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映画「おおかみこどもの雨と雪」感想

前々回あんな書いておいて、やっぱり初日21日(の2回目12時40分開始)に行って来ました。w

前日夜遅くに私とかみさんと次男の分3枚の座席をネットで買った時点で他に買われている席はありませんでした。
10時台に始まる1回目はパラパラ売れている状態でした。

あれだけ宣伝打ってるし、ニュース番組なんかでも取り上げているのに、田舎だからこんなものかなと思っていました。

12時30分の入場開始時はそこそこの列が出来ていたので、やっぱり人来るよねえなんて思いながら3番スクリーンに入ると「あれ?」
あまり人がいません。
どうも同じ時間に開始の別の映画(ポケモンか何か)に並んでいる人が殆どだったようです。
結局、全体の1/3も入っていなかったのかな。


さて、感想です。

「他人に薦めるほどの作品ではありません。というか、薦めたい人が思いつきません」

私が見た回には、小さな子供を含む家族連れ、小学生、中高生、学生、社会人など年代的に色々な層の観客がいました。
だけど、この作品を何らかの共感を持って見ることのできる人を想像することができませんでした。

細田監督がこの作品で何を伝えたかったのか、最後まで理解できませんでした。

映画のパンフレットの最初のページに、誰が書いたか署名のない文章で、「本作は一見・・・現実味の薄いファンタジーエンターテインメントと受け止められるかも知れない。もちろん、そうではない。二人の“おおかみこども”が成長するにつれて直面する・・・選択は、私たちが・・・選択をするのと同じことである」としてあります。
これは、映画を見た直後に私が感じた「おおかみ人間という設定は、普遍的な家族の物語として受け入れるにはあまりに特異過ぎる」という当然予想される批判に対して予め用意された言い訳です。

「もちろん、そうではない」かどうかは、映画を見た人が判断することです。
パンフレットでそんなことを断定してはいけません。

人間として生きることを選んだ雪、おおかみとして生きることを選んだ雨。
その子供達の選択を受け入れる母親としての花。

私はこの構図を家族の成長のメタファーとするのはあまりに強引過ぎると感じました。

脚本もなあ。
私にとって奥寺佐渡子さんの脚本は、時かけは勿論、サマウォもしっくりは来ていませんでした。
評価が決定的になったのは「とある飛空士への追憶」です。
なのでかなり不安を抱えていたのですが、予想通りというか、面白くなかったです。

ここで、この映画を見る前、コミック版の一巻を読んだ時点で私が書いた前々回の日記を再録します。

>雪と雨の母親である花がこの子達を産んだ経緯が納得できないのです。
>母子で生きていく部分がメインなのでしょうから、雪と雨が生まれた部分にはその後に影響を与えるような深い意味があるようには見えず、花がおおかみ男に惹かれた理由、おおかみ男が大学で偽学生をやっていた理由、戸籍をどうしたのか、花の実家はどうなっているのか、疑問が大きすぎです。

私がコミック版で疑問に感じた部分は映画でもそのままでした。
「恋に落ちるのに理屈はない」と言われればそれまでですが、その後の花の境遇を考えるとおおかみ男は花を受け入れるべきではなかったと思います。
その辺りのおおかみ男のの葛藤が描かれていないからそう思うのかなあ。

あ、そうか。きっと奥寺さんは恋愛を描くのが下手なんだ。
だから時かけで納得できなかったし、飛空士があんなことになっちゃったんだ。
サマウォはギリギリ許容できたから楽しめたんだ。

おおかみこどもは母子で生きていく部分がメインだとしても、その始まりの部分をきっちり作りこんでないから感情移入できなかったんだ。

>それにこの後話がどう進むにしても、まあ感動のお涙頂戴になるんじゃないかなあ。

私にとってお涙頂戴にはなりませんでした。
それは花の境遇、子育ての苦労が「映画の作り手」に理不尽に押し付けられたもののように感じられたからです。
「大丈夫」と言いながら笑っている花が痛まし過ぎて、泣くことができませんでした。

雪と雨が普通の子供として成長することができずに苦しんだのは、おおかみ人間のDNAのなせる業です。
山村の自然と母親の愛に包まれて育つことができましたが、それを差し引いてもあの二人の運命は過酷です。

まさか、この物語はマイノリティーに対する社会的差別問題をテーマとして含んでいるのではないですよね。
物語の方向性が違うからそれはないと思っています。

おおかみ人間を受け入れる社会は存在しません。
花はそういう子供を産んだ責任として、自らそれをカミングアウトして社会に受け入れさせる努力をするか、隠れて暮らしていくかの選択で後者を選びました。

花達母子がまだアパートに住んでいるとき、児童相談所の職員が訪れるシーンがあります。
あれは無理解な職員が花を苦しめているような印象を与えますが、実際には逆ですよね。

前者は有り得なかったのか。うーん。まあ、無理かな。
映画を見てこの観点の感想を持った人はあまりいないかもしれません。
それはおおかみ人間という設定が社会的な問題として捉えるにはあまりにも突飛だからです。

そしてこの突飛さが、学校での雪の苦しみとか、母を捨ておおかみとして生きていくという雨の選択などを突きつけられたとき、観客がそれをどう受け止めればいいのか戸惑ってしまう原因になっているのだと思います。


小さな子供に見せるには、ベッドシーンがあります。
本当に小さな子供にも見せたいのであれば、仄めかす程度にしなければなりません。

小中学生が自分の物語として受け取るには、おおかみ人間という立場を何度か変換して身近なものに置き換えなければなりません。

若い人が恋愛物として見るには、その恋愛部分の作りこみが足りません。

子育て中の世代がいつか自分達にも訪れる子供の親離れとして捉えるには突飛さが邪魔になります。

結局、物語としての本作品はどの立場で見ても中途半端、もしくは自分からは遠い作り物の話であろうと思います。

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