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遅れてきた突っ込み
書きたいことは山ほどあるけど、暇がない。 だから、多分、どれも旬を過ぎた話題ばかりに なりそうなブログ。ここでのハンドルはたか号ですが、小説などはgatsutaka名で書いています。
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マチネの終わりに 感想
新聞の広告でその存在を知り、届いてから私としては比較的ゆっくり読み進んで二週間かけて読了。



ここ(このブログ)を何度か目にしたことにある人なら、私がこの小説の感想を書くことがどれほど珍しいか分かってもらえると思います。
最近はマンガかアニメかラノベの感想しか書いていません。

勿論それ以外の本も読んではいます。
でも人に感想を読んでもらいたいという欲求が起こることは稀なのです。

「大人の恋愛小説」に限定すれば、年に一、二冊程度しか手に取りません。
そして読み始めたとしても10ページも進まないうちに放り出してしまうこともしばしばです。
なぜって、つまらないから。(単純に個人的な好みの問題です)

だから私がここに「大人の恋愛小説」の感想を載せ、あなたがそれを読めるのは盲亀浮木・優曇華の花の如し……ってそんな価値はありません。(笑)

正直言って本作も最初の数ページで投げ出そうかと思いました。

天才ギタリストと外国の通信社に勤める美人記者のカップルなんて、その設定だけでお腹一杯という感じです。

それでも読み進めたのは、本作の帯にあった「マチネロス」という言葉がどういうことを指しているか気になったからです。
読み終わることで、その言葉の意味するところは理解できました。理解できたつもりになっています。
投げ出したかった私が、結局最後まで「楽しんで」読んでしまったのですから。

であれば、どういうところを楽しんだのかが感想の核になるのだろうと思います。
しかしそれは書く気になれません。
何だか凄く気恥ずかしいのです。

なので少し違う方向から感想(らしきもの)を書くことにします。

本作を読んでいて最初から最後まで感じたのは現実感の薄さでした。
現実感が薄いというのは、嘘っぽいという意味ではありません。

また、上記したような登場人物のハイスペックのせいでもありません。
それを言い出したら、超能力者とか魔法使いとかが当たり前のように出てくるラノベのほうがもっと現実感が薄いことになります。

自分が面白いと感じる小説を読んでいるときは、どんな奇抜な世界が舞台であっても、その世界を現実のことと感じ、登場人物はその世界の中で生きていると感じています。
但し設定(世界観)やキャラ(登場人物)、そして何よりも文章の巧みさなどの条件が整っている場合に限ります。
お子ちゃま脳じゃないのかと言われればそれまでですが、少なくとも純文学だからとかラノベだからとかいう区別はしていないつもりです。

本作を読んでいると、脚本をきっちり決められた舞台演劇を見ているような気分になります。
演劇に現実感がないと言っているのではありません。
舞台を見るときは、そこに生身の役者さんがいて演技をしています。
その演技に、虚構を現実と感じ(錯覚)させる作用がある場合も存在します。
あれほど様式化された歌舞伎ですらそれを見て涙を流す人がいることがその証しです。

私が本作を現実感が薄いと感じる理由は、言葉で説明するのが難しいです。
敢えて言えば、「緻密過ぎるから」かもしれません。

つまり、時代背景や状況、発生する事件から小道具(スカイプや手足口病なども含む)に至るまで、あまりに緻密且つリアルであるため、逆に現実感が薄くなってしまったのではないかということです。

例えば洋子の母親が暮らしている長崎での描写は、そこに長年住んでいる私から見て不自然な点が全くありません。
それから類推するに、他の場所での場面も恐らく同様なのでしょう。

このように本作は緻密に構築された舞台の上で、緻密に構成されたシナリオに従って登場人物が物語を演じています。
しかしこれは小説なので、生身の役者が演じているのではありません。
芝居は私の頭の中だけで行われています。

それを見ていて(実際には読んでいて)現実感が薄い、つまり虚構を虚構としてしか受け取ることができません。

思うにこれは、ストーリーが出来過ぎているからのようです。

意地の悪い読者である私は、小説を読みながら粗探しをしていることがあります。
本作の場合、「あれっ? これは変じゃない?」と感じた点があたっとすると、大抵の場合そのすぐ後くらいに、私の考えることぐらいお見通しだとばかりに解答が用意されています。

また途中で「もしかしてこういう展開になるんじゃないか」と思いついたことがあるとすれば、作中に「そんな展開にはなりません」ということが暗に言及してあったりします。

それはもう見事なくらい。

読み終わってもう一度冒頭の序を読んだら、読んでいる途中に感じたことの殆どが既にそこに書かれていました。

つまり本作は起こりうるあらゆる事象を網羅的に検討した上で、唯一これしか歩けない道が、それ以外の道につながる分岐路を徹底的に排除した状態で提示してあるということです。

これによって、登場人物が状況と自己の選択に翻弄されながら生きているのを見るという現実感が薄くなってしまったのではないかと思うのです。
彼らはあの世界で悩みながら生きているのではなく、作者さんの掌の上で動かされているだけのようにしか見えません。

その結果何が起きたか。
登場人物への感情移入が妨げられてしまいました。

物語を読んでいて、人物(主に主人公)に対して「あ、そっち行っちゃ駄目だよ」とか。「えー。そんな選択あり得ない」とか、「うん、それ正解。良かったね」とか、まあ色々な気持が湧いてくるものです。
そんな気持ちの振れ、揺れが、本作においては虚しく感じられます。
何を思っても、本作のストーリー以外のルートを「それはありません」と否定されてしまうからです。

二人のラストシーン。
あの結末を運だとか、運命だとか、悲恋だとか、救いだとか、もう何と表現したらいいのか分からなくなりました。
どんな言葉を持ってきても、そぐわないのでしょう。

……とは言え、だから悪いということでは全くありません。

ここまでつらつら書いてきたことは、本作を読んでいて私が思ったことの一つの側面であって、全体としては上にも書いたように「楽しんで」読んだのですから。

一つだけ、本作を読んで良かったなと思うことを書いておきます。

本作の中に「過去は変えられる」という趣旨のことが出てきます。

自分に与えられた、もしくは直面した状況の中で行う選択の連続によって、人生という長いストーリーが形成されていきます。
私は私がこれまで行ってきた選択のうち、重大な局面における選択は概ね間違っていなかったと思っています。
別の言い方をすると、重大局面での選択の半数+1以上がもたらした結果に不満はありません。
選択を行う状況を生み出すまでに自分が行った努力に見合う以上の現状にいると思っているからです。(これ以上贅沢を言ったらバチが当たるってやつ)

だけど、幾つかは明らかに失敗した選択もあります。
その選択はもう変えることができません。

たまにその選択の状況を思い出しては「あのとき……」という、それこそ誰でも考えるような後悔が胸をよぎることがあります。
たまにと書きましたが、いつもかもしれません。

だけど過去は変えられるのです。
それがどういうことかは、本作を読んで下さい。

==

2017/4/23追記

サンデーモーニングに作者の平野啓一郎さんが出演しているのを見ました。
作家さん個人がどんな人なのか、あまり興味がないので調べたりしていませんでした。
さっきツイッターを覗いたら、なるほど。
筑紫哲也さんに死亡宣告されてからウン十年もまだ生き続けているTBS。
その中でも最低部類に入ると思う番組。
番組の意向に沿った発言をする人しか出さないそれに出演して恥じることのない方だったのか。

人物と作品は分けて考えます。

とは言え、作品の底意に何かが見えてくることも否定はしません。
宮崎アニメなどもそうですもんね。
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