かってしまいました。
それでも、私の想像を越える意外な設定が組み込まれていて、それは読み進んでいるうちに明かされるのだろうと期待していました。

それがまさかここまで雑な設定だったとは。
その設定の上で展開される熱々でベタな恋愛エピソードなんか読みたくありません。

これじゃあ、そこら辺のケータイ小説(甘々ベタベタで最後にどっちかが病気か事故で死ぬやつ)と同じレベルじゃないですか。
なんでこんなので泣けるんだよ。

少なくとも、読書家を自任する人で本作を評価するなんてありえない。
私は今は月にラノベを数冊読むだけのなんちゃって読書家だから、読書家を名乗る資格すら持っていませんけどね。けどね。
けどね。。。

だって、だって。
羨ましくってしょうがないんだもん!

本作で描かれている恋愛は、その特殊な設定を除いても、リア充の人が経験している、もしくは経験した恋愛と比較して、有りえないくらい理想的なものだろうと想像します。
それすら経験したことのない者がこれを読むのはつらい。
これを読まされるのは辛過ぎる。(強制されたのはでなく自分で進んで読んだのですけど)

ということで、私は私の矜持にかけて、本作品を評価しません。 ← そんな矜持、犬に喰わせてしまえ!!

はははh... orz

ここで、少し冷静に戻ります。
設定が雑だと思うのは、その冷静さの部分で考えたことです。

全くの想像ですが、作者さんは文系の人なのでしょう。
少しでも理系の考えをする人であれば、本作の世界観をあの程度の説明ですますはずがありません。

彼女の世界は、はっきりとは書いてありませんが、どうも私達の世界とそれ程時代が違わないようです。
異世界に旅行できるという点ではかなり進んでいる可能性もありますが、だとしても数百年レベルでしょう。

0年でも50年でも構いませんが、仮にそれを100年とします。
100年違えば、名付けの傾向すら変わっているかな。
100年前の女性の名前と、現在の女の子の名前は随分違いますよね。
今から100年後にも愛美ちゃんがいるかもしれませんけど。
まあそれ言い出してもしょうがないので、ここでは100年とします。

この場合、本作の時代、我々の年で言えば2010年(阪神淡路大震災の15年後)は向こうの世界では2110年になります。
歴史の大まかな流れは両方の世界で同じと仮定します。

100年遅れた異世界に旅行するのは、レトロな世界を楽しむ、異なる文化(向こうにはドラえもんがいない)を楽しむということなのでしょう。

異世界旅行が可能になったのは彼女が5歳になる以前のことですから、それを彼女が生まれた2090年だとすれば、そのときこちらでは2030年で、時代差は60年です。

向こうの世界の時代が進むにつれてこちらの時代は遡りますから、2110年の100年後、2210年にはこちらの世界は1910年ということになります。
明治の末期ですね。年代差は300年です。
以降この年代差は開いて行きます。

旅行で行った先の異世界人と、似たような価値観で会話ができるのは、どうだろうせいぜい50年くらいでしょうか。
100年開いていても、まあ恋愛はできるかな。

でもそれ以上になると、かなり難しいでしょう。
今の私達が幕末の頃の人と会って、普通にコミュニケーションできると思いますか?
事前にある程度訓練すれば可能でしょうけれど、家族旅行という訳にはいかないかな。

つまり、本作の設定は、たまたま偶然にもあまり時代の離れていない異世界への旅行が可能な期間における物語ということになります。
まあ、そういうことなんだから、これはいいです。問題にはしません。

次に。携帯電話を持ってはいけないという設定。
これはメールや通話の履歴が問題になるからかな。
未来の日時の履歴があったら怪しまれますもんね。
ということは、異世界からの旅行者であることを我々に知られてはいけないという前提があるのでしょう。

でも、彼女は簡単にバラしちゃいましたよね。
そこ、どうなの? 本当にいいの?

彼女はその後、10歳と5歳の高寿に会っていますから、バラしたことのお咎めを受けていないってことですよね。
本作は時間SF(純粋な時間SFではありませんけど)に付きもののこの問題を放置していると思います。

また、午前0時にリセットされる件。
これはそうなっている理由が全く理解できませんでした。

午前0時に彼女はまるで自然現象のように高寿の前から消滅します。
その次に会う彼女は、消えた(つまり高寿と同じ記憶を持っている)彼女ではなく、「昨日の彼女」なのです。

異世界旅行で「一日」という時間の単位に何の意味があるでしょうか。
だって、少なくとも40日間は連続して異世界にいる訳ですよね。
その期間にピコンピコンと一日単位でリセットする物理的な理由が想像できないのです。

2015/3/7 追記
 改めて図を眺めていたら、根本的な間違いがあることに気付きました。
 いま、ちょっとパニックなので落ち着いて検討できません。
 うー。どうしよう。
2015/3/8追記
 一晩考えたら、「根本的な間違いがある」と考えること自体が間違いらしいことに気付きました。
 ああよかった。w
 本作の設定は正面から取り組むとそのくらいややこしいということです。
追記 ここまで

下の図を見て下さい。

図1
TimeT1.png

この図1で、緑の線はわれわれの世界の時間方向、赤い線は彼女の世界の時間方向です。
つまり我々にとって左が過去、右が未来です。

四角で囲った一枡の幅が一日です。
40日間を表現すると長くなり過ぎるので、ここでは5日にしていますが原理は同じです。

彼女は赤い時間のあるとき、私達の世界にやってきました。(紫の下向き実線矢印)
それは図の「5日目」の午前0時です。
それから24時間(青い矢印)経って、「5日目」の夜中(24時)にオレンジの矢印に沿って「4日目」の午前0時へジャンプします。

その後同じジャンプを繰り返して、「1日目」つまり高寿が彼女に一目惚れした日の午後24時に元の世界に戻っていきます。
戻ったのが紫の上向き実線矢印であれば、彼女の世界では出立してから3日後ということになります。
彼女はこちらの世界で5日すごしていますから、戻ったとき2日分だけ老けていることになります。

もし、戻ったのが上向き点線矢印のように出立した時点なのであれば、5日分老けることになります。
また、ちょっと見にくいですけど、黄色の矢印であれば、老けは発生しません。

老けるかどうかはここでは問題ではありません。
ここで注意すべきは、いずれの場合であっても、異世界人は我々の世界に来る技術だけでなく、時間を移動する技術も持っているということです。
但しそれは我々の世界と絡む場合だけであって、赤い時間軸の上だけでの移動はできないのかもしれません。

何が言いたいかというと、これだけ時間移動ができるのであれば、何も一日ピッチでジャンプする必要は無いのではないかということです。

次の図2を見て下さい。

図2
TimeT2.png

紫実線に沿って移動すれば、毎日のジャンプは必要ありません。
実線ではなく、点線でもいいのですが、この場合は出発点と戻り点の間で向こうの世界に彼女が二人存在することになりますから、それは避けるでしょう。

一日という時間の単位は単なる地球の自転時間ですから、これが異世界旅行に物理的な制約をもたらす理由が考えられません。
ですから、人為的な何らかの理由で法的にそのような制約を設けていると考えざるを得ません。
一番有りえるのは、我々の世界に連続して長時間存在することで異世界人に情が移ることを防ぐという理由です。
でもこれでは彼女がやったことの説明ができません。

このような点を考慮すると、本作品の異世界移動、時間移動の設定は、深く考えて作られたのではなく、「毎日昨日の彼女に会う」という状況を作り出すためだけにあるように思えます。

であれば、設定が「雑」であってもおかしくありません。
本作品はこの状況下ので二人の恋愛だけがテーマなのでしょう。

だから、私は冷静になっても本作品を評価できないのです。

こちらの世界でジャンプを繰り返さなければならない理由がある程度納得できる形で提示され、その上で恋愛の描写が全体的にもう少し薄かったら、私も泣けたかもしれません。

上でちょっとだけ言及した「天体少年」は、主人公(女の子)が「毎日昨日の彼氏に会う」物語です。
この作品では天文現象に則って、なぜ毎日なのか納得のいく設定がなされています。
しかも単なる恋愛だけではない、色々な要素が含まれています。

本作品で泣けた人も泣けなかった人も、「天体少年」を一読されることをお勧めします。
→ 天体少年感想



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渡来 ななみ

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==

補足

毎日リセットをうまく説明する方法が一つだけ思いつきました。

次の図3を見て下さい。

図3
TimeT3.png

まず向こうの時刻Aに我々の世界にやってきます。②
こちらでは5日目の午後0時です。
こちらで24時間過ごしたあと、元の世界の時刻Bに戻ります。③

すると、①と④の前半の期間、つまりBからAまでの間、あちらの世界に彼女が二人存在することになります。
ここでは、④の前半はどこか待機所に閉じ込められているとでも考えましょう。

④の後半では、待機所を出て向こうの世界での生活を24時間送ります。
そして時刻Cにまたこちらの世界に移動します。⑤
こちらでは4日目の午後0時です。

そして24時間後に⑥で向こうの世界に戻り、⑦の時間を過ごします。
④と⑦でまた二人になるので、⑦の前半は待機となります。

これを繰り返すことで、こちらの世界では彼女が毎日リセットしているように見えます。

この方式は異世界への移動だけで成り立ちます。
時間移動が発生しません。
2つの世界が存在する超時空間で隣り合った時刻(図では上下に並んだ時点)にしか移動しないのですから。

問題は待機所での閉じ込めと、40日で往復をカウントして80回の異世界移動が必要になることくらいです。
待機は、こちらの世界にいることが肉体的負担をかけるのでそれを緩和するためと考えれば説明がつきます。
毎日緩和しても40日が限界、さらに、40日行ったら5年間は行けないという理屈も考えることができます。
移動自体は負担ではない、電力など経済的問題もないとすれば80回の移動は問題になりません。

図1と図2は、一度こちらの世界に来たら戻るまでずっとこちらにいることを前提に考えていました。
そうではなく、リセットの度に向こうに戻るとしたらどうかと考えたら図3になりました。
図2の紫点線が40日で考えていたのを1日単位にしたということです。

これが一番すっきりするかな。
時間移動が可能であれば、物語の構成上、別の色々な問題が発生しますからね。

評価しないと言っておきながら、散々弄って楽しんでいるなあ。w

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2015/2/18 追記

今日、パラパラっと読み返ししてみました。(時間の無駄だったと言いながら何故?)

ガラスの仮面のこと忘れてたなあ。
ということは、2つの世界の時代はかなり近いことになります。

また、上の日記で異世界移動が科学テクノロジーを使っていることを前提に考えていました。
でももしかすれば、愛美の乏しい説明から想像すると超常的な自然現象を利用しているのかもしれません。

なので前提を変えて、上と同じように考えてみました。
それで毎日リセットも少し納得できる説明ができそうです。

でもそれを書いたファイルを忘れてきたので、明日以降ここに追記します。

==


2015/2/19追記

昨日パラパラと少し読み返してみました。
(↑ここ、本当は「今日」と書いていたのですがw)

私は異世界移動を科学的なテクノロジーで実現しているのだろうと思っていたのですが、どうもそうではないようです。
むしろ、超常的な自然現象を利用しているような印象がありました。
どっちにしろ明示はしてありません。

一日単位でしかいられない理由は因果律らしきもので少しだけ説明してありました。

改めて考えてみると、次のような設定があるかもしれません。
図4を見て下さい。

図4
TimeT4.png

愛美は自分の世界の1日目の0時に出発して、こちらの世界の5日目の0時に到着します。(オレンジの矢印)
そして、青矢印に沿ってこちらの世界で24時間過ごします。
それから、赤矢印に沿って向こうの世界の1日目の24時に戻り、引き続き、こちらの世界の2日目の0時に移動します。
これであれば、こちらの世界で過ごした24時間をあちらの世界ではスキップすることになるので、「老け」は発生しません。

但し、図4では図1、図2の解説で指摘したような時間移動は発生しています。
図4を少し変えた図5て、向こうの1日目の始まりとこちらの5日目の始まりが向かいあっている場合でも同様です。
向こうからこちらに来るときに時間移動はありませんが、向こうに戻るとき、向かいあった関係で見れば48時間の時間移動が発生しています。

図5
TimeT5.png

但し但し、図5では次のように考えることも可能です。
向こうからこちらに来るときは、常に向かい合った時点にしか移動できない。
つまりそこに時間移動云々の問題はない。
こちらから向こうに戻るときは、出発時点からその人がこちらで過ごした時間だけ進んだ時刻に戻る。つまり戻るときには「向かい合った時点」という概念に関係なく、その人の異世界存在時間が加算される。

図5をよく見ると、この場合も「老け」が発生していないのです。
こちらの世界に24時間滞在したら、向こうの世界では出発時点の24時間後に戻ることになるのです。

作者の七月さんは最初から図5のようなことを考えていたのかもしれないですね。
私が無駄にややこしく考え過ぎたのかもしれません。

それと、向こうの世界の時代は、こちらと100年ずれていることもありえなさそうです。
ドラえもんはいませんでしたが、「ガラスの仮面」が出てきます。
それに「街並みが似ている」という描写もあります。
移動がテクノロジーに依るのでなければ、近くてもあまり違和感はないですね。

二人にとって都合良く、程よく近しい時代への移動だったということです。

そうか、愛美は10歳の高寿に自分が「芸能人」だと話しているのは、このガラスの仮面につながっているんだ。
愛美は美容師ではなく女優の仕事をしているのでしょう。
高寿と会っていたとき、特に前半部分の「演技」にもその才能が現れているってことかな。
美貌は言うまでもないですしね。

==

2015/2/23 追記

今ですね。
本作の二次創作小説を書き始めています。

時間の無駄と言っておきながら、何故? 何故? 何故?
この何故は放置しておきます。w

でもこの世界観での因果律を考え始めると、とてもじゃないけれど収拾できません。
だってタイムパラドックスやり放題です。

1)異世界人のAさんがこちらの世界に移動してその日の新聞を入手する。
2)そこに交通死亡事故が載っていたとする。
3)翌日、こちらの世界の一日過去にきて、その事故を防止する。
4)新聞に事故が載らない。

Aさんにとって3)の時点で「事故が新聞に載ること」は過去の出来事だから、4)がどうなっても関係ない。別の言い方をすると、Aさんは事故が載っていない新聞を見ることはない。
こちらの世界では最初から事故は起きず新聞にも載っていなかったとなって、これも問題にならない。
じゃあ、Aさんが見た新聞は誰がどうやって作ったんだ・

このパラドックスを回避する方法を色々考えているのですが、考えれば考えるほどややこしくなってしまうのです。
現在とは何か、過去とは、未来とは。頭痛い。w

それに、この状況で「異世界の家族旅行」なんて考えられません。
旅行者に因果律に影響を与えないという制約を課すにしても、子供は何をするか分からないでしょう。

結局、本作の設定でラブストーリーを書くには、因果律の問題をぼかすしかないのかなあ。

小説が出来たとして公開するかどうか、まだ微妙です。
自分としては面白いストーリーになりそうなんですけどね。

==
2015/4/4 追記

さっき、その二次創作小説を投稿してきました。

2本あり、続き物ではなくそれぞれ別の結末にしています。
だけど完全に独立しているのではありません。

僕は明日、五歳の君とデートする(A)

僕は明日、五歳の君とデートする(B)

(A)は原作で不満だった世界観の解説に力点を置いています。
勿論その内容は私の勝手な理解・解釈です。

(B)は高寿と愛美のその後を扱っています。
ウルトラC(古臭)の技を使ってかなり意外なストーリになっています。
少しだけ泣ける要素も入れました。

ただ、どちらも原作の内容を100%完璧に踏襲しているのではありません。
あちこちボロが出たり、破綻が見えると思いますが、そこはご容赦下さい。

投稿前に、誤字チェックを兼ねて娘に読ませたら。
「(A)は理系的な理屈っぽいところがちょっと難しかった。(B)は言いたいことがストンと入ってきて面白かった」
だそうです。(娘は原作を読んでいません)

興味が湧いてお読み頂けたら幸いです。

あ、そうだ。どちらにも五才の愛美は直接には出てきませんので悪しからず。w
それにしても、原作のタイトルはなぜ「僕・君」じゃなくて「ぼく・きみ」なんでしょうね。

2015/4/11
わーい。今日この日記に2つ目の拍手がもらえました。
ありがとうございます。

小説もAが26回,Bが32と開いて貰えています。

こういう反応を見ることができるのは嬉しいです。

==

2015/4/29追記

この日記にコメントを頂いたコータローさんが主催しておられるFacebookのグループ「ぼくは明日、昨日のきみとデートする ファンページ」です。
https://m.facebook.com/groups/1561372320818608?ref=bookmark
この日記を紹介して頂きました。

さらに、そのコータローさんのブログ
http://blog.livedoor.jp/mn3356/
本作品の聖地巡礼が豊富な写真で載っています。必見です。
私も、本作品を読んでいるとき、実在の地名だと気付いてからGoogleマップを参照しながら読んでいました。

ーー

PIXIVで見つけた「たると」さんによる愛美のイラスト。
「2010年 4月13日」というタイトルになっています。



カスヤナガトさんによるオリジナルよりも、こちらの愛美のほうが好みかも。
20才よりは大人びて見えるかな。
今、目の前でリアル20才の娘が寝転がってテレビを観ているから、余計にそう思うのでしょう。w

==

因幡の黒ウサギ さん、コメント返信もうちょっと待って下さい。

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2015/1/16追記

最近は落ち着いてきて日に数件だったこのページの閲覧が、13日はいきなり数百件もあってびっくりしました。
映画化が公表されたようで、おめでとうございます。

本当にめでたいかどうかは映画が完成して、それを見てからでないと言えないのかもしれません。
でも、本作をまだ読んでいない人、存在を知らない人が、主演の二人などへの興味から買って読む可能性が広がるのは確かでしょう。

公開されたら映画館に見に行くつもりです。
かみさんは興味示しそうにないから、多分一人で。(泣)

でね、いい機会だからはっきりさせておきます。
今更こんなこと言うのみっともないんですけど。

このページで私は本作を「泣けない」「面白くない」「評価しない」として、その理由をくどくどと書いています。

しかし、嫌いではないのです。
敢えて言えば、というよりストレートに「好き」です。
この感覚は上の文章を深く読み解けば判ってもらえるかもしません。(そんな暇人いないかw)

だって嫌いな作品の二次創作をするはずがありません。

世の中には「どうだ、俺ならこれくらい面白いものにできるんだぞ」とイヤミで二次創作する人もいるのかもしれません。
私にはそんな度胸も実力もありませんし、そもそもそんなつもりもありませんでした。

映画は泣けるかな。

私は小説やコミックの映像化は、「原作を動く映像として見る」のではなく、あくまでも原作をベースにした広い意味での二次創作として受け取ることにしています。
私の書いたヘボ小説と同列に扱われては映画も迷惑かもしれませんね。
最初から二次創作と捉えれば、原作に対して自分が持っているイメージから外れていてもがっかりすることがないからです。
これまで何度も裏切られた経験からそうなりました。

でも、本作の映画はできるだけ原作に忠実な内容にしてほしいと思っています。
では、映画の公開を待つことにしましょう。

==

2016/11/19  追記

映画の主題歌ハッピーエンドのCDが11/17に届きました。
それからずっとリピートで聴いています。(通勤とかの移動のときに)

back numberの存在すら知らなかったので、聴くのは初めてです。
そんな状況での印象を少し書いておきます。
ただ、ぼく明日の主題歌という意識が強いので、その意味でのバイアスはかかっています。


第一印象は悪くない。
劇場で見た予告で聴いていたせいもあってすんなりと入れました。
今改めてネットで予告映像を見たのですが、この曲のイントロのところは聞こえてなかったような。
でも、CDでイントロを聴いたとき、あ、これこれ、と思ったのはなぜだろう。

音に関してはバカ耳なので、自信が全くありません。
でも、「面白いコード(の変化)だな」と思いました。
聞き手が期待する方向からずらしているんでしょうね。
でも各パートの終わりの部分は尻切れのような印象になってしまうのが少し残念かな。


で、歌詞。
まあ今どきの歌の歌詞には似た感想が多いんですけど。

選択されている言葉の違和感が少し強いです。
・咳をするみたいに
・青いまま枯れてゆく
・握り潰した
・暢気ね

特にサビの「青いまま枯れてゆく」が何を指しているのかさっぱり分からなくて。
「私みたいと手にとって」というからには花? 青(多分緑色)い花って蕾?
枯れるとき青いものってあるかな。
こんな風に理で考えちゃ駄目なんでしょうけれど。

また、愛美の言葉と捉えたら「握り潰した」と「暢気ね」はそぐわないんだよなあ。


全体として。
この歌で描かれていることを一般の状況(つまりぼく明日のような特殊な設定ではない)としたとき、これは何が起きているんだろう。
ぼく明日のことを歌っていると限定すれば、それなりに納得できそうかな。
多分ですけど、どちらにも取れる(ぼく明日を知っている人にはそのように、知らない人には一般的に)ようにしているのでしょうね。

PVはカラオケの画面みたいだなあという印象です。
男三人だけで演奏してても見たいとは思わないですけどね。

映画公開までに暗唱できるまで聞き込むことにします。
そうした方がいいって、君の名は。で感じましたから。





2016/12/17 追記

映画公開初日の2016/12/17午後4時の回に行ってきました。
アニメ映画は一人でも平気なんですけど、さすがにこの映画を一人で見に行く度胸はありませんでしたから、かみさんと二人で。

幸いなことにここ数日のテレビでの宣伝で興味を持ったことと、種市先輩の頃から福士君が好みの範疇だったらしいのです。

チケットを買った時点で殆どの席が二人並びの状態だったので、ほぅ、カップルばかり来ているのかと思っていました。
でも実際は女性のペアのほうが多かった。
かみさんに言わせると「そりゃあ福士蒼汰を見に来てんのよ」だそうです。

私らの後ろの高校生くらいの二人の女子、映画が始まる前はもとより始まってからもなんだかんだと喋ってくれて、うるさいったらありゃしない。
終わってから顔見たら、頭の緩そうな顔してたからしょうがないか。(これくらい言ってもいいと思うくらい邪魔だった)

まあそれはいいとして。

私の興味は「私は泣けるだろうか」に尽きました。
でもね、うーん。そこ微妙だったなあ。
最初に愛美が泣くシーンは、あ、これやばいかもと思ったものの、そこを堪えたら後はまあねえ。
前半は(愛美の涙以外は)ただただベタな恋愛模様だったしなあ。
後半でも愛美が異世界人であることの設定の説明が原作以上になかったですよね。
ファンタジーとしてもそこすっ飛ばして、みんなあれで納得できたんだろうか。

それ以外にも原作からカットされた設定が多かったですね。
ドラえもんも、ガラスの仮面も、愛美が女優していることも、「お菓子を送って下さい」も。
高寿が愛美に助けられたのが阪神淡路大震災ではなく池で溺れたことになっているし。(これは仕方ないか)
そもそも季節が春先から晩冬に変えられていて(これは撮影時期のせいかな)、期間40日が30日に短縮されていました。
30日にしたのは「月の満ち欠け周期」がこちらの世界に居ることに関係しているという、こちらは原作にない設定からでした。
予告で30日と聞いて、え? 俺40日と思ってたけど間違ってた? と焦っていました。

終盤、愛美の日々を1日から順に見せてくれる構成は、原作にありましたっけ?
原作が家の中で行方不明になっていて確認できません。
映画オリジナルであればいい演出だなと思いました。
でも、もうちょっと、それ以前の場面になかった愛美視点のカットを盛り込んで切なさを強調したほうがよかったかなあ。

映画自体は丁寧に作ってあると思いました。
原作から大きく外れることもありません。
でもだからこそ、原作のポテンシャルの縛り(酷い言い方してるw)を抜け出せなかったのかな。

なので、私自身としてはこの映画を他の人にお勧めすることはありません。
見るなということではありません。
「一番泣ける映画」というキャッチフレーズがハードルを上げ過ぎているのではないかと思うので、過剰な期待はしないほうがいいですよという意味です。

それと、映画で泣けた方についてどうのこうのという気持ちはありません。
私は映画で泣きたかったのに、泣けなかっただけなのですから。

かみさんの話。
かみさんは原作の内容を殆ど知らない状態で映画を見ました。

・前半は「20歳前後の恋愛映画? 私はその世代のはもうどうでもいいんだけど」と思ってた。
 だから前半は二回くらい寝そうになった。

・あなた(私)から「敢えて言えばSF」と聞いていたから、「彼女は彼の母親」か何かかと思ってた。
 ベッドシーンが出てきてさすがに違うかと。

・私「何でそうなるか、がさっぱり分からなかったろう?」
 か「だって、みんな原作読んで知ってるんでしょう」
 私「映画見る人全員が読んでるなんて限らないよ。
   原作にもあまり説明がないんだ。
   映画はもっと酷かった(説明がなかった)けどね」
 か「そんなことはどうでもいいのよ。みんな恋愛を見たいだけなんだから」

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二度めの夏、二度と会えない君 感想
③ 二度目の夏、二度と会えない君

二度めの夏、二度と会えない君 (ガガガ文庫)二度めの夏、二度と会えない君 (ガガガ文庫)
(2015/01/20)
赤城 大空

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バンド仲間の女の子が病院で死ぬ間際に「好きだ」と伝えたことを激しく拒絶された主人公が、その女の子と出合ったときまでタイムリープ(時間遡り)して、もう一度三カ月間を経験する物語。

この話でもタイムリープの原因/理由などは何も語られていません。

主人公以外はそのタイムリープのことを知らないので、発生する出来事は主人公が一回目の時間で経験したことそのままです。

女の子(燐)が死ぬことを知っている主人公(智)が、とにかく自分の気持ちを燐に知らせないままその三カ月を幸せに過ごさせることに腐心します。

しかし、「そのまま」とは言っても主人公の微妙な言動の違いが影響して一回目とは異なる出来事が発生します。

特に顕著なのは「燐が智を好き」というサインが頻繁に現れる点です。
但し、それに相当する一回目の場面はあまり語られていない(※)ので、実際にどの程度違うのかは読者には分かりません。もしかしたら燐は一回目にも同じようなサインを出していたのかもしれません。

いずれであっても、智は二回目の時間で「自分が燐を好きなことを悟られない」ための態度を取りますから、そのことがかえって燐を傷つけていきます。
智は燐が自分のことを好きではなく、自分が好きであることを知られることが燐を傷つけると思い込んでいますから、燐が示すサインを「勘違い」だと思い込もうとします。

この点は読んでいてかなりじれったいです。

じれったさの根本は一回目のときに燐が激しく拒絶した理由が分からないことです。
その理由は物語の最後まで読んでも明確にはなりません。
読者それぞれが想像しなければならないのかなあ。

本作品は、物語の構成、つまり何をどの順番で読者に提示するかをもう少し検討したほうがより面白くなったのではないかと思います。
特に上の※の部分はもっと必要だったのではないでしょうか。

構成と同時に、物語の構造についても不満があります。

智は一回だけタイムリープする構造になっています。
言ってみればかなりシンプルです。
もっと過去の部分、楽器店店主と教頭の関係が若干の存在感を持ってはいますが、その点に深く入り込むことは避けてあるようですし、そもそも物語の根幹に関わるようなものではありません。

私は1/3ほど読んだ時点で、智のタイムリープは燐が起こしたのではないかと思っていました。
そしてそれにはアニマート・アニマートの曲の記憶が関係しているのだろうと思っていました。

その時点での私の想像をあらすじ風に書くと以下のようになります。

・重い心臓病で自分が長く生きられないことを知った燐は、高校に入学して人生の最後を楽しく過ごすことを願う
・河原で智と出合う。彼が弾いていたギターの曲に聞き覚えがあった
・一回目のルート
・病室で告白され激しく拒絶する (拒絶の理由は別途)
・燐死亡
・智激しく落ち込む
・燐の魂(霊)はその様子を見て彼をタイムリープさせる
・その後、さらに過去に行き、幼い自分にアニマートの曲を聴かせる
・二回目のルート
・燐二回目の死亡 2つに分かれていた燐の魂は一つになる
・智がバンドを続けることを決意
・燐の魂は智に自分の気持ちを告げ、昇天する

魂とか昇天とかのタームは別のものでも構いません。
私がざっと考えたこの構造でも、小説その他の作品で既出の可能性はあります。

しかし、店長と教頭の経緯を膨らませたり、他のエピソードを盛り込むことで、独自性はもっと出せるでしょう。

とまあ、素人がプロの作品の構造にまであれこれ難癖付けるのは、やはり私がこの物語を好きだからでしょう。

キャラはそれぞれ魅力的だと思います。
私が特に好きなのは会長かな。

会長のキャラは、朝倉涼子を彷彿とさせます。
但し本家「涼宮ハルヒの憂鬱」ではなく「長門有希ちゃんの消失」のほう。

彼女(会長)が二回目のルートで主人公に見せた態度は、もう少しその理由を明かして欲しかったです。
また、バンド再結成、メジャーデビュー後の彼女の様子が何も語られていないのも残念。

さて、燐が一回目のルートで主人公の告白を激しく拒絶した件。
これ分っかんないんだよなあ。

単純に考えれば、自分は死にゆく身だから、智を好きだったけれどそれを言うのは智に後々余計な負担を与えてしまうと考えてその気持ちを封印していた。
でも向こうから告白されて、その嬉しさと(自分が死ぬ)悲しさで動転してしまった、ということなのでしょうけれど。

まさか好きではなかったのに告白されたことで、ようやくできていた死ぬ覚悟が揺らいで動揺したってことではないですよね。

これは読者の想像というか推察に任せるのはちょっと重すぎるように感じます。

そして燐が残した手紙の内容も解せません。
「ごめんなさい」だけでは、何に対するごめんなさいなのか、考え得ることが多過ぎるのです。
私が考えた「ごめんなさい」の理由
・告白を受け入れられなかった 好きではなかった
・嬉しかったのに動転して拒絶した 好きだった
・自分が死んでしまうこと
・バンドを続けて欲しいと願ったこと

これを読者が納得できるように決着を付けるには、やはり上で私が考えた粗筋のようにせざるを得ないと思うのです。

まとめると、
・キャラは魅力的 燐は言うに及ばず会長も、
・ストーリーは楽しめる。都合のいい展開も2回目という特殊な状況で逆に面白い。
・構成はもうちょっと考えたほうがいい。
・構造はもう少し凝ったほうがよかった。
・読者の想像/解釈に任せる部分が多過ぎる広過ぎる、

終盤を読んでいて、もしかするとこの物語はもっと大きな構想だったのをページ数の制約からかなり削ったのではないかと思いました。
だとしたら、その残滓を感じさせないほうがいいんですけどね。

==

さてここで。
恥知らずな私は、自作の小説のうち本作と同じように過去に行く物語を紹介するのです。

温かい目で読んでもらえれば。ww
(と、紹介して早一年。ここからリンクをクリックしてくれる人は少ないなあ)

作品22 二速歩行 序章  ← DECO*27さんの二息歩行(正しくはそのPV)をベースにした二次創作

作品12 過去と未来の僕  ← キッドPさんのコガネイロの故郷(とき)をベースにした空耳小説。

==

2016/08/14 追記


私のこの感想のページ、以前からぽつぽつと検索で訪れる人があったのですが、
ここ数日増えてきたのでなぜだろうと思っていました。

本作の実写映画化が決まったそうです。おめでとうございます。
それを告知するページ → ガガガ編集部ログ 2016/08/08

ただ、具体的な情報はまだ出ていないようです。

1回読んだだけで読み返しもしないで書いた感想だから、
「あれが分からない、これが分からない」として組み立てている論旨が
ここを読んでいる全ての人に笑われているんじゃないかとビクビクしています。
 → そう思うんならもう一回読めばいいのに。
 → いや、それはそれで怖い。知らん顔しとこ。

このブログに感想を書いた本が映画やアニメになることが最近よくあります。
狙っているわけではありません。
読んだ上で感想を書くのは数十冊に一冊だから、その篩(ふるい)にかかる作品は
他の人が読んでも面白いと思うのでしょう。

B型気質の私は、人と同じでは嫌なのでできるだけ独自色を出したいという気持ちがあります。
でもあまり読まれない本の感想を書いても検索してくる人がいないだろうから、モチベーションが上がりません。
なので一般受けするであろう本を選ぶことになり、その上で感想の内容に少しは独自性を入れるようにしているのです。

ここを読む人にとってその独自性に少しでも意味が価値があればいいんですけどね。

思春期テレパス  感想
② 思春期テレパス

一つの日記で3冊挙げるつもりだったけど、検索を考えたら日記のタイトルを別々にしたほうがいいので、同日日記を3本とします。

思春期テレパス (メディアワークス文庫)思春期テレパス (メディアワークス文庫)
(2015/01/24)
天沢夏月

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男2人、女1人のゆるい高校生グループの話です。
ゆるいというのは、なんとなく一緒にいるという意味です。

その高校で友達の本音が送られてくる「本音メール」というサイトが流行ります。
メールの内容は他愛のないもので、冗談サイト的に楽しむものです。

しかし、あるとき、本当の本音メールが送られてくるようになります。
それは時には、返信することでその本音がなかったものにすることもできるのです。

こう書くと、ホラー的なものと思われるかもしれません。
でもこの物語の中では、誰もそのような捉え方をしません。
普通は気持ち悪いと恐れるとか、原因を探ろうとかそういう方向に行きそうなものですが、なぜかそのまま受け入れてしまいます。

物語の眼目が本音メールそのものにではなく、親しい友人の本音を知ってしまうことがそれまでの関係にどのような影響を及ぼすかにあるせいでしょう。

このグループに後から女2人、男1人がからんできます。
そのうちの一人の女の子が学校の屋上から飛び降りるのです。

全体としては、思春期の男女が人の気持ちについて考え成長していくという内容になっています。

私、人の気持ちに無頓着というか、建前をそのまま本音として受け取ってしまうことが多かったし、それは今でも殆どそうだから、その点では登場人物のいずれにも感情移入できませんでした。

しかし、周りの人の気持ちに敏感で、それ故に行動が妨げられたり、傷ついたりしている人が読むのは意味があるでしょう。

オカルコはキャラとしていい線いってるんだけど、ちょっと惜しいなあ。


終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?  感想とアニメ言及
祝 アニメ化
祝 コミカライズ

詳細は最後のほうに。2016/7/2

2017/3/13
放送情報が公表されました。
★放送情報
TOKYO MX 4月 12日より毎週 水曜日 深夜1:05~
テレビ愛知 4月 12日より毎週 水曜日 深夜2:35~
KBS京都 4月 12日より毎週 水曜日 深夜1:05~
サンテレビ 4月 12日より毎週 水曜日 深夜1:30~
TVQ九州放送 4月 12日より毎週 水曜日 深夜2:35~
BS11 4月 14日より毎週 金曜日 深夜3:00~
AT-X 4月 11日より毎週 火曜日 深夜23:30~
リピート放送:(木)15:30/(日)25:30/(月)7:30
dアニメストア4月 13日より毎週 木曜日 12:00~最新話配信
よかった。うちでもTVQとBS11で見ることができる。

2017/2/18
キャスト発表されました。昨夜遅くかな。
https://twitter.com/i/moments/832629831690956804
キャスト情報(1)
ヴィレム・クメシュ #新井良平
クトリ・ノタ・セニオリス #田所あずさ
アイセア・マイゼ・ヴァルガリス #Machico
ネフレン・ルク・インサニア #上原あかり

Wikiにはもう反映されていて驚いた。笑
でも、そのWikiにネフレン役の上原さんのページがないんです。
クトリはこのちょっと前に田所さん本人が公表していましたけど、フライングだったのかな。

私、声優さんは殆ど知りません。でも、このラインナップはどうなんだろう。
若手起用ってことなのかな。
うーーーーん。私のしょーもない願いは叶わず。
ま、決まっちゃったんなら、もうどうでもいいや。

2017/2/22
EX感想書きました。 → 「#すかすか#EX 感想」

== 以下本文

ヒロインが①死ぬことになっている話と、②死にかける話と、③死ぬ話の3冊を連続して読みました。
内容を知らないでジャケ買いしたのに、どうして話の中核が同じようなものになってしまったんだろう。w

ヒロインの「死」だけでなく、魔法や説明不能の超常現象が重要な要素になっていることも共通しています。
まあ、これはラノベ系の小説ではよくあることだから。

それにしてもこの感想というか文章を書き始めて、3冊ともタイトルを覚えていないことに気付いて愕然としました。ww

ちなみに、買ったのは1月30日、③を読み終わったのは2月5日です。

① 終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?

(2015/7/8 結構長い3巻感想を下のほうに追記しました)
(2016/1/14 結構長い4巻感想を下のほうに追記しました)
(2016/4/7 4/1に届いた5巻を今日読み終わりました。感想はまだ書けません。敢えて、感想の核を書けば「残念だった。でも満足した」です。
同じ日に届いた「終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?#01 」はまだ手を付けていません)


(2016/4/30 5巻感想追加しました。超長いです)

「終末あ(略)」の感想はこちら → 終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか? #01 #02 #03 感想


終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (角川スニーカー文庫)終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (角川スニーカー文庫)
(2014/10/31)
枯野 瑛

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この種の魔法とバトルが絡む話は普段は読みません。
ファンタジーが嫌いということではありませんが、最近のには付いていけなくて。(老化w)
内容を知っていたら買わなかったかも。
面白かったから、ジャケ買いして正解でした。

物語中にメタ的な言い訳がよく出てきます。
小説に限らず、ゲームでもコミック・アニメでも異世界っぽいところで剣を使って戦う魔法少女という基本設定を持つ物語がそれこそ山のようにあることを意識してのようです。
作者さんとしては、あれと似てるとか色々突っ込まれることを意図的か無意識かは別にして避けたかったのでしょう。
私はそのこと(言い訳めいた文章が含まれること)は好意的に受け止めています。

さすがに「世界の運命を背負っている美少女」という部分だけを考えたら今更感が強いですけど、

魔女達は10歳前後が多くて、ヒロイン(クトリ)と同じ15歳くらいが3人。
この3人のキャラがいいです。若干類型的なのは仕方ないですけれど。
私の好みとしてはやはりネフレンかな。
本好きキャラなんだから、アニメ化されるときはぜひ花澤香奈さんにCVやってほしいです。

ヒロインが死ぬことになっていたのは、強大な敵を倒すのにその命を使うことが定められていたからです。
でも主人公(ヴィレム)が剣本来の使い方を教えることで回避できることになりました。
ヴィレムとクトリの出会いの場面は有りがちだったけれど、全体的な展開はかなり面白いと思います。

気になっていた"娘”がどうなったのかが最後のほうに少し出てきました。
それによって続きを読む気になりました。

2巻が1月に発行されているのですが、品切れになっていました。
人気あるってことなのかな。

下はPIXIVで見つけた本作のイラスト担当ueさん(PIXではうさん)が投稿したクトリです。
ネフレンも描いてほしー。版権物は難しいのかな。


2015/3/5 追記

ようやく2巻を読み始めています。

それで思うのは、
なんか上の感想、たったあれだけの文章なのに随分間違ってないですかね。

妖精を魔女と書いたのはまあいいとしても。 ← よかないよ!
根本的な理解が違うんじゃないかと心配になってきました。

まあ、2を読み終わってから。w

終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (2) (角川スニーカー文庫)終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (2) (角川スニーカー文庫)
(2014/12/27)
枯野 瑛

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ああ、ネフレンが泣いてる・・・・・・。
(左がネフレン、右がアイセア)

2015/3/10時点ですけど、Googleで「クトリ ネフレン」の画像検索をやってみると、このブログの絵がずらずら出てきます。
まだ、ネフレンに言及しているサイトが少ないのかなあ。

2巻読み終わりましたが、まだ感想は書けていません。

私の中で「面白くて、キャラもよくて、大好きなんだけど、イマイチ」という不思議な評価になっています。
それがなぜなのか、言葉として整理できていないからです。


==

2015/6/16 追記

amazonで3巻の予約が始まっています。
7月1日発売です。

ここ、FC2ブログのマイショップ機能が先月で廃止になってしまったので、
amazonのタグがまた作れていません。
これから作り方を調べます。
面倒くさあ。

==

2015/7/2 追記

私って、バカ? ?????

上で7/1発売で予約始まってますって書いておきながら、予約してなかった。
何で?????

多分、タグ作ってここに載せてから予約しようと思って、それが簡単じゃなかったので
後で、と思っているうちに忘れていたのでしょう。

そういえばそろそろだったなとamazon開いてみたら、品切れでやんの。orz

明日地元の本屋に行ってみるかなあ。

fc2のマイショップ機能が廃止になったので、使いやすかった商品紹介リンクが作れなくなりました。
↓ この形のやつは嫌なのですが、私には今はこれしか作れません。



==

2015/7/5 追記

あ、それで、3巻は3日の仕事帰りに駅ビルの本屋に行ったら1冊だけ残っていました。
よかったあ。ww
初版発行部数が少ないのかなあ。

その3巻の帯に
「WEB,ブログ、読書メーターなどで、話題騒然!!
熱烈な支持を受け、人気急上昇中!」
とあります。

おほほっ。
このブログもほんの少しだけでも役に立ってるのかな。

尚、3巻は現在読んでいます。

==

2015/7/8 追記

3巻読了。

妖精のことを「健気な」と形容したら彼女達に怒られるか笑われるかするのかな。
しかしそれ以外どう言ったらいいのでしょうか。

妖精のレゾンデートルが自らを殺す、もしくは壊す、失うであって、それによる彼女達の行動が結果的に「健気」に見えているだけなのかもしれません。
最終的に明かされる(かもしれない)妖精の正体によっては、この見方は見当外れの可能性もあります。
でも、今の時点では「健気で」「儚く」「愛おしい」存在と認識しておいて、大きく間違ってはいないでしょう。

3巻あとがきに本作は「続けられないことに決まっていた」と書いてあります。
読者のおかげで続けることができるようになったと。

因果関係がよく分かりません。打ち切り決定のです。
最初からそうだったはずはありませんから、そんなに売れなかったってこと?
でも2巻だって発売直後にamazonで品切れになっていました。
元々発行部数が少なくて、amazonでは瞬間的に品切れになったけれど、末端の本屋では売れ残って全体としては低迷していたということなのでしょうか。
その上で、熱烈な読者(私を含むw)のプッシュがあって継続が決まったとか。

信じがたいなあ。
本作面白いですよ。
まあ確かに、以前も書いたように世界の運命を美少女が背負っているという設定、さらには異世界的なファンタジーの世界が舞台となると、そういう設定を好む読者が他のジャンルに比べて少ないのかもしれませんけれど。(ただの推測。根拠なし)

情報を持たない人間が色々憶測してもしょうがないか。
3巻が出たからよし、としましょう。

唯一現実の状況として見えていたのは、妖精達のイラストがネットに出ていないことでした。
試しにGoogleで「クトリ 終末」や「クトリ アイセア ネフレン」などで画像検索しみると、特に後者は今でも私のこのブログの(本作とは関係ない)絵が表示されます。
UEさんの描く妖精達はあれほど可愛いのに、なぜ絵師さん達が食いついてこないのでしょう。
一般的に、映像化されていないラノベのキャラは注目されないのかなあ。

私は絵を全く描けないから歯痒いのです。
絵師さん達は私なんかとは興味の観点が違うのかもしれません。
でも、大量に描かれているキャラ(今だったら「ダンまち」のヘスティアとか)を描いて埋もれるより、独自の嗅覚で見出したキャラを描いて注目されるほうがよほどいいのではないかと思うのですが。

さて、3巻内容について。
あ、内容に入る前に別のことを少し。

3巻を読んで、枯野さんの文章が私好みのそれであることに気付きました。
読んでいてとても心地いいのです。

これは「プリズム少女」「還りの会で言ってやる」の八重野統摩さんの作品を読んだときの感覚に似ています。
勿論お二人の文章はそれぞれ異なっています。
何か共通点があるのかもしれませんが、具体的には自分でも分かっていません。

枯野さんの文章は結構断片化されている部分があって、普通はそんなことをされると読むリズムが乱れます。
なのに本作を読んでいてそれに引っ掛かることはありませんでした。
地の文、会話、いずれもいい流れで読むことができました。
単純に「上手い」と言うべきなのでしょうか。

あとがきに「読み返したときに、『これはああいうことだったのか!』と額をぴしゃりできるような話が好き」と書いてあります。
これは私にとっては一部賛同できるのですが、微妙なところがあります。

私は、伏線とも呼べない、その時点では意味がさっぱり分からないことが、脈略のないところにあからさまに挿入されている文章はあまり好きではありません。
道を歩いていて大小様々な障害物が転がっているようなものです。
ゴール地点に辿りついてようやく「あの障害物は実はこういうことでした」なんて明かされても、邪魔だった印象のほうが残ってしまうからです。

だけど全てのそれが嫌なのではありません。
重要なのは「あからさま」の度合いです。
それを読んでいるときは引っ掛かりなくすんなり読めて、後になって「あ、あれは!」と思いだす、気付くようなものは好きなのです。

これは書き手の技量による部分が大きいと思います。
引っ掛かりを感じさせる文章は(私にとっては)下手の部類に入ってしまいます。

どのようなものに引っ掛かりを感じ、どのようなものに感じないかは、読んでみないことにはわかりません。
だから微妙と表現しました。

で、本作はどうかというと、例えばクトリの前世に絡む部分は、その「あからさま」に相当します。
でも論理的な説明はできませんが「脈絡」はあると思っています。
重要な要素として「そこにある必然」を感じるから、障害物ではないのです。
これは、やっぱり、上手いということなんだろうなあ。

また、描いてある情景、人物の心象、人物同士の距離感、そういったことが私の好みに合っていたことも文章に心地よさを感じた一因だと思います。

さてさて、内容についてです。

クトリとヴィレムの恋愛について。
あの距離感の絶妙さはどうでしょう。
べったりではない、イライラするほど焦れったくもない。
簡単には割り切れない背景からなかなか踏み出せなくて、それでいて互いを思っている心情の描写がとても好ましいと思います。
そしてヴィレムがプロポーズの言葉を口にするときの状況、情景、心象の面白さ。
ああいう、照れを含んだ場面にニヤニヤが止まりません。
枯野さん個人の恋愛に対するスタンスが反映されているのでしょうか。

ヴィレムのような主人公は、鈍感だったり、固すぎたり、下手したら唐変木だったりするのが普通です。
でもヴィレムは適度に敏感で、周囲との折衝などには適度に柔軟で、しかも適度に行動力があります。
この「適度に」ってところが重要なんです。

キャラの性格付けに作者さんがどの程度腐心されるのか知りません。
私は1巻を読んだ時点で、3人の妖精のことを若干類型的と書きました。
でもね、今回新たに登場した2人を含めて、類型的という表現は撤回します。
妖精だけではなく登場人物それぞれが、あの世界の中で、しっかり個性を持って生きていることを感じます。

3巻の終盤、数百匹の第六の獣に飛空艇が襲われる場面。
枯野さんの筆致は決して熱くはありません。
かと言って淡々としているのでもありません。
熱さを秘めた冷静さとても言えばいいのかな。

限界まで戦ったネフレンが落ちていく。
ヴィレムがそれを追って宙に舞う。
絶望的な状況の中、クトリが駆けつける。
自身の記憶を犠牲にして二人を救うために。

クトリは幸せにならなければなりません。
私だけではない、多くの読者がそう思っているはずです。
失われてしまったクトリの記憶は、次巻ではどうなってしまうのでしょうか。
アイセアがアイセアではなかったことは重い事実ですよね。

枯野さん、お願いします。
クトリをクトリのまま、幸せにしてあげて下さい。

小説の感想でこんなお願いを作者さんに向けて書くのは初めてだ。
でもやっぱり、私はネフレンがいいなあ。←誰も聞いてないよ!



2015/12/30

4巻は昨日届きました。(本当は一昨日だけど、不在通知)

大掃除の合間に少しずつ読んでいます。
感想は年明け。

本当はこれまでに読んだ部分にだけでもコメントしたいけれど、自重します。

==

2016/1/14 追記

4巻感想

4巻は難解でした。
難解というより、密度が濃いと表現したほうがいいかな。

実際には「夢のゴマグ市での出来事」が内容の大半なので、物語としては3巻の巻末で止まったままと見なすこともできます。
それなのに密度が濃いと感じたのは、一つには、4巻の中で時系列を細かく前後させた記述が多かったのが原因でしょう。
読んでいて自分が今どこに(どの時点に)いるのか、あれ? と思うことがよくありました。

結局4巻は二度読みしました。
これは私としては珍しいことです。

二度読みしたのは密度が濃くて難解だったからではありません。
だって……。
4巻はネフレンが重要なプレーヤーとしてずっと登場しているのですから。w

ネフレンははっきり物を言わないし、なぜそんなことをするのか分からないことも多いので、ぼんやり読んでいるとその意味に気付かないことが結構あります。
彼女の発言や動作行動を正しく理解して読み解くには二度読みしなければ。

私はこのブログには主にラノベ系の小説の感想ばかり書いていますが、それ以外の本も読んでいます。
読むべき本、読みたい本が沢山あるので、1冊を再度、それも続けて読むなんて滅多にしません。

4巻を二度読みしたおかげで、ネフレンの発言や行動の細かい理由、機微がよく分かりました。
以前の巻にあまりなかった「ネフレンがそれを言う理由」「ネフレンがそれをする理由」がかなり明示してあったことも大きいです。

そうかあ。
私はネフレンはヴィレムに好意を持っているのだけど、クトリとの関係から一歩から二歩身を引いているのだと思っていました。
勿論それもあるのでしょうが、それだけじゃなかったんですね。

アルマリアとの会話で出てきたこの科白。
「ヴィレムは一人でいると壊れそうだったから、そうならないように、そばにいるのが私の役目。ちょっと邪魔かなってくらいの距離感を保つのが、最近つかんだ極意」P136

ヴィレムのことが分かっているし、そのために自分が何をしたらいいかも分かっているということです。
この中で「壊れそうだった」と過去形になっているのは意味があります。

冒険者組合からの依頼を終えてヴィレムとネフレンが養育院に帰っているときの会話。
「じゃあ何で今は遠慮勝ちなんだよ?」
「……放っておいても、壊れなさそうだから」
「ん?」
「私ひとりだけで、壊れそうだから」P176

この「私ひとりだけで、壊れそうだから」は解釈がちょっと難しかったです。
「壊れなさそう」はヴィレムのことで、だからもう放っておいてもいい。
じゃあ「壊れそう」なのは誰なのでしょう。
ネフレンは言葉が足りないから。

ネフレン自身のことであれば、なぜネフレンが壊れるのかが分からないのです。

また「壊れる」という比喩的表現の指す事態が、ヴィレムの場合は何となく想像できます。
しかしネフレンはどう壊れるのでしょうか。

但し、袖をつまんだ理由はこれで分かります。
自分が壊れそうで怖いからそれを防ぐため、もしくは安心するためにヴィレムの袖をつまんだということです。
それも「遠慮勝ちに」っていうのが、いかにもネフレンらしいなあ。

4巻のクライマックス、ヴィレムが第一の獣に侵蝕されるとき、ネフレンはアルマリアとの約束を守って自らもそれに身を委ねます。
ネフレンのことだから、アルマリアとの約束が無くてもそうしたかもしれません。
でも、あの約束は「記憶」ではないアルマリア「本人」の願いからなされたものですよね。
ネフレンの行動は、次巻以降どのような影響を与えるのでしょうか。

==

ということで、ネフレンのことをより深く理解できたので二度読みした甲斐がありました。

しかし、4巻はこれまで以上に謎が広がりました。

まず、あの夢の世界の正体。

4巻を読んでいる途中、私は「ヴィレムとネフレンが過去に飛ばされた」のだと思っていました。

しかしあの世界は最初に<獣>と化したアルマリアが、ヴィレムの「帰ってくる」という約束を実現させるために作り出した箱庭でした。
だから現実から取り込まれたヴィレムとネフレン、そして緋色の髪の少女と空魚以外は全て死んだ人、もしくは獣になった人の「記憶」でした。

だとしても、幾つか腑に落ちない点があります。

・住民が灰だけの世界を懐かしいと感じる理由
 これは夢の世界の元になったのが「記憶」だとしても、その記憶は獣の出現から500年間、砂だけの世界に「いた」のだから、それを懐かしく感じるのだろうと理解しています。
 しかし住民の記憶はアルマリアが500年前自らが獣になったときに自分の中に取り込んだと説明されていますから、住民にはその記憶(砂の世界の記憶)はないはずです。
 結局、第一の獣つまりはアルマリアの影響によるものなのでしょうか。

・緋色の髪の少女と空魚が巻き込まれた理由
 3巻最後の時点でヴィレムの近くにいたということなのでしょうか。

・夢の世界で住民の獣化が始まるまでアルマリアに獣としての自覚がなかったとしても、自分の姿を消して地下室に戻ったとき、そのアイデンティティーはどうなっていたのか
 これ、分かりません。
 箱庭を作る動機というか、箱庭を作る時点での獣の意識にはアルマリアの意識がある割合含まれていたのかどうかも分かりません。

==

緋色の髪の少女については、現時点ではまだ推測するのも困難です。
クトリとの関係、不死人とはどういうことか、現実の500年前何をしていたのか(リーリャをなぜ知っているのか)、氷塊の中の子供との関係、空魚とは何か、かーまとは誰か。

どれもこれも分からないのです。

==

次巻ではアイセアが活躍するのかな。

==

うーん。1,2,3巻もまた読んだほうがいいかなあ。

==

2016/4/30 追記

5巻感想 (これを書き終わるまで「会えますか?」は封印しました)


再度書くと、5巻を読んでの感想は「残念だった。でも満足した」です。

本作(以下「いいですか?」と表記)の主題(テーマ)は、「回帰願望」と「無常」であるという理解でいいのかな。

ただ、「無常」という言葉は「いいですか?」には似つかわしくないように思えます。
言葉の持つイメージとしては「無常」よりも「万物流転」のほうが「いいですか?」で表現されている世界に近いんだけど、これもしっくりはしません。
「無常」は平安末期くらいの抹香臭と諦観が匂い立つし、「万物流転」は語感が動的過ぎるからでしょう。いずれも私の個人的な感覚です。
「無常」の静謐さと「万物流転」よりも少し弱い程度のダイナミックさを兼ね備えた言葉で、「いいですか?」を5巻まで読んだ私の心象に合致するものが思いつきません。

なのでここでは但し書きを付けた上で「無常」を使うことにします。

==

ここで、「いいですか?」の正式タイトルを思い出してみて下さい。

「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」という、いかにもラノベっぽい長いタイトルの言葉は誰のものなのでしょう。
5巻まで読み終わってこれに納得できるという読者はあまりいないのではないでしょうか。

タイトルの3項目「救ってもらっていいですか?」は、「誰を」もしくは「何を」が省略されています。
普通に考えると「私を」「私達を」「私の世界を」という辺りでしょうか。
自分が含まれない第三者を救ってもらいたい場合はその対象を明示するはずです。
であれば救われたい「私」は誰なのか。

ちなみに英語表記のタイトルではさすがに目的語を省略できないせいか“save xxxx”としてあります。これ考えた人(枯野さんかどうかは不明)はどう表記するか悩んだかも。w   ※

妖精達は救ってもらいたいとは考えていなかったんですよね。(私の読みが浅いだけかも)
その中でクトリはちょっと変わっていて「死にたくない」と思っていました。
かと言って彼女が「救ってもらいたい」と思っていたかどうかは結構微妙ではないでしょうか。

また、このタイトルが問いかけている相手も誰なのか分かりません。
ヴィレムだと考えるのはかなり座りが悪いし、かと言ってanybodyってこともないでしょう。
英語タイトルではyou。読者?

そんな訳で、私はこのタイトルにはいまだに違和感ありありなのです。

その上で特に注目したいのはタイトル冒頭の「終末」という言葉です。

「いいですか?」1巻でのクトリとヴィレムの出会いの場面の賑やかさや、妖精倉庫での日常などは、それなりの繁栄が見られて終末の世界という感覚が希薄でした。
終末と言えば夕暮れの薄暗いイメージが湧いてくるため、空に浮かぶ陸地とそこにある都市が持つ「青空に近い明るい場所」というイメージと乖離しているせいもあります。

その意味では、獣によるカタストロフが出来した500年前の時代のほうが終末の雰囲気が濃いのではないでしょうか。
取り方次第では、500年前に終末は終わって、その後新しい時代が始まったと見なすことも可能かもしれません。

気を付けなければならないのは「終末」=「無常」ではないということです。
私はここで言う終末は、ある文明、またはある惑星、さらには宇宙規模の終わりの時期という意味だと思っています。つまりキリスト教や仏教で言うところの宗教的な終末・末世とは別の概念であり、敢えて言えば歴史のタームです。

惑星であれ宇宙であれ、その時点で何等かの知的存在による文明が、形態はともかく存在していることを前提としています。
だって生命の(もしくは知的存在の)いない惑星が滅んだとしてもそれは終末とは言えません。宇宙が滅んだ場合はそれを記述する歴史なんて残りませんけどね。

一般的な意味での文明の終わりというのは、他民族に滅ぼされるとか、気候変動・疫病・天変地異といった外的要因で壊滅的な被害を受けるということが殆どでしょう。何らかの理由で自滅した文明もあったのかもしれません。
惑星の場合は巨大な天変地異か、超遠未来に太陽に飲み込まれるか。核戦争や重力兵器による惑星崩壊も考えていいかな。
宇宙の終末は想像の枠外だなあ。せいぜい思いつくのはビッグクランチとか熱的死とか。光瀬龍さんの「百億の昼と千億の夜」では宇宙そのものに最初から滅びの因子が組み込まれていました。

文明の場合はそれを支配する政体が滅ぶのは一瞬だとしても、文明自体は長い衰退期を経て滅ぶのが普通でしょう。
この衰退期にはあまり面白い物語は生まれないような気がします。
あえて物語にすれば、衰退を止めるため、もしくは繁栄を取り戻すため何等かの抵抗をするという内容になると思います。
百億の場合はアシュラ王、シッタルタ(仏陀)、プラトンの三人がそのために動きました。

このように終末を、終末期の物語を考えてみると、「いいですか?」はちょっと違うんですよね。
その違いについては後述します。

と、ぐだぐだ書いてきました。
ところが、私はこのタイトルが嫌だと思っているのではありません。むしろ好き。

もう少しぐだぐだが続きます。

タイトルの前2項は同音の「週末なにしてますか? 忙しいですか? 」の捩(もじ)りになっていると見なすことができます。
そしてこの言い回しは2つの解釈ができます。

A) あなたは(毎)週末にバイトか何かやっていますか?
B) あなたは今度の週末に何か予定は入っていますか?

同じようなものに見えるかもしれませんが、状況はかなり違います。

Aの状況:新しく集まったグループで何か(同人誌作り、軽スポーツ、ボランティア等々)をすることになって、リーダー役の人がメンバーに予定を聞いている。

Bの状況:女の子が学校の先輩もしくはまだそれほど親しくない同級の男の子に、何か(代表はデートなんだけど、それ以外のことでも可)をお願いするために探りを入れている。

そして3項目として「救ってもらっていいですか?」に相当する「~してもらっていいですか」が続くのであれば、この場合の状況はBであるということになります。

例示すると、こんな感じ。
「週末なにしてますか? 忙しいですか? 買い物につきあってもらっていいですか?」

つまり、かなり特殊に見えるあのタイトルは、私達の日常のありふれた状況で発せられる言葉とその構造的な本質は同じだということです。

な~んて、そんなこと誰だって分かっているのでしょうが、文字として書き残しておくことに少しは意味があるかな。

私は「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」というタイトルで状況Bを想起して、それ故に惹かれて、本書を手に取ったのです。
「それ故に」を説明し始めたら痛いことになりそうなので、止めておきます。w


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3巻感想で書いた私の、そして私以外の多くの読者も持っていたであろう「願い」は叶いませんでした。
5巻のクトリは登場人物の会話や思考に現れるか、幻聴じみた声を聴かせるだけの存在でした。

クトリが消滅したのは否定しようがありません。
5巻最後に登場した幼い妖精(リィエル)はクトリの生まれ変わりを示唆しています。
リィエルが木から落ちてヴィレムにぶつかる場面の描写は、1巻で猫を追いかけて街中で転落したクトリがヴィレムにぶつかる場面と全く同じです。

うーん。これ、
無常という主題の上では、あってもおかしくない結末です。
だけどなあ。

これが「残念だった」という感想の正体です。
私はクトリがクトリのまま幸せになることを願っていたのですから。

P272にヴィレムとエルクが世話になっている宿の主人アスタルトスの科白として「ずっと幸せに暮らしました」というお伽噺の結末へのコメントが記載されています。
あれは3巻感想で私が書いた
>枯野さん、お願いします。
>クトリをクトリのまま、幸せにしてあげて下さい。
に対する枯野さんの回答だと理解することにします。

ただまあ「会えますか?」ではもしかするとという期待もまだ持ってはいるのです。
5巻物の小説でメインヒロインが3巻末で死んでしまうなんて、あんまりだ。w

それに「いいですか?」の世界の中では生と死の概念、境界がかなりあやふやなんですね。

エルクは不死人と言いながら死ぬし、でも生きてるし。
妖精たちに殺されたヴィレムも妖精倉庫に戻ってくるし。

それとエルクが何度も口にする「くとりは私だけど、私はくとりではない」という科白は、希望的観測を添えて深読みすれば色々な解釈ができそうです。

これは「会えますか?」の楽しみの一つとしておきましょう。

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クトリが3巻で過去に侵蝕されているときに見た雑多なイメージは何だったのでしょう。
3巻までの説明では、妖精は幼くして死に、自分の死を認識できていない子供の魂の生まれ変わりでした。
であれば、その死んだ子が生前に見たもののイメージが、まだ幼いが故にちょっと変わったものとなってクトリに見えていたと理解することはできます。

でも5巻で明らかにされた妖精の正体は、リーリャによって殺されたエルクの魂の欠片でした。

え? 違うんかいと思いました。
それまでは人(獣人)の子供の魂の生まれ変わりだと思っていたのですから。

でもよくよく考えてみると、3巻までの妖精の説明部分は実に巧妙に書かれています。
まず、それはあくまで「そう言われている」というレベルの話であること。
獣人(もしくはエムネトワイト)の子供だとは明言してないこと。

エルクは幼い星神であり、殺された時点では死を認識できていません。
だから妖精の正体がエルクの魂の欠片であっても、3巻までの説明に嘘はないのです。

ただ、過去の記憶に侵蝕されてしまう点にはちょっと納得できない部分があります。

アイセアは、過去の妖精の記憶に侵蝕されてしまい、アイセアとして生まれた妖精のそれまでの記憶は消えてしまっています。

アイセアの前世妖精は記憶侵蝕を受ける前に死んだ(消滅した)ようなので、その記憶が保存されていたことに矛盾はありません。
しかし記憶侵蝕が起きるとそれまでの記憶が消えてしまうのはなぜでしょう。

また、クトリは髪や目の色という身体的特徴の変化がありましたが、アイセアは変わらなかったようです。(変わったら周囲の妖精に気付かれてしまいますもんね)

また、クトリは妖精としての前世ではなく、エルクに記憶侵蝕されている(らしい)こともアイセアと異なっています。

また、アイセアは記憶侵蝕の進行中に奇妙なイメージは見たのでしょうか。
見たのであれば、それは前世妖精のもの? それともエルク?


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そう言えば、最終的にネフレンはどうなったんだ!

ネフレンは最初の獣に半分侵蝕された状態でアルマリアの結界から解放されました。
その後護翼軍に保護された形で浮遊大陸群に戻りました。

本人が言う「使用済み兵器」であり、しかも人間と違った意味で獣に侵蝕されていることで放置しておくと何が起きるか分からない危ない存在になっています。

妖精倉庫に戻ることはできません。

彼女はそれでも「ヴィレムの側にいてやること」を自分の存在意義として認識しています。

愛情とかではないと言っています。
ヴィレムが獣に成り果てていても構わないと言っています。

じゃあ何が目的なのでしょう。
まあ、それはいいや。

ヴィレムが自己を保つことができのは、ネフレンが獣の半分を引き受けたからなのでしょう。
4巻でヴィレムと一緒にアルマリアの夢の結界に取り込まれたのはそういう意味もあったのですね。

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ここで、「会えますか?」の世界を、私の中途半端な理解と、中途半端な想像を交えて整理してみます。項目によっては間違っている可能性があるので鵜呑みにしないように。

本作では浮遊大陸群のあるあそこを指す言葉が明示されていませんので、ここでは便宜上「地球」と呼ぶことにします。
また、人間と獣人との関係も少しややこしいので、ここでは両方指す場合は「人」と表記します。人間と表記したら、獣人を除外した所謂エムネトワンを指しています。

・星神は遠い異星の住民だった
・遥か昔、星神の星で異変が発生し、星神達は船に乗ってそれを逃れた
・船が宇宙空間を彷徨う乗り物なのか、異世界への移動手段なのかは不明
・星神全てが同じ出自ではない
・「獣」と「砂」の惑星だった地球に星神が到着した
・星神は地球で大きな力を振るうことができる(元々なのかどうかは不明)
・星神は地球では不死人となる(トラブルが何もなければ死なないということかな)
・星神は地球で人間を作った(同時に環境も作ったと思われる。時期は不明)
・人間の核は当時地球にいた獣であり、皮は星神の魂である
・人間が世代を重ねて増えるにつれてその皮が薄くなってきた
・皮が破れるか、それ以外のトリガーが発生すると人間は獣に戻る
・500年前、人間の新しい皮を得るためにリーリャは星神エルクを殺した
・ヴィレムは地神イーボとの戦いで石化した
・スウォンは地神ジェイとの戦いで殺されたが、人間ではないものとして生き残った
・人間はエルクの魂の処理に失敗した。半分はエルクとして残り、半分は破片となった
・このときアルマリアが最初の獣になり、地球地表の世界は崩壊した
・エルクは地神カーマとともにアルマリアの夢の結界に閉じ込められた
・大賢者スウォンは浮遊大陸群を作り、生き残った獣人を移した
・獣人がどうやって生まれたのかは不明
・地神とはエルクが乗っていた船のAI(?)
・エルクの破片は妖精として生まれるようになった
・大賢者スウォンと地神イーボは黄金妖精に肉体と人格を与えて対獣の兵器とした
・エルクは夢の結界の中で黄金妖精の一生を物語として見ていた
・500年前の戦いで石になっていたヴィレムが復活した
・プランタギネスタ事件発生。クトリ消滅。ヴィレムとネフレンがアルマリアの夢に囚われる
・ヴィレムがアルマリアである第一の獣を殺し、夢の結界は崩壊

5巻で判明したことを中心に思いつくまま主要事項を列記してみました。
一応時系列としています。

こうやって俯瞰してみると、すごい世界だなあ。

星神にはヴィジトルスとルビが振られています。
つまりvisitors、訪問者達ということです。本文中では来訪者と書かれています。

ヴィレムの師匠であるニルスはエルクとは別の星からきた星神でした。
500年前の時点で、星神はエルクとニルスの二人しかいません。

人間に星神を信仰させたのも、星神であるエルクを殺して人間の新しい皮にすることを目論んだのも、そのニルスのようです。

ニルスはリーリャがエルクを殺すことで必然的にリーリャも死んでしまうことを避けるためにリーリャに行くなと言います。
つまり自分を殺すつもりだったのです。

しかしリーリャはニルスの言葉を蹴ってエルクを殺し、自らも死んでしまいます。

5巻冒頭でニルスとリーリャの会話として語られるこの辺の事情はかなり深いです。

ニルスがエルクと同じ出自だったら、そもそもニルスはエルク殺しを発案するはずがありません。だから違う出自という設定になっているのでしょう。

リーリャがエルク殺しに赴いたのは、正規勇者の資質を持たないヴィレムをアルマリアが待つあの家に「帰す」ためでした。
(この点については、まだちょっと私の中での論理構成があやふやです)

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5巻ではアイセアが活躍するのかと思っていたら、アイセアよりもラーントルクのほうが目立っていました。

アイセアは以前の妖精の生まれ変わりという記憶を持っているせいか、どこか達観した風情があります。
クトリを助けるためにネフレンが色々やっていた調べ物を引き継ぎ、自分達が何者なのかを探求しています。

しかし黄金妖精の正体についての情報は、誰がどうやって入手して本に記録したのでしょうか。
全てというか、概要を知っているのはニルスだけのはずです。
地神イーボと大賢者スウォンも当然知っています。ニルスとの情報格差は不明です。
そういった人から聞き出した誰かが死霊学として記録していたってことかな。
大賢者スウォン自身が書いたのかもしれませんけど。

アイセアは通俗恋愛小説を読みながら「もう少し長かったら私も」的な愚痴らしきものを口にしています。
「いいですか?」がもう少し長く続いたら、ヴィレムとの関係がもう少しどうにかなったかもということかな。

この場面はもしかしたら4巻感想で書いた
>次巻ではアイセアが活躍するのかな。
に対応しているのかもしれません。

こういうメタ的な(恋愛小説の登場人物が「っす」と言う点にも言及している)記載があちこちにあって、それを嫌う人もいるかもしれませんが、私はとても楽しかったです。

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獣人とは何なのか。

蜥蜴、狼、犬、猫、兎、鳩、豚といった動物だけでなく、鬼とかまあ色々います。
記述をよく読むと、爬虫族と獣人族は別の種族に分類されているようです。
ただ、あまり厳密な体系的記載がありませんので、ここでは人間(エムネトワイト)以外の知性を持った存在を獣人と呼ぶことにします。

トロールであるナイグラートは徴無しに分類されています。
獣人の中で、角や牙、翼といった見た目の特徴が無い存在、つまり人間と同じ外形をした存在が徴無しであり、妖精も徴無し扱いされています。

こういう存在は、500年前以前から地球いたことになっています。
であるなら、どうやって獣人ができたのかよく分かりません。

星神が地球に来たとき、そこは「原初の獣」と「砂」の星であり、人間はいなかったのだから、獣人もいなかったはずです。

・星神は獣を核にして、自分達に似せて人間を作った
・それと同時に、植物や動物も作った(モデルは自分達の故郷)
・動物を作るとき、獣を核にはしていない(私の想像)

ここまでは無理なく推定できます。

ではこのとき獣人(知性のある存在)も作ったのか。
その核になぜ獣を使わなかったのか。
獣人の核が原初の獣なら500年前のカタストロフのときに人間と一緒に獣化するはずです。

可能性を挙げると、私が思いついたのは次の2つです。

A)人間と同時に獣人を作った。目的は争わせて星神の娯楽にすること?
B)獣人は動物が勝手に知性を獲得して進化した

人間と対立して争う程度の知性があっても、文明を築くほどではなかったのかもしれません。

・500年前のカタストロフのとき、スウォンは浮遊大陸群を作った
・そのとき人間は全て獣と化していた(石化していたヴィレムを除く)
・獣を核にしていない獣人を人化し、知性を与えて浮遊大陸群の住人とした

つまり、最初に人間を作ったときに獣を核としたように、獣人を核として現在の獣人を作ったのではないかということです。
皮は獣化した人間から剥がれた星神の魂です。

私の想像なのでこれが正しいという保証はありません。多分間違っています。
それに4巻以前のどこかにちゃんと書いてあって、私がそれを覚えていないだけかもしれません。

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ナイグラートはいいキャラをしているなあ。
ネフレンは別格としても、私は登場人物の中でナイグラートが一番好きかもしれません。トロールとしての特異な設定は勿論、会話の妙、妖精たちへの気持ちがとてもいいです。

彼女に限らず、枯野さんの文章の中では会話部分が秀逸だと思います。
会話している当人達が特別に意識して気取って喋っている訳でもないのに、どんな場面でも機智溢れるやり取りが展開されています。
読んでいて本当に楽しいです。

それと、エルピスの対獣用兵器とヴィレムの戦い、その後の妖精たちとヴィレムの戦いの場面はその激しさとは裏腹に抒情的でさえあって、私が3巻プランタギネスタ事件での獣との戦いの場面を形容した「熱さを秘めた冷静さ」そのものだったと思います。

5巻もやはり二度読みしました。
4巻を二度読みしたネフレン云々からではなく、この感想を書くに当たって細部を覚えきれなかったからです。

ストーリーの大筋は覚えていました。でも所々、なぜそうなるのか、なぜそうするのか、といった論理的な展開が頭に残っていないのです。

これはどうしてかなあ。
やはり1巻なんかに比べて物語の密度がちょっと高いんですかね。

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さて、上述した「いいですか?」の世界における「終末」について、もう少し考えてみます。

500年前、リーリャを代表とする人間達がエルクを殺そうとした(実際殺した)行為は「衰退を止めるため、もしくは繁栄を取り戻すための抵抗」に相当します。

ただこれは実際には衰退を止めるというより、「当面の滅亡の危機」を避け、「現在の繁栄を持続する」ことが目的です。

結果としてそれは失敗し、人間は瞬間的に滅んでしまいました。

でも、エルク殺しの時点ではまだ終末(期)は訪れていないのではないでしょうか。
少なくとも一般の人間は自分達が滅亡(獣化)の淵にいることを知りません。
だから見えない終末期って言えばそうなんだけど、人間の社会がその雰囲気に覆われていることはないと思うのです。

その後の浮遊大陸群の人(獣人達)は地上の獣の脅威から自分達を防衛しながら500年間暮らしてきました。
第六の獣の襲撃は別にして、その世界にも衰退へ向かう終末の気配はありません。
細々かもしれないけれど、それなりの文明を築いて繁栄しています。
ここにも終末の姿は見えないのです。

ただ、大きく俯瞰して考えれば、あの世界そのものが、星神が人間を作った時からすでに終末を内包したものであると捉えることも可能かもしれません。
(何だか、自分が言ってることを簡単にひっくり返す論法になってしまったw)
2巻だったかに、明日にでも滅ぶかもしれない状況を妖精達の働きで防いでいるといった記載があります。

このあたりは「終末」という言葉をどのようなものとして捉えるかの違いによるのかもしれません。

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さてさて。
5巻の帯に色々なステージで本作が高ランクになっていることが示されています。

となるとアニメ化の可能性も高くなってきたんじゃないかな。

1巻を読んだときの感想でネフレンについて
>アニメ化されるときは花澤香奈さんにCVやってほしいです。
と書きました。

このときはアニメ化自体が「されたらいいなあ」程度の気持ちでした。

でも現実味が出てくると、花澤さんにやってほしいという気持ちも大きくなってきます。

だって、天野遠子-汐宮栞-河合律と連なる花澤さんが演じた本好き少女の系譜にネフレンが入ったら嬉しいじゃないですか。
キャラCDも出るだろうし。

少年ジャンプのバクマンに、マンガのアニメ化の際、キャストに原作者の意向がある程度は考慮されるみたいなことが書いてありました。
枯野さんに例えば「クトリはこの人でなきゃ嫌だ」的なこだわりがないのであれば、花澤ネフレンのことを頭の隅にでも置いといてもらえたら。

あ、でも、そうならなくてもいいんです。
キャストが誰になろうとも、アニメ化は近い将来にやってくる(かもしれない)楽しみの一つとして心待ちにしておくことにします。

ヴィレムはどんな風に「けけけ」と笑うのでしょうね。

==

やっと5巻(と言うより全体)の感想を書き終わりました。
1巻から4巻までの感想の文字数合計を凌駕するボリュームになりました。
まだ全然書き足りていないのですが、とりあえずここまでとします、

1巻を読んだ時点で「いいですか?」のことを特殊な設定下でのラブコメなのだろうと思っていました。
巻が進むにつれて、いやいやとんでもない、壮大な世界観をバックにした骨太のファンタジーであることが分かりました。

この5巻感想を書きながら、1.2.3巻を結局もう一度読みました。

文明の終末とはどのようなものか、生まれ変わりによる自己とは何か、存在する理由、戦う理由、帰りたい場所、そして移ろいゆくもの・こと。
この感想を書くに当たって色々なことを考えました。
その多くは言葉としてここに書き記すにはあまりに中途半端で恥をかきそうなので秘めておきます。
上に書き連ねたことにも、多くの間違い勘違いが含まれていることでしょう。

打ち切りになりかけた事情や「会えますか?」との兼ね合いなどからなのか、「いいですか?」を単独でみた場合、緻密さや完成度という点ではあまり評価をすることはできないのかもしれません。
だけど、それでも、本当に満足することができました。

さあこれでようやく「会えますか?」を読むことができます。
読み始めたらすぐ、この5巻感想に書いたことがひっくり返されたりして。ww
いいんです。そういうことはこのブログの「あるある」ですから。

==

ずっと待ち望んでいたネフレンのイラスト。
forget-me-notさんによるPIXIV最初のネフレンです。




2016/7/2 追記

本日届いた「会えますか? #02」の帯に「アニメ化企画進行中!!」の文字が!!!!!
うれしいですねえ。
このページで「いいですか」一巻の感想のときからアニメ化に言及していた私としては、それが現実のことになるこの日を待っていました。
ツイッターとか関連情報にアクセスしていないから、遅い反応なのかな。まあいいや。w

枯野さんのサイトを開いたら、昨日公開の情報でした。
続報を待ちましょう。

本当に嬉しい。

同時にコミカライズも連載開始だって。
帯の裏にイラストが載っています。
これは買わざるを得ない。


2016/07/09

月刊コミックアライブ8月号届きました。

騙しじゃなーかあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。

変だとは思ってたんですよ。

角川スニーカー文庫の公式サイト、終末のページに「月刊コミックアライブにて、コミカライズ連載開始!!作画:せうかなめ click!>>」という丸いポップみたいなリンクがあります。
それをクリックすると月刊コミックアライブのオフィシャルサイトが開きます。
トップページの8月号の表紙写真に、4大新連載!としてクトリの絵が載っています。

これだけ条件が揃えば、と言うかこれで8月号からの連載開始を疑う人なんかいません。
でも、どこも妙によそよそしい。
トップページのバナー並びの中に無い。
華やかであるべき新連載なのに、最新号の内容紹介ページで一番最後にモノクロイラストが1つっきり、しかも紹介の文章も他の連載作品には書いてあるのに、これだけ無い。


さっきクロネコが届けてくれました。
あれ? こんな重いの最近注文した覚えないけどなあ。
おお、これこれ。待ってました。

さて、どこだあ。
カラーページにイラストは、っと無いかあ。まあまだ知名度ないからねえ。
最後の目次を開いて、1257頁? すごっ。

さあて、千二百五十・・・、あれ? もうページないぞ。
あっ! なんじゃこれは!!!!

「プレ連載」 4ページ

これが、お前らのやりかたかあぁぁぁぁぁ・・・
角川さん、最近こんなやり方してんの?

いいんですけどね。
知ってても買ったでしょうけれどね。
800円だし。

でも知らないで書店で買って、重い重いと持ち帰って、さあっと開けたら4ページだったら悲しいと思うよ。
クロネコさんありがとう。

で、まあ。
その4ページを見た範囲では、「会えますか?」#02の帯にあったイラストで若干不安だった作画も、満足とは言わないまでもまあ我慢できそうな範囲だったから、とりあえず良かった。

ネフレンも1カットだけ出ています。寝顔だけどね。

==


2017/3/15

タイトルの英語表記なんですけどね。
文庫版の表紙と、アニメ公式サイトでかなり違っています。

原作
Do you have what THE END?
Are you busy?
Shall you save XXX?

アニメ
What do you do at the end of the world?
Are you busy?
Will you save us?

中学校英作文だとアニメ版が正解かな。
アニメ版では救う対象が明確に「私たち」になっています。




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