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たか号(gatsutaka)

Author:たか号(gatsutaka)
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そして、とうとう、とうとう、
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遅れてきた突っ込み
書きたいことは山ほどあるけど、暇がない。 だから、多分、どれも旬を過ぎた話題ばかりに なりそうなブログ。ここでのハンドルはたか号ですが、小説などはgatsutaka名で書いています。
終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?  感想とアニメ言及
祝 アニメ化
祝 コミカライズ

詳細は最後のほうに。2016/7/2

2017/3/13
放送情報が公表されました。
★放送情報
TOKYO MX 4月 12日より毎週 水曜日 深夜1:05~
テレビ愛知 4月 12日より毎週 水曜日 深夜2:35~
KBS京都 4月 12日より毎週 水曜日 深夜1:05~
サンテレビ 4月 12日より毎週 水曜日 深夜1:30~
TVQ九州放送 4月 12日より毎週 水曜日 深夜2:35~
BS11 4月 14日より毎週 金曜日 深夜3:00~
AT-X 4月 11日より毎週 火曜日 深夜23:30~
リピート放送:(木)15:30/(日)25:30/(月)7:30
dアニメストア4月 13日より毎週 木曜日 12:00~最新話配信
よかった。うちでもTVQとBS11で見ることができる。

2017/2/18
キャスト発表されました。昨夜遅くかな。
https://twitter.com/i/moments/832629831690956804
キャスト情報(1)
ヴィレム・クメシュ #新井良平
クトリ・ノタ・セニオリス #田所あずさ
アイセア・マイゼ・ヴァルガリス #Machico
ネフレン・ルク・インサニア #上原あかり

Wikiにはもう反映されていて驚いた。笑
でも、そのWikiにネフレン役の上原さんのページがないんです。
クトリはこのちょっと前に田所さん本人が公表していましたけど、フライングだったのかな。

私、声優さんは殆ど知りません。でも、このラインナップはどうなんだろう。
若手起用ってことなのかな。
うーーーーん。私のしょーもない願いは叶わず。
ま、決まっちゃったんなら、もうどうでもいいや。

2017/2/22
EX感想書きました。 → 「#すかすか#EX 感想」

== 以下本文

ヒロインが①死ぬことになっている話と、②死にかける話と、③死ぬ話の3冊を連続して読みました。
内容を知らないでジャケ買いしたのに、どうして話の中核が同じようなものになってしまったんだろう。w

ヒロインの「死」だけでなく、魔法や説明不能の超常現象が重要な要素になっていることも共通しています。
まあ、これはラノベ系の小説ではよくあることだから。

それにしてもこの感想というか文章を書き始めて、3冊ともタイトルを覚えていないことに気付いて愕然としました。ww

ちなみに、買ったのは1月30日、③を読み終わったのは2月5日です。

① 終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?

(2015/7/8 結構長い3巻感想を下のほうに追記しました)
(2016/1/14 結構長い4巻感想を下のほうに追記しました)
(2016/4/7 4/1に届いた5巻を今日読み終わりました。感想はまだ書けません。敢えて、感想の核を書けば「残念だった。でも満足した」です。
同じ日に届いた「終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?#01 」はまだ手を付けていません)


(2016/4/30 5巻感想追加しました。超長いです)

「終末あ(略)」の感想はこちら → 終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか? #01 #02 #03 感想


終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (角川スニーカー文庫)終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (角川スニーカー文庫)
(2014/10/31)
枯野 瑛

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この種の魔法とバトルが絡む話は普段は読みません。
ファンタジーが嫌いということではありませんが、最近のには付いていけなくて。(老化w)
内容を知っていたら買わなかったかも。
面白かったから、ジャケ買いして正解でした。

物語中にメタ的な言い訳がよく出てきます。
小説に限らず、ゲームでもコミック・アニメでも異世界っぽいところで剣を使って戦う魔法少女という基本設定を持つ物語がそれこそ山のようにあることを意識してのようです。
作者さんとしては、あれと似てるとか色々突っ込まれることを意図的か無意識かは別にして避けたかったのでしょう。
私はそのこと(言い訳めいた文章が含まれること)は好意的に受け止めています。

さすがに「世界の運命を背負っている美少女」という部分だけを考えたら今更感が強いですけど、

魔女達は10歳前後が多くて、ヒロイン(クトリ)と同じ15歳くらいが3人。
この3人のキャラがいいです。若干類型的なのは仕方ないですけれど。
私の好みとしてはやはりネフレンかな。
本好きキャラなんだから、アニメ化されるときはぜひ花澤香奈さんにCVやってほしいです。

ヒロインが死ぬことになっていたのは、強大な敵を倒すのにその命を使うことが定められていたからです。
でも主人公(ヴィレム)が剣本来の使い方を教えることで回避できることになりました。
ヴィレムとクトリの出会いの場面は有りがちだったけれど、全体的な展開はかなり面白いと思います。

気になっていた"娘”がどうなったのかが最後のほうに少し出てきました。
それによって続きを読む気になりました。

2巻が1月に発行されているのですが、品切れになっていました。
人気あるってことなのかな。

下はPIXIVで見つけた本作のイラスト担当ueさん(PIXではうさん)が投稿したクトリです。
ネフレンも描いてほしー。版権物は難しいのかな。


2015/3/5 追記

ようやく2巻を読み始めています。

それで思うのは、
なんか上の感想、たったあれだけの文章なのに随分間違ってないですかね。

妖精を魔女と書いたのはまあいいとしても。 ← よかないよ!
根本的な理解が違うんじゃないかと心配になってきました。

まあ、2を読み終わってから。w

終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (2) (角川スニーカー文庫)終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? (2) (角川スニーカー文庫)
(2014/12/27)
枯野 瑛

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ああ、ネフレンが泣いてる・・・・・・。
(左がネフレン、右がアイセア)

2015/3/10時点ですけど、Googleで「クトリ ネフレン」の画像検索をやってみると、このブログの絵がずらずら出てきます。
まだ、ネフレンに言及しているサイトが少ないのかなあ。

2巻読み終わりましたが、まだ感想は書けていません。

私の中で「面白くて、キャラもよくて、大好きなんだけど、イマイチ」という不思議な評価になっています。
それがなぜなのか、言葉として整理できていないからです。


==

2015/6/16 追記

amazonで3巻の予約が始まっています。
7月1日発売です。

ここ、FC2ブログのマイショップ機能が先月で廃止になってしまったので、
amazonのタグがまた作れていません。
これから作り方を調べます。
面倒くさあ。

==

2015/7/2 追記

私って、バカ? ?????

上で7/1発売で予約始まってますって書いておきながら、予約してなかった。
何で?????

多分、タグ作ってここに載せてから予約しようと思って、それが簡単じゃなかったので
後で、と思っているうちに忘れていたのでしょう。

そういえばそろそろだったなとamazon開いてみたら、品切れでやんの。orz

明日地元の本屋に行ってみるかなあ。

fc2のマイショップ機能が廃止になったので、使いやすかった商品紹介リンクが作れなくなりました。
↓ この形のやつは嫌なのですが、私には今はこれしか作れません。



==

2015/7/5 追記

あ、それで、3巻は3日の仕事帰りに駅ビルの本屋に行ったら1冊だけ残っていました。
よかったあ。ww
初版発行部数が少ないのかなあ。

その3巻の帯に
「WEB,ブログ、読書メーターなどで、話題騒然!!
熱烈な支持を受け、人気急上昇中!」
とあります。

おほほっ。
このブログもほんの少しだけでも役に立ってるのかな。

尚、3巻は現在読んでいます。

==

2015/7/8 追記

3巻読了。

妖精のことを「健気な」と形容したら彼女達に怒られるか笑われるかするのかな。
しかしそれ以外どう言ったらいいのでしょうか。

妖精のレゾンデートルが自らを殺す、もしくは壊す、失うであって、それによる彼女達の行動が結果的に「健気」に見えているだけなのかもしれません。
最終的に明かされる(かもしれない)妖精の正体によっては、この見方は見当外れの可能性もあります。
でも、今の時点では「健気で」「儚く」「愛おしい」存在と認識しておいて、大きく間違ってはいないでしょう。

3巻あとがきに本作は「続けられないことに決まっていた」と書いてあります。
読者のおかげで続けることができるようになったと。

因果関係がよく分かりません。打ち切り決定のです。
最初からそうだったはずはありませんから、そんなに売れなかったってこと?
でも2巻だって発売直後にamazonで品切れになっていました。
元々発行部数が少なくて、amazonでは瞬間的に品切れになったけれど、末端の本屋では売れ残って全体としては低迷していたということなのでしょうか。
その上で、熱烈な読者(私を含むw)のプッシュがあって継続が決まったとか。

信じがたいなあ。
本作面白いですよ。
まあ確かに、以前も書いたように世界の運命を美少女が背負っているという設定、さらには異世界的なファンタジーの世界が舞台となると、そういう設定を好む読者が他のジャンルに比べて少ないのかもしれませんけれど。(ただの推測。根拠なし)

情報を持たない人間が色々憶測してもしょうがないか。
3巻が出たからよし、としましょう。

唯一現実の状況として見えていたのは、妖精達のイラストがネットに出ていないことでした。
試しにGoogleで「クトリ 終末」や「クトリ アイセア ネフレン」などで画像検索しみると、特に後者は今でも私のこのブログの(本作とは関係ない)絵が表示されます。
UEさんの描く妖精達はあれほど可愛いのに、なぜ絵師さん達が食いついてこないのでしょう。
一般的に、映像化されていないラノベのキャラは注目されないのかなあ。

私は絵を全く描けないから歯痒いのです。
絵師さん達は私なんかとは興味の観点が違うのかもしれません。
でも、大量に描かれているキャラ(今だったら「ダンまち」のヘスティアとか)を描いて埋もれるより、独自の嗅覚で見出したキャラを描いて注目されるほうがよほどいいのではないかと思うのですが。

さて、3巻内容について。
あ、内容に入る前に別のことを少し。

3巻を読んで、枯野さんの文章が私好みのそれであることに気付きました。
読んでいてとても心地いいのです。

これは「プリズム少女」「還りの会で言ってやる」の八重野統摩さんの作品を読んだときの感覚に似ています。
勿論お二人の文章はそれぞれ異なっています。
何か共通点があるのかもしれませんが、具体的には自分でも分かっていません。

枯野さんの文章は結構断片化されている部分があって、普通はそんなことをされると読むリズムが乱れます。
なのに本作を読んでいてそれに引っ掛かることはありませんでした。
地の文、会話、いずれもいい流れで読むことができました。
単純に「上手い」と言うべきなのでしょうか。

あとがきに「読み返したときに、『これはああいうことだったのか!』と額をぴしゃりできるような話が好き」と書いてあります。
これは私にとっては一部賛同できるのですが、微妙なところがあります。

私は、伏線とも呼べない、その時点では意味がさっぱり分からないことが、脈略のないところにあからさまに挿入されている文章はあまり好きではありません。
道を歩いていて大小様々な障害物が転がっているようなものです。
ゴール地点に辿りついてようやく「あの障害物は実はこういうことでした」なんて明かされても、邪魔だった印象のほうが残ってしまうからです。

だけど全てのそれが嫌なのではありません。
重要なのは「あからさま」の度合いです。
それを読んでいるときは引っ掛かりなくすんなり読めて、後になって「あ、あれは!」と思いだす、気付くようなものは好きなのです。

これは書き手の技量による部分が大きいと思います。
引っ掛かりを感じさせる文章は(私にとっては)下手の部類に入ってしまいます。

どのようなものに引っ掛かりを感じ、どのようなものに感じないかは、読んでみないことにはわかりません。
だから微妙と表現しました。

で、本作はどうかというと、例えばクトリの前世に絡む部分は、その「あからさま」に相当します。
でも論理的な説明はできませんが「脈絡」はあると思っています。
重要な要素として「そこにある必然」を感じるから、障害物ではないのです。
これは、やっぱり、上手いということなんだろうなあ。

また、描いてある情景、人物の心象、人物同士の距離感、そういったことが私の好みに合っていたことも文章に心地よさを感じた一因だと思います。

さてさて、内容についてです。

クトリとヴィレムの恋愛について。
あの距離感の絶妙さはどうでしょう。
べったりではない、イライラするほど焦れったくもない。
簡単には割り切れない背景からなかなか踏み出せなくて、それでいて互いを思っている心情の描写がとても好ましいと思います。
そしてヴィレムがプロポーズの言葉を口にするときの状況、情景、心象の面白さ。
ああいう、照れを含んだ場面にニヤニヤが止まりません。
枯野さん個人の恋愛に対するスタンスが反映されているのでしょうか。

ヴィレムのような主人公は、鈍感だったり、固すぎたり、下手したら唐変木だったりするのが普通です。
でもヴィレムは適度に敏感で、周囲との折衝などには適度に柔軟で、しかも適度に行動力があります。
この「適度に」ってところが重要なんです。

キャラの性格付けに作者さんがどの程度腐心されるのか知りません。
私は1巻を読んだ時点で、3人の妖精のことを若干類型的と書きました。
でもね、今回新たに登場した2人を含めて、類型的という表現は撤回します。
妖精だけではなく登場人物それぞれが、あの世界の中で、しっかり個性を持って生きていることを感じます。

3巻の終盤、数百匹の第六の獣に飛空艇が襲われる場面。
枯野さんの筆致は決して熱くはありません。
かと言って淡々としているのでもありません。
熱さを秘めた冷静さとても言えばいいのかな。

限界まで戦ったネフレンが落ちていく。
ヴィレムがそれを追って宙に舞う。
絶望的な状況の中、クトリが駆けつける。
自身の記憶を犠牲にして二人を救うために。

クトリは幸せにならなければなりません。
私だけではない、多くの読者がそう思っているはずです。
失われてしまったクトリの記憶は、次巻ではどうなってしまうのでしょうか。
アイセアがアイセアではなかったことは重い事実ですよね。

枯野さん、お願いします。
クトリをクトリのまま、幸せにしてあげて下さい。

小説の感想でこんなお願いを作者さんに向けて書くのは初めてだ。
でもやっぱり、私はネフレンがいいなあ。←誰も聞いてないよ!



2015/12/30

4巻は昨日届きました。(本当は一昨日だけど、不在通知)

大掃除の合間に少しずつ読んでいます。
感想は年明け。

本当はこれまでに読んだ部分にだけでもコメントしたいけれど、自重します。

==

2016/1/14 追記

4巻感想

4巻は難解でした。
難解というより、密度が濃いと表現したほうがいいかな。

実際には「夢のゴマグ市での出来事」が内容の大半なので、物語としては3巻の巻末で止まったままと見なすこともできます。
それなのに密度が濃いと感じたのは、一つには、4巻の中で時系列を細かく前後させた記述が多かったのが原因でしょう。
読んでいて自分が今どこに(どの時点に)いるのか、あれ? と思うことがよくありました。

結局4巻は二度読みしました。
これは私としては珍しいことです。

二度読みしたのは密度が濃くて難解だったからではありません。
だって……。
4巻はネフレンが重要なプレーヤーとしてずっと登場しているのですから。w

ネフレンははっきり物を言わないし、なぜそんなことをするのか分からないことも多いので、ぼんやり読んでいるとその意味に気付かないことが結構あります。
彼女の発言や動作行動を正しく理解して読み解くには二度読みしなければ。

私はこのブログには主にラノベ系の小説の感想ばかり書いていますが、それ以外の本も読んでいます。
読むべき本、読みたい本が沢山あるので、1冊を再度、それも続けて読むなんて滅多にしません。

4巻を二度読みしたおかげで、ネフレンの発言や行動の細かい理由、機微がよく分かりました。
以前の巻にあまりなかった「ネフレンがそれを言う理由」「ネフレンがそれをする理由」がかなり明示してあったことも大きいです。

そうかあ。
私はネフレンはヴィレムに好意を持っているのだけど、クトリとの関係から一歩から二歩身を引いているのだと思っていました。
勿論それもあるのでしょうが、それだけじゃなかったんですね。

アルマリアとの会話で出てきたこの科白。
「ヴィレムは一人でいると壊れそうだったから、そうならないように、そばにいるのが私の役目。ちょっと邪魔かなってくらいの距離感を保つのが、最近つかんだ極意」P136

ヴィレムのことが分かっているし、そのために自分が何をしたらいいかも分かっているということです。
この中で「壊れそうだった」と過去形になっているのは意味があります。

冒険者組合からの依頼を終えてヴィレムとネフレンが養育院に帰っているときの会話。
「じゃあ何で今は遠慮勝ちなんだよ?」
「……放っておいても、壊れなさそうだから」
「ん?」
「私ひとりだけで、壊れそうだから」P176

この「私ひとりだけで、壊れそうだから」は解釈がちょっと難しかったです。
「壊れなさそう」はヴィレムのことで、だからもう放っておいてもいい。
じゃあ「壊れそう」なのは誰なのでしょう。
ネフレンは言葉が足りないから。

ネフレン自身のことであれば、なぜネフレンが壊れるのかが分からないのです。

また「壊れる」という比喩的表現の指す事態が、ヴィレムの場合は何となく想像できます。
しかしネフレンはどう壊れるのでしょうか。

但し、袖をつまんだ理由はこれで分かります。
自分が壊れそうで怖いからそれを防ぐため、もしくは安心するためにヴィレムの袖をつまんだということです。
それも「遠慮勝ちに」っていうのが、いかにもネフレンらしいなあ。

4巻のクライマックス、ヴィレムが第一の獣に侵蝕されるとき、ネフレンはアルマリアとの約束を守って自らもそれに身を委ねます。
ネフレンのことだから、アルマリアとの約束が無くてもそうしたかもしれません。
でも、あの約束は「記憶」ではないアルマリア「本人」の願いからなされたものですよね。
ネフレンの行動は、次巻以降どのような影響を与えるのでしょうか。

==

ということで、ネフレンのことをより深く理解できたので二度読みした甲斐がありました。

しかし、4巻はこれまで以上に謎が広がりました。

まず、あの夢の世界の正体。

4巻を読んでいる途中、私は「ヴィレムとネフレンが過去に飛ばされた」のだと思っていました。

しかしあの世界は最初に<獣>と化したアルマリアが、ヴィレムの「帰ってくる」という約束を実現させるために作り出した箱庭でした。
だから現実から取り込まれたヴィレムとネフレン、そして緋色の髪の少女と空魚以外は全て死んだ人、もしくは獣になった人の「記憶」でした。

だとしても、幾つか腑に落ちない点があります。

・住民が灰だけの世界を懐かしいと感じる理由
 これは夢の世界の元になったのが「記憶」だとしても、その記憶は獣の出現から500年間、砂だけの世界に「いた」のだから、それを懐かしく感じるのだろうと理解しています。
 しかし住民の記憶はアルマリアが500年前自らが獣になったときに自分の中に取り込んだと説明されていますから、住民にはその記憶(砂の世界の記憶)はないはずです。
 結局、第一の獣つまりはアルマリアの影響によるものなのでしょうか。

・緋色の髪の少女と空魚が巻き込まれた理由
 3巻最後の時点でヴィレムの近くにいたということなのでしょうか。

・夢の世界で住民の獣化が始まるまでアルマリアに獣としての自覚がなかったとしても、自分の姿を消して地下室に戻ったとき、そのアイデンティティーはどうなっていたのか
 これ、分かりません。
 箱庭を作る動機というか、箱庭を作る時点での獣の意識にはアルマリアの意識がある割合含まれていたのかどうかも分かりません。

==

緋色の髪の少女については、現時点ではまだ推測するのも困難です。
クトリとの関係、不死人とはどういうことか、現実の500年前何をしていたのか(リーリャをなぜ知っているのか)、氷塊の中の子供との関係、空魚とは何か、かーまとは誰か。

どれもこれも分からないのです。

==

次巻ではアイセアが活躍するのかな。

==

うーん。1,2,3巻もまた読んだほうがいいかなあ。

==

2016/4/30 追記

5巻感想 (これを書き終わるまで「会えますか?」は封印しました)


再度書くと、5巻を読んでの感想は「残念だった。でも満足した」です。

本作(以下「いいですか?」と表記)の主題(テーマ)は、「回帰願望」と「無常」であるという理解でいいのかな。

ただ、「無常」という言葉は「いいですか?」には似つかわしくないように思えます。
言葉の持つイメージとしては「無常」よりも「万物流転」のほうが「いいですか?」で表現されている世界に近いんだけど、これもしっくりはしません。
「無常」は平安末期くらいの抹香臭と諦観が匂い立つし、「万物流転」は語感が動的過ぎるからでしょう。いずれも私の個人的な感覚です。
「無常」の静謐さと「万物流転」よりも少し弱い程度のダイナミックさを兼ね備えた言葉で、「いいですか?」を5巻まで読んだ私の心象に合致するものが思いつきません。

なのでここでは但し書きを付けた上で「無常」を使うことにします。

==

ここで、「いいですか?」の正式タイトルを思い出してみて下さい。

「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」という、いかにもラノベっぽい長いタイトルの言葉は誰のものなのでしょう。
5巻まで読み終わってこれに納得できるという読者はあまりいないのではないでしょうか。

タイトルの3項目「救ってもらっていいですか?」は、「誰を」もしくは「何を」が省略されています。
普通に考えると「私を」「私達を」「私の世界を」という辺りでしょうか。
自分が含まれない第三者を救ってもらいたい場合はその対象を明示するはずです。
であれば救われたい「私」は誰なのか。

ちなみに英語表記のタイトルではさすがに目的語を省略できないせいか“save xxxx”としてあります。これ考えた人(枯野さんかどうかは不明)はどう表記するか悩んだかも。w   ※

妖精達は救ってもらいたいとは考えていなかったんですよね。(私の読みが浅いだけかも)
その中でクトリはちょっと変わっていて「死にたくない」と思っていました。
かと言って彼女が「救ってもらいたい」と思っていたかどうかは結構微妙ではないでしょうか。

また、このタイトルが問いかけている相手も誰なのか分かりません。
ヴィレムだと考えるのはかなり座りが悪いし、かと言ってanybodyってこともないでしょう。
英語タイトルではyou。読者?

そんな訳で、私はこのタイトルにはいまだに違和感ありありなのです。

その上で特に注目したいのはタイトル冒頭の「終末」という言葉です。

「いいですか?」1巻でのクトリとヴィレムの出会いの場面の賑やかさや、妖精倉庫での日常などは、それなりの繁栄が見られて終末の世界という感覚が希薄でした。
終末と言えば夕暮れの薄暗いイメージが湧いてくるため、空に浮かぶ陸地とそこにある都市が持つ「青空に近い明るい場所」というイメージと乖離しているせいもあります。

その意味では、獣によるカタストロフが出来した500年前の時代のほうが終末の雰囲気が濃いのではないでしょうか。
取り方次第では、500年前に終末は終わって、その後新しい時代が始まったと見なすことも可能かもしれません。

気を付けなければならないのは「終末」=「無常」ではないということです。
私はここで言う終末は、ある文明、またはある惑星、さらには宇宙規模の終わりの時期という意味だと思っています。つまりキリスト教や仏教で言うところの宗教的な終末・末世とは別の概念であり、敢えて言えば歴史のタームです。

惑星であれ宇宙であれ、その時点で何等かの知的存在による文明が、形態はともかく存在していることを前提としています。
だって生命の(もしくは知的存在の)いない惑星が滅んだとしてもそれは終末とは言えません。宇宙が滅んだ場合はそれを記述する歴史なんて残りませんけどね。

一般的な意味での文明の終わりというのは、他民族に滅ぼされるとか、気候変動・疫病・天変地異といった外的要因で壊滅的な被害を受けるということが殆どでしょう。何らかの理由で自滅した文明もあったのかもしれません。
惑星の場合は巨大な天変地異か、超遠未来に太陽に飲み込まれるか。核戦争や重力兵器による惑星崩壊も考えていいかな。
宇宙の終末は想像の枠外だなあ。せいぜい思いつくのはビッグクランチとか熱的死とか。光瀬龍さんの「百億の昼と千億の夜」では宇宙そのものに最初から滅びの因子が組み込まれていました。

文明の場合はそれを支配する政体が滅ぶのは一瞬だとしても、文明自体は長い衰退期を経て滅ぶのが普通でしょう。
この衰退期にはあまり面白い物語は生まれないような気がします。
あえて物語にすれば、衰退を止めるため、もしくは繁栄を取り戻すため何等かの抵抗をするという内容になると思います。
百億の場合はアシュラ王、シッタルタ(仏陀)、プラトンの三人がそのために動きました。

このように終末を、終末期の物語を考えてみると、「いいですか?」はちょっと違うんですよね。
その違いについては後述します。

と、ぐだぐだ書いてきました。
ところが、私はこのタイトルが嫌だと思っているのではありません。むしろ好き。

もう少しぐだぐだが続きます。

タイトルの前2項は同音の「週末なにしてますか? 忙しいですか? 」の捩(もじ)りになっていると見なすことができます。
そしてこの言い回しは2つの解釈ができます。

A) あなたは(毎)週末にバイトか何かやっていますか?
B) あなたは今度の週末に何か予定は入っていますか?

同じようなものに見えるかもしれませんが、状況はかなり違います。

Aの状況:新しく集まったグループで何か(同人誌作り、軽スポーツ、ボランティア等々)をすることになって、リーダー役の人がメンバーに予定を聞いている。

Bの状況:女の子が学校の先輩もしくはまだそれほど親しくない同級の男の子に、何か(代表はデートなんだけど、それ以外のことでも可)をお願いするために探りを入れている。

そして3項目として「救ってもらっていいですか?」に相当する「~してもらっていいですか」が続くのであれば、この場合の状況はBであるということになります。

例示すると、こんな感じ。
「週末なにしてますか? 忙しいですか? 買い物につきあってもらっていいですか?」

つまり、かなり特殊に見えるあのタイトルは、私達の日常のありふれた状況で発せられる言葉とその構造的な本質は同じだということです。

な~んて、そんなこと誰だって分かっているのでしょうが、文字として書き残しておくことに少しは意味があるかな。

私は「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」というタイトルで状況Bを想起して、それ故に惹かれて、本書を手に取ったのです。
「それ故に」を説明し始めたら痛いことになりそうなので、止めておきます。w


==

3巻感想で書いた私の、そして私以外の多くの読者も持っていたであろう「願い」は叶いませんでした。
5巻のクトリは登場人物の会話や思考に現れるか、幻聴じみた声を聴かせるだけの存在でした。

クトリが消滅したのは否定しようがありません。
5巻最後に登場した幼い妖精(リィエル)はクトリの生まれ変わりを示唆しています。
リィエルが木から落ちてヴィレムにぶつかる場面の描写は、1巻で猫を追いかけて街中で転落したクトリがヴィレムにぶつかる場面と全く同じです。

うーん。これ、
無常という主題の上では、あってもおかしくない結末です。
だけどなあ。

これが「残念だった」という感想の正体です。
私はクトリがクトリのまま幸せになることを願っていたのですから。

P272にヴィレムとエルクが世話になっている宿の主人アスタルトスの科白として「ずっと幸せに暮らしました」というお伽噺の結末へのコメントが記載されています。
あれは3巻感想で私が書いた
>枯野さん、お願いします。
>クトリをクトリのまま、幸せにしてあげて下さい。
に対する枯野さんの回答だと理解することにします。

ただまあ「会えますか?」ではもしかするとという期待もまだ持ってはいるのです。
5巻物の小説でメインヒロインが3巻末で死んでしまうなんて、あんまりだ。w

それに「いいですか?」の世界の中では生と死の概念、境界がかなりあやふやなんですね。

エルクは不死人と言いながら死ぬし、でも生きてるし。
妖精たちに殺されたヴィレムも妖精倉庫に戻ってくるし。

それとエルクが何度も口にする「くとりは私だけど、私はくとりではない」という科白は、希望的観測を添えて深読みすれば色々な解釈ができそうです。

これは「会えますか?」の楽しみの一つとしておきましょう。

==

クトリが3巻で過去に侵蝕されているときに見た雑多なイメージは何だったのでしょう。
3巻までの説明では、妖精は幼くして死に、自分の死を認識できていない子供の魂の生まれ変わりでした。
であれば、その死んだ子が生前に見たもののイメージが、まだ幼いが故にちょっと変わったものとなってクトリに見えていたと理解することはできます。

でも5巻で明らかにされた妖精の正体は、リーリャによって殺されたエルクの魂の欠片でした。

え? 違うんかいと思いました。
それまでは人(獣人)の子供の魂の生まれ変わりだと思っていたのですから。

でもよくよく考えてみると、3巻までの妖精の説明部分は実に巧妙に書かれています。
まず、それはあくまで「そう言われている」というレベルの話であること。
獣人(もしくはエムネトワイト)の子供だとは明言してないこと。

エルクは幼い星神であり、殺された時点では死を認識できていません。
だから妖精の正体がエルクの魂の欠片であっても、3巻までの説明に嘘はないのです。

ただ、過去の記憶に侵蝕されてしまう点にはちょっと納得できない部分があります。

アイセアは、過去の妖精の記憶に侵蝕されてしまい、アイセアとして生まれた妖精のそれまでの記憶は消えてしまっています。

アイセアの前世妖精は記憶侵蝕を受ける前に死んだ(消滅した)ようなので、その記憶が保存されていたことに矛盾はありません。
しかし記憶侵蝕が起きるとそれまでの記憶が消えてしまうのはなぜでしょう。

また、クトリは髪や目の色という身体的特徴の変化がありましたが、アイセアは変わらなかったようです。(変わったら周囲の妖精に気付かれてしまいますもんね)

また、クトリは妖精としての前世ではなく、エルクに記憶侵蝕されている(らしい)こともアイセアと異なっています。

また、アイセアは記憶侵蝕の進行中に奇妙なイメージは見たのでしょうか。
見たのであれば、それは前世妖精のもの? それともエルク?


==

そう言えば、最終的にネフレンはどうなったんだ!

ネフレンは最初の獣に半分侵蝕された状態でアルマリアの結界から解放されました。
その後護翼軍に保護された形で浮遊大陸群に戻りました。

本人が言う「使用済み兵器」であり、しかも人間と違った意味で獣に侵蝕されていることで放置しておくと何が起きるか分からない危ない存在になっています。

妖精倉庫に戻ることはできません。

彼女はそれでも「ヴィレムの側にいてやること」を自分の存在意義として認識しています。

愛情とかではないと言っています。
ヴィレムが獣に成り果てていても構わないと言っています。

じゃあ何が目的なのでしょう。
まあ、それはいいや。

ヴィレムが自己を保つことができのは、ネフレンが獣の半分を引き受けたからなのでしょう。
4巻でヴィレムと一緒にアルマリアの夢の結界に取り込まれたのはそういう意味もあったのですね。

==

ここで、「会えますか?」の世界を、私の中途半端な理解と、中途半端な想像を交えて整理してみます。項目によっては間違っている可能性があるので鵜呑みにしないように。

本作では浮遊大陸群のあるあそこを指す言葉が明示されていませんので、ここでは便宜上「地球」と呼ぶことにします。
また、人間と獣人との関係も少しややこしいので、ここでは両方指す場合は「人」と表記します。人間と表記したら、獣人を除外した所謂エムネトワンを指しています。

・星神は遠い異星の住民だった
・遥か昔、星神の星で異変が発生し、星神達は船に乗ってそれを逃れた
・船が宇宙空間を彷徨う乗り物なのか、異世界への移動手段なのかは不明
・星神全てが同じ出自ではない
・「獣」と「砂」の惑星だった地球に星神が到着した
・星神は地球で大きな力を振るうことができる(元々なのかどうかは不明)
・星神は地球では不死人となる(トラブルが何もなければ死なないということかな)
・星神は地球で人間を作った(同時に環境も作ったと思われる。時期は不明)
・人間の核は当時地球にいた獣であり、皮は星神の魂である
・人間が世代を重ねて増えるにつれてその皮が薄くなってきた
・皮が破れるか、それ以外のトリガーが発生すると人間は獣に戻る
・500年前、人間の新しい皮を得るためにリーリャは星神エルクを殺した
・ヴィレムは地神イーボとの戦いで石化した
・スウォンは地神ジェイとの戦いで殺されたが、人間ではないものとして生き残った
・人間はエルクの魂の処理に失敗した。半分はエルクとして残り、半分は破片となった
・このときアルマリアが最初の獣になり、地球地表の世界は崩壊した
・エルクは地神カーマとともにアルマリアの夢の結界に閉じ込められた
・大賢者スウォンは浮遊大陸群を作り、生き残った獣人を移した
・獣人がどうやって生まれたのかは不明
・地神とはエルクが乗っていた船のAI(?)
・エルクの破片は妖精として生まれるようになった
・大賢者スウォンと地神イーボは黄金妖精に肉体と人格を与えて対獣の兵器とした
・エルクは夢の結界の中で黄金妖精の一生を物語として見ていた
・500年前の戦いで石になっていたヴィレムが復活した
・プランタギネスタ事件発生。クトリ消滅。ヴィレムとネフレンがアルマリアの夢に囚われる
・ヴィレムがアルマリアである第一の獣を殺し、夢の結界は崩壊

5巻で判明したことを中心に思いつくまま主要事項を列記してみました。
一応時系列としています。

こうやって俯瞰してみると、すごい世界だなあ。

星神にはヴィジトルスとルビが振られています。
つまりvisitors、訪問者達ということです。本文中では来訪者と書かれています。

ヴィレムの師匠であるニルスはエルクとは別の星からきた星神でした。
500年前の時点で、星神はエルクとニルスの二人しかいません。

人間に星神を信仰させたのも、星神であるエルクを殺して人間の新しい皮にすることを目論んだのも、そのニルスのようです。

ニルスはリーリャがエルクを殺すことで必然的にリーリャも死んでしまうことを避けるためにリーリャに行くなと言います。
つまり自分を殺すつもりだったのです。

しかしリーリャはニルスの言葉を蹴ってエルクを殺し、自らも死んでしまいます。

5巻冒頭でニルスとリーリャの会話として語られるこの辺の事情はかなり深いです。

ニルスがエルクと同じ出自だったら、そもそもニルスはエルク殺しを発案するはずがありません。だから違う出自という設定になっているのでしょう。

リーリャがエルク殺しに赴いたのは、正規勇者の資質を持たないヴィレムをアルマリアが待つあの家に「帰す」ためでした。
(この点については、まだちょっと私の中での論理構成があやふやです)

==

5巻ではアイセアが活躍するのかと思っていたら、アイセアよりもラーントルクのほうが目立っていました。

アイセアは以前の妖精の生まれ変わりという記憶を持っているせいか、どこか達観した風情があります。
クトリを助けるためにネフレンが色々やっていた調べ物を引き継ぎ、自分達が何者なのかを探求しています。

しかし黄金妖精の正体についての情報は、誰がどうやって入手して本に記録したのでしょうか。
全てというか、概要を知っているのはニルスだけのはずです。
地神イーボと大賢者スウォンも当然知っています。ニルスとの情報格差は不明です。
そういった人から聞き出した誰かが死霊学として記録していたってことかな。
大賢者スウォン自身が書いたのかもしれませんけど。

アイセアは通俗恋愛小説を読みながら「もう少し長かったら私も」的な愚痴らしきものを口にしています。
「いいですか?」がもう少し長く続いたら、ヴィレムとの関係がもう少しどうにかなったかもということかな。

この場面はもしかしたら4巻感想で書いた
>次巻ではアイセアが活躍するのかな。
に対応しているのかもしれません。

こういうメタ的な(恋愛小説の登場人物が「っす」と言う点にも言及している)記載があちこちにあって、それを嫌う人もいるかもしれませんが、私はとても楽しかったです。

==

獣人とは何なのか。

蜥蜴、狼、犬、猫、兎、鳩、豚といった動物だけでなく、鬼とかまあ色々います。
記述をよく読むと、爬虫族と獣人族は別の種族に分類されているようです。
ただ、あまり厳密な体系的記載がありませんので、ここでは人間(エムネトワイト)以外の知性を持った存在を獣人と呼ぶことにします。

トロールであるナイグラートは徴無しに分類されています。
獣人の中で、角や牙、翼といった見た目の特徴が無い存在、つまり人間と同じ外形をした存在が徴無しであり、妖精も徴無し扱いされています。

こういう存在は、500年前以前から地球いたことになっています。
であるなら、どうやって獣人ができたのかよく分かりません。

星神が地球に来たとき、そこは「原初の獣」と「砂」の星であり、人間はいなかったのだから、獣人もいなかったはずです。

・星神は獣を核にして、自分達に似せて人間を作った
・それと同時に、植物や動物も作った(モデルは自分達の故郷)
・動物を作るとき、獣を核にはしていない(私の想像)

ここまでは無理なく推定できます。

ではこのとき獣人(知性のある存在)も作ったのか。
その核になぜ獣を使わなかったのか。
獣人の核が原初の獣なら500年前のカタストロフのときに人間と一緒に獣化するはずです。

可能性を挙げると、私が思いついたのは次の2つです。

A)人間と同時に獣人を作った。目的は争わせて星神の娯楽にすること?
B)獣人は動物が勝手に知性を獲得して進化した

人間と対立して争う程度の知性があっても、文明を築くほどではなかったのかもしれません。

・500年前のカタストロフのとき、スウォンは浮遊大陸群を作った
・そのとき人間は全て獣と化していた(石化していたヴィレムを除く)
・獣を核にしていない獣人を人化し、知性を与えて浮遊大陸群の住人とした

つまり、最初に人間を作ったときに獣を核としたように、獣人を核として現在の獣人を作ったのではないかということです。
皮は獣化した人間から剥がれた星神の魂です。

私の想像なのでこれが正しいという保証はありません。多分間違っています。
それに4巻以前のどこかにちゃんと書いてあって、私がそれを覚えていないだけかもしれません。

==

ナイグラートはいいキャラをしているなあ。
ネフレンは別格としても、私は登場人物の中でナイグラートが一番好きかもしれません。トロールとしての特異な設定は勿論、会話の妙、妖精たちへの気持ちがとてもいいです。

彼女に限らず、枯野さんの文章の中では会話部分が秀逸だと思います。
会話している当人達が特別に意識して気取って喋っている訳でもないのに、どんな場面でも機智溢れるやり取りが展開されています。
読んでいて本当に楽しいです。

それと、エルピスの対獣用兵器とヴィレムの戦い、その後の妖精たちとヴィレムの戦いの場面はその激しさとは裏腹に抒情的でさえあって、私が3巻プランタギネスタ事件での獣との戦いの場面を形容した「熱さを秘めた冷静さ」そのものだったと思います。

5巻もやはり二度読みしました。
4巻を二度読みしたネフレン云々からではなく、この感想を書くに当たって細部を覚えきれなかったからです。

ストーリーの大筋は覚えていました。でも所々、なぜそうなるのか、なぜそうするのか、といった論理的な展開が頭に残っていないのです。

これはどうしてかなあ。
やはり1巻なんかに比べて物語の密度がちょっと高いんですかね。

==

さて、上述した「いいですか?」の世界における「終末」について、もう少し考えてみます。

500年前、リーリャを代表とする人間達がエルクを殺そうとした(実際殺した)行為は「衰退を止めるため、もしくは繁栄を取り戻すための抵抗」に相当します。

ただこれは実際には衰退を止めるというより、「当面の滅亡の危機」を避け、「現在の繁栄を持続する」ことが目的です。

結果としてそれは失敗し、人間は瞬間的に滅んでしまいました。

でも、エルク殺しの時点ではまだ終末(期)は訪れていないのではないでしょうか。
少なくとも一般の人間は自分達が滅亡(獣化)の淵にいることを知りません。
だから見えない終末期って言えばそうなんだけど、人間の社会がその雰囲気に覆われていることはないと思うのです。

その後の浮遊大陸群の人(獣人達)は地上の獣の脅威から自分達を防衛しながら500年間暮らしてきました。
第六の獣の襲撃は別にして、その世界にも衰退へ向かう終末の気配はありません。
細々かもしれないけれど、それなりの文明を築いて繁栄しています。
ここにも終末の姿は見えないのです。

ただ、大きく俯瞰して考えれば、あの世界そのものが、星神が人間を作った時からすでに終末を内包したものであると捉えることも可能かもしれません。
(何だか、自分が言ってることを簡単にひっくり返す論法になってしまったw)
2巻だったかに、明日にでも滅ぶかもしれない状況を妖精達の働きで防いでいるといった記載があります。

このあたりは「終末」という言葉をどのようなものとして捉えるかの違いによるのかもしれません。

==

さてさて。
5巻の帯に色々なステージで本作が高ランクになっていることが示されています。

となるとアニメ化の可能性も高くなってきたんじゃないかな。

1巻を読んだときの感想でネフレンについて
>アニメ化されるときは花澤香奈さんにCVやってほしいです。
と書きました。

このときはアニメ化自体が「されたらいいなあ」程度の気持ちでした。

でも現実味が出てくると、花澤さんにやってほしいという気持ちも大きくなってきます。

だって、天野遠子-汐宮栞-河合律と連なる花澤さんが演じた本好き少女の系譜にネフレンが入ったら嬉しいじゃないですか。
キャラCDも出るだろうし。

少年ジャンプのバクマンに、マンガのアニメ化の際、キャストに原作者の意向がある程度は考慮されるみたいなことが書いてありました。
枯野さんに例えば「クトリはこの人でなきゃ嫌だ」的なこだわりがないのであれば、花澤ネフレンのことを頭の隅にでも置いといてもらえたら。

あ、でも、そうならなくてもいいんです。
キャストが誰になろうとも、アニメ化は近い将来にやってくる(かもしれない)楽しみの一つとして心待ちにしておくことにします。

ヴィレムはどんな風に「けけけ」と笑うのでしょうね。

==

やっと5巻(と言うより全体)の感想を書き終わりました。
1巻から4巻までの感想の文字数合計を凌駕するボリュームになりました。
まだ全然書き足りていないのですが、とりあえずここまでとします、

1巻を読んだ時点で「いいですか?」のことを特殊な設定下でのラブコメなのだろうと思っていました。
巻が進むにつれて、いやいやとんでもない、壮大な世界観をバックにした骨太のファンタジーであることが分かりました。

この5巻感想を書きながら、1.2.3巻を結局もう一度読みました。

文明の終末とはどのようなものか、生まれ変わりによる自己とは何か、存在する理由、戦う理由、帰りたい場所、そして移ろいゆくもの・こと。
この感想を書くに当たって色々なことを考えました。
その多くは言葉としてここに書き記すにはあまりに中途半端で恥をかきそうなので秘めておきます。
上に書き連ねたことにも、多くの間違い勘違いが含まれていることでしょう。

打ち切りになりかけた事情や「会えますか?」との兼ね合いなどからなのか、「いいですか?」を単独でみた場合、緻密さや完成度という点ではあまり評価をすることはできないのかもしれません。
だけど、それでも、本当に満足することができました。

さあこれでようやく「会えますか?」を読むことができます。
読み始めたらすぐ、この5巻感想に書いたことがひっくり返されたりして。ww
いいんです。そういうことはこのブログの「あるある」ですから。

==

ずっと待ち望んでいたネフレンのイラスト。
forget-me-notさんによるPIXIV最初のネフレンです。




2016/7/2 追記

本日届いた「会えますか? #02」の帯に「アニメ化企画進行中!!」の文字が!!!!!
うれしいですねえ。
このページで「いいですか」一巻の感想のときからアニメ化に言及していた私としては、それが現実のことになるこの日を待っていました。
ツイッターとか関連情報にアクセスしていないから、遅い反応なのかな。まあいいや。w

枯野さんのサイトを開いたら、昨日公開の情報でした。
続報を待ちましょう。

本当に嬉しい。

同時にコミカライズも連載開始だって。
帯の裏にイラストが載っています。
これは買わざるを得ない。


2016/07/09

月刊コミックアライブ8月号届きました。

騙しじゃなーかあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。

変だとは思ってたんですよ。

角川スニーカー文庫の公式サイト、終末のページに「月刊コミックアライブにて、コミカライズ連載開始!!作画:せうかなめ click!>>」という丸いポップみたいなリンクがあります。
それをクリックすると月刊コミックアライブのオフィシャルサイトが開きます。
トップページの8月号の表紙写真に、4大新連載!としてクトリの絵が載っています。

これだけ条件が揃えば、と言うかこれで8月号からの連載開始を疑う人なんかいません。
でも、どこも妙によそよそしい。
トップページのバナー並びの中に無い。
華やかであるべき新連載なのに、最新号の内容紹介ページで一番最後にモノクロイラストが1つっきり、しかも紹介の文章も他の連載作品には書いてあるのに、これだけ無い。


さっきクロネコが届けてくれました。
あれ? こんな重いの最近注文した覚えないけどなあ。
おお、これこれ。待ってました。

さて、どこだあ。
カラーページにイラストは、っと無いかあ。まあまだ知名度ないからねえ。
最後の目次を開いて、1257頁? すごっ。

さあて、千二百五十・・・、あれ? もうページないぞ。
あっ! なんじゃこれは!!!!

「プレ連載」 4ページ

これが、お前らのやりかたかあぁぁぁぁぁ・・・
角川さん、最近こんなやり方してんの?

いいんですけどね。
知ってても買ったでしょうけれどね。
800円だし。

でも知らないで書店で買って、重い重いと持ち帰って、さあっと開けたら4ページだったら悲しいと思うよ。
クロネコさんありがとう。

で、まあ。
その4ページを見た範囲では、「会えますか?」#02の帯にあったイラストで若干不安だった作画も、満足とは言わないまでもまあ我慢できそうな範囲だったから、とりあえず良かった。

ネフレンも1カットだけ出ています。寝顔だけどね。

==


2017/3/15

タイトルの英語表記なんですけどね。
文庫版の表紙と、アニメ公式サイトでかなり違っています。

原作
Do you have what THE END?
Are you busy?
Shall you save XXX?

アニメ
What do you do at the end of the world?
Are you busy?
Will you save us?

中学校英作文だとアニメ版が正解かな。
アニメ版では救う対象が明確に「私たち」になっています。

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