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遅れてきた突っ込み
書きたいことは山ほどあるけど、暇がない。 だから、多分、どれも旬を過ぎた話題ばかりに なりそうなブログ。ここでのハンドルはたか号ですが、小説などはgatsutaka名で書いています。
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君の名は。 感想
「映画 君の名は。」を公開2日目2016/8/27に見ました。
まだ一回だけです。    (2016/09/19時点で5回)(2016/09/24時点で6回)(2016/12/22ようやく7回)

興業収入ランキングで初登場一位だそうで、感慨深いなあ。
それについても色々言いたいことがある(※1:2016/09/22追記に書きました)のですが、それ以前の問題として。

感想がまとまりません。   困ったもんだ。(笑)

あることを対象に考えたとき、それをを肯定する気持ちと否定する気もちが同時に又は交互に被さるように現れて、どちらが自分の本当の気持ちなのか分からなくなっています。

まとまらないなりに、文章にできた部分を順次アップしていくことにします。

映画を見る前に書いた小説の感想はこちらです → 「小説 君の名は。 感想」

まず考えたのは「これまでの新海作品を見たことがない、知らない状態で本作を見たらどう思っただろうか」ということでした。
その場合、多分ですが、絶賛していたのではないかと思います。

しかし私は過去の作品を知っています。見ています。

そして少なくとも「ほしのこえ」「雲の向こう、約束の場所」「秒速5センチメートル」3作品と通底するテーマ、エッセンスを感じることで「比較」という余計な意識が発生してしまうのです。
これら3作品で最終的に放置(放置という言葉は正しくありませんが、一応そうしておきます)されていた部分が、本作品では回収、解決されました。
それは距離の問題であり、失われた記憶の問題であり、それによって再び会いまみえることができなかった二人の問題です。
本作の瀧と三葉はラストシーンで(完全にかどうか明確ではないけれど)記憶を取り戻し、ついに対面を果たしました。

私が以前の3作品を気に入っていた最大の理由は、「放置」されていたからなのかもしれません。
但し「悲劇的ではない形で」という条件が付きます。3作品はこれは満たしています。
放置されていれば、見終わった後にその続きを色々想像することができます。
作品として表現されている範囲に浸ることもできるし、その先を考えて勝手な自己補完することも可能なのです。

しかし本作品では放置されず解決してしまいました。
それは本来ハッピーエンドの物語が好みの私にとってとても好ましいこと、嬉しいことです。
だけど本作品に限って言えば、解決したが故に完結してしまい、もうそれ以上想像の余地がありません。

例えば秒5だと最初に見てから10年近く、何度見てもその都度の解釈、受け取り方が生まれ、考え続けることができます。
年に一度か、半年に一度程度でも、DVDを引っ張り出してまた見ようという気になります。(実際、その程度の頻度で繰り返し見ています)

本作は「瀧と三葉、二人会えてよかったね」で終わってしまうので、ブルーレイを買ったとしても、一度見てその後に再度見ることはしないんじゃないかなあという予感がするのです。

2016/08/31 以下随時続く

==

今日の仕事帰りに2回目見てきました。1100円の日でしたから。
平日なので学校帰りの高校生カップルが結構いました。

今回は時点に注意して見ました。
時点がコロコロ変わるので、最初に見たときは少し付いていけなかったのです。
今回は前回よりも感動が大きかったような気がします。
これで映画の全貌が頭に入ったから、次回以降は色々細かい観点で見ることができるでしょう。

2016/09/01

==

2016/09/04

タイムテーブルを作ってみました。

見にくいのはご容赦を。
気が向けばもう少しましにしてみますが、HTMLのタグなんてもう何年も触っていないから表の作り方を覚えていないのです。
それに、内容に間違いもあるかも。

結構、この種の情報があるみたいですね。
この表は一応独力で(要するに記憶の範囲で)作りましたが、一部情報にカービィくんさんのサイトを参考にしています。
後でお礼に行こう。←行ったんだけど、あれ? 失礼があったらごめんなさい。

三葉時間三葉出来事瀧 出来事瀧時間
2013/9/4三葉と瀧入れ替わるようになる。瀧と三葉入れ替わるようになる。2016/9/4
    
    
    
2013/9/E口噛み酒をお供えに行く。←お供えに行ったのは瀧2016/9/E
    
2013/10/3三葉東京に行き、
中学生の瀧に紐を渡す。
三葉髪を切る。
瀧、奥寺先輩とデート2016/10/3
2013/10/4彗星災厄。三葉死亡。
中学生の瀧東京で彗星を見る。
 2016/10/4
2013/10/4彗星災厄。
三葉死亡。
中学生の瀧東京で彗星を見る。
 2016/10/4
    
    
  瀧、司、奥寺で岐阜へ2016/10/xx
2013/10/4三葉、瀧と出会う。
父を説得し、町民避難。
瀧ご神体で三葉の酒を飲む。
三葉と入れ替わる。
町民避難プランを作成。
ご神体のクレーターで三葉と出会う。
↑の翌日
    
    
    
    
  瀧、就活中。
奥寺先輩と会う。
2021/10/4
  勅使河原+早耶香を見かける。
東京、降雪。
2022?/冬
2022/春四葉高校生  
2022/春三葉、瀧と再会瀧、三葉と再会2022/春


==

2016/9/5

台風12号のせいで午前中出勤停止になったので、どうせ昼から出社しても大したことできないしと一日休暇(有給はあり余っているのです)にして、3回目行ってきました。
平日の昼間。少ないかなあと思っていたら、大学生らしいのが沢山来ていました。
そんなグループに前後左右を挟まれて一人。(笑) まあ、そんなの平気ですけど。

1回目は上から2列目、2回目は前列(前が通路の席)、今回は上から3列目。いずれも真ん中です。
大きなスクリーンなので前列では端の方まで目が届かない。

今回は瀧と三葉の心の動きに重点を置いてみました。
でもやはり、何がきっかけになって「好き」になったのかは、まだよく分かりません。

細かい点として、町長選の演説の場に「高山ラーメン」のあの車が停まっていました。
3人で宿に泊まった夜、奥寺先輩がタバコを吸っているシーンで、地元の人が手前を歩き過ぎるのが、あれ? 誰かの親戚?
電車の描写は以前からずっと緻密なんだけど、東京の道路を走っている車は少し形式的かなあ。
後で改めて書きますけど、御神体に対する瀧の畏敬の念が感じられないのはなぜ?

==

2016/09/12 

今朝Yahooに載ったこの記事

爆発的ヒット『君の名は。』 昔からの新海誠ファンが抱く複雑な感情とは?

こっちのほうが記事の背景がわかりやすいです。 → ITmediaビジネスONLiNEの元記事

以前からの新海ファンお二人の対談なのですが、多くの部分に共感できます。
(対談というより、インタビュー記事でした)
ここに載せるべく書き進めていた文章の内容とかなり重なっています。
意見を異にする部分のほうが少ないのです。

やはり、旧来の新海ファンの感覚は似ているのでしょう。

それにしても、このページはともかく小説感想のページは検索で来てくれる人が今月一週目までは結構いたのに、ここ数日はとんと。
感想ページが増えてきて、検索で表示される順番がずり下がってきたのかな。

==

2016/09/13 追記

この項は内容的に加納本を読んでから書いたほうがいいのかもしれません。
加納本には三葉の両親の話など含まれているのでしょうか。
三葉の両親も若いときに入れ替わりを経験していた、そしてそれを忘れていたのではないかと想像しています。(もしこの内容が加納本に無いのであれば、二次創作のネタにすることができそう)
しかし加納本は9月頭の現在ネット書店は勿論、地元の本屋にも在庫がなく、9月末にならないと入手できそうもありません。
オークションで買う手もあるけれど、値段が高過ぎます。
とりえず加納本の内容を知らない、他の情報も殆ど読んでいない、映画しか見ていない状況で書いてみます。

君の名は。に描かれている出来事は、何者かの見えざる手によって起された。
私はそう思っています。

ここで言う「何者か」は新海監督など現実の存在ではありません。
そういうメタ的なことではなく、物語世界の中での存在を指しています。

但し条件があって、ティアマト彗星の分裂と糸守への落下はその何者かを超えた出来事であるとしておきます。

その「何者か」には2つの可能性があります。
一つは宮水神社の御祭神です。(御神体ではないことに注意して下さい)
もう一つは「結び」です。

アニメで描かれている範囲では、後者「結び」のなせる業という気が強くします。
但し一葉婆さんの説明を聞くと、結びは自然界もしくは世界・宇宙における原理、節理であって、極論すれば物理現象のようなものです。
物理現象とは言っても再現性がないので科学で解析することはできません。
また、結びには意志を含む「何等かの存在」はありません。

しかし宮水家で代々入れ替わりが起きていたことは、結びだけでは説明がつきません。
何者かの意志が働いていると見なすべきだろうと思うのです。

どっちにしろ、論理的合理的な説明は不可能でしょうから、アニメを見た人それぞれが勝手に解釈しても構いません。

なので以下は私の勝手な解釈に基づいて話を進めます。

アニメの中で発生した一番強い結びは、瀧が三葉の口噛み酒を飲んだことです。
口噛み酒は三葉の半身です。
それを飲むことで瀧は三葉の片割れとなり、三葉は瀧の片割れになりました。

結びによって、時は捻じれ、絡まり、戻り、またつながるのだそうです。

つまりこれによって「時間に変化が生じた」と解釈することができます。

もう一つ重要な結びがあります。
それは彗星厄災の前日に三葉が中学生の瀧に紐を渡したことです。
これによって瀧と三葉の「入れ替わりが起きるようになった」と考えることができます。因と果が円環になっているのは、時間が捻じれているからです。

ただこの解釈は、代々の入れ替わりを説明できません。
各世代で色々な結びが起きて入れ替わりが発生していたと考えることも可能ではありますが、口噛み酒を飲むことに匹敵する結びが毎回起きることはありそうもないです。、

それを説明できる唯一の存在は宮水神社の御祭神だと思います。

そもそも宮水神社とは何でしょう。
繭五郎の大火で資料が焼失したせいでその謂われを知る人はいません。

しかしあのクレーターの中心部に御神体があることから、前回1200年前の彗星厄災をきっかけに当時生き残った人達が建立したものであることは間違いないでしょう。

と言っても、映画を見た範囲では「どれが御神体」なのかはよく分かりません。
クレーター中心部にある巨石がそうなのか、その内部にある祠に何か入っているのか、あの空洞の奥に何かあるのか。

いずれであっても、前回1200年前に落ちてきた彗星の欠片なのだろうと思います。
(あれ? 彗星って氷と砂礫みたいなものの塊だから巨石は違うのかな。ま、いいや)

厄災をもたらしたものを御神体にするでしょうか。

実は悪さをなしたモノを御祭神にすることは珍しくありません。神として祀り上げることでそれ以上祟りをなさないようにするためです。
菅原道真の天満宮なんかがそうですよね。お岩さんのお岩神社も同系かな。
亡くなった人が御祭神の場合御神体が何なのかは、私には知識がありません。
一般的な鏡とかがそうかなとは思います。

これとは逆に、山や川、巨石など自然物を御祭神とするケースもあります。
山は噴火、川は氾濫など、恵みと同時に災いももたらすことがあるのでそれを鎮めるためということでしょう。
巨石は、それが悪さすることはないだろうから、畏怖の念からお祀りするということでしょうか。
この場合は先に御神体ありきで、後から神様が関連付けられて御祭神となります。
代表例は富士山の浅間神社(せんげんじんじゃ)。
富士山が御神体で、富士山を神格化した浅間大神(浅間神)、または浅間神を記紀神話に現れる木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)と見てこれを祀っています。

ということは、宮水神社も彗星の欠片を御神体とする何等かの人格神を祀っているはずです。

ここまでは民俗学(いや、民俗のカテゴリーじゃないよなあ。でも神学、神道学なんて言うのも憚られるし)の範囲で、素人なりに考えたことです。

ここから先は妄想の領域に入ります。

宮水神社の御神体は、彗星の欠片です。
神として祀られ、神格(人格)が与えられたことで、御祭神としてその意志を持つことになります。

で、多分、母体である彗星の次回回帰のときにもう一度災厄が糸守を襲うことを識っています。(私の勝手な設定:笑)

詳しく書くととても長くなるので、以下の説明はかなり端折ります。

第二の災厄を止めることはできないけれど、「その時」の巫女を動かすことで人間を救うことはできます。
そのパワーの源は口噛み酒です。
そのためには宮司である宮水家の巫女の血統を絶やさないようにしなければなりません。
その手段として宮水家を女系一族として代々の長女に入れ替わりを行わせ、その相手を婿養子とすることにしました。

入れ替わりの相手をどうやって選んだのかは不明。
神格を得て、毎年神無月(10月)に出雲に呼ばれるようになって、それで決めたのかも。笑

無事結婚してしまえば入れ替わり時期の記憶は不要だから、見合いの席、もしくは祝言のときにその記憶は封印されます。

しかし、三葉と瀧のときはこれと状況が異なります。
いよいよ本番なのですから。

それでまあ、皆さんご存知の経緯で二度目の災厄を回避することができました。

つまり結びという宇宙の節理と、宮水神社御祭神の見えざる手によって、瀧と三葉は出会ったのです。

でも二人は御祭神のことを意識しているようには見えません。
三葉はあの田舎から抜け出したいと思っていて、口噛み酒の神事の帰りにもそのことを叫んでいます、
瀧は御神体で三葉の口噛み酒を飲むとき、徳利が置かれている小さな社に全く気を留めません。
あの場では、せめて会釈だけでもするべきではなかったでしょうか。

だから、神様はちょっと意地悪をしたのです。
二人が5年半も再会することができなかったのは、そのせいなのです。

==

上に書いたことは、私の本当に勝手な解釈です。
出来の悪い二次創作のレベルです。
だからここを読んだ方、信じないで下さい。(要らない心配かな)

==

君の名は。の物語はSF的なファンタジーです。
でも取りようによっては普遍的な(それでいでファンタジーであることに変わりはないのですが)誰にでもある物語と見なすこともできます。

映画の最初と最後のところだけを考えると、ずっと誰かを探していた二人が、偶然に出会うことができたという「だけ」のことなのかもしれないのです。
全ての観客が、なぜ二人が互いを探していたのか知っています。
でも、二人はそんなことは知らない、覚えていないのですから。

つまり、自らの片割れを探している人達は、自分達が知らない、それこそ前世の、前前前世の出来事の結びによって、また出会うのかもしれないのです。

==

RADWIMPSの4曲。
映画を一回目に見たときの印象は「新海作品の歌としてはちょっとギラつき過ぎている」というものでした。

映画と切り離して考えれば、アレンジやメロディーはとても気に入っています。
実際、CDが届いてからはほぼ毎日、ずっと聞き続けています。
嫌いな歌だったらそんなことはしません。
この状態であと1,2回映画を見たら、馴染んで聞こえるのかもしれません。

しかし諳んじるくらい聞き込んでくると、歌詞の一部が気に入らない。

歌詞の言葉の抑揚が無視されているところ、言葉が旋律で分断されるところも結構あります。
特に「なんでもないや」が顕著かな。
でも今時の歌でそこにケチを付けてもしょうがないのでそれはいいです。
そういう歌は「行儀が悪い」「歌曲の作曲法を知らない恥さらし」と昔教わったことがあるのですが、それが当たり前になった現在ではもう通用しないのでしょう。
むしろ歌詞と旋律がマッチした曲を古臭く感じる場合すらあります。

また4曲は一部の言葉で互いにリンクしてあります。
それはよく考えてあるなあと感心しています。

でもね。
言葉の選び方、接続詞、語尾、その他諸々。
なんか違うんだよなあ。
相当回数聞いたのに、今でも歌詞の次の言葉を間違うことがあるのはそのせいかな。

言葉がザラついている印象があるのです。
それがギラついた曲に乗っているから新海作品で聞くと合わないという感想を持ったのでしょう。

具体的にどの言葉が、と書くと色々反論されそう。
全く個人的な好みの問題なのです。
← じゃあ、この項目書くなってことだ。 笑

==

2016/09/15

登場人物について

ビジュアルのことは置いときます。

君の名は。の登場人物には際立った個性を持っている人はいません。
これは過去の新海作品でも同じようなものです。
私達と同じ、ごく普通の人達と考えていいでしょう。
とは言え、それぞれ個性があることは確かです。

主役二人の個性は入れ替わりがあるせいで若干とらえにくくなっています。
入れ替わり中のほうがキャラが立った状態になっていますよね。

入れ替わりを扱った従来の物語では、入れ替わった当人達が同じ場所にいることが多いので、互いの行動にブレーキをかけてしまいます。
でも瀧と三葉は入れ替わり中は互いに干渉できません。
一応スマホに書き込んだ情報で牽制してはいますが、二人ともそれを無視して楽しんでいる節があります。

美術の時間に机を蹴飛ばした三葉(中身は瀧)のドヤ顔、バイト先で「女子力高いね」と言われたときの瀧(中身は三葉)の嬉しそうな顔。

こういった辺りが、観客から見ての好感度につながっているようです。
でも素の二人は、実はあまり特徴が見えません。

特に瀧。
強くないのに喧嘩っぱやいという評価があるくらいで、他には絵が上手、入れ替わっているときの活躍からスポーツは得意、行動力がある(自販機カフェのベンチとテーブル作り)くらいしか描かれていません。

三葉もあの性格であれば沢山の友達がいておかしくないのに、いつもつるんでいるのはテッシー、さやちんだけです。
これはストーリーを簡潔にするための演出なのか、それとも物語の中で三葉ができるだけ目立たないようにしているということなのか。

入れ替わることによってそれまで自覚していなかった自分の新しい面が出てきて、それ故に互いに惹かれていったということならもっと面白かったかもしれませんね。

この項続く

割り込みます。2016/09/18


今日加納本とビジュアルガイドが届きました。
急いで増刷したのでしょう。

それと、昨日17日にかみさんと二人で見に行きました。
私はこれで4回目。

別の日に友達と見ている息子と家で「君の名は。」の話をすると、「(まだ見ていない)私の前でその話はしないで!」と怒られていたのが、これでようやく解除されます。
君膵映画化の話をしているときでも勘違いして怒られました。w

実は8月に「傷物語2」をかみさんと見に行ったのです。
そしたら、阿良々木の腕がもげる場面で「うえーーー」っと、声には出さないまでもものすごい反応を見せていたので(連れてきて)「しくったー」と後悔していました。

かみさんは君の名は。には当初は興味を示していませんでした。
でも世間の反応が大きいことから、行く気になったようです。

帰りの車では、夫婦で語る語る。笑

「好きになったきっかけが分かんなかったろう?」
「えーっ。入れ替わるようになってお互いに理解しあって好きになったんでしょう」

「でも何で瀧なのかも」
「それは髪紐を渡したからよ」
「それじゃ因果関係が」
「そんなことはどうでもいいのよ」

うーん。
理屈で考える私と、感性で受け取るかみさんの違いかな。
面白い視点を与えてくれる。

「でもね。私の隣の方の大学生みたいな男の子、一人で来ててポップコーンをポリポリポリポリポリポリポリ。あれは騒がしい場面で食べて欲しいわ。ほんと、あったま来た」

映画とポップコーンの永遠の議論ですね。

その男の子は当初の30分で食べ終わったのか、そのあとは静かでした。
だからこそ、その30分間は休みなしにポリポリポリポリポリポリポリガサガサガサガサ。

尚、私も映画館でポップコーンを売るのは大反対です。
あれはアメリカの悪しき習慣だと思っています。
映画の演目で分けるとかできないのかなあ。(やんないよね)

RADWIMPSの4曲、ほぼほぼ歌詞が頭に入った状態だったので、見方(見え方)が随分違ったように思えます。

歌詞を知らない状態であれば、歌か画面かどちらかに集中しているつもりでも、意識はぶれるんですね。
だからどっちつかずになってしまいます。
歌詞を覚えていると、流れている歌は自然に頭に入ってきます。
自分でも口ずさみながら(声は出しませんけど)、画面に集中することができるのです。

で、気付いたこと、2曲目、スパークルかな前前前世だった、映画の歌詞はCDに収録されているのと違っていたんですねえ。
11月発売のタイトル未定というCDの紹介に「映画『君の名は。』主題歌「前前前世」「スパークル」のオリジナルヴァージョンを収録! ! 」とあるから、それに入るのでしょうか。

うーん。
まあ、これからDVDやブルーレイが出るときにも、こういう商売のやり方するんだろうなあ。
ブルーレイの初回限定版なんか注文殺到だろうから、よくウォッチしておかないと買い損ないそうだ。


2016/09/19

今日は高2の次男と行ってきました。
5回目です。

3連休の最後、台風の影響で雨、という条件からなのか、朝一の回なのに観客が多かった。

入場始まって最初の頃に席について、入ってくる人を見ていました。
カップルは少なくて、男女別のグループが多かったかな。
父と高校生なんてペアは皆無か。笑
2度目の息子(1回目は友達と行った)はチケット代さえ出してもらえればどうでもいいみたいです。

それにしても、どいつもこいつもポップコーン持ってやんの。
5人の家族連れなんか全員1つずつ。

覚悟していましたが、あまりポリポリは聞こえてきませんでした。
でも後半、かたわれ時の一番いい場面で左のほうからガサガサガサガサ。
他人と一緒に見る劇場では、これはあきらめるしかないのかなあ。

==
※1
2016/9/22追記

君の名は。大ヒットについて。

私はこのブログで「秒速5センチメートルone more side感想」(2011/5/26付)にこう書きました。

>私の今の夢は、劇場の大きなクスリーンで秒5を見ることです。
>個人貸切でそれを実現するのにどのくらい費用がかかるのでしょうか。
>権利者の許可が取れるのかどうかも分からないですけどね。


これを書いたのは「星を追う子ども」を見る直前です。
長崎での劇場公開は全国より一か月以上遅れた6月25日でしたから、見ることができるかどうか分からない時期、半分あきらめていた頃です。
それでも星は劇場で見ることができてよかった。
結局見たのは2回。その感想→星を追う子ども

その次の「言の葉の庭」は長崎には来ませんでした。
公式サイトに載っている劇場情報九州では福岡、熊本、宮崎、鹿児島。
配給を含めた映画というシステムが田舎者に優しくないことは判っていますし、東京の生活を捨てて田舎にUターンするときにそれは覚悟していました。
それと、長崎のTOHO,UNITEDの支配人さんのセンスが悪いのかな。

「言の葉の庭」は全国限定公開とほぼ同時に発売されたDVDとブルーレイを両方買っていて、実はまだ見ていません。 その経緯 → 新海誠監督インタビュー番組を見て

なぜ見ていないのか、自分でも分かりません。
劇場で見ることができなかったのはそれは悔しかったですが、だからと言って意地を張っている訳でもないのです。

PSPや3DSのゲームソフトには「買っただけで開けていない」ものが何本かあります。
これは「勢いで買ったものの、自分がゲームをしない人だと気付いて開けなかった」という、他人からは理解不能であろう理由があります。

「言の葉の庭」については、以下の回路が成立していたのでしょう。
1) 手元にあるからいつでも見ることができる 2へ↓
2) 楽しみは後にとっておくほうがいい 3へ↓
3) 今はまだその時期ではない 1へ↑

なので、君の名は。でユキちゃん先生を見たとき、それがどういうことなのかまるで判っていませんでした。

意地張りが全くないとは言えないか。
普通は劇場公開の半年後くらいにディスクが発売されるものですが、言の葉の庭にはちょっと特殊な事情があったのです。
DVD,BDが届いたとき、他の地区の劇場での上映は続いていました。
長崎でも上映されるかもしれない。
それまで見るのを我慢してもう少し待とう。
これがDVDとBDを開封しなかった最初の理由です。

……だけど、結局来ませんでした。
私はまだ待っているのかもしれないですね。

それ以前の秒5、雲、ほしのこえは勿論劇場では見ていません。

たまに、東京西部のどこかの町で秒5の上映会が開かれるなんてニュースが入ることもありました。
でも、地方でというのは覚えがありません。地方のイベントがニュースにならないだけなのかもしれません。

ということを考えたとき、君の名は。の全国一斉上映は隔世の感があります。
そして社会現象とまで言われる程の大ヒット。
色々な要因があるのでしょうが、その分析は専門家に任せます。

その結果としての新海監督の超メジャー化は、昔からのファンである私にとってとても嬉しいことです。
一抹の寂しさとかそんなことは我儘であって一顧だにする必要はないし、意味もありません。

しかし、ずっと考えていた「大きなスクリーンでの秒5貸切鑑賞」は夢に終わってしまうのかもしれません。

実はこの構想にはもう少し続きがありました。

権利者の承諾と、スクリーンを貸してくれる場所の問題はちょっと置いておきます。
市民会館何とかホールというレベルのちゃちな設備は想定していません。
これらはクリアできたと仮定します。

費用の問題も置いておきます。
これから書く構想を全て実現したとして、幾らかかるかなんか見当もつきません。
当てずっぽうで100万円としたとき、それは用意できない金ではありません。
だけど私の金であっても私が管理している金ではないので、管理人であるかみさんの了解というとても高いハードルをクリアしなければなりません。
かみさんを説得するくらいだったら、宝くじをせっせと買って当てたほうがましです。
だけどこの5年間、100万円の桁が当たったことはありません。(勿論それ以前も)
だから構想のまま、何の動きもしていなかったのです。

さて、その構想の全貌です。

a) 上映は2回とする。(1回は完全個人貸切として一人で見る)
b) あと1回は、数百円程度のチケットを販売して一般客も入れる。
 但し条件があり、上映中は飲食禁止。(ポップコーンを排除するため)
 上映開始後エンドロールが終わるまで出入り禁止。(トイレは仕方ない)
 未就学児の入場禁止。
c) その上映会に新海監督に来てもらい、挨拶、サイン会をお願いする。
 足飯宿代は全額こちら持ち。
 ギャラも出す。(交渉次第)
d) 日程は監督の都合に合わせて決める。(平日でもよい)

2011年もしくはその前の2008年の時点でこんなことを考えていました。
肝はc)です。

この時点では新海監督が一般には知られていない、秒5を知っている人も多くはないことに注意して下さい。
一般客を入れるのに数百円取るのは冷やかしを排除するためで、それによって費用を補おうとか、儲けようなんて気持ちからではありません。
秒5を愛する地元の人達にもスクリーンで見る機会を与えたかったのです。

つまりこの構想は「趣味の具現化」、別の言い方をすると「道楽」なのです。

新海監督に来てもらう件は、これまででも可能だったのかどうかは分かりません。
交渉だけでも、コンタクトだけでもするつもりはありました。

だけど。
君の名は。の大ヒットで新海監督が超メジャーな、雲の遥か上の存在になってしまいました。
これまでも著名人でしたが、レベルが一気に数段階上がったことは誰でも思うでしょう。

子供ならともかく無名の一般人が超有名人に個人的なお願いをしてみようという気には普通なれませんよね。
芸能活動をしている人(歌手や芸人さんなど)であれば、ビジネスとして話をすることは可能かもしれません。
それでもイベントの規模と芸能人としてのランクのバランスの問題があります。
あとは、テレビのバラエティでときどきやっている「あなたの夢を叶えます」って企画くらいかなあ。宝くじに当たるよりも分が悪そうだ。笑

夢は夢のままで終わってしまうのかな。

==

登場人物についての文章が途中のままです。

でも、ちょっとモチベーションが下がってきました。
Googleでの「君の名は 感想」でこのブログの表示が11ページ目。
これじゃ誰もここに来てくれません。
最近は一日に一人くらい、特殊な検索で来てくれるのがせいぜいです。

少し様子見しようと思います。
過去の経験から、あるとき急に上位に表示されることがあるのです。
君の名はでは難しいかな。

2016/9/22 ここまで

==

2016/9/24 6回目行ってきました。 報告のみ

あと一回で同一映画を劇場で見た自己タイ記録です。

==

2016/09/25 追記

今朝の読売新聞日曜版の1ページ目名言巡礼に掲載された写真は衝撃的でした。
詩人の永瀬清子さんの生家近くという岡山県赤磐市の田園風景が写っています。
青々とした田んぼのあぜ道を女子高生(テロップでは女学生)が一人で歩いています。
そのスカート丈の短さ、束ねていない長い髪。
meigenjunrei ← クリックで拡大 撮影は林陽一さん。読売の記者さんのようです。

読売新聞のサイトに元の写真がありました。
でも画質を落としてあるので、上のものとそれほどは違いません。
 → 永瀬清子「その時あなたが…」


ものすごく違和感のある組み合わせでした。(私の主観です)

赤磐市って全く知りませんけれど、岡山市の北東部、地図で見る限り田舎都市です。
彼女のような姿がそこでは「普通」なのでしょうか。
それともたまたま写真に写った彼女だけが「そういう存在」なのでしょうか。

そもそもテレビなどのメディア(コミックやアニメも含む)で定型化(記号化)されている女子高生制服のミニスカートは全国的にどの程度分布しているのでしょう。

私が住む長崎(長崎市近郊)では殆ど見かけません。
校則が厳しいのです。
緩い学校もあるようですし、校則を無視して短くしている子もたまにはいます。
だけどそれを見る地域の目は、表にこそ出しませんが「そういう学校」「そういう子」という扱いなのです。

といういことを考えたとき、三葉のスカートはどうなんだろう。
最初に見たときは「定型化」で短く表現しているのだろうと思っていました。

ところが加納本「君の名は。 Another Side:Earthbound」のP27にサヤちんが三葉(中身は瀧)に向かって
「あんた、スカートが長いなんて高校生女子としてのエスプリに関わる、みたいなこと言っとったやろ」
と言う場面があります。
つまり作品中では三葉の意思で短くしているのです。

岐阜市が舞台の「僕らはみんな河合荘」の河合律もスカートが短かったなあ。

実際の岐阜県飛騨市の女子高生のスカートはどうなのでしょうね。
現実の岐阜や、ましてや飛騨でも短いスカートが普通なのであれば、長崎なんか天然記念物生息地になってしまうのかな。
読売の写真に衝撃を受け、三葉のスカート程度ても短いと感じる時点で私はど田舎の住人ということかもしれませんね。

モチベーション上がらないと言いながら、あの写真のインパクトがあまりに大きかったので、長めの追記になりました。

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2016/12/22 追記

今日、7回目行ってきました。
これでようやく同じ映画を劇場で見た自己タイ記録です。
 これまでは「涼宮ハルヒの消失」と「コクリコ坂から」の2本。
 どれもアニメだ。実写映画はせいぜい見ても2回です。

前回が9/24だから三ヶ月振り。
こんなに空いたのは理由があります。
でなかったらもうその倍くらいは行っていたかも。

今日が学校の終業式だったからか親子連れが多くて、結構混んでいました。
このままいくと、千と千尋の背中が見えてくるのかな。

外国でも高評価になっているそうです。
でも画面の美しさはともかく、ストーリーに納得した上での評価なのかなあ。
特に欧米は論理的な捉え方をしますよね。

今日久々に見て、やはり理で考えると東洋的な、もしくは日本的な曖昧さが濃いような気がしました。

それにしてもこのブログ。
「君の名は。 感想」検索で相変わらず500番目以降にしか表示されません。
全く浮上しなかった。
だから9月以降、殆ど読んでもらえていません。
「アニメ 君の名は。 感想」だったら200番ちょっと。
でもわざわざ検索語に「アニメ」を入れることはないですよね。
私がこのページのタイトルを「アニメ 君の名は。 感想」にしたのは「小説 君の名は。 感想」と区別するためだったのです。
今回「アニメ」を削ってみることにします。(今更ですけどね)

ちなみに、ここ数カ月多く読まれているのはこんなページです。
ぼくは明日、昨日のきみとデートする 感想
  このブログの定番ページ。実写映画が公開されてからさらに閲覧数が増えています。
マチネの終わりに 感想
  検索で10番以内に表示されるので、最近とても増えてきました。
二度めの夏、二度と会えない君 感想
  こちらも映画化発表以降じわじわと増え続けています。
君の膵臓を食べたい 感想
  一頃多かったんだけど、検索順位が落ちたので減り気味かな。

なんて情報、こんなに誰も読みに来ないページに載せても空しい。笑

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2016/12/26 追記

ああ何だろうな、この感覚。
ある閾値を超えた社会現象が、自分の手が届かない遠い所で拡大拡散していくのをただ見ている。

違和感ではない。
疎外感でもない。
でもそれに近いもの、それらを混交したもの。

新海誠という人の作品が、これまで彼を知らなかった人に知られ、見られ、玩具になっていく。
悪いことではないし、悪いこととは言えないし、無邪気な反応ではあるのだろうけれど、ちょっとだけ拒絶しておきたい。

12月23日(金)に東京・新宿バルト9で行われたという発声可能上映イベントの実況記事を読んで湧いてきた感覚を言葉で表現するとこんな感じかな。



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