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この胸いっぱいの愛を(原作本)感想
「この胸いっぱいの愛を」読了。日曜日一日で読んでしまった。

感想を書こうと思ってちょっと逡巡している。
面白いと思う自分と、なんじゃこれと思う自分がせめぎあっている。

映画化のいきさつはよく知らない。原作ありきの映画化なのか、映画化ありきの著作なのか。それによって読み方が変わる。特に後者の場合、どの程度本人以外の意向が混じっているのか。

タイトルと「感想」で検索すると、試写会の感想ばかり出てきて、原作がどう読まれているのか一般的な評判も知らない。

この先、ネタばれを含んでいます。




最初の感想は、映画の予告編を見てから読んだのは失敗だったということである。
ストーリーはほとんど全て予告編に現れていると言っていい。
だから読みながら先が分かってしまい、その意味で楽しさ半減であった。

次に、これはSFではなくファンタジーとして読むものだと思った。時間SF特有のもどかしさ、ストーリーの整合性に関する座り心地の悪さを気にしていたら読むことができない。人の「想い」が重要なファクターになるという黄泉がえりと同じ設定は、そこにこだわって読むと不満しか残らないかもしれない。

門司の街並みの描写はいい味が出ていると思った。
私自身は、小倉や下関には何度か行ったとこがあるが、門司は素通りするだけで歩いたことがない。中に名前だけ出てくる「めかり山荘」に中学の修学旅行で泊まったことがある。そのときは「霧が濃くて」何も見えなかったことを覚えている。

過去に戻った5組の登場人物は、世代が少しずつずらしてあり、読者のそれとそれぞれシンクロできるようになっている。しかし、私は上から2番目と3番目の世代のちょうど中間であり、1986年昭和61年という年も、私自身にとって非常に中途半端な時代であるため、ノスタルジーという点ではあまり浸ることができなかった。

登場人物にやくざ者が出てきたときは、やれやれまたかと思った。なぜ安直にやくざを出すのだろう。そりゃ、普通とは違う人種であるから、普通とは違う事件を起こすにはやりやすい存在なのだろうけれど、昔の角川映画みたいで鼻白む。
ただ、この作品の布川君はその「想い」において愛すべき存在であった。

それから、地の文の表現がきりっとしていないのが残念だった。例えば、「ムンクの叫び状態」というのはあまりに陳腐ではないだろうか。保育園で保母さんを脅す場面なんか無用である。
なんとなくすらすらと読めるけれど、こちらに迫ってくるものが乏しい。そのため、「想い」を扱っているのに、人物の心の状態の描写が、直接間接いずれにしても今一つ突っ込み不足である。和美姉さんの気持ちの揺れもあまりにも分かりやすくて、結末に向けて一直線という感じである。
旅館の婆さんは重要な存在のような気がしていたのに、大して活躍することなく終わってしまった。

時代が下って現在に戻り、3人が事故で死亡という結末は一瞬何で?と思った。
夫婦は飛行機に乗る必要がなく、主人公は第10の約束で乗らなかったけれど、死亡した3人は過去を変えたわけではないので飛行機に乗る必然があったということで一応納得はいった。
でもなあ。あのやくざ者のお母さんはどうにかしてほしかった。

全体としては面白かったし、映画も見に行こうと思う。だけど、物足りない。
物足りなく思う原因の一つは、5組のエピソードが独立していて、互いに関係することが全くではないけれど殆どないせいかもしれない。あっと思う仕掛けがないのである。

そしてタイトル。ツェッペリンのこの曲をキーにする必然は全くない。むしろロングロングアゴーのほうがいい。映画での動員を考えて、「世界の中心で愛を叫ぶ」に匹敵するタイトルを付けるためだけに選んだのではないかという思いが付きまとう。

「黄泉がえり」は、タイトルだけ見ると映画での一般客誘引力が欠けている。その反省に立っての選択であろうと想像する。であるならば、この曲でなければならないという何かを織り込んでおいてほしかった。


==

さて、私自身が戻ってみたい過去はいつだろうかと考えてみる。
そりゃあ、誰だって思う程度にはやり直してみたい過去はある。

あそこからやり直せば、今とは違う人生を送ることになるのは確かだろうと思うポイントとなる時が幾つかある。中にはここに書くことすら恥ずかしいこともある。でも、まあ、それを否定して無かったことにできたとしても、別の恥ずかしいことが起きるだけか。

結局のところ、自分の力及ばずに引き起こした取り返しのつかない事態というものが存在しない限りにおいては、こういう夢想自体あまり意味がないのかもしれない。

唯一つ、あの時を除いては。
と、思わせぶりにしておいて、以下次回w。

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