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遅れてきた突っ込み
書きたいことは山ほどあるけど、暇がない。 だから、多分、どれも旬を過ぎた話題ばかりに なりそうなブログ。ここでのハンドルはたか号ですが、小説などはgatsutaka名で書いています。
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とある飛空士への追憶感想
本作品は先にコミック版を3巻まで読み、映画化情報に触れて、まだ出ていない最終4巻を待ちきれずにラノベ版を読みました。

「恋歌」の感想を書いた前回と違い、今回はここに来てくれた方もコミックか原作で内容を了解済みという前提でネタバレ込みで書きます。

>
とある飛空士への追憶 (ガガガ文庫 い)とある飛空士への追憶 (ガガガ文庫 い)
(2008/02/20)
犬村 小六

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==(以下本文)

作品タイトルだけでも十分に、「ローマの休日」を意識しているという作者の言葉からも当然のごとく予想できるのに、読み進んでいてその予想されるものとは異なる結末を切望しないではいられなかった読者がここにもいます。

身分差別、人種・混血差別が含まれる物語は、その差別の克服というカタルシスへのベクトルが希求されます。しかしメインの二人のうちシャルルは差別されるほうであり諦観によって受け入れていますし、ファナは前半はシャルルに興味がなく後半は身分の違いを全く意識していないのでいずれにおいてもベクトルの向きが霧散してしまいます。
この構造が結果的に重いテーマを退け、全体として爽やかな印象を与えているのだと思います。

これでもかってくらい悲惨な生い立ちのシャルルが傭兵になってもささくれずにいられたのは幼い頃のファナとの出会いがあったからです。
その思い出を胸に秘めることで境遇に耐えることができたシャルルを幸運であったと考えるのは間違っているでしょうか。

ファナの心の変化は読んでいて実に楽しかったです。
自分が口にしたことへのシャルルの対応を「ごまかされた」怒るファナの、酔って「シャルルが踊ってくれない」とすねるファナの可愛いこと。
後者「踊ってくれない」は後のシーンにつながっていますし、直接の関連はなくても「恋歌」にもそれを彷彿とさせるシーンがあることを考えると、ただの戯れではない深い意味を与えてあります。

離別の場面をWikipediaで先に読んで知っていたのは大失敗でした。
文庫本カバーイラストを見てもその場面を描いていることがピンとこなかった私なのに。

であっても、あのラストシーンには単純に砂金を撒いたということ以上の意味が込められていました。
ファナを騙そうとする将校の言葉を無言のまま雄弁に打ち砕き、ファナを至福に誘(いざな)う崇高な行動だったと思います。

「追憶」が後の時代のノンフィクション作家が書いた本であるという最後に明かされる設定は、シャルルとファナのお話はこれでおしまいだよという作者犬村小六さんの強い意志の表れだと思いました。
脱出劇が長く秘匿されたこと、その後のシャルルが無名のままであったことはもう動かしようがありません。
つまり少なくとも表立って二人がもう一度出会うことはなかったことが確定しているのです。
更なる秘話としてそういうことがあったとしてもおかしくはありませんが、もう物語にはなりえないでしょう。

 あえて、そう、あえて考えれば、中央海戦争休戦前後にシャルルがファナの子供を何等かの理由で搬送することになり、届けた先で、ってこれじゃ完全に二番煎じだ。ww
 カルエルによるクレア奪還の際にどうのこうのということも考えられますけどね。

 そういった二次創作が作られていないかなあ。
 ただこういうことを考えるのは、シャルルの潔さ、ファナの決意を顧みないことだという異論もあるでしょう。

 暴走ついでに「恋歌」について言えば、やはりアリエルのことが気になります。
 アルバス社の社長として充実した人生を送ったことになっていますが、自社の飛空機をテスト飛行する空で何を思っていたのか。
 やはりもう一方の幸せも手に入れて欲しいです。
 -さよなら、わたしの王子さま が「恋歌」で一番泣けた台詞でした。
 こうやって書くだけでも泣けてくる。w
 クレアと一緒に戻ったイグナとのロマンスなんて、安直すぎですかね。
 イグナも妾腹とは言え元王子ですから。

ゲッサンの3月号を買いました。(私は普段はまんが雑誌は買いません)
でもコミック版の最終回は大きな絵で見たかったのです。
小川麻衣子さんの絵はキャラがちょっとだけ幼く見えますが、私はとても好きでした。
あとは4巻が発売されるのを待つのみ。

「追憶」が映画化されこの秋公開というアナウンスがされています。
でもまだ詳細は不明です。
どうせまた「全国公開」と言いながら、九州では博多止まりなのでしょう。
新海誠監督の「星を追う子ども」も現時点ではそうですもんね。
今のうちから、福岡に2回行くための貯金をしとこう。
配給会社の営業担当者さん、頑張って下さい。(このメッセージを本人に届けるにはどうしたらいいのかw)

2011/8/23追記

幸いなことに長崎でも映画が上映されることになりました。
さあ、何回見に行こうかな。10月1日開始です。
ところで、映画化に合わせて追憶の新装版が出版されました。
内容が一部変更、追加され、元の版のイラストが削除されています。
イラスト削除は映画のキャラと違うからでしょうか。ちょっと残念です。
キャラ違いのせいではなく、ラノベとは違う読者層狙いなのかな。
コミック4巻がようやく発売されます。9月12日予定です。

9/14追記 昨日4巻届きました



とある飛空士への追憶とある飛空士への追憶
(2011/08/09)
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とある飛空士への追憶 4 (ゲッサン少年サンデーコミックス)とある飛空士への追憶 4 (ゲッサン少年サンデーコミックス)
(2011/09/12)
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それと、「とある飛空士への夜想曲」の上巻を読みました。
感想は9月に出版される下巻を読んでから書くことにします。
それにしても、夜想曲には「千々石(ちぢわ:雲仙市千々石町)」「波佐見(はさみ:東彼杵郡波佐見町)」という人物名、「戦艦島」(=軍艦島:端島)という炭鉱、「世知原(せちばる:佐世保市世知原町)」という基地名、もしかすると「音無(おとなし:長崎市音無町)」という隊名も、なぜか長崎の地名が頻出します。
宮崎、大分、福岡の地名もあるのですが、長崎のほうが量で圧倒しています。
犬村さんは宮崎県生まれだそうですが、長崎にも縁があるのかな。
舞台が帝政天ツ上の西の方だからかもしれないですけどね。
サクラコ・アトミカに出てくる「諫早(いさはや;諫早市)」「伊良林(いらばやし:長崎市伊良林)」も記憶にあります。(ここ、ちょっと自信なし。レヴィアタンの恋人だったかな)
笑ったのは美空の本名と同姓同名の女の子(今中学2年)が近所にいることです。

「サクラコ・アトミカ」の感想を5月頭には一応書いています。でも、内容に満足できないためまだUPしていません。
夜想曲感想の前に載せるべく、見直しをします。


(ここに書いていた妄想の文章は夜想曲の感想に移しました)



追記ここまで 



==(以下補遺)

ううう。
ここで終わるつもりだったけど、「恋歌」についてもう少し書きたいです。
ここから先は誰かに読んでもらいたいことというより、自分が書きたいことを書き並べます。だから、余程物好きな(失礼w)暇のある方だけどうぞ。

こう言ってはいますが、前回「恋歌」の感想をUPした数時間後にたった一人だけですが「とある飛空士」で検索して訪問して下さった方がいて、それがアクセスログで分かったとき本当に嬉しかったです。長いこと休んでいたせいもあって、このブログをたまにでも読みに来てくれるリピーターさんが全くいなくなり、一日数件のアクセスはどれも過去分の検索からだけなんです。やはり最新のを読んでもらえるのは嬉しいです。
今回のにもそれを期待するほど楽天的ではありませんが、たまたまではあっても、今ここに目を通しているあなたに感謝を申し上げます。

6冊連続して読んで読み返しは恋歌の5巻をパラパラとめくっただけなので、以下に書いている作品内容に関する記述が正しいという保障はありません。
犬村さんが本作に関して公表しておられる文章(amazonのコメントも)や、その他の情報は、Wikipediaの記述以外まだ一切読んでいません。
間違っていたらご指摘頂ければ幸いです。
自分でも気づいたら随時訂正します。

さて。


ーー(0)

前回の「恋歌感想」で以下のように書きました。

>伏線とその回収という点では緻密かつ周到という表現はできないかもしれません。
>あまりそれを意識することはありませんでした。

ちょっと言い訳しておくと「伏線とその回収」が色々しかけられていることは分かっています。
でも例えば伊坂幸太郎さんの作品を読んでいるときに感じるような「ああ。そういうことだったのかあ」という驚きが少なかったのです。

ルイスとアメリアがアリーメンを食べる場面は、マニウスから世界の情報を聞き出すための伏線になっています。
しかしアリーメンの美味しさがあまりにも強調され過ぎることのほうが気になってしまうので、パズルのピースとしては自然さがないと思うのです。

伏線はその部分を読んでいるときはひっかかりなくすんなり読み進んで、後になって「やられたっ!」と思うものがいいです。

「ああ。そういうことだったのかあ」と「なんだ。そういうことか」の温度差と言ってもいいです。

ーー(1)

日本人作家による小説には、宗教と軍事の観点が欠落していることがままあります。
しかし世界的に見ると、キリスト教圏でもイスラム教圏でもアジアの仏教圏でも生活の基盤が宗教である国、民族のほうが多いですし、軍事に目をつぶっている国なんて日本以外には殆どありません。

「恋歌」はこれらに正面から向き合っていると言っていいでしょう。

「恋歌」は(それがメインではありませんが)軍事を中心にストーリーが進行します。
ではありますが、カドケスの生徒が戦闘が恐ろしいもので怖いということを実戦に参加して初めて知るというところはやはり日本的な感性だなあと思いました。
あの学校では座学でも実習ても散々叩き込まれているはずなんですけどね。
勿論教わることと経験とでは雲泥の差があるのでしょうが。

宗教についてはシルクラール湖畔に立てられた墓標が十字架だったことから、創造神聖アルディスタの宗教がキリスト教をモデルにしているのだろうと推測されます。しかし、この宗教にはキリストに相当する存在がありません。十字架は何のシンボルなのでしょうか。
同類であるはずの空族の宗教はユダヤ教的なものなのかもしれません。
「追憶」でシャルルが拾われるのはアルディスタ正教会となっていますから、宗派が分かれていることも想像されます。

現実の宗教と相似形をしている必要はありませんから、細かい差異を問題にする意味はないでしょうが、イスラに教会があるのかどうか(私の見落としでない限り)言及がない点はやはり「日本の小説」だなあと思います。

アメリカの映画だと「未知との遭遇」とか「V」とか、地球外生命体との遭遇に際して必ずと言っていいほど宗教がからんできます。中には宇宙人にキリストの教えを広めたいなんて日本人から見たら独善的過ぎないかと思うような動機が描かれていたりしますけど。

宗教についてはもう一つ。
チハルが斎ノ国のミツオの実家を訪ねたとき、何と仏間がありました。
つまり、斎ノ国には聖アルディスタとは異なる宗教があるということです。
ではその宗教での創造神話はどうなっているのか。
漢字を使用し、日本的な人名を持つ斎ノ国と帝政天ツ上は、限りなく日本的な存在として読者のイメージを助けますが、世界観を評価する上ではあまり緻密とは言えないと思います。
世界構成はなかなか衝撃的でした。
平面世界とは夢にも思っていませんでした。
大瀑布については球体の惑星が真っ二つに割れて1300mずれているのだと思っていました。
空の果てのありようも想像の範囲外でした。
イスラが空の果てに突入するシーンは、前回の文章にも書いたように、まるで目の前でその現象が起きているような感覚を持って読みました。
20ノットということは、時速約37Km。比較的ゆっくり、でも遅くはない自動車並みの速度です。
湖が、学校が、町が次々に崩壊していくのを見送る気持ちを想像すると胸が痛みます。
と同時に、自分がその経済的損失を考えているのに気付いて少し可笑しくなりました。

海水はどうなのでしょう。空の果てで吸い込まれて、聖泉で噴出しているということですよね。でもしぶきを上げているという表現があって、あれ? はね返っているのかななんて思っていました。

それと不動星エティカの存在もちょっと都合良すぎなかあ。

自転、公転、天動、それに引力の影響、物質の構成、色々考えると頭が痛くなってきます。ww

そんなこと考えちゃ駄目なんでしょうね。
野暮な突っ込みはここまでとします。

ーー(2)

カルエル、アリエル、クレアの3人を除いて考えたとき、どのキャラが好きか。

これ結構難しい設問です。
これまでの私の嗜好の傾向から言えばシャロンかナナコなんです。
でもアリーとクレアがあまりにも輝いているので、ちょっと苦しいなあ。w
あえて言えば、アリーメンを食べているときのアメリアかな。

ノエル、マヌエルの二人を忘れちゃ駄目でした。
ミハエル父さんも。ああ、アルバス家は何て家族なんだ。

ーー(3)

ナナコが書いた「空の果てのイスラ」で、始めの方(巻末ではなく途中に挿入されている部分)に若干表記の揺れがあります。
最初それに気付いたとき、高校生の頃の日記か何かをベースにしたからだろうかと思っていました。
でもこの本はナナコが47歳で書いたことになっていますから、(作内かリアルかの)校閲のミスなのでしょうか。

ナナコが作家になることから「追憶」の作内作者も暗にナナコが比定されるのかなあと思いました。でも住んでいる国が違うし、年代的にもちょっと違いますかねえ。

ーー(4)

寮でみんなでじゃれあっているところなど笑いを誘う場面の表現は、シリアスな場面の表現に比べて少し文章の質が違うように感じます。
会話も砕けていて楽しいのですが、文章によって笑いがこみ上げてくるというよりは、その場面を脳内で無理やり想像して自分もその中に入っていくという操作をしなければ笑いに結びつけることができません。

最たるものがシズカ寮長がからんでくる部分です。
前回も書きましたが寮長の存在が浮いています。彼女が登場するシーンはそれまで読者が浸っていた世界を変質させ、まるで別の世界がむりやり割り込んできたような感覚を覚えます。

寮長悪い人じゃないし好きなのですがとある飛空士の世界ではその存在が異質過ぎるように思えます。
私がまだ読んでいない「レヴィアタンの恋人」での羽染静さんはどのような存在なのでしょうか。

ーー(5)

私が二番目に泣けた台詞は海猫(=シャルル)による -いるよ でした。

シャルルはファナのことをそれまでも、そしてそれからも誰にも言わなかったのでしょう。
でも自分と同質のものを感じたカルエルにだけは打ち明けました。
シャルルの言葉から何かを感じ取ったカルエルも、そこのことだけは誰にも話しません。

この機微は鈍感な私には一生分からないでしょう。

だも、だからこそ、「-いるよ」に込められたシャルルの思いに泣かないではいられないのです。

ーー(6)

前回の感想ではクレアのことに言及しませんでした。

クレアとファナ。
生い立ちが違っても少し似通った成長をした二人を比較すると、ファナがシャルルに本音をぶつける形で変わっていったのに対し、クレアはカルエルと出合ったことで変わりましたが、あまり能動的だったとは思えません。
だからどうということではなく、私はむしろクレア的変化のほうが好みなのですが、本来お姫様ではなかったクレアが貴族の娘だったファナよりもお姫様的存在になっているという図式は面白いと思います。

これは、シャルルがどうあがいても所詮ファナを手に入れることが出来ない存在だったのに対し、カルエルはクレアを「王子様として迎えに行く」存在ですから、クレアがお姫様になるのは必然だと理解しています。

それとね、森沢晴行さんのイラストによるビジュアルで言えは、私はやっぱりクレアが一番好きなのです。

クレアは自転車に乗る練習を一体いつどこでしたのでしょうか。
イスラでのはずはないからバレステロスの宮殿でですよね。
でも風の革命の後でのクレアがそんな心境になれたでしょうか。
革命の前、6歳から9歳の間と考えればつじつまが合うかな。

ーー(7)

クレアの風呼びの能力については何も説明がありません。
幼い頃その境遇から自然に対して感応できるようになったなど、取って付けたようなものでも構わないから何か説明が欲しかったです。
でなければカルエルに渡したペンダントのことも意味不明になってしまいます。

空の一族の創世神話に伝えられる「風呼びの少女」との関係についても直接の説明はありません。

このあたり、続編への「含み」なのでしょうか。
それならそれで歓迎ですけどね。
でも奪還作戦を描いた続編は書かれないんじゃないかなあ。
恋歌がアニメ化されて一般にも人気が出たら可能性ありですけどね。

聖アルディスタの剣、天空統べる王族の末裔と名乗る空の一族は、ユダヤ人的な性質(本質ではなくあくまでイメージです)を感じさせます。空族は風呼びの少女を2000年間待っていました。
空族にとってのクレアは、ユダヤ人にとってのイスラエルの地と同じ意味を持つことになります。
空飛ぶ島の名前が「イスラ」であることは決して偶然ではないと思います。(ほんとかな)

となると、クレアを単に奪われたとみなしていいのか、単純に奪還していいのかということを考えてしまいます。

こんなふうに本来考える必要のない相手の事情を慮ってしまうのは、(1)項で散々に書いた「日本的」な心情が私にも色濃くあるからでしょう。

ーー(8)

アリエルが銀狐の銃撃を受けた場面で、カルエルの台詞を読みながら、多分私以外にも多くの方がそうだっと思いますが、てっきりアリーは死んだのだと思っていました。

その場面もそうですが、他にヴァン・ヴィール組の生徒や、ミツオ、ウォルフが戦死するところでも、「これは嘘だよね。嘘だよね。何かの間違いだよね。誰かの夢だよね」と心の中でずっと思っていました。

ーー(9)

カルエルがクレアを奪還するために元皇子という立場と名前を最大限に利用するという設定は、王道と称される本作品の中で、読み手によっては好みが分かれるところではないかと思います。

従来の(何が従来のなのか具体的には思いつきません)王道作品では、主人公の個人的な努力とそれに惹かれた周囲の自発的協力によって目的を達成しようとします。

カルエルがやったことは政治的な策略です。
政治家や実業家そして一般国民を、騙してはいませんが、意図的に乗せているのです。

これは王道と呼べるのか。

偶発的、結果的に乗せたのであれば問題ありません。
意図的だったことがひっかかるのです。

というのは、カルエルの言動からみて彼にはこういう意図的な策略が似つかわしくないからです。空港でアリエルの見送りを受ける時点ですらそう思えます。
演説の前の様子は、もうこの期に及んでは肝を据えていてほしいなあと思います。

レヴァームからの帰路、何度も単身で聖泉に向かってクレアを取り戻そうと試み、都度それを阻止されたというあたりはいかにもカルエルらしいです。

カルエルがルイスに自分から「名前を利用する」と発言していますから、カルエルがまずは単独でそれを思いついたということを示しています。

ヒーローには清濁併せ呑む参謀が必要です。
具体的な方法はアメリアから伝授されたようですけど、カルエル単独ではなく仲間と一緒に思案した上で、何かヒントを貰って思いつき、実行に移したというのであったらよりリアリティーが増していたように思えます。

しかしあの奪還作戦の規模はバレステロスの国力を疲弊させるんじゃないかなあ。
政治家の思惑、実業家の利益、国民の熱狂があったとしても、女の子一人(随員はいるけど)を奪い返すコストとしては超破格ですね。
でもそうでなくっちゃね。

ーー(10)

さあ恋歌について語りましょう。

「歌われなかった恋歌」と「大空で歌われた恋歌」の対比。

先に後者から。
後者は実は3つあって、撃沈寸前のルナ・バルコ甲板上でクレアが聞いた風の歌と、奪還作戦に向かうカルエルの単座戦空機の翼が歌う歌と、クレア奪い返したあとにその空で「歌う」としている歌です。
これは同じものなのでしょう。

悲壮な覚悟をしていたクレアは、イグナが操縦するエル・アルコンの後部座席からカルエルによって投げられた言葉で救われます。
でも、ここで投げられた「生きろ!!」にしても、空族の船に乗り込むクレアが発した「待ってる」にしても、私個人的にはもうひとひねり欲しかったなと思っています。
全てを削ぎ落とした印象的な言葉ですが、あまりにも使い古されているような気がして。
王道ならではとも言えますけど。

本作を極々単純化して捉えれば「幼馴染の二人の間に割り込んだ別の女が男をかっさらってしまう物語」ということになります。
これ、恋愛ドラマとしての一つの王道ですよね。
ただこの構図の場合、最後に勝つのは普通どっちなんだろう。
幼馴染の女のほうのような気がするのですが。

だからこそ前者のあまりの切なさには身もだえするばかりです。

-さよなら、わたしの王子さま という台詞を比喩ではなくそのままストレートな意味で吐けるのは、私がこれまで読んだ数少ない物語の中で唯一アリエルだけです。

アリエルがカルに恋心を抱いたのは多分最初の出会いのときからなのでしょうが、それを自覚したのはいつなのでしょうか。
夜の寮で並んでブランコに乗って、部屋に戻り際に「バーカ」と悪態をついたときはかなりそれに近いとは思うのですが、これはカルに「クレアのこと好きなの?」と聞いた直後だからまだのような気もします。

カルエルの演説を聴いたあとなのかなあ。

空港で見送る場面。本人がもうはっきり自覚しているそのとき、姉や父もそれとなくではあっても気付いているんですよね?

アリエルが芯は強いけれどもう少し大人しい性格だったらどうだったかなあとも想像します。口の悪いところがなくて、すぐ暴力振るうこともなくて、でもちゃんとカルエルに付いていく。それでもカルエルはクレアに惹かれてしまうのでしょうね。

そもそもの好みで言えば私はアリエルのような性格の女性キャラにはあまり感情移入できないほうなのです。
でも、アリエルは別格だなあと思います。
カルエルに若干頼りないところがあるので、それを補ってあまりある安心感をもたらしてくれるからでしょう。

アリエルの人生を大きく変えたカルエルは、アリエルに何を与えてくれたのか。
カルがアルバス家に連れてこられなかったら、アリエルは二人の姉と同じようにベラスカスの町で結婚して貧しくつつましいけれどそれなりに賑やかで幸せな人生を送ったはずです。

どちらが本当に幸せだったのか。

こんな問いには意味がありません。
でも、問わないではいられません。

その上で、アリエルはカルエルと家族になれて一緒に過ごせて、だからこそ、たとえ恋歌を歌うことができなくてもそれを受け入れたままで幸せだったのだ、と思わないではいられません。

お嫁さんを連れて戻ってきた義兄を満面の笑みで迎えたに違いないのです。

そうですよね? 犬村さん。

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この記事に対するコメント

おじゃましにきましたw
なんというか
「とある」愛に溢れてて
脱帽ですm(_ _)m

この作品をこんなに愛されてるたか号サマが
「あの終わり方が好き」とおっしゃるなら
小川先生も感激でしょう。

映画、地元でも公開されるといいですね。
【2011/02/21 12:31】 URL | ヲリ #- [ 編集]

ヲリ様
お出で頂きありがとうございます。

> おじゃましにきましたw
> なんというか
> 「とある」愛に溢れてて
> 脱帽ですm(_ _)m

やっぱり、普通に見るとこれだけ書いてると引きますかね。w
自分としては仕事の忙しさからの逃避として合間合間に書き足していったらこうなったという程度にしか思ってないんですけど。ww

> 映画、地元でも公開されるといいですね。

映画はですねえ、よほどヒットしないと地方(一応県庁所在地)には来てくれないんです。クソみたいな映画は2館同時で上映するくせに。
また実名でお願いの投書しようかな。(涼宮ハルヒの消失ではそうしましたwww)

ーー

「追悼」そのままにされるとか。
それがいいかもしれません。
Googleで「とある飛空士」で検索したとき目立ってました。
だからお邪魔して読ませてもらったのです。
【2011/02/21 22:31】 URL | たか号 #- [ 編集]


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